【Live Information】
【栄冠は君に輝く】
◆作詞 加賀大介
◆作曲 古関裕而
◆発表 1948年
[歌 詞]
ついに第100回全国高等学校野球選手権大会、俗に言う「夏の甲子園」が始まりました。
1915年に豊中球場で行われた第1回大会を皮切りに、以後太平洋戦争による中断をはさんでの記念すべき100回大会です。
ちなみに、甲子園球場で開催されるようになったのは、1924年の第10回大会からです。
中学生の頃だったか、漠然と「ぼくは、100回目の記念大会を体験できるかもしれないなあ、、、でもその時は、、、50代か。。。その頃の自分はどうなってるんだろう」と思ったことを覚えています。
ぼくは、今に至るまでの大の野球小僧ですから、当然この時期も血が騒ぎます。
7月も中旬になると、毎日のように県代表が決まります。強豪、古豪、新鋭校とさまざまですが、懐かしい校名が何十年ぶりに出場、というのに惹かれますね~。
代表校が出そろうと、週刊朝日の増刊号が出るのが待ち遠しくてなりません。
出場全校のメンバーや大会史、記録などが満載でした。中でも各年度の県別代表校が掲載されていて、どの県のどの学校が何回出場しているか、などを自分で拾い出して数え上げてみるのが楽しかったです。
大会が終わると、週刊ベースボールの別冊を必ず買っていました。アサヒグラフの増刊とか欲しかったですが、若干高かったので、高校生くらいまではガマンしていました。
社会人になるとよく古本屋さんへ行っては、小説やノンフィクションなどのほか、野球関連・音楽関連の本を漁っていました。
少しだけ残っている、アサヒグラフなどの「甲子園増刊」。
買いあさった野球の本のうち、高校野球関係のもの。
記憶に残っている試合としては、1969年(第51回)決勝の松山商高対三沢高、延長18回引き分け再試合をはじめ、1973年(第55回)、2回戦作新学院対銚子商高延長12回江川の押し出し四球による作新サヨナラ負け、準々決勝定岡正二の鹿児島実業対原辰徳の東海大相模による延長15回の熱戦、1979年(第61回)3回戦箕島高対星稜高の延長18回の激闘、1992年(第74回)の星稜高松井秀喜の5打席連続敬遠、1996年(第78回)決勝の松山商高対熊本工高の延長10回裏、松山商高矢野勝嗣の奇跡のバックホーム、1998年(第80回)の横浜高対PL学園高の延長17回の激戦、2006年(第88回)の準々決勝の壮絶な打撃戦(智弁和歌山13対12帝京高)、そして早稲田実業高対駒大苫小牧高の決勝引き分け再試合、2007年(第89回)決勝戦、佐賀北高副島浩史の逆転満塁本塁打、2009年(第91回)決勝、中京大中京高10対9日本文理高、日本文理驚異の追い上げなどなど、、、数え上げたらきりがありません。
1970年代の銚子商高、東海大相模高、PL学園高、箕島高、1980年代の池田高、早稲田実業高、PL学園高、帝京高、1990年代の智弁和歌山高、横浜高、星稜高、2000年代の駒大苫小牧高、早稲田実業高、大阪桐蔭高などなど。
太田幸司、江川卓、坂本佳一、荒木大輔、愛甲猛、原辰徳、清原和博、桑田真澄、畠山準、水野雄仁、松坂大輔、ダルビッシュ有、田中将大、斎藤佑樹・・・。
記憶に残っているのは名勝負の数々だけではありません。
そう、大会歌である「栄冠は君に輝く」(副題:夏の全国高等学校野球選手権大会の歌)も、数多の高校野球ファンの脳裏に刻み込まれているはずです。
甲子園球場、白球、そして「栄冠は君に輝く」のメロディー。切っても切り離すことはできない、高校野球の象徴です。
1948年、学制改定に伴って、夏の甲子園大会はその正式名称が「全国中等学校優勝野球大会」から「全国高等学校野球選手権大会」に改称されることになりました。またこの年の大会は第30回目となることから、主催者の朝日新聞社は新しい大会歌歌詞を募集しました。応募総数は5,252を数え、その中から高橋道子さんの作品が選ばれました。
これに古関裕而が曲をつけ、1948年に発表されたのが「栄冠は君に輝く」です。
明るく元気が満ち溢れるような、そして「夏」のイメージにぴったり合う覚えやすいメロディー。
野球関連で有名な古関裕而作品としては、通称「六甲颪」で知られる「阪神タイガースの歌」がありますが、それに優るとも劣らない名曲で、多くの野球ファンに歌われ続けています。
じつは、本当の作詞者は、石川県在住の職業文筆家・加賀大介(当時の本名は中村義雄)氏でした。
加賀氏はとても野球好きでしたが、試合中の負傷がもとで右足を切断せざるを得なくなって野球を断念した過去がありました。しかし野球に対する熱い想いは消えることがなく、「栄冠は君に輝く」の歌詞となって世に出たわけです。
しかし加賀氏はプロの文筆家であったため、賞金目当てで詞を書いたと思われるのが嫌でした。そのため、婚約者であり、のち妻となる高橋道子さんの名前で応募したというわけです。
真相は、1968年の第50回記念大会を機に、加賀氏本人が明らかにしました。
今年の第100回大会開幕式には、加賀氏の妻の道子さんと古関裕而氏の長男正裕氏が、「栄冠は君に輝く」の合唱をスタンドで、並んで聴いたということです。
100年後の第200回大会でも、この曲が演奏・合唱されますように。
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