9月11日(火曜日)に、私は「日本橋・箱根」でのはなわちえソロ演奏会に行ってきました。前回の「ラドンナ」でのライヴ終了後、はなわちえさんご本人から直接うかがった演奏情報をインターネットで確かめ直して正確な情報をつかんだ上で、行ってみたのです。
「日本橋・箱根」って?要するに、ちょっと気の利いた居酒屋です。そこの店主の「杉本圭江子」という名の女将さんが、ときおり津軽三味線ライヴを催しており、今回はちょうどはなわちえさんが出演することになっている、というわけです。
午後六時半開場、七時半開演ということだったのに、私は何故か六時きっかりに開場だと勘違いして、早々とお店に入ってしまいました。初対面の女将さんがすぐに現れて、「ああ、ご予約いただいていた美津島さんですね」と快く笑顔で奥座敷に通してくれました。「あのぉ、後30分後にもう一度来ていただけません?」なんて野暮なことはおっしゃいませんでした。私は、一人で映画を観るのは何のためらいもないのですが、音楽を聴きに行くのだけはどうしても一人では嫌だと感じてしまうので、今回は妻に同伴してもらいました。なんなんでしょうね、これって。でも、分かるでしょう?
通された奥座敷は、20人も座ればもう満席という狭さです。八畳くらいだったのではないでしょうか。女将さんによれば、そこと格子を挟んだ隣の五人ほど座れるテーブルとを合わせて二五人定員とのこと。「何にしますか。まずは、おビールですか」その言葉に、私はちょっとためらいます。そうして「あのぉ、私、けっこう飲む方なので料金システムを確認しておきたいのですが、一杯目は、料金の6000円に入っていて、二杯目以降は別料金って感じなのでしょうか」と言いました。すると、女将さんが微笑みながら「いくら飲んでも、6000円ですよ」と答えたのです。私は、野暮なことを尋ねるケチケチしたお客さん、というわけなのでした。「じゃあ、ビールを」。うちの奥さんは、カシス・サワーを注文しました。私はなんだか嬉しくなってきました。酒を飲みたいだけ飲んで、料理もきちんとコースで出てきて、そのうえはなわちえさんの三味線を間近で聴けて、こんな嬉しいことはないじゃないか、と。私たちの席は、はなわちえさんが座椅子に座って演奏するはずのところから1mも離れていないのです。それを思うだけで、胸が高鳴ってきます。
自分たちが席に着いたのが、お店の想定より30分ほど早かったので、他のお客が来るまでの間、女将さんとなんだかいろいろ話してしまいました。女将さん自身、実はコロンビア専属の民謡歌手だということ、今夜は一曲だけちえさんの伴奏で歌うこと、女将さんは新橋にもう一軒民謡ライヴ専門のお店を出していたのだがお客がなかなか来なくて苦労したのでそちらはお店をたたんでしまったことなどほかにもいろいろと聞いたような気がするのですが、あらかた忘れてしまいました。なんとなく、女将さんは、東京の津軽民謡関連では相当に力のある人のように感じられました。一言でいえば、「やり手」。ちえさんもかわいがってもらっているようです。
待ちに待った7時半になりました。予定のお客はすべて顔をそろえたようで、場内は満席になりました。彼女はまだ現れません。私は1時間半も飲み続けて、すっかり出来上がってしまいました。顔が火照っています。ちょっとじれます。予定の時刻から数分過ぎたころ、格子を通してはなわちえさんらしき人影が見えました。格子の向こうの五人掛けのテーブルから背広族のオヤジたちの「ほぉ」という嘆声が聞こえてきました。彼女の清楚な色香に反応したものと思われます。「こんばんは」と彼女はおじぎをしながら彼らに挨拶をしました。そうして、そのすぐ後おもむろに、三味線を抱いた彼女が私たちの前に姿を現しました。白いブラウス(と思います)に、黒くて薄い生地のちょっとふっくらした感じの短パン(ああ、正確な名称がわからない)に、艶のあるストッキングという、年齢相応の上品な服装から、今夜は津軽三味線奏者はなわちえとして素で演奏するのだ、という心向きがおのずと感じられました。身近で見る彼女は、ステージに立っているときより随分とほっそりしているように感じられました。この華奢な身体のどこにあれだけの音楽的なエネルギーが秘められているのだろうか、と考えても答えの出ない疑問がいつものように湧いてきました。
演奏が始まってから終わるまでの小一時間が、聞き惚れ続けていたせいでしょう、あっという間に過ぎました。気づいたときにはもう終わっていた、という感じです。演奏された曲名は一応書き留めました。以下の通りです。
1. 津軽よされ節
2. 津軽たんと節
3. 富山県こきりこ節
4. 赤とんぼ
5. 秋田荷方節
6. 北海道蝦夷富士の歌
7. 津軽アイヤ節
