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マキペディア(発行人・牧野紀之)

本当の百科事典を考える

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ながく、牧野紀之の仕事に関心を持っていただき、ありがとうございます。 牧野紀之の近況と仕事の引継ぎ、鶏鳴双書の注文受付方法の変更、ブログの整理についてお知らせします。 本ブログの記事トップにある「マキペディアの読者の皆様へ」をご覧ください。   2024年8月2日 中井浩一、東谷啓吾

als etwas erscheinen

2014年04月24日 | マ行
 「小論理学(鶏鳴版)」の見直し(即ち「小論理学(未知谷版)」の準備)は「存在論」を終わり、「本質論」に入りました。その存在論の終わりの方の第108節の付録の中に次の一節があります。

──Wenn eine quantitative Veränderung stattfindet, so erscheint dies zunächst als etwas Unbefangenes, allein es steckt noch etwas anderes dahinter, und diese scheinbar unbefangene Veränderung des Quantitativen ist gleichsam eine List, wodurch das Qualitative ergriffen wird.

 これを松村訳(岩波文庫)はこう訳しています。文脈が分かるように、少し前から引きます。「限度のうちに存在する質と量との同一は、最初は単に即自的であって、まだ定立されていない。そのためにその統一が限度をなす二つの規定は、それぞれ独立性をも持っている。すなわち、一方では定有の量的諸規定は、その質へ影響を与えることなしに変化されうるとともに、他方ではこうした無関係な増減にはその限界があって、それを越えると質が変化される。例えば水の温度はまずその液体的流動性にたいして無関係であるが、しかしこの液状の水の温度の増減が或る点に達すると、この凝集状態は質的に変化し、水は一方では水蒸気に、他方では氷に変る。一般に量的変化が起る場合、それは最初それ以上の意味を少しも持たないようにみえる。しかしその背後には別なものがひそんでいるのであって、一見何でもなくみえる量の変化は、質的なものを捕える言わば狡智である。」

 真下・宮本訳(岩波書店)はこう訳しています。「限度のうちに見られる質と量の同一性はただやっと即自的に存在するだけで、まだ定立されてはいない。一体となって限度を成すところのこの両規定がそれぞれ別々にも通用するゆえんはここにあるのであって、一面では定在の量的規定は定在の質に影響を及ぼすことなしに変えられうるし、他面またこの無記な増減にも限度があって、これを踏み越せば質が変えられるのである。そういうわけで、水の温度は差し当たりは水の液的流動性とは無関係であるが、やがて液状の水の温度が増すか減るかするうちにこの凝集状態が質的に変わって、水が蒸気に変わったり、氷に変わったりする点がやってくる。或る量的変化が起こる場合、それは差し当たりは何かまったくさりげないことのように見えるが、しかしその後ろにはなお或る別なものが潜んでいるのであって、このさりげなく見える量的なものの変化は質的なものを捕えるためのいわば策略なのである。」

 私が問題にしたいのはここのerscheint als etwasという句を両方共、「みえる」と訳している点です。つまり、scheinenと同じ訳語を当てているのです。これで好いのでしょうか。やはりscheinenとの違いを意識してもらうためには別の訳語を使った方が好いと思います。長谷川宏のように、ヘーゲルのscheinenを「思える」と訳した上で、「本当にそうなのだ」という意味に取って、饒舌な愚論を展開している人もいるからです(長谷川宏著『ヘーゲル「精神現象学」入門』講談社の一一頁以下)。

 ここのerscheint als etwasは「である」の代用でしょう。つまり、「まずは実際にUnbefangenes〔邪気の無いもの=質の変化を引き起こさないもの〕)である」という意味です。「まず最初から、無邪気に見えるが本当は邪気のあるもの〔変化を引き起こすもの〕である」という意味ではありません。「文法」の156頁の「②属詞文の代用形」を参照して下さい。

 ウォーレスの英訳はapparently without any further significanceとし、ジェラーツ等の英訳はit appears, to start with, to be something quite innocentとしています。これらの英訳ではどう取ったかは、私には分かりません。

 erscheint alsを使ったので有名なのは『資本論』の冒頭句でしょう。それはDer Reichtum der Gesellschaften, in welchen kapitalistische Pruduktionsweise herrscht, erscheint als eine "ungeheure Warensammlung", eine einzelne Ware als seine Elementarform. Unsere Untersuchung beginnt daher mit der Analyse der Ware.(資本主義的な生産様式が支配的となっている社会では、富は商品の巨大な集積という形を取る。個々の商品は富の要素である。従って、我々の研究は商品の分析から始まる)となっています。

 英訳はThe wealth of those societies in which the capitalist mode of production prevails, presents itself as "an immense accumulation of commodities," its unit being a single commodity. Our investigation must therefore begin with the analysis of a commodity.です。

 仏訳はLa richesse des sociétés dans lesquelles règne le mode de production capitaliste s'annonce comme une "immense accumulation de marchandises". L'analyse de la marchandise, forme élémentaire de cette richesse, sera par conséquent le point de départ de nos recherches.です。

 これなら「事実そうである」という意味だということは明白でしょう。

 長谷川の誤解した「精神現象学」の該当箇所はこうなっています。原文はEine Erklärung .. scheint nicht nur überflüßig ..です。英訳はベイリーのそれもミラーのそれも同じくseemsを使ってit seems not only superfluousとしています。イポリットの仏訳もparaîtreを使っています。

 この冒頭の部分はとても読みにくいものです。なぜなら、これに続いて、同じ様に「余計に見える」理由を次から次へと繰り出していますが、一々「だから、予めの説明は余計に見える」という結論は書いていないから、何のためにこういうことを言うのか分からないからです。私は、角括弧でその理由を一々補った上で、逆接の始まる部分の冒頭に「〔さて、以上のようなわけで、序言で本論の目的や一般的結論や他の哲学との違いを述べるのは不都合に見えるのだが、しかし実際には、それも書き方次第で必要かつ有意義になりもするのである。というのは以下のようなわけである。そもそも〕真理が現存する真の形態は真理を叙述した「科学という体系」でしかありえない。〔そして〕~」、と補って訳しました。

 元に戻って、「小論理学」のここでは「無邪気なものに見えるが、実際はそうではない」と誤解し易い理由は、その後にallein es steckt noch etwas anderes dahinterと続き、しかもscheinbarなどという語さえあるからでしょう。

 では、「Aと見えるが実際はそうではない」のと、「Aとして現象しているが、背後には別のものが隠れている」のと、どう違うでしょうか。前者は錯覚であり誤解です。「実際に在る事柄を見落としている」のです。後者は正確な観察です。「背後にある」という事は、「今は表に出ていない」、つまり「まだ生まれていない」という事です。錯覚でも誤解でもありません。表面だけとはいえ、正しく見、正しく理解しています。

 「文法」にも「関口独和辞典抄」にもerscheinenのことは書いていないようですので、「小論理学(未知谷版)」の出版を待たずに、この点を発表しておこうと思った次第です。

 私の解釈に異論のある方はどうぞ「コメント」欄に書いて下さい。又、erscheint alsについて、関口が何か言っている箇所を見つけた方もコッメント欄を使って教えてください。お願いします。

2014年4月24日、牧野 紀之

      関連項目

長谷川宏のお粗末哲学

無農薬・有機農法米を考える

2014年02月01日 | マ行
 近所の棚田でお米を作っているSさんを知って、それを購入しました。Sさんと話し合っている内に、以下のような意見を聞きました。大切な問題だと考えました。以前から関係のある第3世界ショップ(昨年の秋、「はぜかけ米」を売り出しました)と大潟村でがんばっているみすず農場にこれについての考えを聞きました。以下はそれぞれの意見です。

1、Sさんの考え

 「無農薬、有機栽培、稲架け乾燥」の中の「有機栽培」を満たすお米は、なかなか無いかと思います。誠に申し訳ございませんが、私自身、有機栽培の利点が良く分かりません。もし、堆肥などで生育過程の養分の全てを賄おうとすると、どんな養分がどれだけ入っていて、どのようなタイミングで効くのかといった効果が安定しないし、水田なので追肥も難しくなります。全国的に見ると有機栽培を謳っている農家さんもいらっしゃるようですが、私の知識や技量では出来ないと思います。

 また、化成肥料を「石油から合成している」と間違って認識されている方も多いようですが、窒素は畜産の過程で、リン酸はリン鉱石から、カリも鉱石から抽出しているので、石油から作っているわけではありません。むしろ、どのような成分をどれだけ入れたのか、どのぐらいの速さで効くのかなどが計算できるので、化成肥料は使い勝手が非常に良い肥料です。また、ケイ酸などの土壌改良剤も貝殻やサンゴが分解した地層から抽出していますから、病気や害虫を寄せ付けない骨太な稲を育てるには、率先して使うべきかと考えています。

 昨年は、試しに有機化成(有機肥料をペレット状にした資材)を使ってみました。しかし、肥料の効かせ方(稲の生長に合わせて効かせたい時と効果を切りたいときのタイミングをはかる)という面で、少し使いにくい気がしています。

 また、私の場合は、今までたまたま本田農薬不使用で作ってこれましたが、突発的な病害虫に襲われた時は、農薬を使わないという選択はできないかと思います。

 また、籾の段階で殺菌剤が使われていたり、藁を腐食させる資材の中に農薬の成分が入っていることもありしますから、何から何まで完全に無農薬で稲作をするというのは、かなり難しいかと思います。

 一方、乾燥についても、昔は乾燥機にかけると灯油の匂いがついたりしたこともあったようですが、現在は技術が進歩していますから、そのようなこともありませんし、乾燥機によって玄米の品質が下がることもありません。むしろ、稲架け(はぜかけ)で中途半端に乾燥が甘いと、虫が付きやすくなったりカビが生えやすくなったり、かえって品質の劣化を招きます。ただ、乾燥機にかけると余分に手数料を取られるので、私の場合、しっかり天日干ししてから籾摺りにかけています。

 そのようなことから、私自身、潔癖に無農薬や有機栽培を目指しているということではありません。稲本来の力を引き出してあげることを優先し(経費的にも)農薬や肥料の使用は少ない方が良いという程度の認識です。

 感想・Sさん達の場合、2キロで1000円と、協定しています。あくまでも副業的にやっているのだと思います。

2、第3世界ショップからの回答

 予備的説明・第3世界ショップは、私(牧野)の記憶では日本における「フェア・トレード」の草分けではないか、と思います。片岡勝さんが始めたのだと思います。私はその初期からの購買者です。只の購買者ですが。

 昨年(2013年)秋、その運動に参加している若者たちの作った「はぜかけ米」のチラシが届きました。もう売り切れたそうですが、今回のSさんの考えについてどう思うか、問い合わせました。すると、その米の購買者に同封された「僕らの米作り奮闘記」(2年目の挑戦)のコピーが送られてきました。それをそのまま、写真は除いて、文章だけ転載します。

──楠クリーン村〔山口県宇部市にある第3世界ショップの活動拠点の1つの名前〕・米生産担当のFです。この度は『僕らの作ったはぜかけ米』をご購入いただき、ありがとうございます!

 私たちのはぜかけ米は11月初旬、やっと収穫を終えました。「ほかの米より遅いんじゃないか?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、『はぜかけ』でじっくり天日干しをしたためです。

 さて、今年も栽培に農薬を使わず、自家製堆肥のみ使用し、こだわりのおいしいお米を作るため、多くの手間と情熱を注いできました。召し上がっていただく方に、私たちのこだわりやおいしさの秘密を知っていただければ幸いです。僕らの『米作り奮闘記!』ぜひ、ご覧下さい。

①土作り(1月~3月)
 米の1年の始まりは冬の土作りからです。堆肥の量は2トンダンプ3台分! 今年は楠の牛の糞から作った自家製堆肥です。広さは5000平米、山のように盛られた堆肥をムラのないように撒くため、トップカーに積んで撒布します。

②苗作り(4~5月)
 私たちの米作りは、ここからが病気・害虫との戦いです。籾(もみ)の温湯消毒→籾乾燥→苗箱消毒(エタノール&天日干し)→苗箱へ種蒔き→苗の水やり→・温度管理を徹底し、田植えまでの3週間は気の抜けない作業が続きます。

③田植え(6月)
 田に水を引き、トラクターで土と混ぜ合わせます。モグラが穴を空け、水が流れ出ないように、畦(あぜ)に泥を塗り固めるのですが、これも手作業! 水を含んだ泥はとても重く、手や足の動きを阻みます。そして、いよいよ田植えです。今年はうるち米(餅米ではない普通のお米)を機械植え、餅米を昔の手法を用いた手植えで植えました。

④雑草取り(6~10月)
 雑草取りは米作りをする上で最も重要な作業の1つです。草に行く分の栄養を稲に与え、風通しを良くし、日光の恵みを十分に与え、病気や害虫に負けない強い米にします。

 そうは言えども夏の炎天下! 伸びた草を腰をかがめ、手で一つ一つ抜き取る作業はとても堪えます。草は1度抜いてもひっきりなしに生えてくるので、5~10月の間は毎月、稲の間の雑草を取り続けるのです。

⑤刈り取り・はぜかけ(10月)
 穂が垂れ、田が新緑から黄金に染まる頃が収穫の合図です。今年は田んぼの裏山からはぜかけ用の竹を切り出すことから始めました。地域の竹切り名人にご指導をいただきながら、数人がかりで竹を切り倒し、節を落とします。長いもので1本20メートル・約80キロの竹を2人で神輿のように肩に担いで田んぼに運びます。

 根本から稲を刈り取り、「はぜ」と呼ばれる竹で作った棚にそれを掛け、天日干ししてゆきます。刈り終わった田に「はぜ」を作ってゆくのですが、これが難しい! 支柱のバランスが悪かったり、ヒモが緩いと、はぜ掛けの後に折れたり倒れたりします。

 はぜかけの利点は、稲穂のまま(籾だけを切り離すのではなく)天日でじっくり時間をかけ、米を乾燥させることにあります。稲は茎にも栄養が蓄えられており、それが約20日かけて、ゆっくり米の中に行き渡るのです。そして、自然の温度と日光によって乾燥させるので、米を痛めてしまう高温の機械乾燥に比べ、米の風味、食味が格段にますのです。

 たわわに実った稲をはぜ掛けしてゆく様子に豊かな秋の実りを感じ、出来たはぜが並ぶ風景は、絶やしてはいけない日本の風物詩です。

⑥脱穀・籾摺り(11月)
 はぜかけを終えて待つこと約20日。米が乾燥する時期を見て、脱穀を行います。今期は台風や大雨などではぜかけ棚が倒れてしまい、掛け直しをしました。しかし、それ以外は晴れも多く、順調に乾燥していきました。

 脱穀ははぜかけ棚から下ろして、一束ずつ脱穀機にかけt行います。田んぼで脱穀を終えたら、楠クリーン村で籾摺り機にかけて、籾摺りをしていきます。無事に玄米として米袋に入ると、ようやくお米の収穫は終わります。

 田んぼに残ったワラも集めて、楠クリーン村の牛に食べてもらいます。そして、牛たちから出来る牛糞堆肥を田んぼに施して、来年度の米の豊作に備えます。

 僕らの「米作り奮闘記」いかがでしたでしょうか。おいしいお米を作っている現場に生き生きした様子を感じていただければ幸いです。1年で最も多く口にするものだからこそ、これだけの手間を掛けても「おいしい!」と胸を張って言える米作りがしたい! そして、もっと多くの人に私たちの活動を知っていただくため、米作りの挑戦はまだまだ続きます。(引用終わり)

 感想・第3世界ショップではこうして作ったお米を2キロで1400円、10キロにすると7000円で売っています。10キロで3000円以下のお米もスーパーなどでは売っている時代に、これを「高い」と思うのは普通かとも思いますが、値段は品質と比較して考えるべきですから、「安い」という評価もあると思います。

 私の知りたい点は、「この値段で世間並みの生計を立てて行けるのかな」という事です。まだ始まったばかりですから、今後大きくなって行くのか、見守るつもりです。

 参考サイト・第3世界ショップ

3、みすず農場からの回答

 予備的説明・秋田県の大潟村のみすず農場からは、もう随分長いこと、お米を取っています。大凶作で日本中が困った時も、世間では2倍に値上がりしていた時でも、みすず農場では約1割の値上げで済みました。そういう試練を経て、今の関係があるのだと思っています。回答は以下の通りです。

──最初にみすず農場の事を話します。牧野さんには20年以上もの長い間お付きあいいただいておりますので、ご理解頂けると思います。

 日本が農薬や化学肥料を使用するようになってから50~60年位しか経っておらず、私が大潟村に入植した45年前は「現代農業」と言って、農薬や化学肥料を使うことが、先進的な農業だと考えられていました。

 ところが様々な問題も起きてきて、その頃立ち上げられた「日本有機農業研究会」に入会し、いろいろな方と出会う中で勉強し、実践する様になったのです。その頃大勢の人手を掛けての草取りは珍しく、奇人変人と言われましたが、確固たる思想がありましたから、気にしませんでした。稲作りも野菜作りも同じことが言えると思いますが、百姓百色で、栽培に向き合う農家の心次第で随分違うと思います。

