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すちゃらかな日常 松岡美樹

積極財政などの政治経済をすちゃらかな視点で見ます。ワクチン後遺症など社会問題やメディア論、サッカー、音楽ネタも。

新・チワワのクーちゃん

2023-01-01 08:18:12 | エッセイ
バーニーズに吠えかかる

 新年あけましておめでとうの記事は、チワワのクーちゃんの思い出を書こう。

 いつものようにクーちゃんが飼われている靴屋さんの店先に行くと、クーちゃんは相変わらず店先のショーウインドウの上にちょこんと座り、神社の狛犬みたいな状態で町の通りを眺めていた。

「クーちゃん」と声をかけると激しくしっぽを振る。さっそく靴屋のおじさんにお散歩道具を借り、いっしょに町の通りに出た。

 すると通りの向こうから、巨大なバーニーズ・マウンテン・ドッグがやってきた。ふだんクーちゃんはめったに吠えないのだが、この時とばかりは激しく吠えかかる。

 おいおい、こいつは自分のカラダの大きさを知らないのか? 相手は何倍の大きさだと思ってるんだよーー。

 このときに限らず、クーちゃんは自分より大きい犬を見ると激しく戦いを挑む習性があるようなのだ。まったく何を考えているのやら。

主人の帰りを静かに待つ

 しばらく歩き、疲れたので犬同伴OKのオープンカフェに入った。

 するとまた間の悪いことにトイレへ行きたくなった。クーちゃんのリードをどこかに縛っておこうとさがしたが、あいにく見つからない。

 しかたがないから言い聞かせることにした。

 クーちゃんの前にしゃがんですわり、地面を指さしながら「ここにいろ」と何度も命令した。ただならぬ雰囲気に、クーちゃんは何事かとジッと私の目を見つめている。

 状況を察した様子だったので、私は店の中のトイレへ一目散だ。

 用を足し戻ってくると、待ちかねたとばかりにクーちゃんが飛びついてきた。

「おお、クーちゃん、えらいね。じっとしてたんだね」

 ほっとした私はクーちゃんにご褒美をあげた。

まだ帰りたくない

 散歩が終わり、靴屋さんが見え始めるとクーちゃんの様子がおかしい。

 靴屋さんの向かいの店へわざと行き、店先のおばさんに愛嬌を振りまいたりしている。ふだんはそんなことするヤツじゃないのだが。

 どうやらまだ帰りたくない様子で、なんと時間を稼いでいるのだ。

 まるで人間の子供みたいな犬である。

 それを見ていた飼い主の靴屋のおじさんがひとこと、「クー!」と叫ぶと、クーちゃんは弾かれたように靴屋の店先に飛び込んだ。
 
 やっぱり飼い主さんの命令が絶対なんだなぁ。

 じゃあクーちゃん、また明日だね。

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「続・チワワのクーちゃん」 

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続・チワワのクーちゃん

2022-12-30 06:06:55 | エッセイ
クーちゃんを妻に紹介する

 今回もチワワのクーちゃんの話をしよう。彼は近所の靴屋さんの看板犬であり、私とは大の仲良しだった。いつも店先のショーウインドウの上にちょこんと座り、町並みを食い入るように観察していた。

 私の妻も大の犬好きで、クーちゃんの話をすると「ぜひ紹介してくれ」という。で、その日は妻に散歩させてもらうつもりで靴屋さんに行った。

 犬のリード(ひも)を借りて準備完了、クーちゃんに妻を紹介すると「こいつの仲間なんだな」とすぐ理解してくれた。

 妻にリードを預けてクーちゃんを引かせた。すると妻の前を行くクーちゃんはことあるごとに妻のほうをクルリと振り返り、「こいつの仲間はちゃんとついてきているかな?」と確認する。そのしぐさがかわいい。

