関口存男は「müssenの本義はあらゆる種類の必然性を表すことです。自然的必然性(自然法則)、論理的必然性(思考の必然性)、事情(人情、運命)から来る必然性などです。それに反して、sollenの本義は『何者かの意志・要求を、その何者かを名づけることなく間接的に表現する』(大講座下巻 208項)ことです」、と言っています。
更に、「叙述体の文にあっては、このような必然性は、日本語では『~せねばならなかった』とも『~せざるをえなかった』とも言う必要のないような場合にまでも用います」(教程 239項)、と言い、更に「一体、ドイツ人は müssen を乱用します。ちょっとでも『当然の成り行き』という事態があると、好んでmüssenを使います。母親が子供を連れて表へ出る。子供の事だから何でも見たがる。母親は思わず溜め息をついて、Ach, es ist zu neugierig! Es muss alles sehen!(まあこの子はなんて物好きなんでしょう。何でも見ないと承知ができないのね)と言います(以下略)」(大講座第3巻 250項)と言っています。
この事は「文法」の962頁以下にも引用しました。しかし、先日来朝日新聞が漱石の『こころ』を100年前とほぼ同じ形で連載し始めたのを読んでいて、「逆の事もあるのかな」、という問題意識を持ちました。日本語でも「~せねばならない」という句を「必然性」よりも「事実の確認」として使うことがある(あるいは、あった)のでは無いだろうか、と思い始めたのです。
と言いますのは、『こころ』の中に次の句が出てきてからです。そして、それの独訳と英訳は、共に、müssen, mustを使わないで訳しているからです(仏訳は注文してあるのですが、まだ来ていません)。
01、そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差向いで話しをしなければならない時機が来た。(こころ15)
独・Eines Tages saß ich, von diesen Zweifeln unberuhigt, wieder einmal seiner Frau gegenüber.
英・Meanwhile, it so happened that I had another occasion to have a conversation with Sensei's wife.
02、先生は外(ほか)の二、三名と共に、ある所でその友人に飯(めし)を食わせなければならなくなった。(こころ15)
独・der Sensei und einige weitere Bekannte gaben ihm ein Essen
英・Sensei and two or three others were taking him out to dinner that evening
しかし、たった一人の人の用語法だけで一般論を展開するのは無理だなと思っていました。まして、漱石は英語に堪能な人ですから、英語の影響を受けてそういう言い方をするようになったのかもしれませんから。「他の人の用例も必要だな」と思っていましたら、5月24日、たまたま手にした本に次の句がありました。
03、封建社会にあっては、革命はしばしば復古という形式を取る。明治維新は、同時に王政復古でなければならなかった。韓愈(かんゆ)の場合も例外ではない。新文体であるからこそ、それに「古文」と名づけ、古代文体への復帰と叫ばねばならなかったのである。韓愈の古文が、もしも、古代文体の単なる復活であったなら、おそらく他の人たちに、あれほどアッピールすることはなかったであろう。
韓愈は、駢文(べんぶん)を否定したというより、アウフヘーベンしたのであった。かれは、その文章の構造を、漢以前の古代のそれにもとめつつ、発想や語彙には、新文を通して積まれて来た洗煉された技巧を取り入れて、新しく市民と中小地主が中心となった社会の新しい散文としたのであった。(清水茂著『唐宋八家文』上、朝日新聞社1966年)
この2つの「ねばならなかった」も「(過去の)事実を確認」しているだけではないのだろうか、と考えました。それぞれ「王政復古であった」「古代文体への復帰と叫んだのであった」と言ってよいと思います。ここの文では第3の文がそれ以前からどうつながるのか、分かりませんが、今はそれは問題にしません。「ねばならない」だけを取り上げます。
これで2人の用例になりましたが、確定的な事はまだ言えません。問題意識を持って用例を探している段階です。文法研究はこのようにして進めるのです。皆さんも、適当な用例に気づいたら、教えて下さい。英・独・仏への翻訳があれば尚結構です。
更に、「叙述体の文にあっては、このような必然性は、日本語では『~せねばならなかった』とも『~せざるをえなかった』とも言う必要のないような場合にまでも用います」(教程 239項)、と言い、更に「一体、ドイツ人は müssen を乱用します。ちょっとでも『当然の成り行き』という事態があると、好んでmüssenを使います。母親が子供を連れて表へ出る。子供の事だから何でも見たがる。母親は思わず溜め息をついて、Ach, es ist zu neugierig! Es muss alles sehen!(まあこの子はなんて物好きなんでしょう。何でも見ないと承知ができないのね)と言います(以下略)」(大講座第3巻 250項)と言っています。
この事は「文法」の962頁以下にも引用しました。しかし、先日来朝日新聞が漱石の『こころ』を100年前とほぼ同じ形で連載し始めたのを読んでいて、「逆の事もあるのかな」、という問題意識を持ちました。日本語でも「~せねばならない」という句を「必然性」よりも「事実の確認」として使うことがある(あるいは、あった)のでは無いだろうか、と思い始めたのです。
と言いますのは、『こころ』の中に次の句が出てきてからです。そして、それの独訳と英訳は、共に、müssen, mustを使わないで訳しているからです(仏訳は注文してあるのですが、まだ来ていません)。
01、そうこうしているうちに、私はまた奥さんと差向いで話しをしなければならない時機が来た。(こころ15)
独・Eines Tages saß ich, von diesen Zweifeln unberuhigt, wieder einmal seiner Frau gegenüber.
英・Meanwhile, it so happened that I had another occasion to have a conversation with Sensei's wife.
02、先生は外(ほか)の二、三名と共に、ある所でその友人に飯(めし)を食わせなければならなくなった。(こころ15)
独・der Sensei und einige weitere Bekannte gaben ihm ein Essen
英・Sensei and two or three others were taking him out to dinner that evening
しかし、たった一人の人の用語法だけで一般論を展開するのは無理だなと思っていました。まして、漱石は英語に堪能な人ですから、英語の影響を受けてそういう言い方をするようになったのかもしれませんから。「他の人の用例も必要だな」と思っていましたら、5月24日、たまたま手にした本に次の句がありました。
03、封建社会にあっては、革命はしばしば復古という形式を取る。明治維新は、同時に王政復古でなければならなかった。韓愈(かんゆ)の場合も例外ではない。新文体であるからこそ、それに「古文」と名づけ、古代文体への復帰と叫ばねばならなかったのである。韓愈の古文が、もしも、古代文体の単なる復活であったなら、おそらく他の人たちに、あれほどアッピールすることはなかったであろう。
韓愈は、駢文(べんぶん)を否定したというより、アウフヘーベンしたのであった。かれは、その文章の構造を、漢以前の古代のそれにもとめつつ、発想や語彙には、新文を通して積まれて来た洗煉された技巧を取り入れて、新しく市民と中小地主が中心となった社会の新しい散文としたのであった。(清水茂著『唐宋八家文』上、朝日新聞社1966年)
この2つの「ねばならなかった」も「(過去の)事実を確認」しているだけではないのだろうか、と考えました。それぞれ「王政復古であった」「古代文体への復帰と叫んだのであった」と言ってよいと思います。ここの文では第3の文がそれ以前からどうつながるのか、分かりませんが、今はそれは問題にしません。「ねばならない」だけを取り上げます。
これで2人の用例になりましたが、確定的な事はまだ言えません。問題意識を持って用例を探している段階です。文法研究はこのようにして進めるのです。皆さんも、適当な用例に気づいたら、教えて下さい。英・独・仏への翻訳があれば尚結構です。