ネットはバーチャルな世界だ、って言うけどホントだろうか? 実はリアルの世界より、ずっとリアルなんじゃないだろうか?
たしか私が中学生のとき、学校の国語の教科書に安岡章太郎の自伝が使われていた。安岡はその作品で、自分がいかに勉強のできない子供だったか、自分がどんなにだらしない人間なのか、を書いていた。彼はしきりに「俺はダメなやつだ」「劣等生だった」とくり返し強調するのだ。
私はそれを読み、子供心に本当にハラが立った。
「でもさあ、あんた、小説家になってるじゃん」
「人生の成功者じゃないか」
いくら「僕はあなたたちと同じようにダメな人間なんですよ」と言われても、説得力がないのだ。「インチキだろう、その物言いは」。とにかく私は子供ながらに不愉快だった。
今でこそ当たり前だが、安岡の時代には「学歴だけがすべてじゃない」と言えばそれだけで、「こいつはトンガった奴だ」とされ、先進的だと称えられた。だから彼はそれを売り物にしてた。まあ本心でそう思ってたのかもしれないが。
こういうのって、よくある話だ。
メディアにのっかってる人物が、自分のダメ度をテレビや雑誌でアピールする。斜に構えて「いやあ、僕なんかどうしようもない人間なんですよ」と自嘲気味に語る。
けれども彼はメディアに登場している時点で、成功者である。成功者であるがゆえに、自分の欠点をアピールすればするほど「かっこいいヤツ」になれる。「ダメであること」が、逆に武勇伝になる。
これが一般人だとそうはいかない。自分の弱点を吹聴すればするほど、権威は失墜する一方だ。ホームレスの人が「僕はダメな人間なんですよ」なんて言ってもシャレにならない。つまり彼は成功者であることで、いくら自分を卑下しようと安全を担保されているわけだ。一種の欺瞞である。
たとえば「朝まで生テレビ」で、「大学の問題点」をテーマに討論が行われたとしよう。すると出演者は口をそろえて、今の大学がいかに意味のないものであるか、また大学がどんなにくだらない機関に成り下がっているかを強調する。
だが現役の受験生から見れば、「でもあんたら、そう言いながら東大出てるじゃないか」となってしまう。いっこうに説得力がない。つまり本当にダメな人は、既存メディアには出てこないのだ。これがリアルな世界のしくみである。
一方、インターネットの世界はどうか? こっちは本当に「ダメな人」が情報発信している。
「僕は働くのがイヤだから、生活保護受けてます」。そんな人がブログを書いていたりする。「30代の独身・無職です。親元にいて遊んでいます」。こういう人とチャットでふつうに出会える。リアル世界より、こっちのほうがよっぽどエキサイティングで現実味がある。
リアルな世界と、インターネット。果たしてどっちが「リアル」なんだろうか?
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たしか私が中学生のとき、学校の国語の教科書に安岡章太郎の自伝が使われていた。安岡はその作品で、自分がいかに勉強のできない子供だったか、自分がどんなにだらしない人間なのか、を書いていた。彼はしきりに「俺はダメなやつだ」「劣等生だった」とくり返し強調するのだ。
私はそれを読み、子供心に本当にハラが立った。
「でもさあ、あんた、小説家になってるじゃん」
「人生の成功者じゃないか」
いくら「僕はあなたたちと同じようにダメな人間なんですよ」と言われても、説得力がないのだ。「インチキだろう、その物言いは」。とにかく私は子供ながらに不愉快だった。
今でこそ当たり前だが、安岡の時代には「学歴だけがすべてじゃない」と言えばそれだけで、「こいつはトンガった奴だ」とされ、先進的だと称えられた。だから彼はそれを売り物にしてた。まあ本心でそう思ってたのかもしれないが。
こういうのって、よくある話だ。
メディアにのっかってる人物が、自分のダメ度をテレビや雑誌でアピールする。斜に構えて「いやあ、僕なんかどうしようもない人間なんですよ」と自嘲気味に語る。
けれども彼はメディアに登場している時点で、成功者である。成功者であるがゆえに、自分の欠点をアピールすればするほど「かっこいいヤツ」になれる。「ダメであること」が、逆に武勇伝になる。
これが一般人だとそうはいかない。自分の弱点を吹聴すればするほど、権威は失墜する一方だ。ホームレスの人が「僕はダメな人間なんですよ」なんて言ってもシャレにならない。つまり彼は成功者であることで、いくら自分を卑下しようと安全を担保されているわけだ。一種の欺瞞である。
たとえば「朝まで生テレビ」で、「大学の問題点」をテーマに討論が行われたとしよう。すると出演者は口をそろえて、今の大学がいかに意味のないものであるか、また大学がどんなにくだらない機関に成り下がっているかを強調する。
だが現役の受験生から見れば、「でもあんたら、そう言いながら東大出てるじゃないか」となってしまう。いっこうに説得力がない。つまり本当にダメな人は、既存メディアには出てこないのだ。これがリアルな世界のしくみである。
一方、インターネットの世界はどうか? こっちは本当に「ダメな人」が情報発信している。
「僕は働くのがイヤだから、生活保護受けてます」。そんな人がブログを書いていたりする。「30代の独身・無職です。親元にいて遊んでいます」。こういう人とチャットでふつうに出会える。リアル世界より、こっちのほうがよっぽどエキサイティングで現実味がある。
リアルな世界と、インターネット。果たしてどっちが「リアル」なんだろうか?
