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米核開発と先住民 切り捨てられた側の叫び

2015年10月03日 | ア行

                明治大学教授〔地理学〕、石山 徳子(のりこ)

 70回目の広島原爆の日を、米西部ワシントン州を流れるコロンビア川沿いの町リッチランドで迎えた。原爆開発を推進したマンハッタン計画の拠点の1つで、第2次世界大戦中から冷戦期にかけてプルトニウムを生産し続けたハンフォード・サイトに接している。地元レストランには「プルトニウム」「半減期」「ガイガーカウンター」という名の地ビールが並び、公立高のスポ-ツチームの名は「リッチランド爆撃機」、マスコットはキノコ雲だ。砂漠の田舎町は核開発の歴史で重要な役割を果たすと同時に、経済的な恩恵にも浴し、これを誇りにしてきた。

 長崎原爆の原料を生み出したB原子炉を、米国人観光客とともに見学した。見学前に流される映像資料は、原爆投下が第2次大戦の終結を導いたという定説を強調。ガイドは当時の先端的な科学技術と関係者たちの愛国心をたたえ、キノコ雲の下の惨禍に触れることはなかった。

 見えなくされているのは被爆者の辛苦だけでなく、同サイトが世界最大級の核汚染の現場であり、周辺地域に健康不安を与えてきたという「不都合な真実」だ。この場所には1949年のグリーン・ラン実験で大気中に大量の放射性物質を故意に放出し、70年代初めまで原子炉の冷却水を川に垂れ流したという歴史がある。今も放射性廃棄物貯蔵・処理施設の設計上の不備などが懸念されるなかで、除染作業が続いている。

 マンハッタン計画の開始時に強制過去にあい、今は同サイト上流の集落に住む先住民族ワナパムのリーダー、レックス・バック氏に会った。核開発の前線に置かれた彼らは国家権力による土地の収奪、生活基盤の喪失、社会・文化・環境の破壊との闘いを強いられた。バック氏は「私たちは全てを失ったが、ここを離れるという選択肢はありません。土地とのつながりを回復し、生き抜かなければならないのです」と語る。ワナパムは川の下流や支流沿いに住む他の部族とともに、除染とその後の長期管理計画に関わるべく連邦エネルギー省と交渉を重ねている。

 米国の核開発の現場、すなわちウラン鉱山、核実験場、高レベル放射性廃棄物の永久処分場や中間貯蔵施設の候補地の大半もまた、先住民族の歴史的生活圏と重なる。国の安全保障を掲げた核開発計画と関連産業は、国家によって切り捨て可能とされた社会的弱者や、周縁化された土地の存在があったからこそ成立したともいえよう。先住民の多くは汚染現場を昔の環境に戻し、奪われた土地を返してほしいと訴えている。その声は、核開発と民主主義がそもそも共存しえるのか、という根本的な問いかけのように聞こえる。
  (朝日、2015年09月17日。私の視点欄)