 前書きが長く成りました。有機栽培は「JAS有機」で、「同じ土地に3年以上農薬も化学肥料も撒かず、なおかつ近隣からも流れ込まない農産物」と認識しております。

 無農薬とは、農薬関係を一切撒かずに栽培しますが、一年更新の農産物と認識しております。

 みすず農場では田植え後の追肥は一切行いません。ですから収穫量は2~3割程少なくなりますが、稲と稲のすき間が多く、病気や害虫もあまりつかないという状況をつくっています。さらに、全面積に化学肥料は以前から使用しておらず、ペレット状にした有機肥料を使用し、無農薬栽培をしています。乾燥は、乾燥機を利用しています。

 いずれにしても、手間暇のかかることで、信念がなければなかなかできる事ではありません。簡単に概略だけですが、もっと知りたいことがありましたら質問して下さい。(引用終わり)

 説明・みすず農場では奥さんと一緒に始めた夫君は大分前に亡くなっています。今では息子さん夫婦が中心になって経営しているようです。多くの社員(?)を雇っていると思います。何しろ面積が半端ではありませんから。

 値段的には、ササニシキ玄米10キロは5880円、あきたこまち玄米10キロは5040円です。
 参考サイト・みすず農場

4、これらを読んでの牧野の感想

 Sさんの意見を聞いて、又他の人達の考えと実践を知ることが出来て、好かったと思います。お酒の表示でも「純米酒」とか「米だけの酒」とかいろいろあるそうです。先日、日経新聞に詳しい解説がありました。

 大切な事は、生産者は正直に的確な情報公開をし、説明することでしょう。そして、消費者は、こういう問題に向かう「自分の姿勢」を自分で決めて、一貫した態度で立ち向かうことだと思います。どちらの側も、感情的にならずに、冷静に話し合う「まともな社会人」であってほしいと思います。参考ブログ記事・議論の認識論

 私は、第1に、生産者が正直に報告しているか、第2に、前向きに努力しているか、を見ます。この2条件が満たされれば、すぐに完全無欠を要求するような事はしません。

 第3世界ショップでも、大潟村との関係でも、貴重な経験をさせてもらいました。今又、近所の棚田の人達との繋がりが出来始めましたが、ここでも好い関係が築けることを願っています。

5、Sさんの2度目の発言

 Sさんから以下のような意見が寄せられました。

         記

 私は元々農家ではありませんが、15年ほど前から山の中の棚田を借りてお米を作っています。まだまだ勉強中の身ですので詳しいことは分かりません。

 私は無農薬や有機栽培や稲架け乾燥にこだわっているというより、
① 美しい棚田を少しでも残したい。
② 基本的な稲作農法を覚えたい。
③ 自分の食べる物は自分で作りたい。
 といった思いから始めました。しかし、長く続けているうちに、なるべく農薬を使わず、なるべく自然に近い肥料で、乾燥も天日で…という方法を心掛けるようになったというのが実際です。

 話は飛びますが、我が国も昔(戦前)は国民の大多数が農民でした。しかし、今や農業で生計を立てている人は就労人口の数%以下といわれます。しかも今では農業者の半分近くが70歳以上の高齢者で、農地を持っている家でも、息子や孫は農作業を手伝ったこともない、というのが現実です。言い換えれば、このままでは作物を育てるという技術も継承されずに消えてしまう。それが現代の日本の姿だと思います。

 最近はよくTPPだ中間管理機構だ農薬混入事件だと、農や食に関わる問題が毎日のように報道されています。が、間違えていただきたくないのは、制度や仕組みを変えたり、お金を投入したりしても、誰か動く人(田畑を耕す人)がいなければ日本の農業も、食の安心安全も守られないということです。そういう意味で、小さなことかもしれませんが、私は自分で実践しようと思っているだけの者です。

 15年もやっているとは言いつつ、最初の10年は農作業や田んぼの管理を覚えるだけで、「農法」について意識が芽生えたのはここ数年です。ですから、正確に表記すると、私が実践しているのは「移植後農薬不使用」です。

 有機栽培については、有機物をペレット状に固めた有機肥料を使っているものの、完全な有機栽培ではありません。私のように元々非農家で、サラリーマンをやりながら田畑を耕している者にとって、土日の余暇の時間だけで、自前で堆肥を作ったり、肥効(肥料の効き方)を確認しながら細かい管理をするのは非常に困難です。

 堆肥だけで生育過程の養分の全てを賄おうとすると、どんな養分がどれだけ入っていて、どのようなタイミングで効くのかといった効果が安定しないし、水田なので追肥も難しくなります。全国的には完全有機栽培を謳っている農家さんもいらっしゃるようですが、やはり、私のよう自給的農家を目指す程度の「にわか百姓」の技量では難しいのが現実です。

 また、化成肥料は全て石油から出来ていると誤解されている方も多いようですが、リンやカリは鉱石から抽出していますし、窒素分も有機質や畜産の残渣から抽出している肥料もあります。むしろ、どのような要素をどれだけ入れたのか、どのぐらいの速さで効くのかなどが計算できるので、私としては、市販の化成肥料は非常に使い勝手が良いものと認識しています。

 もちろん、農薬や化学肥料を推奨しているのではありません。しかし、農業の歴史において、農薬や化学肥料の果たしてきた役割は非常に大きいと思います。戦後の食糧難や世界的な飢餓のことを考えたとき、農薬や化学肥料が無かったら、今の社会は有り得たでしょうか。そういうことから目を背けて、農薬や化学肥料は「悪」というような宣伝文句には賛成できません。

 それよりも私は、日本の国土では欠乏しがちな、ケイ酸などの土壌改良剤をしっかり入れて、病気や害虫を寄せ付けない健康な稲を育て、なるべく農薬を使わずに済むような、過剰に肥料を投入しなくても済むような栽培を心掛けてはどうかと思います。

 先日、ある棚田の会合で「棚田は完全無農薬ではないのか?」「完全有機栽培じゃないなんてガッカリだ!」などと怒っている一般の方がいらっしゃいました。ガッカリするのは勝手ですが、作物を育てたこともないのによく言うなぁ…と思います。

 私も今までは、たまたま移植後農薬不使用でやってこれましたが、突発的な病害虫に襲われたとき、農薬を使わないという選択ができるかどうか、自信はありません。

 それに、籾の段階で殺菌剤が使われていたり、育苗培土の中に僅かに化学肥料の成分が入っていたり、藁を腐食させる資材の中に農薬の成分が入っていることもありますから(今は空から放射能が降ってきてしまうような時代ですから)「何から何まで潔癖に無農薬、有機栽培でなければ受け付けない」というのも、どうなんでしょう?

 一方、乾燥についても、昔は乾燥機にかけると灯油の匂いがついたり、品質が悪くなることもあったようですが、現在は技術が進歩して、かなり改善されています。人によって味覚も違うし、許容範囲にも個人差はありますが、最近は市販の安いお米でも、匂いや形質が悪くて食べられない、なんて粗悪品に出会ったことがありますか?

 むしろ、稲架けでも中途半端に乾燥が甘いと、虫が付きやすくなったりカビが生えやすくなったり、かえって品質の劣化を招きます。ただ、乾燥機にかけると余分に手数料を取られるので、私の場合、しっかり天日干ししてから籾摺りにかけるようにしています。

 そのようなことから、私自身、潔癖に無農薬や有機栽培を目指しているのではなく「経費的にも農薬や肥料の使用は少ない方が良い」というのが本音です。それよりも、「サラリーマンをやりながらでも自分の食べる物くらい自分で作れるんだよ。非農家でも自給的農家(兼業農家)になれるんだよ」ということを多くの人に知ってもらい、自分にも、自然にも、懐にも「やさしい農業」を広めていけたら…と思っています。

 説明・Sさんのやり方を知って、同じようにやりたいという人も少し出てきているそうです。



モザンビークの開発

2013年05月22日 | マ行
             船田クラーセン さやか(東京外国語大学大学院准教授)

 アフリカ農業を支援しようと、日本の国際協力機構(JICA)は現在、モザンビークで「プロサバンナ事業」を進めている。南米ブラジルの広大な森林帯を切り開いた「セラード開発」をモデルとし、ブラジル政府とも手を組んだ大規模事業だ。今年、横浜で開催される第5回アフリカ開発会議の目玉としても宣伝されている。

 しかし2012年10月、現地で最大の農民組織、全国農民連盟(UNAC)がこの事業に抗議の声をあげた。声明では「ブラジル企業による土地収用の可能性」「全プロセスにおける農民の主権無視」の2点を強く懸念している。JICA側は「情報伝達不足による誤解」としているが、そもそも情報伝達の問題だろうか。