8. 津軽じょんがら節
9. 卒業写真
10.あさどや(なんとか)←自分で書いておきながら読み取れません。過度のアルコール摂取のなせる業でしょう。
9と10はアンコールです。アンコールはまったく予定していなかったようで、ちえさんは、しばらく選曲に迷っていました。そうしてなぜか、荒井由実の「卒業写真」が奏でられることになりました。4の「赤とんぼ」も即興のようでした。即興でありながら、「赤とんぼ」の旋律をちえさんは、新鮮な音色で奏でていました。一人で演奏していながらも、なんだか二人で演奏しているような感じでした。
1曲目の「津軽よされ節」が始まるや否や、例の感覚に襲われます。つまり、心がどこか遠くの世界にふっと運ばれていく感覚です。しかし私の目は、間近に見えるちえさんの指使いに釘付けになりました。彼女の左手の五本の指は、太棹を上から下までそれこそ脱兎のごとくに縦横無尽に軽やかに駆け抜けて留まることを知りません。左手の親指と人差し指の赤い指すりまで、はっきりと目に入ってきます。左手の親指でリズムを取っていることが多いようです。右手の撥(ばち)の印象は残っていません。やはり、津軽べっ甲撥なのでしょうか。
津軽三味線は、素人がそれなりに弾けるようになるまでに相当の年月がかかるようです。撥の持ち方一つとってみてもコツがあるようで、一般的には、①指が柄と平行になるよう挟み込む、②親指は添えるだけで力を入れない、③軽く持つ、などの注意が師匠からなされるようです。といっても、最初のうちは言葉だけではよくは分からないようで、結局は、自分自身の感覚でつかむより他はないみたいです。ちえさんも、もちろん撥を軽く持っているのでしょうが、それでどうしてあれだけの激しいリズムが叩き出されることになるのか、素人にはやはりよく分かりません。微妙なバランスの兼ね合いのうえにいろいろと成り立っているのでしょう。
ちえさんは、1991年、 九歳の時に佐々木光儀氏に師事し、津軽三味線を習い始めています。あの上妻宏光氏とは同門だそうです。そのプロフィールにちなんで、疑問に思っていたことがあったので、私は、曲と曲の間に、尋ねてみました。
「あのぉ、ちえさんは九歳のときから津軽三味線を習っていると聞いているのですが、きっかけはなんなのですか。」
「おばあちゃんが三味線をやっていたのです。それにあこがれて、ということです。」
ふーん。そうなんだ。とその場では納得したような気になったのですが、では、おばあちゃんは、ただの三味線をやっていたのか、それとも津軽三味線をやっていたのか、プロだったのかアマさったのか、おばあちゃんは津軽の出なのかそれともちえさんと同じ日立市の出なのか、と疑問はつぎからつぎに湧いてきます。まあ、焦ることはない、そのうちまたそれらの疑問を確認する機会もあるだろう、と自分をなだめています。
楽器としての津軽三味線のお話もありました。「三味線はこう持ちます」と言って、ちえさんは持っていた三味線を体から心持ち離します。「ところが、津軽三味線はこうやって身体に引きつけて持ちます。そうして、撥で胴を叩くので、三味線のように猫の皮ではすぐに破けてしまいます。だから、津軽三味線は犬の皮なんです。津軽三味線の源流は沖縄の三線(サンシン)で、こちらは蛇の皮ですね。」と、ちえさんは津軽三味線の薀蓄を語ってくれました。ほかのことではあまりペラペラしゃべらない風情のちえさんですが、津軽三味線のことになると、どうしてどうしてなかなか能弁です。頭がよくまとまっている人であることが、その落ち着いた語り口から分かります。犬の皮の話が出てきたので、次の写真を載せておきましょう。
破れた犬の皮。(はなわちえさんのブログより転載)
この写真、私はとても好きなんです。独特の味わい深さがあるとは思いませんか。ものを言いたがっているというか、なんというか。いくら犬の皮が強いとはいっても、毎日毎日使われるのですから、犬の皮にしてみれば酷使されているようなものです。激しい消耗に耐え切れず、こんなことになってしまうようです。胴ごと三味線屋に持っていって、張り替えてもらうそうです。この写真を撮ったちえさんのお気持ちはどんなものなのでしょうね。なんとなく、哀しさが漂っている写真です。
柄にもなく、素っ頓狂な詩ができました。
********
犬の皮の歌
猫じゃ弱いというわけで
代わりにオイラのご登場
こんな姿になるために
生まれてきたのじゃないけれど
これも世のため人のため
うんと楽しんでくださいな
ああそれにしてもそれにしても
はかなすぎるよ オイラの命
せめては津軽三味線よ
オイラの嘆きを奏でておくれ
********
お粗末さまでした。話を元に戻しましょう。
