植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

そんなに勲章が欲しいか

2019年11月13日 | 時事
ワタシが住む町内の隣町の自治会長が、何十年の間その職を下りずに、自治会を私物化しているという話を聞きました。会計も人選も不透明なままで、旧態依然とした運営を続けるので、住民も困り果てている、ということでした。どうもその座を降りない理由が叙勲を受けたいからなのだそうです。自治会長は、国勢調査員、保護司、民生委員、調停委員などと同じく、報酬がほとんどない公共性のある役職を長年続けたとして、70歳以上を対象に勲章が与えられるのです。その方はどうやら叙勲の栄誉を待たずして他界したそうでありますが。

叙勲制度は、海外でも数か国しか無い珍しい制度です。軍隊に限定すれば恐らくどの国でも軍功に対して表彰する制度はあるのでしょうが。

春と秋2回に分けて1万人近い人が表彰されるそうですが、ほとんどが公職についていた人、あるいは公共性が高い仕事に従事している方たちが受賞しています。
過去には、色んな理由で拒否した方も大勢います。また、その廃止を訴える識者の方も少なくありません。

叙勲が何故今の世にふさわしくないのか。
 まず、公務員や議員・公職者に優先的に推挙されるものだからですね。役人のためにあるといってもいいくらいで、一般の民間でコツコツ働いた納税者とのアンバランスは顕著です。危険な仕事に就いたという理由で表彰対象になる警察官や消防署員も大勢が表彰されます。しかし、公務で殉職した人の数は年間数十人、民間で仕事中に交通事故などで亡くなる方などとは比べ物にならない少数です。
 更に、議員・公務員は職業として給料を貰っており安定した身分と手厚い収入のなかで、なぜそれが褒章の対象になるのかということです。ボランティア活動・無報酬であったなら受賞する資格はあるでしょう。
 そもそも、国民に対してお国が序列をつけ位階を決めていいのかという問題です。国民一人一人が一生懸命生活し義務を果たしているのに、役人が勝手に功績を決めて勲章の色をつけるのです。
 それから、勲章を餌に、政府がマスコミ・財界・役所のコントロールを行い誘導していることもあり得るのです。現に権力から勲章をもらうことが政治利用につながることを危惧するマスコミのトップの方もいらっしゃいます。
 個人情報を簡単に外部に流出しているシステムでもあります。

こうしたことを考えると、叙勲を受けるために活動するような浅ましい人たちのための制度は廃止すべきなのでしょうね。

さて、「桜を見る会」であります。1952年から催されているという首相主催の会で、功績功労のあった方を「政府が招く」公式行事です。
これに、参加している人たちの人選やその功労に疑問が生じ、更に安倍総理が私的な支援者を多数呼んでいるということが問題になりました。これは、叙勲の構造と同じでありますね。桜を見る会に呼ばれたという勲章欲しさに首相や役人におべっかをつかうわけです。お金も。
 地元の後援会が取りまとめて、参加者を募り観光バスで1000人近い後援者が詰めかけて前夜祭では会費をとる実質「政治パーティ」を行っているという疑惑です。国の予算を使った公式行事と後援会活動がごっちゃになっているわけです。しかも年々その規模が拡大しているのです。

これでは、地元の演説でかりだされる後援者の「サクラ」を呼んで「サクラが桜を見る会」と言われても仕方がありませんね。

 安倍総理という方は、どうも公私混同が甚だしいようです。森友・加計問題も根っこは親密な民間の人物に対する利便供与であります。また、稲田元大臣や萩生田光一などの組閣における、お気に入りや側近の起用など子供じみた人事も然り。幼稚かつ利己的・感情的手法でこの国のトップに座り続けていられるのは、自民党と公明党が政権から落ちないように仕組まれた選挙制度や政治システムのおかげなのですね。
コメント
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