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ジャーナリズムは建設的批判を

2011年10月31日 | サ行
 10月26日の朝日新聞に政治部の記者だという今村尚徳さんが「過疎集落を切り捨てるな」と題する意見を発表しています。まず、それを引きます。

    記(過疎集落を切り捨てるな)

 永田町で語られている「復興」は、東日本大震災の被災地の現実からかけ離れているのではないか。復興に向けた課題を探る手がかりとして、地震や津波に襲われた過去の被災地に足を運ぶうち、そんな疑問を抱くようになった。

 復興事業で一時的に潤っても、やがて人口が流出して街は衰退していく──。被災地は、どこも同じ軌跡をたどっていた。

 象徴的なのは、1993年の北海道南西沖地震で津波被害を受けた奥尻島だ。被災後、約200億円をかけて高さ11㍍を超える長大な堤防が築かれたが、海沿いの集落には廃屋が目立つ。人口は被災前の3分の2程度に減り、65歳以上が3割を占める。

 東日本大震災からの復興基本方針には、「新しい東北の姿を創出する」「東北の新時代を実現する」といった勇ましい言葉が並ぶ。しかし、具体的な道筋が見えないのは、地域の過疎化に対する処方箋を見いだせていないからだ。

 国は1970年に過疎地域対策緊急措置法を制定し、過疎地への財政支援として総額90兆円を投じてきた。40年以上も手を尽くしているのに、住民がいなくなって消える集落が後を絶たない。

 最近、永田町や霞が関では「効率化」「集約化」という言葉が金科玉条のごとく使われている。だが、この言葉は過疎地の住民への想像力に欠け、「過疎地からの撤退はやむを得ない」という都市住民の冷めた視線さえ感じる。

 経済成長時代であれば、更地ににぎやかな街を描くこともできただろう。しかし、未来を先取りした被災地の都市計画は、消滅に向かう集落の切り捨てを意味するのだ。

 津波被害を受けた自治体では、乱開発を避けるために建築制限や自粛要請をした。行政は街の「未来」にこだわるあまり、住民の「今」を置き去りにしてはいまいか。

 2000年の鳥取県西部地震で被災した鳥取県日野町の日野病院はこの夏、山あいの集落に看護師が出向き、お年寄りの健康相談を受ける取り組みを始めた。国からの補助金は出ない。独り暮らしの女性の言葉が耳に残る。「こうしたサービスがないと、もうここには住めなくなる」。

 過疎化にあらがうのは難しい。だが、住み慣れた土地で幸せに、豊かに暮らせるようにすることは、政治の役割だ。「復興」の名の下に、集団移転を加速させ、病院や産業の集約に突き進むことで、弱者を切り捨ててはならない。(引用終わり)

  感想

 主張自体は正しいと思います。しかし、国も県も市町村も解決策を見出せない「過疎化対策」をただ「政治の役割だ」と言って終えるのはいただけません。

 過疎化を押し返している、あるいは少なくとも食い止めている地域はないのか。あるとするならば、どうやってそれは達成されたのか。これを調べていないのでしょうか。

 批判するなら、この成功例から見て先の「総額90兆円」の使い方を分析し、検討するべきではないでしょうか。

 民主党の「政治主導」をはじめとするマニフェストもそうだったように、「批判は易しく、創造は難しい」のです。

  関連項目

過疎対策(01、ロハス職員を)(
過疎対策(02、ドイツの太陽光発電)(
過疎対策(03、補助金より助っ人を)(
過疎対策(04、ダム撤去)(



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