美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

宮里立士氏・沖縄の政治状況の「今」  (イザ!ブログ 2013・12・16 掲載)

2013年12月28日 05時50分07秒 | 宮里立士
沖縄の政治状況の「今」
                          宮里立士

先日、大東会館で開催された大山晋吾先生主宰の武士道研究会に参加しました。

大山先生は、昨年まで靖国神社に勤仕され、現在は沖縄一の宮である波上宮の神職を勤めておられます。私は、昨年二月、先生が波上宮に赴かれる際の壮行会に誘われたこともあり、今回も参加しました。「沖縄の現況と敬神崇祖の土壌」と題されたご講話で、古くから沖縄にも天照大神を祀る社があったことや、神道の根本精神である「敬神崇祖」の念が沖縄の人びとに昔から今に至るまで脈々と受け継がれていることを実感されたことなどが披露されました。昨年十一月に沖縄をご訪問された天皇皇后両陛下を歓迎するパレードが那覇市で行われ、七千人の人びとが行進したことも話されました(マスコミは一部を除きこのような事実は報道していません:宮里)。そして、翻って沖縄の政治社会状況についてお話がありました。

現在、沖縄の政治問題の大きなポイントのひとつに普天間基地の名護市辺野古地区への移設問題があります。中国の一方的で横暴な防空識別圏の設定で、新たな段階に入った尖閣問題も睨み、その早急な解決が心ある人びとから望まれています。それは沖縄のなかでも変わりありません。しかし、鳩山民主党政権の普天間基地移設の「最低でも県外」という空約束で、前回の名護市長選で移設反対の稲嶺進氏が容認派の現職・島袋吉和氏を僅差で破り、辺野古移設が進まなくなってしまいました。

それから四年近くが経ち、形勢はまた変わりつつあります。タテマエだけの稲嶺市政で名護市は疲弊し、来年一月十九日の市長選に向けて移設容認派が盛り返して来ているようです。その証拠に「基地統合縮小」につながる辺野古移設支持の署名が県内だけで五万名に達しているとのことでした。また、人口六万千八十人の名護市で、この署名が一万を超えたことも教えられました。

特にもともと名護市と別区域で、戦後、さまざまな事情から名護市に編入された辺野古地区では、行政や経済において、中心地から何かと不利な立場に立たされ、住民の大多数は移設容認です。これらの事情を大山先生は懇切にお話されました。たしかに、このことは米軍に好意的な辺野古地区のホームページを観ても解ります(【辺野古】-沖縄県名護市辺野古区のホームページへようこそhttp://www.henoko.uchina.jp/base.html)。マスコミが取り上げる辺野古の反対派のテント小屋は地区外、あるいは県外から来たプロ市民のアジトのようなものです。同地区の大多数の住民は迷惑に感じています。私もかつて辺野古を訪れたとき、その雰囲気を感じました。

先生のお話を伺い、沖縄の現況の変化、というか、沖縄の人間としてそのことを承知していた私も意を強くしました。しかし、とはいえ、今回、名護市長選で保守系候補の一本化に失敗し、二人の候補が立つことで共倒れが危惧されてもいます。前副市長で自民党県連推薦の県議・末松文信氏と、前市長の島袋氏のふたりです。しかも、この両人は移設問題をこじらせた当事者であるとの批判もあります。元防衛次官の守屋武昌氏は、島袋、末松両氏は辺野古移設をできるだけ、「引き延ばし」「二枚舌」を使い、時間稼ぎをして、国から取れる限りの「カネ」を搾り出そうとしたと、自著の『「普天間」交渉秘録』で批判的に描いています。もちろん、一方の立場からのもので真偽は解りません。しかし、残念ですが、基地関連の国庫補助に依存しなければ、やっていけないと、沖縄、特に中北部の、首長が思い悩んでいるのも事実です。末松氏は、仲井真知事に移設問題の下駄を預けた「アイマイ戦略」で乗り切ろうとしているようです。それに不満の島袋氏は明確に「移設賛成」を掲げて出馬しています。従来の責任を取るために、火中の栗を拾おうとする覚悟と信じたいところです。

この二十年の間、名護市長選の争点は実は「辺野古移設」の一点です。しかも市長選は前回以前にすでに三回、容認派が勝利を続けてきました。その分、四年前の鳩山民主党政権のできない「公約」は罪深かった。現在、移設反対を掲げる稲嶺市長も、その前は名護市職員として辺野古移設の行政に取り組んでいたそうです。それが前回の市長選で「風を読んで」、俄か反対派として当選した風情があるとも聞きます。

これらのことを思いあわせると、ほんとうのところ何とも気が滅入ってきます。国政が責任を持って考えるべき「国防」「安全保障」の混乱に振り回され、そのツケを「オキナワ」が払わされているように思えてならないからです。

こういう不幸な沖縄の政治状況の「今」が変わることを冀ってやみません。

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