ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

「損したね」「損するよ」と言いたい人たち

2018年03月17日 | 価値観
【Live Information】


欲しかったものを買ったとき、
食べたいものを食べたとき、
読みたかった本を読んだとき、
行ってみたいところへ行ったとき、
たいていの人は満足感や喜びを覚えるでしょう。
時には「期待外れだった。。。」と残念がることもあるでしょう。
でもこれを、第三者に
「それ、たいしたことないよ」「それマズかったよ」「それ面白くなかったよ」「そこ、つまらないとこだったよ」と言われたらどう感じるか、という話です。
「良かった!」と思うのも「期待外れだった~」と思うのも、自分の心が自由に感じてよいことであって、第三者に良かったかどうか決められたくない。
 
 
『ライブに行かなかった人は「損しましたね」』とか『ライブに来ないと「損するよ」』式の表現によく出会いますが(流行りか?)、そのライブに行かなかった人がそのライブよりも程度の低い時間を過ごしたかどうかがなぜわかるのでしょう。
そのライブに行かなかったことをなぜ「損したね」と決め付けなければならないのでしょう。
自分が「ライブに行った!良かった!」ではいけないのでしょうか。
行かなかった人をなぜわざわざ貶める必要があるのか、全くわからない。


他にも、地方のミュージシャンであっても一応ステージに上がる立場にある人が「自分のライブに『来ないと損する』」・・・
同じ時間に他の場所で一生懸命演奏している人たちのライブに行くことは損なのか。
あえて言ってしまうと、他のライブへ行くのが損であるくらいあなたの演奏は素晴らしいのか、と思う。
 
 
そんなことたいしたことじゃないと思う人はそれでいいと思うし、考えを変えてほしいわけではないのです。
「損したね」「損するよ」が言えるなら、「損するよ、は嫌な言葉だ」も言ってもかまわないよな、と思っただけです。
ただ、ほんとうに音楽を好きな人が発する言葉とはどうしても思えない。
せめて自分は、そういう表現をしないようにしよう、と改めて思いました。


少し溜まっていたものを吐き出した気分です。
深くこだわりたくはないので、そういう言葉や、言葉を発する人とは適切な距離を置かねば。。。(^^;)




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コメント (2)
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