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日暮しの種 

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電柱のある景色

2017-02-11 09:00:00 | 編集手帳

2月9日 編集手帳

 

 音楽の才能に恵まれた人は、
そうなのかも知れない。
『赤い靴』や『七つの子』の作曲家、
本居長(もとおりなが)世(よ)は語ったという。
「道を歩いていると、
電線が五線紙に見える」と。

恵まれぬ身は子供の昔に遊んだあやとりの、
不器用ゆえに収拾がつかなくなった毛糸を思い出すぐらいである。
先日、
電線の地下埋設を進めるための無電柱化推進法が施行された。
以来、
交差点で信号待ちなどの折々、
そばの電線を見上げている。
やがては消えていく景色だろう。

〈自分の願ひは、
 電柱と電線の撤去と大洋ホエールズ(現・横浜DeNA)の優勝である〉。

随筆にそう書いたのは作家の故・丸谷才一さんである。
“花より団子”で「美」を顧みなかった近代日本の〈貧しい現実主義〉を嫌ったらしい。
景観のみならず、
災害時に電柱の倒壊が救出作業を阻むことなども考えれば、
別れの頃合いなのだろう。

電柱にはいま、
通勤の道で毎度お世話になっている。
身のこなしを五線紙に書く演奏記号でいえば【アレグロ】(=快速に、軽快に)か。
すばやく陰に隠れ、
トラックや大きな車をやり過ごす。
ありがたい一瞬の隠れ家である。


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針供養

2017-02-11 07:15:00 | 編集手帳

2月8日 編集手帳

 

 江戸期の川柳句集『柳(やなぎ)多(だ)留(る)』に一句がある。
〈針箱をさがすと女房飛んで出る〉。
指にトゲを刺した亭主が毛抜きを探して針箱のなかをかき回している。
女房が台所から飛んできた。
へそくりが見つかっては一大事、
という光景らしい。

当節はどうだろう。
針箱をへそくりの隠し場所にする人はいまい。
多くの人にとって、いまも針箱のなかに隠れているものがあるとすれば、
祖母や母親にまつわる思い出かも知れない。
きょうは「針供養」の日である。

「指切りげんまん…」。
幼い昔、
そう唱えて指と指を絡ませた記憶も針箱の底には隠れていそうである。

箱から取り出したいときもある。
韓国政府は慰安婦を象徴する少女像の撤去に動こうとせず、
放置したままでいる。
政府同士で交わした約束を守らない。
ウソついたら針千本のーます…。

無粋な話になった。
『柳多留』から、
もう一句を引いて口直しとする。
昼寝の幼児が目をさまし、
母親は縫い物をたたむ。
わが子が足にでも刺すといけない。
〈起きたかと針を数へて母は立ち〉。
セピア色をした昭和の風景とも読めよう。
針供養とは母供養でもあるらしい。



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