 なかなか頭のいい犬である。

子供たちに囲まれ団子状態に

 2人と1匹で近くの公園へ行くと、5才くらいの子供たちが数人、遊んでいた。クーちゃんを連れて行くと、たちまち「ワッ」と子供たちに取り囲まれた。

 子供たちはクーちゃんの頭をなでたり、足を握ったりと、引っ張りだこだ。

 てっきりその状況をクーちゃんも楽しんでいるものだと思っていたが、彼は「そろそろ勘弁してもらえないか?」という感じで私のほうをちょくちょく見上げる。

 つまり彼にしてみたら自分を子供たちに触らせ、「サービス」していたわけだ。

 人間の大人みたいな犬だな。そう思い、子供たちに「そろそろ行くよ」と言って帰ってきた。

 さあ靴屋さんの店にもどったら、いつもの「マッサ」タイムだ。

 私はクーちゃんの後ろに回り込み、彼の肩から首にかけてを両手で揉んでやる。すると彼はいかにも「いいわぁー」という感じで目をつぶり、次にマッサージしてほしい部位を自分のほうから私に押し付けてくる。いつものパターンだ。

 こうして今日も私とクーちゃんとの時間は過ぎて行った。

 また明日だね、クーちゃん。

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チワワのクーちゃん

2022-12-22 08:12:48 | エッセイ
神社の狛犬のような「あいつ」

 以前、うちの近所に「クーちゃん」という名前のチワワがいた。彼は靴屋のおじさんの飼い犬だった。

 その後、このクーちゃんと私は「同士」とでもいうべき深い同盟関係を結ぶことになるのだが……なにしろ彼との出会いは衝撃だった。

 私はそのとき自転車に乗り、何の気なしに町の通りを眺めながら走っていた。すると目の端に、何か異様なものが引っかかった。

「今のはなんだろう?」

 私は自転車を回れ右させ、もと来た道を戻って行った。町並みを注意深く眺めながら。

 すると目に留まったのは、一匹の犬だった。

 そいつは靴屋の店先のショーウインドウの上にちょこんと乗り、まるで神社の狛犬のような状態で道行く人を興味深そうに眺めているのだ。店の人はいない。

 思わず私は駆け寄り、手を差し出した。だがヤツはまったく関心がない様子だ(あとで知ったが、こやつは女性にしか興味がないらしい)。

 仕方がないので、私は自分の十八番を出すことにした。マッサージだ。

 そっとヤツの後ろに回り込み、犬の肩から首にかけてを丹念に両手でマッサージする。私の得意ワザだ。するとヤツはとたんに、「いいわぁー」といううっとりした表情を浮かべてカラダを私の手に押し付けてくる。

 しかも自分が揉んでもらいたい部位を順番に押し付けてくるのだ。

 かくてこのときマッサージという、彼と私との深い契りが固く結ばれるきっかけとなる行事が確定した。私はその後、店に行ってはイの一番に彼にマッサージするハメになった。

飼い主を置き去りに

 女性にしか興味がなく、男性が構おうとしてもつれない素振りのクーちゃん。だが「マッサ」という強力な武器をもつ私にだけはえらくなついた。

 あるとき店に行くと、クーちゃんも飼い主さんもいない。

 散歩にでも行っているのだろうか? 店の近所を探してみると、やっぱり見つけた。ヤツは一時的にリードを解かれ、飼い主のおじさんと道に佇んでいた。300メートルくらい先だ。

 私はクーちゃんを見つけたのがうれしくて、思わず「クーちゃん!」と大声で叫んで速足で駆け寄った。

 すると私を発見したクーちゃんはしっぽを激しく振りながら、でも申し訳なさそうに飼い主のおじさんのほうを見上げている。

 ヤツは頭がいいから、飼い主を放って私のもとに駆け寄ることに気を遣いためらっているのだ。だがその後、彼は飼い主のほうを2~3度、見上げたあと、ついにガマンできなくなった様子で私のほうに走り出した。

