美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

明治初年の反乱氏族増田宋太郎(その3)・宮里立士

2014年04月26日 15時39分10秒 | 宮里立士
明治初年の反乱氏族増田宋太郎
―――明治日本の「国権」と「民権」――― (その3)

宮里立士


目次
序章 明治初年士族反乱のはらむ問題について
第一節 維新変革期における一青年(その1)
第二節 研究史における士族反乱の位置(その2)
第三節 伝統社会の終焉と近代国家の形成(今回)

・・いつか「死」を迎えねばならない人間は、自分を越えたものを信じることができなければ、その生を全うすることも難しい存在である・・


ヘンリク・シェミラツキ「ローマの牧歌的風景(釣り)」

近代社会とは、伝統社会の束縛から個々の人間の活動を解放したところに成立したとは、第一節で指摘した。しかしそれは伝統社会のなかで生きる人びとが、近代の成立を、諸手を上げて、喜んで受入れたことを意味するものではない。近代社会とは、「個」としての人間のあり方を価値あるものとして認知し、積極的に擁護しようとするものである。だがその反面、近代社会とは、「個」の集積によって成り立ち、「個」に生活の基盤を与える、社会そのものに独自の価値が存在することを認めない意識、あるいはその価値を軽んずる意識の確立によって成り立つ社会である。しかしいつか「死」を迎えねばならない人間は、自分を越えたものを信じることができなければ、あるいはそこに価値あるものを置かねば、その生を全うすることも難しい存在である。伝統社会とは、たとえイデオロギーであったとしても、自分を越えたもの、人間を越えた価値が確かに存在することを、その社会のなかに生きる人びとに、説得力を以て示しえた社会であった。それは現代のわれわれが社会に託するイメージ、個人の自立と連帯によって成り立つ社会とは、異なる意識構造によって捉えられた社会認識によって可能となった。(注18)

つまり伝統社会とは、そのなかに生きる人びとにとっては、かけがえのない「世界」、そこに棲家を定めるしかない「ねぐら」として存在したのである。それはかれらにとって、人間存在すべてを覆い尽くす全体なのであって、社会と名づけて対象化し、分析できる存在ではなかった。(注19)

近世日本に引きつけてこのことを考えてみよう。鎖国に基づく江戸幕藩体制の確立は、日本列島全体に、自足的なひとつの政治経済圏を創出した。それは、閉鎖的で流動性は乏しくとも安定性の高い、ささやかながらゆとりと落ち着きのある社会であった。(注20)現在の視点からすれば、数々の問題点が見えないわけではない。しかしそれでもそこに住む人間たちにとっては、己が所を与えてくれる社会であった。その社会、「世界」が、黒船来航によって終焉を余儀なくされたのである。当時の日本人たちにとって、それはまさしく、われらの「世界」の存亡の危機として認識されたのではなかったか。

当時の、幕末明治の日本人にとって、その「世界」を万国に対峙しうる近代国家に造り変えることは、迫られて選んだ道であった。そしてそれは結局のところ、自らの住む社会、われらの「世界」を守るために為された、歴史的転換と言いかえることも可能なできごとであったのだ。

このことを第二節の最後で指摘した国権と民権の問題と関連させて考えてみよう。「国権を確立して、いかに民権の充実におよぶか」は、明治期全体において考えられた問題であると先に指摘した。それは反乱士族たちも共有する問題意識であったとも述べた。国権の確立と民権の充実とは、端的に言って、近代国家建設の意図を明らかにした表現である。すなわち、自生的に近代を生み出し得なかった日本が、対外的危機に触発されて近代国家を日本に建設しようとする意思の表明であった。しかしわれらの「世界」を守るために選んだ近代国家の建設は、当時において、西欧化以外のなにものでもなかった。そうしてそれは、それまでの自足的な社会の組換えを目指すものであった。とすれば、これは矛盾ではないか。

明治国家はこの矛盾を強いられながらも、近代化に邁進した。そしてこの明治日本の抱える矛盾ゆえに多くのきしみと混乱を引き起こした。その矛盾は、反乱士族たちにも無縁なものではなかったはずである。いやむしろ、この矛盾の存在ゆえに、かれらは決起したというべきではないだろうか。

なぜ明治日本は、維新によって、伝統「世界」に引導を渡し、この日本に近代国家を建設しようとしたのか。

国権論者の前身ともいえる攘夷家から「民権論者」へと変貌し、士族反乱の総決算としての西南戦争で斃れた反乱士族増田宋太郎を取り上げる所以は、実にこの明治日本に内在する矛盾を考えることにある。この論考は、そのためのひとつの試みを為すものである。


原注
・注18:デュモンは、前掲書(『個人主義論考――近代イデオロギーについての人類学的展望』のこと――筆写人注)のなかで西欧近代社会に成立した個人主義も、ひとつのイデオロギーであるという。そしてそれと伝統社会における全体論と比較し、検討している。

・注19:ピーター・ラスレットはイギリスにおける工業化以前の社会を「われら失いし世界」と呼び、その特徴を「愛情で結ばれた親しい人びとのあいだで、馴れ親しんだモノにとりかこまれて進行した時代、何もかも人間的なサイズであった時代」と述べている。しかし工業化によって、「そのような時代は過ぎ去」ったという。(『われら失いし世界』三一ページ 川北稔・指昭博・山本正訳 三嶺書房 一九八六年 原著 Peter Laslett, THE WORLD WE HAVE LOST 1983)

・注20:『朝日百科 日本の歴史7 近世Ⅰ』(一九八九年)「泰平の世」(朝尾直弘執筆)及び『朝日百科 日本の歴史8 近世Ⅱ』(吉田光邦・樺山紘一・横山俊夫)参照。

(以上で、序章終了)

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