日暮しの種 

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「ごめん」が言えない大人

2017-02-04 07:45:00 | 編集手帳

1月28日 編集手帳

 

 作家の里見(とん)が友人の志賀直哉宅に遊びにいく約束をした。
その当日、
徹夜仕事で疲れ、
すっぽかしてしまう。
志賀から手紙が来た。
〈汝(なんじ)、
穢(けがらわ)しき者よ〉。
絶交状態が8年間つづく。

どっちもどっちだろう。
自分に非があると感じているときは、
かえって意固地になって言葉が出てこない。
「ごめん」のひと言は、
むずかしいものである。

日本一短い手紙のコンクール、
今年の「一筆啓上賞」が決まった。
大賞の一編『ママへ』の作者は千葉県の小学2年生、
佐藤蓮(れん)君(8)である。
〈「ごめん」って 
 ぼくの口はあかないんだ 
 口に力が入って。
 手に力を入れて書くよ。
 ごめん〉

わが子を詠んだ加藤楸邨(しゅうそん)の句が浮かぶ。
〈汗の子のつひに詫(わ)びざりし眉(まゆ)太く〉。
手紙の蓮君もそうだが、
「ごめん」がなかなか言えない子というのは向こう意気が強そうで、
ちょっとかわいい。
子供に限った話である。

詫びて前言を取り消せば済むものを、
「ごめん」の言えない人が世界を揺るがせている。
一句をもじれば、
「壁のことつひに詫びざりしまァ不徳」だろう。
文豪にならって向こう8年間、
絶交する…わけにもいかぬ。

 

 

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時代錯誤の金色の頭

2017-02-04 07:15:00 | 編集手帳

1月26日 編集手帳

 

 夏樹静子さんの代表作、『Wの悲劇』が米国で出版されたのは1980年代である。
題名を変えられた。
『マーダー・アット・マウントフジ』(富士山殺人事件)。
べつに富士山が舞台の小説ではない。

日本といえば「フジヤマ、ゲイシャ」のイメージが残っていたのだろう。
あちらから観光客が大挙して日本を訪れるいま、
昔ながらの固定観念に縛られた米国人はもういまい。
80年代の対日観にしがみついているのは、
おそらくこの人ぐらいである。

「不公平だ」。
トランプ米大統領が日本の自動車市場をやり玉に挙げた。

日本は米国からの輸入車に何ひとつ差別をしていない。
関税もゼロで、
公平そのものの扱いをしている。
日米間に貿易摩擦の炎が燃えさかった80年代からタイムマシンに乗って飛来したかのような、時代錯誤の乱暴な発言である。
尾崎紅葉門下の作家、
谷活(たにかつ)東(とう)の句を思い出す。
〈押鮓(おしずし)に借らばや汝(なれ)が石頭〉。
ただの不勉強なのか、
ウソにまみれた攻撃でも続けていれば白が黒になると踏んでいるのか、
金色に輝く頭の中は推察しがたい。

“Tの悲劇”には丁寧に、
鋭く反論を尽くすのみである。


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