 そのあとを飼い主さんが走って追いかけながら、「こいつ、飼い主をないがしろにしやがって」と笑いながらついてくる。

 かくてクーちゃんは私の元にやってきて、いつものポジションでいつものマッサージにありついた。あのときの気持ちよさそうな顔ったら。やれやれ。

小脇に抱えて

 またあるときは、こんなこともあった。

 いつものように靴屋さんに訪問し、クーちゃんといっしょに散歩に出た。

 すると間の悪いことに、私は激しい尿意に襲われてしまった。

 公衆トイレへ行くとして、クーちゃんをどこかに括り付けておくところはないか? 探したがあいにく見当たらない。

 仕方がないので私はクーちゃんを小脇に抱えたまま、その状態で用を足すことにした。

 その最中、クーちゃんのほうを見ると、彼は私がなにをやっているのかまるでお見通しのように大人しく静かに私の腕にブランとぶら下がっている。

「もうそろそろにしろよ」とでも言いたげに彼は私のほうを見る。

 そのシチュエーションに思わず私は吹き出しそうになってしまった。

 こんなふうにクーちゃんとの傑作なエピソードは数多い。機会があったら、また書くことにしよう。

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母が逝った。すばらしい女性だった

2021-09-27 08:06:50 | エッセイ
100年早すぎたスーパーウーマン

 9月20日、母が亡くなった。89歳だった。

 夜、眠っているうちに亡くなったから、きっと安らかな最後だったのだろう。

 母の思い出は数え上げればキリがない。

 和裁、洋裁、茶道、日本舞踊、阿波踊り、切り絵ができて、犬のしつけの名人だった。

 家にはいつも犬や猫、ニワトリ、金魚、カメなどがいて賑やかだった。

 とても専業主婦で終わるような平凡な人じゃなかったが、時代がそうさせなかったのかもしれない。

「本当は演劇がやりたかったが、親が許してくれなかった」と言っていた。

 ユーモアのセンスがあり、感性が豊かでハイセンス。どう見ても「ふつうの人」じゃなかった。そんな母が誇らしかった。

偏食の私を公園に連れ出し……

 子供のころからわがままだった私は、そんな才人に面倒ばかりかけていた。

 私は超がつくほど偏食で何も食べられなかった。学校の給食の時間は地獄だった。(今から思えば一種の摂食障害だったのかもしれない)

 そんな私を母は公園に連れ出し、楽しい演出をした上で弁当箱からソーセージを食べさせ、「息子がソーセージを食べた!」とうれし泣きしながらお祖母ちゃんに電話していた。

 一事が万事この通りで、子育ての面で私が母にかけさせた手間は想像を絶する。

 いっさい家庭を顧みない父を横目に、母は早朝から深夜までせっせと一人で家事をしていた。

 そんな女性を見て育ったので、てっきり女性とはそういうものだと思っていた。なんなら「女性の生きがいは家事なのだろう」などと考えていた。

(そんな妄想はいまの妻と出会って木っ端みじんに打ち砕かれたが。妻は「男は家庭でどうあるべきか?」を教えてくれた貴重な先生である)

自分の頭で考えろ

 そんな母にことあるごとに言われたことがある。

「私は家庭に入ったから、やりたいことができなかった。だからお前は将来やりたいことを思った通りにやれ」

 そう言われて育った(だから私はこんなグータラなのかもしれないが)

