「Z世代」はびっくりするほど素直だ
あの若者ゆうじが、また友だちを「財務省解体デモ」に連れて行ったようだ。
彼の友達は、初めはおっかなびっくりだった。
あの若者ゆうじが、また友だちを「財務省解体デモ」に連れて行ったようだ。
彼の友達は、初めはおっかなびっくりだった。
だがそれでもあれこれマジメに「自分がデモをどう感じたか?」について語り、この運動に対し、しっかり自分の意見を述べていた。
本当にびっくりだ。
10〜30代の若い「Z世代」は驚くほど素直なのだ。私たちの世代みたいにシラケたところがまるでない。
本当にびっくりだ。
10〜30代の若い「Z世代」は驚くほど素直なのだ。私たちの世代みたいにシラケたところがまるでない。
✳︎『政治に無関心な友達を「財務省解体デモ」に連れて行き価値観を変えた』(ゆうじ)
一方、私が10〜20代のころなんて、とうていこんなじゃなかった。
なんでもかんでも「けっ! バカバカしい!」のひとことで終わり。人の言うことなんてロクに聞く気もなかったし、そもそも他人の意見をバカにしていた。
なんでもかんでも「けっ! バカバカしい!」のひとことで終わり。人の言うことなんてロクに聞く気もなかったし、そもそも他人の意見をバカにしていた。
だから、もちろん政治になんて興味なかった。
いや、正確にいえば子供の頃には、なぜか政治に関心はあったのだ。で、家が購読していた朝日新聞を、毎日すみずみまで読む子供だった。
ところがそのうちにシラケた世の中の影響を受け、すっかり「マジメなこと」に興味がなくなって行った。
ちょうどあのフジテレビが「面白くなければテレビじゃない!」などと、今から思えばバカな思想をふり撒き始めた80年代頃だったかな?
「シラケ主義」への大衆誘導と社会支配の関係
実際、あのフジテレビが作ったキャッチコピーに、当時の世相が如実に象徴されていた。
「政治=マジメなこと」はつまらない、だから政治について考えることなんてやめようーー。
いまにして思えば、あのフジテレビが作った罪作りな価値観は、日本を滅亡へと導く軽薄短小な刹那主義だった。あの価値観は実に酷かった。
だが当時はそんなことには露ほども気づかず、「おもしろいこと=お笑い芸人による知能指数の低いバカ騒ぎ」に世の中はすっかり明け暮れていた。
何も考えずに。
思えばあれも一種の洗脳であり、世論操作だったのだ。
あそこで日本は雪崩を打って政治に対する無関心層が激増し、それにつれ自民党の一党支配が岩盤化した。
そして国家が終わって行ったーー。
思えばあれがテレビによる大衆に対する二度目の大きな洗脳だった。
ちなみに一度目の洗脳は、敗戦後、アメリカ・CIAの計略で、当時CIAのエージェントだった正力松太郎(日本テレビと読売新聞の社主)がNHKに続き日本にテレビを導入したのがすべての始まりだ。
あれから日本は徹底したテレビCMによる大衆消費社会化が進み、すっかり「マジメなこと」が社会から排除されて行った。
日本という国家は「三層構造」だ
それがここに来て、やっと流れが変わってきた。
あの財務省解体デモに目覚めた人々が雲霞のように集まり、財務省による最悪な緊縮財政を常用する社会支配の実態がだんだん明らかにされて行くーー。
まず日本という国家の頂点には、大親分であるアメリカが最上段に君臨する。そしてその直下に財務省がいる。
いや、正確にいえば子供の頃には、なぜか政治に関心はあったのだ。で、家が購読していた朝日新聞を、毎日すみずみまで読む子供だった。
ところがそのうちにシラケた世の中の影響を受け、すっかり「マジメなこと」に興味がなくなって行った。
ちょうどあのフジテレビが「面白くなければテレビじゃない!」などと、今から思えばバカな思想をふり撒き始めた80年代頃だったかな?