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これは、「市民に対してのリアル」と「リアルに対してのリアル」の違いだと思えます。
「市民に対してのリアル」というのは「対岸の火事」といったほうが手っ取り早いですねぇ。
「芸能スキャンダル」「ほりえもん問題」「JR西日本問題」etc・・・。
つまり、自分に関係なさそう、といえそうな部分だけ取り上げる、という、ある種宗教のお話かもしれません。
・・・となると・・・無宗教国家といわれる日本で既存メディアの力がすごいのは、こういうところに理由があるかもしれません。
一方、「リアルに対してのリアル」の場合、きれいなものも汚いものもすべてを見れるという、宗教で言う「地獄絵図」のようなものかもしれません。
受動的ではなく能動的にしないとインターネット探せませんしねぇ。
・・・個人的には「地獄絵図」も現実なんですが・・・。
だから逆に、既存マスコミの皆さんは、そういう「リアルに対してのリアル」をインターネット世界に渡そうとしているかもしれませんねぇ。
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http://left13.jp/
普通の人間関係@リアルでも、ヴァーチャルなことっていっぱいあると思います。
たとえば、会社の上司と部下の会話なんて、ほとんどがヴァーチャルなんじゃないでしょうか。
面白くもない話をさも面白そうに聞いてるフリしたり、腹の中では舌出してたりして。(笑)
ウソと欺瞞に満ちた関係。
ネット上でも実社会でも、自分の考えをちゃんと表明できて、ありのままの自分で居られる場所が「リアル」なんだと感じます。
書かれていることはその通りですが、言葉遊びのようにも感じます。
インターネットが「バーチャル」であると(ネガティブな意味で)言われているのは、書かれているような面ではないのではないでしょうか。人間関係の在り方として、インターネットを介したものはリアリティが希薄であり、それ故、往々にして問題が起こる、特にインターネットを介したコミュニケーションに依存してしまうと、生の人間関係に向き合う力が弱くなる、ということだと思います。
地獄絵図ですか(^^;
まあ、この世はジゴクです(謎
>fujicoさん
ああ、そうですね。社交辞令とか。そう考えると、人間、あんまり剥き出しでも生きていけないってことなのかな。「自分らしさ」と「程よい社交辞令」とのバランスの問題ですかね。
>はいじゃんぷさん
まあそれを言ったら、文章の中で韻を踏んだり、気を引くタイトルのつけ方なんかはみんな言葉遊びですね。特にキャッチーなタイトルは全部(笑)
それから「ネットはバーチャルだ」って、人間関係に限定した話なんですか?(^^; 初めて聞きました、その説。もともとは「バーチャルリアリティ」(CGなんかで人工的な現実を作り出す技術)からきてるのでは? これはビジュアルのお話ですよね<や、どーでもいいことですが(笑)
人間関係に限定したのは「ネガティブな意味で」バーチャルと言われる場合を想定したからです。松岡さんの記事がネットが「バーチャルだ」と批判されることに反論するような意味合いがあるように感じたので。
CGがバーチャルは当たり前ですよね。
ま、別に松岡さんの記事を批判しているつもりではないですし、「どーでもいいこと」ではありますが。
追加するとすれば、私自身はインターネットを介した人間関係だけに依存してしまうことについては、負の側面だと捉えています。他はどーでもいいことです。いい面も沢山あります。松岡さんがかかれたことは「いい面」のように思います。
ただ「本音」を隠すことは人間の生々しいリアルな実態だと思うので、どちらがバーチャルかという議論にはなじまないような気がしますが。
んー。いや、はいじゃんぷさんが下記のように書かれていたので……。
>インターネットが「バーチャル」であると(ネガティブな意味で)言われているのは、書かれているような面ではないのではないでしょうか。
「ネットはバーチャル」というフレーズを自分の頭の中で敷衍して、自由に発想・解釈してはいけないのか? って話です。「書いている意味とはちがう」とおっしゃられてたので、別にこれは辞書にのってるような性質のモンじゃないだろうと。ただ、こういう議論(というより水掛け論)自体が「議論のためにする議論」であって、実はどーでもいいことでは? って話です。
おっしゃるとおりです。自由に発想・解釈してもいいと思いますよ。
元記事もおもしろい発想だと思って読ませていただいていましたし。
私のコメントの書き方が悪かったのでしょうね。
同意です。
>「僕は働くのがイヤだから、生活保護受けてます」。そんな人がブログを書いていたりする。「30代の独身・無職です。親元にいて遊んでいます」。
>こういう人とチャットでふつうに出会える。リアル世界より、こっちのほうがよっぽどエキサイティングで現実味がある。
「しょーもない」(笑)発信者の1人として、激しく同意します。まあ、ひねくれた言い方をしますと、僕などは匿名でやっていますから、実はこう書いていても実はしょーもない人ではなくて「すごい人かもしれない」(爆)。本当にしょーもない人かもしれない。
この人ほんとはどーなんだろ?とか。
そうしたところ、虚実を読み取っていくスリル?というのもネットにはあるのではないかなどと・・リアルとバーチャルの丁々発止というか。あ、ちょっと視点がずれましたかね。
今後ともよろしくです。
BigBanさんて、おもしろい人ですね。
ひょっとして……すごい人なんですか?(笑)
それではまた♪
リアルとは物体がそこにあること。
包丁で刺せば人が一人死ぬことをいうのだと思います。
そういう意味でネット、そしてテレビもほぼヴァーチャルだと思いますが如何?