 お手本とするセラード開発は、日本の融資とJICAの技術協力によっておこなわれた。不毛の無人の地を高い生産性を誇る世界最大規模の農地に変え、ブラジル農業の躍進に寄与した、というのがJICAの立場だ。

 しかし軍政下のブラジルで進められたこの開発は、地元先住民の視点から見ると異なる評価が出てくる。森林が破壊され、土地を奪れ、生活手段が失われたからだ。豊かな南部から入植してきた中規模以上の農家に、安価な農場労働力として使われるようにもなった。NGOを結成してJICAに面談を申し入れても、門前払いにされたという。モザンビークの農民は、同じことが繰り返されることを恐れているのである。

 アフリカでは世界的に食糧価格が高騰した2007年以来、外資による激しい土地争奪戦が繰り広げられている。とりわけ土地と水が豊富なモザンビークは狙い目となり、取引される土地面積・件数とも世界2位とする資料もある。そのただなかで始動したのがプロサバンナ事業なのだ。

 実際、モザンビーク北部を訪れたブラジル企業家は肥沃で安価な土地価格に熱狂し、日系ブラジル人の連邦議員も「ブラジル人の入植を応援する」と表明したと、外電や日系紙で報じられている。

 だが私はあえて、この事業の大幅な見直しを求めたい。まずはこれまでの現場軽視のやり方を猛省し、住民や農民組織、市民社会の声に真摯に耳を傾けること。そして土地収用はしないと約束し、そこに長年暮らしてきた人々を中心に据え、意思決定のプロセスにも参加してもらうこと。

 3・11の未曾有の経験で、一度破壊された暮らしの再建がいかに難しいかを私たちは学んだはずだ。日本政府にはここで立ち止まり、変える勇気と決断を求めたい。今ならまだ、間に合う。
 〔朝日、2013年02月02日)

『マルクスの空想的社会主義』へのレビューへのお返事

2013年02月23日 | マ行
01、アマゾンでの剣之助の批評

 著者は、ヘーゲル、スターリニズム的な哲学的マルクス主義理解に基き、<マルクスの空想的社会主義>と呼んでいる。以下、最初の『空想から科学へ』の訳、注を見てみよう。

 エンゲルスの哲学不要論、「現代唯物論は本質的に弁証法であって、他の諸科学の上に立つ哲学をもはや必用としない」に対し、注で「そもそも現代唯物論が哲学なのですから」と頓珍漢なことを言っています。エンゲルスが印刷する前に原稿全部をマルクスに読んで聞かせた、『反デューリング論』、序説、第一章、総論の「これまでの一切の哲学のうちで、その場合なお独立なものとして存続するものは、思考とその諸法則との学──形式論理学および弁証法である。その他はすべて自然と歴史とに関する実証科学に解消してしまう。」を読み落としたのでしょうか。

 「科学とは事実を説明すること」と分って迷いがなくなったようですが、宗教も人生の苦難の事実を説明しているのではないでしょうか。科学は事実を説明するだけではなく、なぜ・いかにして・この変化と発展が起こるのかを説明しなければいけません。

 又、「ここに唯物論的な歴史観が生まれた。つまり、〔観念論のように〕人間の存在をその意識から説明するのではなくて、逆に、人間の意識をその存在から説明する道が発見されたのである。」の注では次ぎのように記されています。

 ここで、「意識」とされているものは、法律、政治、宗教、哲学などです。これらはみな「何が善で何が悪か」を示す考え方です。つまり「当為」を示しています。

 ”意識=法律、政治、宗教、哲学など”、という等式はヘーゲルの絶対観念以外のどこから出てくるのでしょうか。エンゲルスは、「法律と国家との諸形態、ならびにそれらの観念的上部構造である哲学、宗教、芸術等」と、意識と等置などしていません。おまけに、善悪などと、どう結びつくのでしょうか。ここでの「人間の意識」とは自然の一部としての人間における、自然の一部である脳の機能としての意識という意味です。著者には弁証法的唯物論による認識の反映論がないため、全て意識の一元論となってしまっています。

 それは、「唯物史観(ないし唯物論)によると、すべての意識は存在の反映です。」という注に良く反映されています。脳の働きとしての意識による現実世界の反映、模写である認識は、社会的なものであり、受動的であり限界づけられていると同時に、能動的に現実に向かって問いかけその限界を超えていくという矛盾をもっています。ここに予想と呼ばれる認識の形態が成立するばかりでなく、単純なものから複雑なものへと発展していく運動が起こります。そこに実想と空想が生じます。単なる反映とみなす俗流唯物論ではダイナミックな認識の運動、構造を捉えることはできません。

 その結果、「『経済学批判』への序言」の「イデオロギー」を「観念論的な思想」と解し、「マルクスとエンゲルスの思想のように自分の出てくる経済的基盤を自覚している思想はイデオロギーではない」などという珍解釈に至ります。

 これでは、科学的な空想的社会主義批判ではなく、空想的な科学的社会主義批判となってしまうのも止むを得ないのではないでしょうか。(2012年10月06日投稿)

02、お返事

 意見になっていませんので、本来的なお返事はできません。

 意見をするにはどうしたら好いかを説明します。

 マルクスの社会主義思想が本当に「科学的」なのかを検討したのは本書が初めてです。まず、「社会主義思想が科学的なものであるか否かを判定する基準」を確認した上で、「空想から科学へ」や「資本論」を細かく検討して、結論を出しました。

 あなたがこの結論に反対するならば、著者と同じように、判定の基準を定めた上で、最低でも「空想から科学へ」を訳し、そこに注を書くなどして、「ここに科学的と判断する根拠がある」と言うべきです。

 要するに、批判するならば、対案を出すべきです。

 また、マルクスとエンゲルスの使う「イデオロギー」という言葉が「観念論的な思想」という意味でないとするならば、どういう意味でしょうか。対案を出して下さい。

    関連項目

『マルクスの空想的社会主義』

緑の党

2013年01月28日 | マ行
 日本でも緑の党が出来ました。随分前から色々な動きがあったようですが(詳細はウィキペディアで読めます)、昨年2012年の7月に出来た緑の党は「少し」期待できるかな、と見守っています。

 昨年暮れの総選挙の結果について、次のような「見解」を発表しています。先ず、それを全文引きます。

参考資料

【見解】総選挙結果を受けて──市民自身の手で政治を切り拓こう
                    2012年12月20日 緑の党運営委員会

 第46回衆議院選挙は「自民圧勝」の形で終わりました。しかし、「圧勝」した自民党の比例獲得議席は、政権から転落した2009年時の議席と大差なく(註1)、小選挙区・比例区の得票数ともに前回を下回り(註2)、政党としての支持はむしろ低下しています。今回の結果は、投票率の低さも含め、有権者の消極的選択の結果です。多様な民意を反映できない小選挙区制度も、この歪んだ結果を生み出した大きな要因のひとつです。国の巨額の借金や原発事故など、民主党が背負った負の遺産は、自民党が作りだしてきたものであったことも軽視されるべきではありません。

 しかしそれらの背景はどうあれ、2009年の政権交代で広がったかに見えた民主的な政治空間は、民主党自身の混迷とその結果としての政権再交代によって極端に狭まってしまいました。原発再稼働や改憲・安保外交問題、大型公共事業の再開など、警戒すべき多くの課題を私たちは目の前にしています。

 今回は昨年の「3.11」以降初の総選挙であり、原発推進の是非をはじめ、日本社会のあり方を問うはずのものでした。しかし、有権者は既成政党の政局争いや選挙目当ての離合集散劇に辟易し、政治そのものへの不信を増大させ、多くの人々が投票を放棄して、政策課題の争点を問うような選挙とはなりませんでした。被災者の生活再建も、沖縄の基地問題も、ワーキングプアなどの問題も、放置されたままです。私たちは、脱原発を目指す広い枠組みで東京比例ブロックなどに挑戦することを追求してきましたが、実現させることができませんでした。私たちが推薦・応援した多くの候補も当選に至らず(註3)、私たちの準備と力量の不足も重く受け止めなければなりません。

 こうした中で、新党「今はひとり」を立ち上げ、東京8区で公示直前に立候補表明し、脱原発や反TPP・反消費税・反改憲などを掲げて石原伸晃氏に挑んだ山本太郎さんは、知名度だけではなく、その純粋で真っ直ぐな訴えによって多くの有権者の心を打ち、25%もの得票率を得ました。この訴えに共鳴し、多くの市民がボランティアとして参加し、生き生きと感動的な選挙戦をたたかい抜き、緑の党も事務所を提供するなど全面的に支援しました。今回の衆院選全体の暗雲のような状況の中で、ここには、私たちの未来の大きな希望のひとつがあると言っても過言ではありません。