 もうひとつ子供のころから言われたのは、「自分の頭で考えろ」ということだ。「勉強しろ」なんて言われたことなどなかったが、これだけは本当にうるさく言われた。

 たとえば、他人は「こう言って」いる。世の中の常識もその通りだ。メディアも同じことを報道している。

「だが、それは果たして客観的事実なのか?」

 こんなふうに常に疑い、「自分の頭」で考えるクセがついたのは母のおかげだ。

まるで友達みたいだった母

 こうして挙げればキリがないが、「まるで友達みたいだった母」には本当に感謝している。

 生まれてくるのがもう100年遅かったら母は芸術家にでもなっていたかもしれないが、しかしそれでも母は「人間を育てる」という大仕事をまっとうして、いま天国にいる。

 あと何十年かして私もあちらへ行ったら、ちょっとは親孝行でもしようかなと思っている。

 ありがとう、お袋。

 あなたはすばらしい女性でした。

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雨の日の公園

2021-04-16 18:34:23 | エッセイ
 6月の梅雨の日だった。

 近くの公園へ行ったのだが、あいにく途中で雨が降ってきた。到着してふと見ると、駐車場の横の木の下で、5歳くらいの女の子が雨に濡れながら一人で泣いている。

 どうしたんだろう? と思い近寄ってその子の前へ行き、しゃがんで女の子の顔をのぞき込んだ。

「どうしたの?」
「お母さんがいなくなった」

 いっしょに歩いていたのに、ふと気づくといなくなったのだという。小雨の降る中、女の子はびっしょり濡れている。私も傘を持ってこなかったので濡れ始めた。

「じゃあ、いっしょにおかあさんを探そうか?」

 そう言うと、女の子はこっくりとうなづいた。

 駐車場ではぐれたというので、雨の中、駐車場の車を一台一台、のぞき込みながら歩いた。心細いのだろう、女の子は黙って私の手をそっと握ってきた。

 とてもびっくりした。

 なにしろ私には子供なんていないし、こんな小さな女の子と手を繋ぐなんてまったく初めての経験だ。

 なんというか、自分の中の隠れた父性を刺激されたというか、言葉ではまったく表現できない気分になった。「絶対さがしてやるぞ」。そう強く思った。

 濡れながら子供と手をつないだ私は、ずらりと並んだ車の中をのぞきながら歩く。いまや私と女の子は、同じ目的をもち連帯感で結ばれている。運命共同体だ。

 靴の中が雨で浸水し始めた。女の子は大丈夫だろうか?

 そう思った瞬間、女の子が「いた!」と小さく叫んだ。

 指さす方向を見ると、駐車場の係員とお母さんが向こうから並んで小走りにこっちへ来る。その子はお母さんに抱きつき、泣きじゃくり始めた。

「見つかってよかったね」

 そう声をかけたが、もうその子はお母さんに抱きついたままで、こちらを見ようともしない。無理もない。こわかったんだろうね。

 お母さんに一声かけ、私はその場をそっと離れた。

 私の手のひらには、いつまでも女の子の手のぬくもりが残ったままだった。

 とても不思議な体験だった。

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タイムマシン完備しています

2013-09-25 09:03:22 | エッセイ
 私の仕事机は中通りに面した窓際にある。朝、書き物をしていると、ジャージ姿の小学生が目の前をゾロゾロ通る。どうやら学校の通学路になっているらしい。

 まだ早い時間、彼らはニコニコ笑って仲間とじゃれ合いながら歩いている。だが時間がたつにつれ、顔をこわばらせ、全力ダッシュしているヤツがめっきり増える。

「そういや自分もそうだったなぁ」と、意識が子供時代へ飛ぶ。こんなふうに我が家の窓はタイムマシン機能を完備しているが、そうは高くない。


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タイタニックなあいつ

2013-08-11 16:47:15 | エッセイ
 私の仕事机は中通りに面した窓際にある。昼間、書き物をしていると、実にいろんな人や物体が目の前を通る。

 彼らはたいてい一定の規則性をもっている。たとえば夕方6時ぴったりに自転車で通るおじさんもそうだ。自転車の前のカゴには、いつも黒いチワワが乗っている。たぶん近くの公園へ散歩に行くのだろうが、「だったらなぜ公園まで歩かせないんだ?」というツッコミはなしである。

 好奇心旺盛なそのチワワは自転車のカゴからグイと前へ身を乗り出し、まるで映画「タイタニック」のあのシーン状態になっている。彼の前髪は風を受けてさっそうとなびき、「何かおもしろいものはないか?」と目がらんらんと輝いている。

 いつかおじさんの自転車を呼び止め、タイタニックな「あいつ」と友だちになりたい。だがまだちょっと勇気がない。

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笑顔がほしいあなたに贈る6ヶ条

2013-08-05 20:08:28 | エッセイ
幸せはそこにあるものではない。勝ち取るものだ。

退屈はそこにあるものではない。抜け出す努力をするものだ。

悲観はそこにあるものではない。自分から進んでハマるものだ。

賞賛はそこにあるものではない。値するモノを作ればもらえるものだ。

秘訣はそこにあるものではない。人から盗んでくるものだ。

笑顔はそこにあるものではない。あなたがそうさせてくれるものだ。


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雨宿り

2013-07-28 19:13:20 | エッセイ
何気ない日常の脇道に潜む非日常

 そのとき私は小学2年生だった。学校からの帰り、雨に降られて急ぎ足で家を目指した。首筋に雨がとても冷たい。思わず顔がくしゃくしゃになる。すると通りすがりの電話局(当時)からおじさんが出てきて、声をかけられた。その人は「無理せずここで雨宿りして行け」という。

 おじさんに連れられ、局の中へ入った。その人はとても親切で、ニコニコ笑いながら宿直室へ通された。そこでテレビを見せてくれたり、お茶を出してくれたりした。すごくいい人だ。

「みんな、ここで寝泊りしてるんだ」

 ふだん職員しか入れない特別なゾーンに入れて、私は非日常感をたっぷり味わった。すごくトクした気分になった。だが、やがて別れは訪れる。

 おじさんが出て行きしばらくたったが、戻って来ない。私は不思議に思い、試しに外へ出てみたら雨がやんでいた。「帰ろうか?」と思ったが、やっぱりもうしばらくおじさんを待って挨拶しようと思い直した。で、待ったが、やはり戻って来ない。

