伊豆は、シイタケ栽培の発祥地なのだそうだ。古文書などを元にした「伊豆椎茸物語」(和田雄剛著)によると、天城山ろくで1741年、日本で初めて企業的、人工的な栽培が始まった。門野原村(のちの旧天城湯ヶ島町、現在の伊豆市)に住む石渡清助という20歳の若者が最初に手がけた。
雨が多く、温暖な気候がキノコの発生に適していた。野生のシイタケを見つけた木に傷を付けたら、翌年に大量発生。そうしたことがヒントとなって栽培技術を高め、キノコ師と呼ばれた伊豆の人たちが、全国各地を栽培指導に回ったという。天城山ろくには、明治から昭和にかけて、栽培者を養成するための伝習所もあった。
全国に広まったシイタケ栽培はいま、大分県が全国1の生産量(2007年度、乾シイタケ)。高齢化などによる後継者不足が進む静岡県は7位だった。
シイタケ栽培発祥の地を守る県きのこ総合センターでは、栽培技術の実証調査として年間1トンを生産。主に乾シイタケにしているが、その量は専門に手がける農家の10分の1以下という。東部農林事務所の職員としてセンターに駐在している内藤政雄さん(49)は「栽培技術は、プロの栽培農家のレベルが高く、品質も良い。後継者の育成までにはいっていないが、新たな担い手の発掘や育成を検討している」と話す。
老舗(しにせ)としての高いレベルは、伊豆の特産品となった。特に高品質の乾シイタケは、最初に手がけた若者の名にちなんで「清助(せいすけ)どんこ」と呼ばれている。
(朝日、2009年07月03日。佐藤孝則)
メモ
1971年にできた「林業試験場しいたけ現場適用試験地」が前身。
5500本のホダ木で原木栽培するほか、菌打ち体験や料理教室、きのこ祭りも開く。
展示室では栽培の歴史、万国博覧会への出品や品評会での成績などを紹介。
雨が多く、温暖な気候がキノコの発生に適していた。野生のシイタケを見つけた木に傷を付けたら、翌年に大量発生。そうしたことがヒントとなって栽培技術を高め、キノコ師と呼ばれた伊豆の人たちが、全国各地を栽培指導に回ったという。天城山ろくには、明治から昭和にかけて、栽培者を養成するための伝習所もあった。
全国に広まったシイタケ栽培はいま、大分県が全国1の生産量(2007年度、乾シイタケ)。高齢化などによる後継者不足が進む静岡県は7位だった。
シイタケ栽培発祥の地を守る県きのこ総合センターでは、栽培技術の実証調査として年間1トンを生産。主に乾シイタケにしているが、その量は専門に手がける農家の10分の1以下という。東部農林事務所の職員としてセンターに駐在している内藤政雄さん(49)は「栽培技術は、プロの栽培農家のレベルが高く、品質も良い。後継者の育成までにはいっていないが、新たな担い手の発掘や育成を検討している」と話す。
老舗(しにせ)としての高いレベルは、伊豆の特産品となった。特に高品質の乾シイタケは、最初に手がけた若者の名にちなんで「清助(せいすけ)どんこ」と呼ばれている。
(朝日、2009年07月03日。佐藤孝則)
メモ
1971年にできた「林業試験場しいたけ現場適用試験地」が前身。
5500本のホダ木で原木栽培するほか、菌打ち体験や料理教室、きのこ祭りも開く。
展示室では栽培の歴史、万国博覧会への出品や品評会での成績などを紹介。