 これらの結果から、私たちは、選挙目当ての離合集散と政局に明け暮れる既成の政党や政治家に頼るのではなく、市民自身の手による政治勢力を立ち上げ、市民自身が政治を切り拓いていくことが、困難ではあってもいかに重要で必要であるか、あらためて確信するものです。

 来年夏の参院選まで時間はありません。原発の是非の議論のその先にある、私たちが目指すべき社会──質素でも心豊かに暮らせる社会に向けたビジョンとそのための政策を、ストレートに、熱く市民に訴え続けることが必要です。私たちは、仲間を増やし、日本で初めての、そして複数の「緑の党」の議席を国会の中に実現させるために、全力で取り組んでいくことを決意します。



1:比例区獲得議席は55(2009年)→57(2012年)でわずか2議席の増。
2:小選挙区は2729万票(2009年)→2564万票(2012年)で165万票の減、比例区は1881万票(2009年)→1662万票(2012年)で219万票の減。
3:神奈川 阿部とも子さん(未来)が重複立候補で比例当選し、それ以外の推薦候補は当選に至らず。
資金

候補者1人あたりの供託金は比例区で600万円、選挙区300万円です。
活動資金も含め1億円が必要となります。

2012.12.1現在、1732万1583円のカンパをいただきました!
誠にありがとうございます。

年内の目標3000万円まであと1267万8417円。
あとわずかな期間ですが、目標達成に向けて、
ぜひ歳末カンパのご協力をお願いします!(引用終わり)

 感想を箇条書きにします。

1、なぜ1億円なのでしょうか。恒常的に資金の問題はどう解決して行くのでしょうか。幹部への給与はいくら出しているのでしょうか。こういった事を発表するべきです。

2、今は変わったようですが、最初のスローガンは「エコでフェアでピースな世界をめざして」でした。カタカナの多用は感心しません。

3、広報の手段としてメルマガとニュースレターを使っているようですが、感心しません。2つにする理由が分かりません。メルマガは行間が詰まっていて、読みにくいです。

 ブログにして、毎週、活動報告をすると同時に、共同代表の4人が交代で問題提起を行うと好いでしょう。そして、そのコメント欄を使って公開討論をするべきでしょう。これが「参加型民主主義」だと思います。

 そもそも現在党内でどういう議論が行われているのかが分かりません。これでは自民党以下です。ドイツの緑の党は「既成政党に反対する党」というスローガンを掲げたようですが、既成政党のどこがどう間違っているのか、議論するべきです。

4、外国に住んでいる協力者に先方の「緑の人々」のやり方をレポートしてもらうと好いでしょう。先輩から学ぶべきです。

5、議席を増やす方法として、現在議席を持っている方が次期の選挙で出る事を目標にしている人を「秘書」として雇い、20万円程度の月給を払うが制限を付けないで自由に活動させる(ブログでの報告は当然)ようにするとかいった案がなく、ただ「議席を増やす」では組織性がゼロです。

6、権限のある地位についても、その能力がなければ市民を失望をさせて後退するだけです。党として、政治と行政の「包括的な百科辞典」をネット上に作って行くといった遠大な計画を実行するべきです。これが事実上のシンクタンクになるのです。

    関連項目

高木仁三郎論に思う


「魔の山」と「菩提樹」

2012年12月06日 | マ行
        赤川 次郎

 97歳で、なお健筆をふるわれる吉田秀和さんの自伝的評論(というか評論的自伝というか)「永遠の故郷郷」(集英社刊)全4巻が完結した。手もとに1巻だけあるが、パラパラとめくって、とても仕事の合間に気軽に読める本でないことだけは分かった……。

 完結を記念してのインタビュー記事を読んで、トーマス・マンの「魔の山」のラストで、主人公ハンス・カストルプが口ずさんでいる歌がシューベルトの「菩提樹」だということを初めて知った。

 私が「魔の山」を読んだのは、クラシック音楽を聴き始める前の高校生のころだったが、もし聴いていたとしても気付かなかっただろう。「トニオ・クレエゲル」を読んでから、マンに熱中していた時期で、「魔の山」も、筑摩世界文学大系の大冊を2日ほどで読み切ってしまった(佐藤晃一訳)。

 「魔の山」は、善良で純情な青年ハンス・カストルプが、スイスのダヴォスにある結核の療養所(ベルクホーフ)に従兄を見舞うところから始まる。ここで自分も結核にかかっていると分かったハンスはそのままとどまることになる。

 様々な国の人間が暮らす「ベルクホーフ」は第1次大戦前のヨーロッパの縮図で、特に、伝統的なヒューマニズムを信じるゼテムブリーニと、虚無的なユダヤ人、ナフタの2人が、いわば白紙のハンスに影響を与える。

 10代の私にこの本がどれほど理解できたのか、怪しいものだが、約3分の2ほどの所にある「雪」の章が、この本の核心を成していることは間違いないと思う。スキーを覚えたハンスが、一人雪山へ入って道を見失い、太古の沈黙の中で死の誘惑に直面する。しかし踏みとどまったハンスは、「人間は善良さと愛とを失わないために、死に思想を支配させてはならない」と決心して、無事に雪山を脱出するのだ。

 その意味が分かっていたかはともかく、高校生の私にも、この言葉は強く響いてきた。

 論敵だったゼテムブリーニとナフタは、ついにピストルで決闘することになる。チャイコフスキーのオペラ「エフゲニー・オネーギン」の決闘の場で、私はいつもこの雪山の決闘の場面を思い出す。

 ゼテムブリ一ニは弾丸を空に向かって撃ち、それを見たナフタは自らこめかみを撃ち抜いて死ぬ。この2人は、おそらくどちらも現実の世界では生きられない存在なのである。未来に絶望しているようなナフタは、この後にドイツを覆うナチスの影を予感させる。

 ハンスは「ベルクホーフ」で7年間を過ごす。その彼を現実世界へ連れ戻したのは第1次大戦だった。祖国のために銃を取ったハンスは、死の戦場で泥にまみれて歩みながら、「菩提樹」を口ずさむのである。

 シューベルトの「冬の旅」は、暗く希望のない歌曲集だが、その中で「菩提樹」は唯一、あたたかな印象を与える曲だ。

 トーマス・マンは「魔の山」を「菩提樹」で閉じることで、何を言おうとしたのだろう? いつか、「魔の山」を再読する時間があれば……。

 (朝日、2011年03月03日)

    感想

 強く印象に残った文章だったので、何か書きたいと思いつつ、今日までそれを果たさずに来ました。今日もまだ書けません。

 その後の変化としては、客観的な事では吉田秀和さんが亡くなった事があります。私の方の事としては、第1次世界大戦の実情を描いた映画「西部戦線異常なし」を見たこと(多分、本もそうだったのでしょう)、『チボー家の人々』を遅まきながらようやく通読して、大戦前夜の雰囲気の一端を知ったこと、です。

 『菩提樹』の解釈については関口存男(つぎお)さんの解説を参照する必要があると思います。あれをただ「あたたかな印象を与える曲」と評するのは違うのではないでしょうか。音痴の私が音楽にも造詣の深い赤川さんに何かを言うのは僭越ですが、関口さんの説明からはむしろ「死の誘惑を振り切って進む心情」にピッタリだということになると思います。

          関連項目

『菩提樹』の解釈

水うちわ

2012年09月06日 | マ行
 透けるように薄い和紙が特徴の「水うちわ」は、岐阜で生まれた。明治半ば以降、船で長良川の鵜飼いを見物する人たちが、水うちわを川の水でぬらし、あおいで風流を楽しんだという。一度は途絶えたが、10年ほど前に復活。生産量も少しずつ伸びている。

 水うちわに使われる和紙は「雁皮紙(がんぴし)」で、山に自生する低木ガンピの皮が原料だ。岐阜県美濃市の手すき和紙工房「コルソヤード」の澤木健司さん(32)と倉田真さん(33)は、6年前からガンピ100%の雁皮紙を作っている。

 水うちわを製造する岐阜市の家田(いえだ)紙工の家田学社長(51)からの依頼が発端だった。当時、美濃に雁皮紙の職人はおらず、2人は過去に作った経験をもつ師匠たちに頼った。「サッとすいて」「ひょひょひょっとな」。そんな表現をもとに試行錯誤を重ねた。「想像して、手探りで積み重ねてきました」と倉田さんは振り返る。