 しかたなく私は外へ出て、家路についた。空には鮮やかな虹がかかっていた。

 家に帰り、弾む声で今日の出来事を母に語った。

「なぜだかわからないけれど、すごく申し訳ない気がしたんだ」

 すると母はニコッと笑い、「それはね、お前が大人になったということだよ」と言った。

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「クセをつけろ」があなたの人生を変える

2008-01-01 11:55:39 | エッセイ
 みなさん、明けましておめでとうございます。

 1年の計は元旦にアリ。

 てなわけで今朝は起きてすぐブログを書き始めた。RSSリーダーで読んでくれてる人には、年賀状代わりにもなるかと。まあ書き初めみたいなもんである。

 で、今回のお題はタイトル通り、「クセをつける」だ。

■クセにしちゃえば「苦」でなくなる

 人間てものはなかなか学ばないもので、私はこの年になりやっといくつか人生のコツを体得できた。そのひとつがポジティブな意味でクセをつければ、生きるのがラクになるってやつだ。

 代表例はブログの更新である。

 私は超ものぐさで、やる気にならなきゃホントにやらない。その悪いクセが如実に出るのがブログだった。

 私は2005年3月にブログを始めたが、今までに1、2度、リタイアの危機があった。1度なんかは10カ月も更新をサボり、自分にすっかり呆れてしまった。しかもgooブログの有料コースの料金を支払い続けていながら、である。

「ああ、そういやオレは夏休みが終わる直前になるまで、『夏休みの友』(宿題集)をやらない子供だったなあ」

 毎日毎日、少しづつコツコツ続ける──。

 子供の頃から、これができなかった。だからブログも書く気になると一時期にガーッと書いてはまたサボり、ってサイクルになりがちだった。

■毎日書くクセがつけば、書かなきゃ逆に落ち着かない

 そこで去年の12月の初めに、壮大な実験をやろうと考えた。

「試しにブログを無理にでも毎日書いたらどうなるか?」

 そんな人体実験である。

 書く時間もおよそ決めた。朝、起きて仕事を始める前に、1日1本。これが基本である。まあ食前にクスリを飲むようなもんだ。

 するとネタには割と困らず、1日が2日、2日が3日になって行った。で、月末までほぼ毎日(人並みにクリスマスと年末は除く)、記事を書き続けることができた。

 やってみて驚いたのは心理的な変化である。

 これだけ怠惰な性格の私なのに、いったん毎日書くクセがつくと、もうカラダが自動的に動いちゃうのだ。フトンの中で目覚めるとき、「ああ、あれをブログに書こう」などとネタを思いつきながら起き上がるのである。

 で、顔を洗い歯を磨くと同時に、書き始める。こんなふうに行動パターンをきっちり決めるのがコツだ。そして機械のように毎日同じ作業を続けて反復する

 すると5日~1週間ほど続けた頃に、ふと気づく。

「ああ、自分の行動は自動化されたな」と。

 脳がパターンを覚え、ちがうこと(書くのをサボること)をすると「おい、ちがうぞ。行動を修正しろ」って、ピピピーッと信号が出る。だから朝起きてブログを書かないまま時間がたつと、逆にすごく落ち着かない気分になるのだ。

 こうなったら勝ちである。

 あとは自動化されるがまま。自然にふるまえば、それがすなわち無意識のうちに「決めた行動パターン通りになっている」って状態が実現する。

■日常生活で身に付いた3つのクセ

 傍証のために、ブログを書くこと以外の例もあげよう。私は去年、実はわが人生において非常に重要な複数のクセをつけた。以下の3つだ。

1. メシを食ったらその場で食器を洗うこと。

2. 服を着替えたら、その場で畳むこと。

3. 限界までためず、こまめに洗濯すること。


 ちなみに1、2は「その場で」というのがポイントだ。

 1~3を見て、「なんだそんなことかよ」と言うなかれ。普通の人にとっちゃ普通のことだろうけど、私から見れば太陽が西から昇り、銀河系のあらゆる惑星が直列しちゃうような大変化なのだ。

