マキペディア(発行人・牧野紀之)

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毛沢東の名言

2012年03月08日 | マ行
 けんかということですぐ思い出すのは毛沢東の言葉である。日中国交回復の話がまとまった後、田中角栄首相(当時)と会った毛は、開口一番「もうけんかは済みましたか。けんかをしなければ本当に仲好くなることはできません」と言ったという。その年の名言の第1に挙げられた有名な言葉である。

 実際、毛沢東という人は鋭い人間洞察力を持った人だったと思う。そうでなければ中国共産党を率いて民族解放を成し遂げることはできなかっただろう。しかし、大指導者必ずしも名言を残しているとは限らない所を見ると、毛の人間洞察が格言的名言という形をとったということは、毛の何らかの資質と結びついていると考えられる。それは彼が詩人であったということではあるまいか。一部には理論家としての毛を高く見る人もいるようだが、私は彼の理論はあまり評価しない。

 中国革命から大きな影響を受けた日本の左翼の間では彼の言葉のいくつかは広く知られている。最も有名なのは「調査なくして発言権なし」かもしれない。しかし、それと並ぶほどよく知られている言葉に「人間は若くて無名で貧乏でなければよい仕事はできない」というのがある。なぜなのだろうか。若くなければファイトがないからではなかろうか。有名になってしまえば駄作でも金が稼げるからではあるまいか。貧乏でなければ死にものぐるいで頑張ろうとはしないからであろう。いわゆる「ハングリー精神」である。

 世の中を見回してみると、この言葉は大体当たっていることが分かる。しかし、完全にそうとは言えない。若くなく、無名でなく、貧乏でなくても、よい仕事をした例もあるからである。すると、何か仕事をしようとして、それをよい仕事にするために人間はどう心懸けたらよいのかを考える時に、この命題はあまり役立たないということになる。こういう所に格言や名言の限界がある。

 「調査なくして発言権なし」にしても同じである。これも一般的には正しいが、これだけでは不十分である。感覚的データが全然なくては発言権以前に発言能力がありえないからである。逆に言えば、あらゆる発言には何らかの調査、見聞が前提されているからである。従ってこの言葉は理論的には実証主義になる危険がある。実践的には、より多くの実証的調査はしているが論理的思考能力に欠ける人々が、データは少ないが深い理解力を持っている人々を抑えつける時に投げつけられる可能性がある。そして、不幸にして、自称革命運動の中でこの可能性は現実となった。

 名言は直観から生まれる芸術の一種である。だからそれは直観と同じ役割を果たし芸術と同じ意義を持つ。しかし、世の中は直観が全てでもなければ、芸術だけで何でも解決できるものでもない。万物はみなロゴスを持っているのであり、そのロゴスを聞き取るには理性が要る。その歪んだ姿に囚われて「りくつ」一般を軽蔑する人は、結局自分がそれに滅ぼされるだけである。

 毛沢東は晩年、プロレタリア文化大革命というものを始めてもうひと仕事しようとした。しかしその時には、彼は若くもなければ無名でもなく、貧乏でもなくなっていた。それなのに自分のかの名言を思い出しもしなかったし、その名言を理論的に深めて考え直すこともしなかった。むしろ自分の名声に頼って事を運ぼうとしたようにさえ思える。

 詩人として優れていた毛沢東は、その長所の故に多くの仕事をし、名言を残した。理論家として劣っていた毛沢東は、その短所の故に引き際を誤り、自分の言葉を裏から証明することになった。(1985年01月11日)


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