 和紙の原料で一般的なコウゾ、ミッマタに比べ、ガンピの皮の繊維は細くて薄い。密度が高く、強度と透明感のあるフィルム状の紙ができる。

 だが、ガンピの木は細くて傷つきやすく、皮にはゴミが多い。冷たい流水の中で汚れや傷、小さなちりを取り除く下処理に、他の原料の3~4倍は時間と手間がかかる。すくときは粘り気があって水が抜けにくい。1枚ずつ天日に干す際に破れるものも多く、当初は9割が失敗作だった。

 「年々上達していますし、まだ新しい発見があります」と澤木さん。大量生産できないため、夏前に売り切れる水うちわも多いという。

       (朝日、2012年07月19日。坂本亮子)

マグネシウム循環型社会

2012年08月22日 | マ行
 太陽光や風力などのエネルギーを、ありふれた金属であるマグネシウムの形にしてため、電池などとして使用。あとにできる酸化マグネシウムを再生して繰り返し使う。天気まかせの再生可能エネルギーの弱点を補う「マグネシウム循環型社会」を東工大の教授らが唱えている。

 太陽や風、地熱など自然の力に頼る再生可能エネルギーが注目されて久しい。石油、石炭、天然ガスなどと違い、エネルギーを取り出す際に地球温暖化の原因となる二酸化炭素や有害な窒素酸化物などを出さないクリーンなエネルギーだ。

 だが、輸送、貯蔵し自由に使える石油やガスに比べ、太陽や風は、天気しだいなため、必要な時に発電できるとは限らない。電力需要に合わせその都度発電量を変えなければならないが、調整できない。再生可能エネルギーはこうした欠点があり、主要なエネルギー源として普及させるのは難しいとされている。

 ありふれた金属であるマグネシウムで問題を解決する独創的なアイデアを唱えているのが東工大の矢部孝教授だ。マグネシウムは、地殻に存在する金属の中でナトリウム、カリウムなどにつぐ6番目に多い元素だ。実用金属の中でもっとも軽い。酸化しやすく、燃やせば石炭の約8割の熱量を得られるが、酸化マグネシウムになるだけで有害な物質は出ない。価格以外は理想的な燃料だ。

  何度も精錬が可能

 「マグネシウムを『エネルギー通貨』として使うんです」と矢部孝教授は言う。再生可能エネルギーをマグネシウムという貨幣に換えて流通させ、貯金し、エネルギーが入り用になったら引き出して使う。使ってできる酸化マグネシウムを再生可能エネルギーでマグネシウムに戻し、何度もリサイクルする。「マグネシウム循環型社会」だ。

 もともと矢部教授は、太陽光で低コストのレーザーをつくる研究をしていた。そのレーザーの実用的な使い道としてマグネシウムの精錬を思いついた。

 現在、主に中国でドロマイト(苦灰石)という鉱石から安価な石炭の熱を使ってつくられている。価格は重さ1㌔あたり250円程度。ドロマイトは炭酸マグネシウムを含む。石灰石といっしょに大量に産出し、日本にも豊富にある。ドロマイトの精錬にマグネシウムの重さの10倍以上の石炭がいるので、エネルギーの収支は大幅赤字だ。

 太陽光レーザーでドロマイトからもマグネシウムはつくれるが、矢部さんが目を付けたのは海水だ。マグネシウムが0,129%含まれ、総量は1800兆トンにもなる。海水から水と塩を除いた後に残るにがりの主成分が塩化マグネシウムだ。

 マグネシウムを精錬するには400Wの出力のレーザーがいる。現在、2メートル四方の安価なフレネルレンズで太陽光を集めて、半導体のレーザー発振器に入れ、レーザーを作っている。昨年120Wを達成し、今年の目標は200E。レンズの透明度や半導体の効率の改良で400Wもいずれは可能という。4平方メトルあたりの太陽エネルギーは4000Wなのでそれでも変換効率は10%に過ぎない。現在の製法より初期の設備投資が高いが、ランニングコストがほとんどかからないため、最終的に原価は10分の1程度になるという。

  次世代電池生産へ

 エネルギーとしての利用技術はレーザー精錬より進んでいる。矢部さんらはマグネシウム空気電池という次世代の電池を開発した。マグネシウムの重さあたりの電力はリチウムイオン電池の7,5倍。30㌘のマグネシウムでスマートフォンを1ヵ月動かせるという。現在の価格でも8円ほどだ。特許を取り、ベトナムの国営電機企業と6月に調印。ハノイのテレビ工場を改造し、1年以内の生産開始を目指している。

 電気自動車を300㌔走らせるのに約20㌔のマグネシウムが必要で、現在の価格ではガソリンに対抗できないが、電気自動車としての燃費と走行距離はかなりいい。電池のマグネシウムはカートリッジにして交換できるようにし、使用後にできる酸化マグネシウムを回収してレーザーで再生する。

 さらにマグネシウムは火力発電の燃料にも使える。水を反応させると水素が発生し、熱で再び水素から高温の水蒸気ができる。これでタービンを回す。無害な水蒸気と酸化マグネシウムだけだ。

 マグネシウム社会に向けた大きな課題は、「それを受け入れる社会をどうやってつくるか」という。例えば、電池は充電式でなければならないという頑固な意見があり、電池の燃料を外から入れることに抵抗がある。矢部教授は「こうした車や家電などの製造会社の意識が変わらないとなかなか受け入れられないだろう」と見る。
 (朝日、2012年08月20日。鍛冶信太郎)

          関連項目

再生可能エネルギー一覧

政治オンチのプレゼン力、村上陽一郎論

2012年08月20日 | マ行
 「自己表現や発信を重視する『プレゼン』の時代」だそうです。朝日紙は07月08日から何回かに分けて、「その動きを教育の視点から追う」記事を連載しました。その第1回の記事では、横浜サイエンスフロンティア高校の生徒がiSP細胞の研究者として名高い山中伸弥教授の前で発表する様子と立命館高校の理数コースの高校生が「植物の屈性」について英語で発表する様子を紹介した後で、最後に次の文がありました。

        

 こうしたグローバル化を見据えた試みを先取りするかのように、鳥取県立倉吉東高校は10年前から毎年、夏休みを利用し「国際高校生フォーラム・1n倉吉」を開いてきた。長野県松本深志、静岡県立浜松北など地方の進学校や英国、韓国の高校など10校前後が集う。

 各校20分以内でパワーポイントを使ってプレゼンし最優秀、優秀校を決める。2時間にわたり討論もする。

 テーマは「21世紀の世界秩序」「限りなく発達する科学・技術と人間の精神性のあり方」「世界の食料問題とその解決策」などだ。

 ゲストには、教育社会学の苅谷剛彦、科学史・科学哲学の村上陽一郎、社会経済学の佐伯啓思(けいし)の各氏ら、第一線の研究者を招く。発表へのコメントももらう。

 「21世紀は世界規模の答えのない問いを身もだえしながら考え、人の前で表現する力こそ必要だ」。

 校長としてフォーラムを始めた岡本康さん(69)はいま改めて、そう思う。(引用終わり)

 では、ここでゲストとして名の出てきます3氏がどのような「プレゼン」をネット上でしているか、見てみました。苅谷さんと佐伯さんは自分のホームページを作っていないようです。私には分かりませんでした。

 村上さんは私の同級生ですが、さすがにホームページを作っています。が、作り方が下手な上に、内容が貧弱です。その上、最新更新日は2008年のようです。これではホームページの意味がないでしょう。「自分程エライ人間はマスコミが報道してくれるから、ホームページはお粗末でいいのだ」と思っているのでしょうか。

 現在、東洋英和女学院大学とかいうところの学長をしているそうですので、その大学のホームページを見ました所、「学長挨拶」がありました。しかし、日付が載っていませんでした。私は、学生に、「文章には必ず年月日を入れるように。後で必ず役立つ。日付のあるのと無いのとでは資料としての価値が全然違う」と話します。村上さんの「教養」にはこういう常識は入っていないようです。

 「学長便り」もありましたので開いて見たら、そこらの学校長のと同じような「式辞」ばかりでした。大学の学長というものは学生と「学問とは何か」を議論しなければならない、という考えは氏の教養にはないようです。

 最近、原子力ムラの先生方が電力会社等からいろいろな名目で金を貰っていた事が知られるようになりました。村上さんの名はまだ出て来ていないようですが、経済産業省総合資源エネルギー調査会の原子力安全・保安部会の部会長を務めていた氏がこの件について何も言わないのはなぜでしょうか。普通に考えれば、氏にも疑惑の掛かっている事は気付いているでしょうに、自分から説明するのが「説明責任」ではないのでしょうか。

