美津島明編集「直言の宴」

政治・経済・思想・文化全般をカヴァーした言論を展開します。

 『ひこうき雲』カヴァー・ベスト3 (イザ!ブログ 2013・8・27 掲載)

2013年12月19日 23時30分03秒 | 音楽
『ひこうき雲』カヴァー・ベスト3

先日、109シネマズ港北で宮崎駿監督の『風立ちぬ』を観ました。正直に申し上げると、一緒に観た年配の友人とともに、私はこの映画にすっかり「ヤラレて」しまったのです。図らずも、深く感動してしまったのですね。「図らずも」と申し上げましたが、もとよりアニメ映画を馬鹿にしているわけではありません。というよりむしろ、宮崎映画をリスペクトする気持ちにおいて人後に落ちないつもりではありました。しかしながら、アニメ映画の描写のディテールのあれこれがこちらの心の襞に知らぬ間に静かに入りこんできて、見終わった後、ふたりでそのあれこれを語り合っているうちに、それがじわじわと効いてきて、ふたりともに涙が滲んでくる経験をするとは思ってもいなかったのでした。所を代えて酒を酌み交わしながら、その日は、心ゆくまでこの作品について語り合いました。アニメ映画というよりは、久々に良い日本映画を観たという感慨に、その夜の私は心ゆくまで酔いしれました。小津安二郎や成瀬巳喜男のDNAは、宮崎駿によってひそやかにきちんと受け継がれていたのです。

そういう経緯があったので、この作品について、いろいろと申し上げたいことがないわけではありません。しかし、今の私には、いささか準備不足のところがある。それがどうも気になる。率直に申し上げれば、私は、これまでまともに堀辰雄の作品を読んだことがないのです。当映画に関係のあるところでは、『風立ちぬ』や『菜穂子』を読んでいません。「映画と原作とは異なるので、いくらでも映画について語ることができるだろう」とは、確かに正論であり、常日頃、自分自身がそう主張してさえいます。

しかしながら、今回は、そのことが気になって仕方がない。つまり、こういうことです。これまでの私は、堀辰雄の文学に対して偏見と言っても過言ではないものを持っていました。どこか軽んじるところがあったのです。だから、まともに読もうとしなかったのでしょう。しかるに、宮崎駿の当映画は、その偏見の変更を迫るところがあるように感じるのです。堀辰雄の文学をもう少しちゃんと評価せよ、と。その無言の要求に自分なりに応じてからではないと、当映画を論じるときに、なんとなく居心地が悪い思いをするのが、自分には分かるのです。

だから、当映画を論じることはとりあえずお預けにしておきましょう。

それで、というわけではないのですが、今回は当映画のエンディング曲として使われた、荒井由美の『ひこうき雲』にまつわる話をしてみようと思います。

『ひこうき雲』は、この映画のなかで実に効果的な使われ方をしています。インターネットのコメントの中には、当曲がいちばん印象に残ったというものも少なからずあるくらいです。私は、そこまで極端な感想を述べるつもりはありませんが、印象に残ったのは確かです。1973年に作られたそうですが、私は今回はじめてこの曲の存在を知りました。一緒に映画を観た友人は、以前からこの曲を知っていて、「荒井(松任谷)由美の曲のなかで、これがいちばんいいんじゃないか。自分は、若い頃からこれがとても好きだった」と言っています。なるほど、名曲の名に恥じぬ出来栄えです。

ところが、という話になります。たまたまyou tube で熟年に達してからの松任谷由美がこの曲を歌っているのを聴いたのですが、はっきり言って、全然ダメなのです。この曲の命にあたるものが、きれいさっぱり「蒸散」してしまっているのですね。本人が若い頃に作った歌でありながら、後年の彼女はもはやその歌の命を掬い取ることがかなわなくなってしまっている。私は、そこに歌なるものの難しさと恐ろしさとを感じます。

この曲の命とは何か。それは、「本当に美しいものを目がけて、真っ直ぐに視線を上げ、手を差し伸べてできうることならばそれに触れようとして、ついには命を失うに至った者の魂の、痛々しいまでのみずみずしさへの心からの憧れ」です。その感情を、若い頃の荒井由美は見事に表現できたのですが、後年の松任谷由美はもはや表現できなくなってしまったのです。私は、そのことで歌手としての彼女を貶めようとは思っていません。それは、自然現象のようなもので致し方のないことだからです。

では、この曲の命を表現できるほかの歌い手はいないのか。そう考えて、私はyou tube の〈『ひこうき雲』をめぐる小さな旅〉に出かけてみたのです。その結果を以下に発表します。題して、〈『ひこうき雲』カヴァー・ベスト3〉。選にもれた歌い手を挙げておきましょう。柴田淳、松浦亜弥、aiko、miwa、スーザン・ボイル、A.S.A.Pの7名(グループ)です。優秀な歌い手たちとの「激戦」を勝ち残った三名を順に紹介しましょう(私の選定に不服のある方もおありでしょうが、自分の感性にウソをつくわけにはいかないので、ご了承ください)。

第三位:長谷川きよし

いまの長谷川きよしがどうなっているのか、私はまったく知りません。若い頃の彼の歌声は、本当に魅力的でした。情感と知性とが絶妙のバランスを保っているような印象があるのですね。長谷川きよしは、当曲の命を損なうことなく、しかも彼一流の解釈で見事に歌い切っています。


ひこうき雲 長谷川きよし


第二位:小谷(おだに)美沙子

私は、今回はじめて彼女の名前を知りました。彼女は、当曲の命を彼女のピュアで内に激情を秘めた一級のセンスで掬い取り、守りきっています。ほかのメンバーも、彼女の気持ちをきちんと理解して、息の合った素晴らしいパーフォマンスを繰り広げています。彼らは、良い意味で、若さの特権を活かしきっているように感じます。ヴォーカルを含めた彼らの表現ぶりには、若い頃特有の切羽詰ったものを生々しく喚起させるものがあるのです(「そのころに君は戻れるよ」と言われたら、私は絶対に嫌ですけれど)。

odani misako・ta-ta - ひこうき雲


第一位:小柳淳子

彼女の名も、今回はじめて知りました。おそらく、知る人ぞ知るという存在のジャズ・シンガーなのでしょう。すれっからし風の、ふざけ半分でくだけた態度の陰にひっそりと真摯でピュアな感性を忍ばせた、とても魅力的な味わい深いヴォーカリストです。おそらく羞恥心の強い女性なのでしょう。この魅力は、申し訳ありませんが、若い人には分からないのではないかと思います。私は、この陰影深い歌いっぷりに心底しびれました。一度、行けるものなら彼女のライヴに行ってみたいものです。村山義光というギタリストのパーフォーマンスも本格派特有の卓越した技術とセンスを感じさせます。この方もおそらく知る人ぞ知るという大変なジャズ・ギタリストなのでしょう。実力派のふたりが、この曲の命を表現できるのは若い人だけだ、という「偏見」を見事に打ち砕いてくれました。

"ひこうき雲" 演奏 "小柳淳子"

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