今夜の白眉は、上記7の「津軽アイヤ節」と8の「津軽じょんがら節」でした。「津軽アイヤ節」で、ちえさんは伴奏に回り、当店の女将さんが自慢の喉を披露しました。女将さんの高音のよく通る声と、複雑なリズムが乱れることなくキープされた、ちえさんの三味線の繊細で力強い音色との絡みが絶妙でした。会場のみなさんも、もう一曲くらい二人の掛け合いを聞きたがっていました。女将さんは「いえいえ。私はこれくらいでちょうどいいんです」とさりげなく辞退しましたけれど。
そうして、いよいよ「津軽じょんがら節」が始まりました。糸巻きで三本の糸を巻き上げて調弦するときから、私のワクワクドキドキは最高潮に達していたようです。「ビョビョビョンビィ!ビョビョビョンビィ!ビョッビョ・ビョ・ビョ・ビョ・ビョ」という勢いのある出だしを聞いたところで、私の意識はふと途切れてしまいました。しっかりと聴いてはいるのでしょうが、心がどこかに飛んでいってしまうのです。
そういえば、曲と曲の合間にちえさんが「みなさん、もっと気楽に飲みながら聞いてください」と言ったのに対して、すぐ横の私が「演奏がすごいんで、つい飲むのを忘れちゃうんですよ」と応えたところ、ちえさんは、ちょっと嬉しそうにしながらも、私の言葉を受け流しました。いや、実際そうなんですよ。
演奏が終わった後、女将さんが「ちえちゃん、もう一つお仕事があるんでしょう」とちえさんにCD販売を促しました。ちえさんは、hanamasのセカンド・アルバム『hanamas garland』と和楽ユニット結(ゆい)のCDを持って、テーブルをひとつひとつ回り始めました。私はhanamasのCDはファースト、セカンドを両方共に持っているので、結のものを買おうと思ったのですが、私のテーブルにたどり着くまでに残念ながら売り切れてしまいました。その代わりテーブルを挟んで数分間お話をしました。
ちえさんによれば、9月17日の月曜日に西新井のカフェ・クレールでライヴがあり、それに参加すれば、いま売り切れた結のCDを持っていくので、そこでそれを買えるからぜひ来てください、とのこと。「ところで」、と酔って大胆になっていて、しかも目の前にあこがれのちえさんがいるので年甲斐もなく舞い上がっている私は、次のような矛盾したことを言いました。「あなたは天才なのだから、もっと商売気を出してもいいのじゃないか」。(天才であることと商売気を出すこととは何の関係もないだろうが)という思いがさすがに脳裏を過ぎりましたが、まあ『はなわちえは、もっと世に出る力がある』という思いが伝わればいいや、と思って自分のへんてこりんな言葉を訂正しませんでした。コイツは馬鹿だと思われてしまったかもしれません。
妻が、二人のツーショットを撮ってあげると申し出たので、気恥ずかしい思いはありましたが、当方、嬉しくないはずがないので、素直にその言に従いました。そのときの写真を下に掲げておきます。私の酔眼はみっともないし、もの静かなちえちゃんファンから「いい気になるなよ」とお叱りを受けそうなので、私の姿はカットします。どうでしょうか、ちえさんの可愛らしさがうまくキャッチできているのではないでしょうか。とくと、ご覧あれ。
〔追記〕
ひとつ、ちえさんの曲を紹介しておきます。彼女は、東京芸大在学中の2004年にコロンビアから『月のうさぎ』というCDを発表しています。その中に「脱兎」という曲があります。それと深夜系のテレビアニメの「モノノ怪」とのコラボレーションが楽しめる動画があるのです。それを紹介したいと思います。ちえさんの、土着的なものに根ざした新感触のpopセンスと、和紙の質感をベースにした、和風でしかもアバンギャルドな世界観と斬新なデザインセンスが光るアニメとの響き合いが、独特の雰囲気と緊張感とを醸し出しています。ぜひ、ご鑑賞くださいませ。
脱兎-Datto-
「日本橋・箱根」って?要するに、ちょっと気の利いた居酒屋です。そこの店主の「杉本圭江子」という名の女将さんが、ときおり津軽三味線ライヴを催しており、今回はちょうどはなわちえさんが出演することになっている、というわけです。
午後六時半開場、七時半開演ということだったのに、私は何故か六時きっかりに開場だと勘違いして、早々とお店に入ってしまいました。初対面の女将さんがすぐに現れて、「ああ、ご予約いただいていた美津島さんですね」と快く笑顔で奥座敷に通してくれました。「あのぉ、後30分後にもう一度来ていただけません?」なんて野暮なことはおっしゃいませんでした。私は、一人で映画を観るのは何のためらいもないのですが、音楽を聴きに行くのだけはどうしても一人では嫌だと感じてしまうので、今回は妻に同伴してもらいました。なんなんでしょうね、これって。でも、分かるでしょう?