 続いて、この記事に名の出ていた横浜サイエンスフロンティア高校と立命館高校と浜松北校のホームページを見て見ました。いずれの校長も「挨拶だけの校長」でした。

 「21世紀の世界秩序」「限りなく発達する科学・技術と人間の精神性のあり方」「世界の食料問題とその解決策」などといったテーマ設定では抽象的に過ぎます。半生を社会運動に捧げて来た経験からの現時点での結論は、次の通りです。

 ①経済体制の如何に関係なく国には公務員が必要である。
 ②「権力(公務員)は必ず腐敗する」というのは鉄則と言って好い位に根強い現象である。
 ③しかるに、組織はトップで8割決まるから、特に幹部公務員の堕落(現象形態は様々)を如何にして防ぐかが根本問題である。
 ④住民の「臣民根性」(行政の長を小天皇と崇(あが)める態度)も抜きがたい悪習であり、これを如何にして変えるかも根本問題である
 ⑤従って③と④を同時に追求する理論と方法と行動が大切である。
 ⑥人間のする事で100点満点ということはないので、例で言うと、50点の行政を好くするには60点以上の人が出てこなければならないので、自分を高める事が大前提である。

 従って、結論としては、自分のプレゼン力を高める努力をしつつ、学校(校長)のプレゼン力(学校のホームページ)、市長のプレゼン力(市役所のホームページ)、知事のプレゼン力(県庁のホームページ)の在り方を批判的に検討する授業や練習を同時に進めて行くのがベターでしょう。

 後者からは、それでは学問的に正しいホームページはどうあるべきかという問題意識が出てきます。これにどう対処するかでその人の行く道は大きく違ってくるでしょう。

     関連項目

城南静岡高校と「まなびや」

大学ホームページの必要条件

学校ホームページの必要項目


毛沢東、実践論、矛盾論

2012年07月25日 | マ行
 ★ 実践論

 01、反省的認識とは一般に、実践過程を必然的に伴っており、そしてそれによって制約されるものである。ここにいう「反省的認識」とはもちろん外的現象から内的本質を捕らえる、いわば「外的反省による認識」を意味する。だから、このような反省的認識とは、内化の運動として規定することができよう。

 毛沢東の『実践論』における業績といえば、一般に、ただこうした反省的認識の実践的構造を明らかにした、という点にあるであろう。すなわち、毛沢東はいう。

 「マルクス主義者は、人類社会の生産活動は、低い段階から高い段階へと一歩一歩発展してゆく。したがって、人間の認識もまた、自然界に対してであれ、社会に対してであれ、やはり低い段階から高い段階へ、すなわち浅いところから深いところへ、一面から多面へと一歩一歩発展してゆくものと考える。」

 ここで明らかに毛沢東は、実践過程の発展に認識過程の発展が対応するものである、ということを説いているのであろう。(許萬元『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』大月書店)

  感想・矛盾論についての批評の「原注」にある実践論についての批評は大分否定的になっている。

 02、読者・今思い出したのですが、毛沢東の『実践論』にも「理性的認識から実践に向わなければならない」というような、当為的解釈があったのではありませんか。

 牧野・ええ、そうなんです。自称マルクス主義の哲学では昔から当為的解釈が無自覚に通用していたのですが、戦後の日本でこの当為的解釈を強めた力の一つは、私も毛沢東の『実践論』だったと見ています。

 断っておきますが、私は『実践論』の意義を全面否定するものではありません。あれはまだまだ水準の低いものですが、中国革命の当時においてはあれでも巨大な実践的意義を持ったこと、理論内容の点でも唯物論的認識論の根本はかなりしっかりおさえた原則性の高いものであること、それが普通は「認識論」と呼ばれているテーマに「実践論」という名前を付けたことに端的に現われていること、この三点はしっかりおさえておかなければなりません。

 しかし、毛沢東はやはりへーゲルを直接研究していないので、細かい点にはいくつか問題があり、この理論と実践の統一の問題についても問題を残しています。毛沢東は要するに、あの本の前半ではこれを「一致している」という事実命題に取り、後半では「統一させるべきだ」と当為命題に取っているのです。ということは、この問題について毛沢東は首尾一貫していないということであり、なぜそうなったかと言うと、こういう問題があることすら自覚していなかったからです。私の今夜の話をよく聴いて、それからもう一度『実践論』を読み直してみるとはっきりするでしょう(1) 。

 (1) 毛沢東がこれを発表した本当の目的についてはこの論文を書いた当時は気づいていませんでしたが、本書所収の「毛沢東『実践論』(牧野紀之訳)の註解の中に書きました。
(牧野紀之編著『理論と実践の統一』(論創社)377-8頁)

 ★ 矛盾論

 01、それまでにも矛盾の普遍性と特殊性ということは言われていまして、そして特にその普遍性については、ブハーリンの問題やデボーリン批判の中で、
 ・どこにでも矛盾があ-ること(矛盾の遍在性)と
 ・矛盾は過程の始めから終わりまでつねにあるのであって、過程の一時期にのみ現れるものではないこと(矛盾の貫通性)
として確認されていたのですが、毛沢東の功績は、矛盾の特殊性の問題を深めて、主要な矛盾と矛盾の主要な側面という観点を明確に打ち出したことだろうと思います。

 欠点は矛盾の個別性というものに気づいていないことことです。

 矛盾の個別性とは、あらゆる矛盾は結局一つの矛盾に流れ込み、又そこから出ていくということです。

 それは「自我」です。(牧野『ヘーゲルの修業』40頁)

 02、毛沢東は唯物弁証法を『矛盾論』としてとらえた。これはレーニンが弁証法を「対立の統一にかんする学」と定義した命題に完全に即応したものであった。そしてこの『矛盾論』も前著〔実践論〕と同様、実践的見地のもとに書かれている。そのため、『矛盾論』では「矛盾の特殊性」にかんする考察が主要な部分をなし、矛盾をいかに処理すべきか、という問題に主要な関心が注がれている。毛沢東にしたがえば、現実過程は複雑な多くの特殊矛盾の複合体であり、根本矛盾を軸とした主要矛盾と従的矛盾という形で1つの重層構造を形成しており、過程全体には根本矛盾が貫徹しているが、過程のそれぞれの段階には主要矛盾の主要な側面が支配的役割を演じている。

 このように、『矛盾論』が現実過程における多くの特殊矛盾の複合的な重層的構造を解明した点で、それはまったく独創性に富んでおり、今日のフランスの「構造主義的マルキスト」の一人であるアルチュセールによって、まったく異なった立場からではあるが、あらためて感動的にむかえいれられたとしても、けっして偶然ではないであろう。

 さらに、毛沢東は矛盾の処理にかんする実践的課題について、敵対的矛盾にかんしては原則的に敵対的方法で処理し、非敵対的矛盾にかんしては原則的に非敵対的方法で処理すべきだと説く。だが、敵対的矛盾と非敵対的矛盾とは一定の条件のもとで相互に転化しあうものとされ、したがって敵対的矛盾も条件しだいで非敵対的に処理でき、また逆に、非敵対的矛盾も条件によっては敵対的に処理すべきだ、と説かれている。

 とはいえ、今日の理論的水準から次のような欠陥が指摘されうる。第1に、毛沢東の『矛盾論』が実践的課題に直接に即応した現象的特殊矛盾の解明に主力が注がれているために、矛盾の現象論的類型化にとどまり、類型化された諸矛盾がさらに相対主義的にのみ説かれているだけで、確固たる必然性の見地が欠けている。

 だから、何が主要矛盾であるか、敵対的矛盾か非敵対的矛盾か、という問題は純然たる条件論法か機能主義に帰着してしまい、論者たちがしかるべき条件をいろいろ持ち出して勝手に主張をやっても、それを決定づけるものは何もないことになろう。

 第2に、弁証法的矛盾の本質、他の諸法則との関連を理論的にほりさげる、という問題は未展開のままに残されている。また、「矛盾の普遍性」や「矛盾の同一性と闘争性」が古典家たちの命題のくりかえしに終わった観がある。

 (原注)『矛盾論』のこうした欠陥は『実践論』そのものに根ざしていることも否定できないであろう。『実践論』はレーニンが大局的に指摘した「直観→思考→実践」の論理を具体化せず、そのまま認識においてなんらの必然的中間項もなしに感性から広義の理性への飛躍が述べられている。しかし、そうした理性は実際にはまだ感性的素材にとらわれた経験的理性かあるいは感性に対立させられただけの悟性的な理性でしかないであろう。毛沢東の『実践論』が依然として経験主義的性格を克服できず、『矛盾論』において経験的矛盾のたんなる類型化とその実践的有用性の問題に終始しているのもけっして偶然ではないであろう。(原注終わり)

 第3に、毛沢東の『矛盾論』は彼の『実践論』との統一において理解されるべきものだと思われるが、毛沢東自身はかならずしも両者の関連を明らかにせず、あたかも別個のもののように叙述している、という欠陥をもっている。だから、現象的矛盾についての感性的認識と矛盾の本質論的・理性的認識との次元的差異と連関についてはほとんどふれられていない。このことは毛沢東弁証法においても、依然として「認識論としての弁証法」というレーニンの問題提起が未展開のままになっていることを示している。(許萬元「弁証法」、増補版『ヘーゲルにおける現実性と概念的把握の論理』大月書店268-270頁)

      関連項目

「マオ」を読む

毛沢東の名言


マキペディアの実績(1日当たりの平均)

2012年07月19日 | マ行
2012年02月26日~03月03日、1573PV、241人、4037位(168万9791本中)
2012年05月13日~05月19日、1095PV、260人、3332位(171万8988本中)
2012年07月08日~07月14日、1068PV、269人、3191位(173万9509本中)

 感想・訪問者数は微増です。PVは落ちました。順位は上がりました。

なお、2012年07月17日、閲覧者数406名で、174万0502本中1522位という新記録が出ました。


   これまでの上位3番は以下の通りです。

1522位、174万0502ブログ中、406名、2012年07月17日
2551位、152万4510ブログ中、322名、2011年01月21日
2722位、174万0131ブログ中、289名、2012年07月16日

    PV数の上位3番は以下の通りです。

2170、2012年03月11日
2165、2012年03月28日
2142、2011年12月15日




みどりの党(フランス)

2012年07月18日 | マ行
 6月17日に行われたフランス国民議会(下院、定数577)の決選投票において、フランス緑の党は18議席を獲得し、初めて会派を形成するのに十分な議席を得た。

 当選は女性9人、男性9人でバランスのとれた代表となった。これにより、緑の党は下院議員18名(大臣であるセシール・デュプロを除くと17名)、上院議員11名、欧州議会議員16名及び2名の大臣を擁する政党となった。

 フランス緑の党は与党・社会党と連立政権を組んでいる。単独過半数を上回った社民党と緑の党などの議席をあわせ、下院で左派が10年ぶりに優勢となった。これにより、大統領と上下両院の多数派を左派が占めることになる。
 (みどりの未来、2012年06月28日号)

  感想

 フランスでエコロジー運動が生まれたのはドイツで緑の党が出来たのとほとんど同時期だったように記憶しています。1980年前後でしょう。それなのに政治への進出と影響では大差がついています。どうしてでしょうか。

 日本でもかつて1度「みどりの党」が作られたはずです。間もなくつぶれたのでしょう。今回、再度作られるようです。今度は発展してほしいと思っていますが、注意深く見守るつもりです。

     関連項目

高木仁三郎と(ドイツの)緑の党

マキペディアの実績(週間平均記録)

2012年05月20日 | マ行
2012年02月26日~03月03日、1573PV、241人、4037位(168万9791本中)

2012年05月13日~05月19日、1095PV、260人、3332位(171万8988本中)

 感想・訪問者数は増えましたので順位は上がりましたが、1人当たりの閲覧頁数が6.5頁→4.2頁へと減った(正常化した?)ので、PV数は落ちた、という事ではないでしょうか。

正岡子規

2012年04月06日 | マ行
                     歴史研究家・河合敦

 俳人・歌人の正岡子規は、30代の若さで脊椎カリエス(結核性脊椎炎)のため寝たきりになった。だが子規は「病気の境涯に処しては、病気を楽しむといふことにならなければ、生きて居ても何の面白昧もない」(『病床六尺』)と述べ、死の直前まで生を満喫しようとした。

 亡くなる1月半前に「このごろはモルヒネを飲んでから写生をやるのが何よりの楽しみとなつて居る……朝はモルヒネを飲んで蝦夷菊(えぞぎく)を写生した……午後になつて頭はいよいよくしやくしやとしてたまらぬやうになり、終(つい)には余りの苦しさに泣き叫ぶ程になつて来た。そこで服薬の時間は少くも八時間を隔てるといふ規定によると、まだ薬を飲む時刻には少し早いのであるが、余り苦しいからとうとう二度目のモルヒネを飲んだのが三時半であつた。それから復(また)写生をしたくなつて忘れ草といふ花を写生した」(同)と書いている。

 すでにモルヒネを飲まなくては、日常生活も送れない状況になっていながら、あふれ出る創作意欲は驚嘆に値する。しかも「写生ハ多ク モルヒネヲ欽ミテ後 ヤル者卜思へ」と書き付け、己の境遇を諦観している。なんと子規は、死ぬ12時間前まで苦しい息の中で旬をひねりつづけた。仰向けに寝て痩せた手で筆を握り、妹に画板を持ってもらい、弟子の河東碧梧桐に墨をついでもらいながら最後に3句をしたためた。

   糸瓜(へちま)咲きて痰(たん)のつまりし仏かな

 糸瓜水は痰を切るので、結核だった子規も愛飲していたのだろう。もちろん「痰のつまりし仏」とは自分自身だ。すでに魂は身体を離れ、死にゆく己の姿を冷静に見下ろしていたようだ。見事な最期であった。
      (朝日、2012年03月22日)

毛沢東の名言

2012年03月08日 | マ行
 けんかということですぐ思い出すのは毛沢東の言葉である。日中国交回復の話がまとまった後、田中角栄首相(当時)と会った毛は、開口一番「もうけんかは済みましたか。けんかをしなければ本当に仲好くなることはできません」と言ったという。その年の名言の第1に挙げられた有名な言葉である。

 実際、毛沢東という人は鋭い人間洞察力を持った人だったと思う。そうでなければ中国共産党を率いて民族解放を成し遂げることはできなかっただろう。しかし、大指導者必ずしも名言を残しているとは限らない所を見ると、毛の人間洞察が格言的名言という形をとったということは、毛の何らかの資質と結びついていると考えられる。それは彼が詩人であったということではあるまいか。一部には理論家としての毛を高く見る人もいるようだが、私は彼の理論はあまり評価しない。

 中国革命から大きな影響を受けた日本の左翼の間では彼の言葉のいくつかは広く知られている。最も有名なのは「調査なくして発言権なし」かもしれない。しかし、それと並ぶほどよく知られている言葉に「人間は若くて無名で貧乏でなければよい仕事はできない」というのがある。なぜなのだろうか。若くなければファイトがないからではなかろうか。有名になってしまえば駄作でも金が稼げるからではあるまいか。貧乏でなければ死にものぐるいで頑張ろうとはしないからであろう。いわゆる「ハングリー精神」である。

 世の中を見回してみると、この言葉は大体当たっていることが分かる。しかし、完全にそうとは言えない。若くなく、無名でなく、貧乏でなくても、よい仕事をした例もあるからである。すると、何か仕事をしようとして、それをよい仕事にするために人間はどう心懸けたらよいのかを考える時に、この命題はあまり役立たないということになる。こういう所に格言や名言の限界がある。

 「調査なくして発言権なし」にしても同じである。これも一般的には正しいが、これだけでは不十分である。感覚的データが全然なくては発言権以前に発言能力がありえないからである。逆に言えば、あらゆる発言には何らかの調査、見聞が前提されているからである。従ってこの言葉は理論的には実証主義になる危険がある。実践的には、より多くの実証的調査はしているが論理的思考能力に欠ける人々が、データは少ないが深い理解力を持っている人々を抑えつける時に投げつけられる可能性がある。そして、不幸にして、自称革命運動の中でこの可能性は現実となった。

 名言は直観から生まれる芸術の一種である。だからそれは直観と同じ役割を果たし芸術と同じ意義を持つ。しかし、世の中は直観が全てでもなければ、芸術だけで何でも解決できるものでもない。万物はみなロゴスを持っているのであり、そのロゴスを聞き取るには理性が要る。その歪んだ姿に囚われて「りくつ」一般を軽蔑する人は、結局自分がそれに滅ぼされるだけである。

 毛沢東は晩年、プロレタリア文化大革命というものを始めてもうひと仕事しようとした。しかしその時には、彼は若くもなければ無名でもなく、貧乏でもなくなっていた。それなのに自分のかの名言を思い出しもしなかったし、その名言を理論的に深めて考え直すこともしなかった。むしろ自分の名声に頼って事を運ぼうとしたようにさえ思える。

 詩人として優れていた毛沢東は、その長所の故に多くの仕事をし、名言を残した。理論家として劣っていた毛沢東は、その短所の故に引き際を誤り、自分の言葉を裏から証明することになった。(1985年01月11日)