ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

高梁 2月7日

2021年02月28日 | 写真

【Live Information】


ぼくは、協調性はない方かもしれません。
そのうえ気分で動くたちです。
いや、学校で教わる「協調性があるのが良いことで、ないのは良くないこと」という価値観にどうしても馴染めないだけかもしれないです。(人に全く協力しないとか、和を乱すのが好き、ということではないです。
だから単独行動するのが楽チンだし、ひとりでいることが好きなのです。


そんなわけで、日曜日(2月7日)に目が覚めた時に思い立って、衝動的に高梁市へ向かったのです。
なんとなく日ごろの疲労感が残っている感じだったけれど、だらだらと夕方を迎えてしまったら後悔するような気がしたんですね。



【高梁市成羽美術館】

まずは成羽美術館へ。
"ユンちゃん"こと李侖京さんの個展「小舟によせる唄」が見たかったんです。なにしろ2月7日は最終日だったものですから。
行ってみると、成羽生まれの洋画家児島虎次郎氏の作品展も開かれていました。
この両氏の作品を観ただけでも高梁へ来た甲斐があったというものです。
ユンちゃんの作品といえば、赤色。
赤の素敵さがくっきりと浮き彫りにされているように感じました。そこだけいわば「別世界」でした。
児島虎次郎は、単純に画集が欲しくてたまりません。













【郷土資料館】

美術館を後にして、あらためて高梁の町に入ります。
最初に入ってみたのは、郷土資料館です。
ここは、もとは1904年に建てられた高梁尋常高等小学校です。
農機具、古い看板、伯備線備中高梁駅の表示、古いおもちゃ、道具類、生活用品、戦争関連のものなどが所狭しと展示されていて、目移りして仕方なかったです。
見ているだけでワクワクです。

その中でもやはり音楽に関係のあるステレオ、ラジオ、楽器類からは目が離せませんでした。
そうそう、ぼくが小学校へあがったころは、各教室に足踏みオルガンがあったなあ。


郷土資料館


ステレオ、蓄音機。


左はレコードケース。真ん中は昭和初期のラジオスピーカー。右のラジオは東芝製。


戦時中に使われたもの。鉄兜、ゲートル、ガスマスク、消化弾、慰問袋などなど。


教室の机はこんなだったのですね。



授業の始まりや終わりを知らせる振鈴(上)、授業で使われていた地球儀と卓上オルガン(下)


昭和期のオルガン。



【山田方谷記念館】

続いて入ってみたのが、山田方谷記念館。
郷土資料館のとなりです。
備中松山藩の財政を再建したことで有名な山田方谷は、幕末の儒家、陽明学者です。
藩校「有終館」や家塾「牛麓舎」「長瀬塾」「小阪部塾」などで多くの人材を育てたことでも知られています。
「至誠惻怛」(しせいそくだつ=誠意を尽くし人を思いやる心)、「士民撫育」(しみんぶいく=すべては藩士と領民のために)の精神を貫き、「備中聖人」と謳われました。
受付をしてくださった方が「わたし、方谷の子孫なんです(^^)」と自己紹介してくださって、ちょっとビックリでした。




山田方谷画像



方谷直筆の漢詩(上)と遺訓(下)


方谷の揮毫



【基督教会堂】

1889年(明治22年)に建てられました。現存する岡山県下最古の教会堂です。
高梁でのキリスト教布教活動が始まったのは1879年(明治12年)。翌1880年(明治13年)に新島襄(同志社英学校創設者)が伝道のため高梁を訪れたのを機会に、キリスト教は急速に広まったといいます。





【頼久寺】

臨済宗永源寺派の寺院です。
創建年は不詳ですが、1339年に足利尊氏によって再興されました。
境内は、2代目備中国代官で備中松山城主の小堀遠州によって造られた蓬莱式枯山水庭園で、1974年に国の名勝に指定されました。











頼久寺を出て寺町の方へ行こうとすると、高校生らしきカップルが歩いていました。
日曜なのに制服です。
部活帰りなのかな。
楽しそうにおしゃべりしながら並んで歩いています。
手をつないで。

手を!
青春だなあ・・・。
あ~ぼくはもうおじさんなのに胸がキュンキュンしちゃったよ





寺町を南に歩いてゆくと、、、
夜、不意にこんなのを見かけたら腰を抜かすかも。
ちなみにマネキンの向かいは墓地です。






【薬師院】

高梁の町って、お寺が建ち並んでいるんですね。
こんなにたくさんあるなんて知らなかった。
そのなかでお目当ては、薬師院。
1983年に公開された「男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎」(第32作)のロケが行われたところです。
劇中での名称は「蓮台寺」です。
このお寺で、寅さんは竹下景子さん演じる朋子に出会うんですね。
この第32作は、倉敷市が誇る名優、長門勇さんが岡山弁丸出しで存在感を示していますし、寅さんが朋子に、家を飛び出してフーテンになったいきさつを聞かせる抱腹絶倒ものの名場面があったりして、好きな作品なのです。






薬師院庭園。寅さんがここを掃くシーンがあります。


薬師院から臨む高梁の町。




寅さんが、住職(松村達雄)とその娘朋子に出会うのがこの石段です。



薬師院のあとは、南隣にある松連寺に行ってみました。
ここも石段を上がった小高いところにあるお寺で、なんともほどよくいい眺めです。
高梁は、山と川に囲まれた小さな町です。
郷愁をさそう風景です。
そういう「閉じられた」地理条件は日本では珍しくなく、だからこそ良くもわるくも地域独自の風土が育ったと言えるのでしょう。
町なかにはきれいな建物がある一方、少し離れたところまで歩けば時間に取り残されたような、なんともいえず懐かしさを感じるところも多かったです。











線路はJR伯備線。
まだ単線なのがこれまたのどかでいいんだなあ。




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