通された奥座敷は、20人も座ればもう満席という狭さです。八畳くらいだったのではないでしょうか。女将さんによれば、そこと格子を挟んだ隣の五人ほど座れるテーブルとを合わせて二五人定員とのこと。「何にしますか。まずは、おビールですか」その言葉に、私はちょっとためらいます。そうして「あのぉ、私、けっこう飲む方なので料金システムを確認しておきたいのですが、一杯目は、料金の6000円に入っていて、二杯目以降は別料金って感じなのでしょうか」と言いました。すると、女将さんが微笑みながら「いくら飲んでも、6000円ですよ」と答えたのです。私は、野暮なことを尋ねるケチケチしたお客さん、というわけなのでした。「じゃあ、ビールを」。うちの奥さんは、カシス・サワーを注文しました。私はなんだか嬉しくなってきました。酒を飲みたいだけ飲んで、料理もきちんとコースで出てきて、そのうえはなわちえさんの三味線を間近で聴けて、こんな嬉しいことはないじゃないか、と。私たちの席は、はなわちえさんが座椅子に座って演奏するはずのところから1mも離れていないのです。それを思うだけで、胸が高鳴ってきます。
自分たちが席に着いたのが、お店の想定より30分ほど早かったので、他のお客が来るまでの間、女将さんとなんだかいろいろ話してしまいました。女将さん自身、実はコロンビア専属の民謡歌手だということ、今夜は一曲だけちえさんの伴奏で歌うこと、女将さんは新橋にもう一軒民謡ライヴ専門のお店を出していたのだがお客がなかなか来なくて苦労したのでそちらはお店をたたんでしまったことなどほかにもいろいろと聞いたような気がするのですが、あらかた忘れてしまいました。なんとなく、女将さんは、東京の津軽民謡関連では相当に力のある人のように感じられました。一言でいえば、「やり手」。ちえさんもかわいがってもらっているようです。
待ちに待った7時半になりました。予定のお客はすべて顔をそろえたようで、場内は満席になりました。彼女はまだ現れません。私は1時間半も飲み続けて、すっかり出来上がってしまいました。顔が火照っています。ちょっとじれます。予定の時刻から数分過ぎたころ、格子を通してはなわちえさんらしき人影が見えました。格子の向こうの五人掛けのテーブルから背広族のオヤジたちの「ほぉ」という嘆声が聞こえてきました。彼女の清楚な色香に反応したものと思われます。「こんばんは」と彼女はおじぎをしながら彼らに挨拶をしました。そうして、そのすぐ後おもむろに、三味線を抱いた彼女が私たちの前に姿を現しました。白いブラウス(と思います)に、黒くて薄い生地のちょっとふっくらした感じの短パン(ああ、正確な名称がわからない)に、艶のあるストッキングという、年齢相応の上品な服装から、今夜は津軽三味線奏者はなわちえとして素で演奏するのだ、という心向きがおのずと感じられました。身近で見る彼女は、ステージに立っているときより随分とほっそりしているように感じられました。この華奢な身体のどこにあれだけの音楽的なエネルギーが秘められているのだろうか、と考えても答えの出ない疑問がいつものように湧いてきました。
演奏が始まってから終わるまでの小一時間が、聞き惚れ続けていたせいでしょう、あっという間に過ぎました。気づいたときにはもう終わっていた、という感じです。演奏された曲名は一応書き留めました。以下の通りです。
1. 津軽よされ節
2. 津軽たんと節
3. 富山県こきりこ節
4. 赤とんぼ
5. 秋田荷方節
6. 北海道蝦夷富士の歌
7. 津軽アイヤ節
8. 津軽じょんがら節
9. 卒業写真
10.あさどや(なんとか)←自分で書いておきながら読み取れません。過度のアルコール摂取のなせる業でしょう。
9と10はアンコールです。アンコールはまったく予定していなかったようで、ちえさんは、しばらく選曲に迷っていました。そうしてなぜか、荒井由実の「卒業写真」が奏でられることになりました。4の「赤とんぼ」も即興のようでした。即興でありながら、「赤とんぼ」の旋律をちえさんは、新鮮な音色で奏でていました。一人で演奏していながらも、なんだか二人で演奏しているような感じでした。
