植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

ああ、夢でよかったと思うより、夢で過去を反省することがなかなかつらい

2019年11月15日 | 日記
フロイトによると、人間の夢は、人が無意識の中で生じている葛藤や欲求が、それを象徴する形で現れ、願望の充足のために見るのだそうです。夢の中に現れる姿形や情景を分析することによって、その人が潜在的に無意識のうちにどういう心理状態や欲望があるのかを知ろうとする手法ですね。
ワタシが若い頃に読んだフロイトの「夢判断」は本能的な行動とりわけ性衝動に起因する夢が多いという印象を持ちました。その後彼の弟子であるユングや、アドラーあたりが、心理分析の手法を確立させ現在のカウンセリングなどにも大きな影響を与えているようです。

ワタシは、カウンセリングや心理学などには全く無縁の人間ではありますが、若いころから見続けている(目覚めた後にも覚えている)夢については、自己分析をし、自分が今ある状況を客観的に見つめることは有益ではないかと考えて居ります。なぜこんなに同じような夢が繰り返し出てくるのか、例えば空を飛ぶ夢は自分が自立したいと思っている気持ちの表れ、旅行に行く夢は現状がつまらない、物足りないと考えている、みたいなことですね。

これらの心理分析は、どちらかといえば経験が少ない若者、純真な状態の人を分析するには適当なのでしょうが、さすがに人生も長くなると、そう単純に割り切れなくなります。現実と大差ないもっと生々しい夢や、過去に起きた不愉快・不都合な出来事がフラッシュバックするようなことも多々あります。

 ワタシも、50歳を過ぎたあたりから、とても酷い楽しくない夢が連夜の如く出てくる時期がありました。火災・交通事故・大地震・強盗などで、怖くて上げた自分の大声で目覚めることさえ何度もありました。それが、あまりに続くので枕元に日記帳を置いて目覚めた時に記録したほどです。この頃の自分の心理や社会人としての生活はフラストレーションや葛藤・軋轢にさいなまれていたのでしょう。

 また、繰り返し出てくる夢の中では、仕事をさぼったつけで顧客に迷惑をかけるとか、約束の時間に間に合わない、学校の単位が不足しているといったことが多かったですね。これらは、今の心理状態というより、心残り・悔恨・かつてのトラウマみたいなものが定期的に夢になって現れるとしか言えません。これを一般には「寝覚めが悪い」と言いますな。過去の好ましくない行為をどこか引きずって今に至っているわけです。

「大学を再受験する、大学の授業に出られない」などの夢は、怠惰な不良学生だった私の悔いであります。まともに出席もせず勉強を怠ったまま大学を卒業したことへのうしろめたさでありましょう。大学に入りなおして、きちんと卒業したいという健全な願望が払しょくできないのですね。

在職中の夢はあらかた失敗や不愉快なことばかりです。これも身から出たさび。今となっては何も取り返すことが出来ないというのに。
 あのトムハンクス主演の「グリーンマイル」のように、自分が犯した罪が、100年以上経ってもも不死という罰を与えられたと述懐するシーンを思い出します。わたしはそれほどの大罪はしていませんが(笑)

今はっきり言えるのは、いつまでたっても(おそらく死ぬまで)忘れられず後悔するような過ちや不作為・怠慢などは、若いうちからこれを固く戒め、日々まっとうに生きるべきであった、という反省であります。

まだあらたむるに遅くはありませんが・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする