命光不動尊のブログ

貴方の知らない神道や仏教の教えが命光不動尊にはあります。

聞き流す、受け流す

2015年11月28日 21時48分41秒 | ひと口法話

人は他人の過ちを指摘したり、批判することは得意ですね。

人の行いを批判しようとすれば、どんな相手も批判できるし悪口もいえます。

テレビを見てても、ああだこうだと批判したり、運転してても他のドライバーを批判したり

皆さんも経験あるのではないでしょうか。

しかしそのようなことは、結局は天につばするようなもので、すべて自分に振りかかってくるのです。

このようなことは古くから言われており、お釈迦さまが説かれた物語の中にも出てきます。

 

ある男がお釈迦さまが多くの人たちから尊敬される様子を見てしゃくにさわり、ある日のこと

道で出会ったのを幸いに、群集の中で口汚くお釈迦さまをののしりました。

しかし、お釈迦さまはただ黙ってその男の言葉を聞いておられました。

一言も言葉を返されないお釈迦さまに張り合いを失った男は、とうとうしゃべり疲れて黙り込んでしまいました。

その時にお釈迦さまは静かにその男にたずねました。

「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものであろうか」

こう聞かれた男は

「そりゃ、受け取らなかったら送ろうとした者のものに決まってるわい」

と男はわめくように言いました。

お釈迦さまは静かにこう続けました。

「そうですね、今、おまえは私をののしったが私はそのののしりを少しも受け取らなかった。

だから、おまえが言ったこと全て、おまえが受け取ることになるんだよ」

男は言い返す言葉がなくなり、すごすごと立ち去りました。

天に向かってつばをはくのではなく、飲み込むほうがいいですね。

合掌


よい言葉を聞く

2015年11月28日 05時04分18秒 | ひと口法話

昔の人は山登りのときなど「六根清浄」(ろっこんしょうじょう)と唱えました。

今でも大峯(おおみね)修行では懺悔懺悔(さんげさんげ)六根清浄と唱えながら、頂上を目指します。

この六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の働きのことで、眼は不浄を見ず、耳は不浄を聞かず、

鼻は不浄を嗅がず、舌は不浄を味あわない、身は不浄に触れず、意(こころ)は不浄を思わず、

つまり身も心も無垢清浄になろうという祈りの言葉であり、それが「六根浄」となり、「どっこいしょ」となりました。

 

お寺や神社の御手洗の水盤によく「洗心」の二文字が彫られています。

これは、「ここで口をすすぎ手を洗うのは、単に身を清めるだけでなく、心の穢れを洗い清めてくださいという意味です。

 

耳の話ですが、言葉は前向きなことを言うのがいいといいますが、いい言葉を聞くことも同じくらい大切です。

「ダメだ、ダメだ」と言われ続ければ、心も体もダメになってしまうし、

「がんばって」 「ありがとう」など、自分を肯定してくれる言葉を聞き続ければ

心にも体にもエネルギーがあふれ、ハツラツとしてきます。

もとろん、「ダメ」などの否定的な否定的な言葉を言われ続けた人はダメになるという意味ではありませんが・・・

それによって奮起し、大成功を収める人もいます。

ただ、一般的に人間にはそういう傾向があるから、なるべくなら前向きな言葉を聞いたほうがいいですね。

お釈迦様もこう説かれています。

花摘みの上手な人は、美しい花だけを摘んでいくものです。

 

賢い人は「良い言葉」のみを自分のものとします。

「悪い言葉」をひろい集める必要はありません。

合掌


小欲知足

2015年11月27日 05時02分42秒 | ひと口法話

ある研究者が猿を二十年以上飼育して研究した結果、食べたい放題に餌を与えた猿と

カロリーコントロールして餌の量を抑えていた猿を比較すると、食べ放題の猿は禿げて

シワだらけの老猿になって、カロリーコントロールした猿は元気はつらつとしていたそうです。

 

過度の欲望を持つことなく、常に足るを知るというのは、昔の東洋人が体験的に悟りを得た人生観です。

「仏遺教経」という経典には、「足るを知る人は地上に寝るような境遇であっても幸せな人であり

足るを知らない人は、天上界の宮殿のような立派なところに住んでも、満足できない」という言葉があります。

足ることを知らない人は、いかに財産があっても、心が貧しい人だというのです。

人間は確かに欲望がなければ生きていけません。しかし、欲望を募らせ、それが「貪欲」にまでなっていくと

どのような状況にも満足できず、何ものにも感謝できなくなります。

これは、ある宗教者の詩です。

 

日本では おにぎり一つぐらいと そまつにし

インドでは おにぎり一つこそと おがむ

 

どちらが幸せだろうか。

おにぎりを食べるとき、日本人とインド人はどちらが幸せでしょうか。

小欲知足が身に付くと、何事にも感謝しつつ、心身ともに健康な生活が送れるのではないでしょうか。

合掌


心身一如

2015年11月26日 13時44分57秒 | ひと口法話

心身症と言う言葉も広く知られています。

心の病的な状態が身体面に影響してあらわれた症状です。

心、つまりさまざまな精神活動や感情は、内臓や他の機能と密接に関連して

営まれるのは良く知られています。失恋がもとで病気になったり、怒ってばかりいると体の調子が悪くなったりします。

例えば、胃や十二指腸潰瘍の再発率は70パーセントと言われていますが、それは多くがストレスに起因しているからといわれます。

従って、ストレスが減らない限り、潰瘍は完治せずに再発を繰り返すのです。ですから、こういう病では根本的に心を安らかにする必要があります。

毎日を心安らかに生きていく事はとても難しい事です。

しかし、ひとつ心がけをすればいいと思います。

それは毎日感謝する事です。

今恵まれて居る事に気が付く事です。

「ありがとう」「幸せだなあ」と声に出してみましょう。

声に出すことでそれが耳に届き、前向きになれます。感謝する事は大切な事で前向きになれます。

プラスの人生を歩むことが出来ます。

美味しくご飯が食べれること、耳が聞こえること、きれいな水が使えること、足が有る事、友達がいること、家族がいること、

好きな景色が見えること、好きな音楽が聞けること、温かいお風呂に入れること・・・

周囲を見渡すとどれも恵まれているのであり幸せな事だと感じられるはずです。

世界にはこれが出来ない人がたくさんいます。

それから、人の喜ぶこと、人の助かる事、人のお役にたつことを心掛けて生きればと思います。

人の喜ぶことを心掛け、「ありがとう」と感謝されることを心掛けましょう。

常に「ありがとう」を毎日の習慣に。

すると、「ありがとう」ってことがいっぱい起こりますよ。

 

合掌


幸せでありますように

2015年11月25日 14時31分38秒 | ひと口法話

自分が幸せかどうかを考える時、よく人と比較します。

そして他人と比較して優越感を味わうと幸せ、劣等感を覚えると不幸せと感じてしまいます。

このことを思想家のモンテスキューはこう述べています。

「ただ単に幸せになりたいと思うなら、それは簡単に実現できる。ところが、我々は他人より

幸せでありたいと願う。これによって不幸せになる」

他人と比較する事無く、ただ「幸せになる」ことは、今すぐに誰にでもできる事です。

会社に行ったら、ブスッとしてるよりも、笑顔でいた方が上司からも、同僚からも、お客さんからも好かれます。

仕事も楽しく、幸せな気分になります。

良い言葉を使って人にやさしくすると自分も心豊かになります。

弘法大師の説かれた仏の性質を磨くという事であり、そうすると人生がうまくいきます。

幸せとは心の中にあるものであり、自分の心を変える事によって得られるものです。

 

生きとし生けるものが幸せでありますように

合掌