1曲目の「津軽よされ節」が始まるや否や、例の感覚に襲われます。つまり、心がどこか遠くの世界にふっと運ばれていく感覚です。しかし私の目は、間近に見えるちえさんの指使いに釘付けになりました。彼女の左手の五本の指は、太棹を上から下までそれこそ脱兎のごとくに縦横無尽に軽やかに駆け抜けて留まることを知りません。左手の親指と人差し指の赤い指すりまで、はっきりと目に入ってきます。左手の親指でリズムを取っていることが多いようです。右手の撥(ばち)の印象は残っていません。やはり、津軽べっ甲撥なのでしょうか。
津軽三味線は、素人がそれなりに弾けるようになるまでに相当の年月がかかるようです。撥の持ち方一つとってみてもコツがあるようで、一般的には、①指が柄と平行になるよう挟み込む、②親指は添えるだけで力を入れない、③軽く持つ、などの注意が師匠からなされるようです。といっても、最初のうちは言葉だけではよくは分からないようで、結局は、自分自身の感覚でつかむより他はないみたいです。ちえさんも、もちろん撥を軽く持っているのでしょうが、それでどうしてあれだけの激しいリズムが叩き出されることになるのか、素人にはやはりよく分かりません。微妙なバランスの兼ね合いのうえにいろいろと成り立っているのでしょう。
ちえさんは、1991年、 九歳の時に佐々木光儀氏に師事し、津軽三味線を習い始めています。あの上妻宏光氏とは同門だそうです。そのプロフィールにちなんで、疑問に思っていたことがあったので、私は、曲と曲の間に、尋ねてみました。
「あのぉ、ちえさんは九歳のときから津軽三味線を習っていると聞いているのですが、きっかけはなんなのですか。」
「おばあちゃんが三味線をやっていたのです。それにあこがれて、ということです。」
ふーん。そうなんだ。とその場では納得したような気になったのですが、では、おばあちゃんは、ただの三味線をやっていたのか、それとも津軽三味線をやっていたのか、プロだったのかアマさったのか、おばあちゃんは津軽の出なのかそれともちえさんと同じ日立市の出なのか、と疑問はつぎからつぎに湧いてきます。まあ、焦ることはない、そのうちまたそれらの疑問を確認する機会もあるだろう、と自分をなだめています。
楽器としての津軽三味線のお話もありました。「三味線はこう持ちます」と言って、ちえさんは持っていた三味線を体から心持ち離します。「ところが、津軽三味線はこうやって身体に引きつけて持ちます。そうして、撥で胴を叩くので、三味線のように猫の皮ではすぐに破けてしまいます。だから、津軽三味線は犬の皮なんです。津軽三味線の源流は沖縄の三線(サンシン)で、こちらは蛇の皮ですね。」と、ちえさんは津軽三味線の薀蓄を語ってくれました。ほかのことではあまりペラペラしゃべらない風情のちえさんですが、津軽三味線のことになると、どうしてどうしてなかなか能弁です。頭がよくまとまっている人であることが、その落ち着いた語り口から分かります。犬の皮の話が出てきたので、次の写真を載せておきましょう。
破れた犬の皮。(はなわちえさんのブログより転載)
この写真、私はとても好きなんです。独特の味わい深さがあるとは思いませんか。ものを言いたがっているというか、なんというか。いくら犬の皮が強いとはいっても、毎日毎日使われるのですから、犬の皮にしてみれば酷使されているようなものです。激しい消耗に耐え切れず、こんなことになってしまうようです。胴ごと三味線屋に持っていって、張り替えてもらうそうです。この写真を撮ったちえさんのお気持ちはどんなものなのでしょうね。なんとなく、哀しさが漂っている写真です。
柄にもなく、素っ頓狂な詩ができました。
********
犬の皮の歌
猫じゃ弱いというわけで
代わりにオイラのご登場
こんな姿になるために
生まれてきたのじゃないけれど
これも世のため人のため
うんと楽しんでくださいな
ああそれにしてもそれにしても
はかなすぎるよ オイラの命
せめては津軽三味線よ