「シラケ主義」への大衆誘導と社会支配の関係
実際、あのフジテレビが作ったキャッチコピーに、当時の世相が如実に象徴されていた。
「政治=マジメなこと」はつまらない、だから政治について考えることなんてやめようーー。
いまにして思えば、あのフジテレビが作った罪作りな価値観は、日本を滅亡へと導く軽薄短小な刹那主義だった。あの価値観は実に酷かった。
だが当時はそんなことには露ほども気づかず、「おもしろいこと=お笑い芸人による知能指数の低いバカ騒ぎ」に世の中はすっかり明け暮れていた。
何も考えずに。
思えばあれも一種の洗脳であり、世論操作だったのだ。
あそこで日本は雪崩を打って政治に対する無関心層が激増し、それにつれ自民党の一党支配が岩盤化した。
そして国家が終わって行ったーー。
思えばあれがテレビによる大衆に対する二度目の大きな洗脳だった。
ちなみに一度目の洗脳は、敗戦後、アメリカ・CIAの計略で、当時CIAのエージェントだった正力松太郎(日本テレビと読売新聞の社主)がNHKに続き日本にテレビを導入したのがすべての始まりだ。
あれから日本は徹底したテレビCMによる大衆消費社会化が進み、すっかり「マジメなこと」が社会から排除されて行った。
日本という国家は「三層構造」だ
それがここに来て、やっと流れが変わってきた。
あの財務省解体デモに目覚めた人々が雲霞のように集まり、財務省による最悪な緊縮財政を常用する社会支配の実態がだんだん明らかにされて行くーー。
まず日本という国家の頂点には、大親分であるアメリカが最上段に君臨する。そしてその直下に財務省がいる。
さらにその下にやっと自民党が存在するのだ。つまり日本の支配構造は、こんな三層構造になっている。
国民はいままでそんなパワーバランスをよく知らず、ずっと政権党である自民党にばかり文句を言っていた。「こいつらがすべてを握ってるんだ」とばかり思っていた。
だが実はそんな下請けにすぎない三下にだけ、モノを言っても始まらない。
財務省解体デモで、このサンドイッチ構造が広く明らかにされただけでも大きな出来事だった。
国民はいままでそんなパワーバランスをよく知らず、ずっと政権党である自民党にばかり文句を言っていた。「こいつらがすべてを握ってるんだ」とばかり思っていた。
だが実はそんな下請けにすぎない三下にだけ、モノを言っても始まらない。
財務省解体デモで、このサンドイッチ構造が広く明らかにされただけでも大きな出来事だった。
世の中を変えるには、まずこうして敵を知ることだ。
そんな三層構造のメカニズムをキッチリ理解し、それぞれの役割を考えることからすべては始まる。
そうすればなぜ「横田空域」なんてものが日本に存在するのか? とか「日米合同委員会」って、いったいなんだ? などと日本の真実の姿に気づくようになって行く。
国債って実態的には「通貨発行」じゃないか?
そのほか「国債はホントに借金なのか?」という疑問にしてもそうだ。
例えば政府が国債発行を前提とした積極財政を進めたとしよう。
それとの合わせ技で、日銀が金融緩和により民間銀行の持つ国債を買い受ける「買いオペ」を行なう。
このとき日銀は、まったく新しく自分でお金を作って民間銀行に国債の代金を支払う。
つまりこれで市場に存在する通貨の量が、そのぶんグンと増える。
するとお金が国中にマンマンと行き渡る。
つまりこれで市場に存在する通貨の量が、そのぶんグンと増える。
するとお金が国中にマンマンと行き渡る。
同時に銀行の貸し出し金利が下がるので、お金を借りやすくなる。で、その借りたお金で、今度は住宅投資や設備投資なども進む。
また通貨量が増えれば、人々の日常的な消費もそれだけ活発になる。すると社会全体に景気がよくなり、国民生活が上向いて行くーー。
とすれば国債って実は財務省がいうような「借金」どころか、実態としては逆に「通貨の新規発行」や「消費に対する刺激」とニアリー・イコールの存在ではないか?
ならば、われわれは財務省にすっかり騙されていたんじゃないか?
こんなふうに世の中の謎を解明しようとする人々の「思考の歯車」が、グルグルと活発に回り始めたのだ。
いま、すべてが動き出しているような予感がするーー。
とすれば国債って実は財務省がいうような「借金」どころか、実態としては逆に「通貨の新規発行」や「消費に対する刺激」とニアリー・イコールの存在ではないか?
ならば、われわれは財務省にすっかり騙されていたんじゃないか?
こんなふうに世の中の謎を解明しようとする人々の「思考の歯車」が、グルグルと活発に回り始めたのだ。
いま、すべてが動き出しているような予感がするーー。