 前述の通り、私はハンパじゃないものぐさだ。だから台所の流しには食器がたまり放題になるわ、服を脱いだらグチャグチャのまま放置して山になるわ。

 食事して満腹になるとダルくなり、ゴローンと横になって「洗い物はあとでいいや」。また面倒がりギリギリまで洗濯しないもんだから、洗濯物が大量になりすぎて複数回に分けなきゃ洗えない。だから洗うのがすごく大変だった。

■コツは「その場で」「その都度」やることだ

 で、「1」の食器洗いについては、とにかく食事が終われば反射的に立ち上がるクセをつけた。そして台所に直行して洗い物をする。いまでも自分が信じられないのだが、これが絵に描いたようにクセになった。

 なんと今や、ふと気が付くと無意識のうちに食器を洗っているのである。(大丈夫なのかこれ)

「2」の服を畳むクセも徹底した。服を脱いだり洗濯したりすると、すぐに服屋さんで売っていた通りの畳み方を再現するのだ。

 たとえばボタンダウンのシャツは、ボタンを上までキッチリ留め、正面真ん中の襟元が前から見えるようタテに3つにたたむ。この状態で置いておくと、なんだか新品を買ったみたいでえらく気分がいい。トクをした気持ちになれる。ひとつぶで二度おいしい。

 1~3はどれも、溜めれば溜めるほど追いつかなくなるものばかりだ。

 たまる→大変になる→面倒だ→だからやらない→さらにたまる。

 負のスパイラルである。
 
 逆にその場ですぐにやるようにすれば、作業はラクだし、なにより気分がいい。ポジティブがスパイラルしちゃう流れになる。(なんか日本語がおかしい)

 つまり「クセをつける」とは、自分にとってプラスになる行為を自動化し、反復することにより、正のスパイラルを呼び込むことにほかならない。

 そしてもちろんこの法則は、ブログを書くことや食器洗い以外のあらゆることに当てはまる。

■10年、20年たたないと説教の「正体」はわからない

 子供の頃、よく学校の先生に言われたものだ。

「○○するクセをつけろ!」って。

 しかし人間、このテの「説教」なるものはたいてい聞き流すのが普通だ。往々にして右から左にスルーしてしまう。その言葉に込められた深い意味なんて、よく考えようともしない。

 実はその説教は、先人が長い人生経験から導き出した実用的なマニュアルなのだ。にもかかわらず「ああ、またオッサンがなんか言ってるよ。ウザいなあ」で聞き流してしまう。

 で、私みたいなイイ年になってやっと気がつき、いきなり仏門に入ったりするのである。

 いったんまとめよう。


【本日の結論】

1. 実現したいことをイメージし、理想の行動パターンを具体的に決める。

2. その行動パターンを1週間はガマンして無理やり反復する。

3. 何でも溜め込まず、「その場」でやるのがコツ。

4. するとクセがつき、逆にやらなきゃ落ち着かない状態になる。

5. 人生のあらゆる局面で類似の現象が起き、あなたは人生の勝ち組に。


 私は精神医学も得意分野のひとつなのだが、今回書いた「クセをつける」は行動療法の原理に近いかもしれない。

 さて、じゃあ私の人生は変わったのか?

 いやまだ去年クセがついたばかりなんで、今年変わるんですッ。
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イマジネーションは「何もない広場」から生まれる

2007-12-22 10:09:26 | エッセイ
■他決型社会は「指示待ち人間」を作る

 土建屋行政の日本では、公園を作るとなるとやたらにたくさんの遊具を置く。遊具メーカーや土建屋さんが、公共事業の名のもとに行政と結びついている。

 で、広場を何もない空間のままにしておくことが少ない。

 そんな社会に育つ子供は、「この遊びとあの遊びをしなさい」と大人に言いつけられているのと同じだ。なにしろブランコとシーソー、滑り台が、広場を目いっぱい占拠しているのだ。とすれば子供は否応なく、大人が決めた通りにブランコとシーソー、滑り台で遊ぶしかない。

 そんな「彼」が大人になれば、指示待ち人間になる可能性が高い。子供の頃から自分で考えるクセがついてなければ当然だ。自分のことを他人が決める他決型社会の欠点である。

■自決型社会では自己決定能力や発想力が育つ

 逆に遊具をまったく置かない場合はどうか? 芝を植え、広場を単なる空間にしておく国ならどうだろう?