オイラの嘆きを奏でておくれ
********
お粗末さまでした。話を元に戻しましょう。
今夜の白眉は、上記7の「津軽アイヤ節」と8の「津軽じょんがら節」でした。「津軽アイヤ節」で、ちえさんは伴奏に回り、当店の女将さんが自慢の喉を披露しました。女将さんの高音のよく通る声と、複雑なリズムが乱れることなくキープされた、ちえさんの三味線の繊細で力強い音色との絡みが絶妙でした。会場のみなさんも、もう一曲くらい二人の掛け合いを聞きたがっていました。女将さんは「いえいえ。私はこれくらいでちょうどいいんです」とさりげなく辞退しましたけれど。
そうして、いよいよ「津軽じょんがら節」が始まりました。糸巻きで三本の糸を巻き上げて調弦するときから、私のワクワクドキドキは最高潮に達していたようです。「ビョビョビョンビィ!ビョビョビョンビィ!ビョッビョ・ビョ・ビョ・ビョ・ビョ」という勢いのある出だしを聞いたところで、私の意識はふと途切れてしまいました。しっかりと聴いてはいるのでしょうが、心がどこかに飛んでいってしまうのです。
そういえば、曲と曲の合間にちえさんが「みなさん、もっと気楽に飲みながら聞いてください」と言ったのに対して、すぐ横の私が「演奏がすごいんで、つい飲むのを忘れちゃうんですよ」と応えたところ、ちえさんは、ちょっと嬉しそうにしながらも、私の言葉を受け流しました。いや、実際そうなんですよ。
演奏が終わった後、女将さんが「ちえちゃん、もう一つお仕事があるんでしょう」とちえさんにCD販売を促しました。ちえさんは、hanamasのセカンド・アルバム『hanamas garland』と和楽ユニット結(ゆい)のCDを持って、テーブルをひとつひとつ回り始めました。私はhanamasのCDはファースト、セカンドを両方共に持っているので、結のものを買おうと思ったのですが、私のテーブルにたどり着くまでに残念ながら売り切れてしまいました。その代わりテーブルを挟んで数分間お話をしました。
ちえさんによれば、9月17日の月曜日に西新井のカフェ・クレールでライヴがあり、それに参加すれば、いま売り切れた結のCDを持っていくので、そこでそれを買えるからぜひ来てください、とのこと。「ところで」、と酔って大胆になっていて、しかも目の前にあこがれのちえさんがいるので年甲斐もなく舞い上がっている私は、次のような矛盾したことを言いました。「あなたは天才なのだから、もっと商売気を出してもいいのじゃないか」。(天才であることと商売気を出すこととは何の関係もないだろうが)という思いがさすがに脳裏を過ぎりましたが、まあ『はなわちえは、もっと世に出る力がある』という思いが伝わればいいや、と思って自分のへんてこりんな言葉を訂正しませんでした。コイツは馬鹿だと思われてしまったかもしれません。
妻が、二人のツーショットを撮ってあげると申し出たので、気恥ずかしい思いはありましたが、当方、嬉しくないはずがないので、素直にその言に従いました。そのときの写真を下に掲げておきます。私の酔眼はみっともないし、もの静かなちえちゃんファンから「いい気になるなよ」とお叱りを受けそうなので、私の姿はカットします。どうでしょうか、ちえさんの可愛らしさがうまくキャッチできているのではないでしょうか。とくと、ご覧あれ。
〔追記〕
ひとつ、ちえさんの曲を紹介しておきます。彼女は、東京芸大在学中の2004年にコロンビアから『月のうさぎ』というCDを発表しています。その中に「脱兎」という曲があります。それと深夜系のテレビアニメの「モノノ怪」とのコラボレーションが楽しめる動画があるのです。それを紹介したいと思います。ちえさんの、土着的なものに根ざした新感触のpopセンスと、和紙の質感をベースにした、和風でしかもアバンギャルドな世界観と斬新なデザインセンスが光るアニメとの響き合いが、独特の雰囲気と緊張感とを醸し出しています。ぜひ、ご鑑賞くださいませ。
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