ある音楽人的日乗

「音楽はまさに人生そのもの」。ジャズ・バー店主、認定心理カウンセラー、ベーシスト皆木秀樹のあれこれ

音楽にまつわる原体験

2007年11月19日 | 価値観
          △子供時代のワタクシ。


 つらつら考えてみるに、とくに我が家が音楽に親しんでいたわけでもなく、一族郎党にそういうハイカラな趣味を持っている者がいたわけでもない。たいへんなロック通の従兄がひとりいたが、彼は楽器を弾かない。なぜ親戚中の中で自分だけが、人前で演奏してなにがしかのお代を頂くなどというややこしいことに首を突っ込むハメになったのか、皆目見当がつかない。


 育った家の北隣に料亭があり、夏場など障子を開け放して酒宴なぞ繰り広げているものだから、寝床に入っているぼくの耳にもしょっちゅう芸妓の嬌声や三味の音などが聴こえていた。
 時には軍歌をがなりたてる声、たまには、なぜか調子っぱずれのバイオリンの音がする時もあった。
 バイオリンがキーキーいう夜など、その神経を逆なでする音のあまりのうるささに布団の中でのたうちまわっていた。


 育ての母が芸事が好きだったために、オルガン教室に無理やり通わされたが、教室には女の子しかいなかったので、恐ろしさのあまり一日でネをあげた。男の子って女の子が集まるようなところはイヤがるもんですからね~。


 家には何枚かのレコードがあるにはあった。父の聴いていた「同期の桜」、なぜか「黒ネコのタンゴ」と「こんにちは赤ちゃん」。
 子供用には「オバQ」や「パーマン」のアニメソングのほかはありきたりの童謡があるだけ。とくにそれらを聴きこんだ覚えもない。


 音楽に接する機会なんてほんのちょこっとくらいしかなかった。しかもぼくが意欲を掻き立てられるような環境でもなかった。


 ただ、小学校の時に音楽の時間で聴かせてもらうクラシック、または下校時とか、掃除や給食の時間に校内放送でかかるクラシックの曲はとても好きだった。シューベルトの「ます」とか、ビゼーの「アルルの女」とか。ほかにはマーチがとても好きだったから、運動会の練習の時間が楽しみだった。授業中にスーザの曲をはじめ、有名なマーチをたくさんかけてたから。ただし音楽の授業は好きではない(笑)。




 なぜ今日はこんなことを書いたか。
 

 音楽と深く付き合うのに資格はいらない
ということが言いたかったのでした。
 この程度の関わりしかなかった自分がなぜ、と考えてみると、とても面白く思えるところがある。


 逆に、音楽と深く関わりのある環境でぼくが育ったらどうなってただろうか。環境ってやはり大事ですから。
 案外音楽には興味を抱かなかったかもしれない。でも反対に、もしかしたら世界的なミュージシャンになってた可能性があったかもしれませんよ、ね。(笑)
 

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コメント (6)
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