 子供は自分の頭を使い、何もないだだっ広い空間で「何をするのか」考える。イマジネーションを働かせて自由に遊ぶ。

 すると彼らには、自主性や発想力が養われる。また自分のことを自分で決める自己決定能力がつく。その結果として、「自分で決めたことは自分に責任があるんだ」という自己責任原則にも目覚める。

 遊び方を自分で考えるのだから、「こんな遊び方をすると周囲の子にケガさせてしまうな」なんてのも自分の頭で考えるようになる。

「公園ではスパイク・シューズ禁止!」とか「野球の硬球は使うな!」のような、お役人という名の他者が禁止事項を強制する他決型の立て札を立てるより、自分で決めてそれを自覚することのほうがよほど効果がある。

 さて、これが自決型社会の特徴だ。先にあげた他決型のそれとくらべてどうだろう? 

 もうひとつ、ここまで読み、あなたは何かを思い浮かべないだろうか? そう、自決型社会とはインターネットそのものなのだ。

 そこにつながる人間がイマジネーションを働かせ、自律的にものごとを決める。ルールやマナーを自分に課し、自己責任原則を貫く。人から言われなくても、「そこで履くと危ないスパイク・シューズ」は履かない──。すべてがインターネットに当てはまっている。

■企業がクリエイティブな組織を作るには?

 今回は子供を例に挙げたが、もちろんこれは大人の世界にも言えることだ。

 企業がクリエイティブな組織を作るときのノウハウにもなる。また国家や政治家、自治体が政策を作る場合の国民とのリレーションシップも暗示している。

 つまり人間と社会のあり方、その関係性すべてにいえることである。

 そう考えれば80年代に登場した第一期フリーターや自分探しをする人々、あるいは今のニートたちは、「何もない広場」を求めて就職を自ら放棄したのではなかったか?

 日本のような他決型社会にあって、彼らは自らの人生をもって自決型社会への扉を叩こうとしているのではないだろうか?


【関連エントリ】

『人生をスルーした人々』

『自分探しシンドロームを超えろ』

『「答え」を振りかざしたオウム。そしてほりえもんさん』

『自分探しに疲れたあなたに贈る処方箋』

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「生きにくさ」を感じる子供

2007-11-01 09:56:56 | エッセイ
 幼稚園児くらいの頃、おじいちゃんちの土間に犬のゴローがグダーッと寝てるのを見て、「ゴロー、お前はいいなあ。毎日寝てるだけでいいんだもんなあ」と思った。

 というか、なぜかさっき突然そんな記憶がよみがえってきた。

 だけどよく考えたら……残業だらけで休日返上な40代汗だくサラリーマンとかがコレ考えるならわかるんだけど、幼稚園児がなんでこんなこと考えるんだろう? (理由についての記憶はない)

 ふつうなら「いいよなあ」と考えたあと、「それにひきかえ俺の場合は……」って続くのが自然だと思うんだけど。たとえばこんなふうに。

「ゴロー、お前はいいなあ。寝てるだけでいいんだもんなあ。それにひきかえ僕なんか、毎日塾に通って勉強勉強だもんなあ」

 ところが私は別に幼稚園時代から塾に通ってたわけじゃない。

 それどころかよその家庭とくらべたら、無茶なくらいに放任されていた。だいいち「勉強しろ」なんて親に言われた記憶がない。「自分の頭で考えろ」ってのが親の方針だったのだ。
(だからこんな大人になるんだけどな。ほっとけアホ)

 してみると私は、幼稚園児だってのに理由もなく「生きにくさ」を感じてたってことなのかなあ。いやもうそれ以上の記憶がないからわかんないんだけど。

 ところでみなさんは、もう一度生まれてくるとしたら何になりたいですか?

 私は犬のゴローです。

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異性の友だちってありえるか?

2007-08-30 10:05:34 | エッセイ
 みなさんは、異性の友だちって成立すると思いますか? 

 私はほんの10年位前まで、そんなもんはありえないと感じていた。現にありえてなかったし、これからもそうだと思ってた。だけど幸か不幸かそのころ付き合ってた元カノが、この前例を木っ端微塵に吹き飛ばした。ホントに幸か不幸かなんだけどさ。

 明らかに私と彼女は相互補完の関係にあった。まったくタイプがちがうから合わないと思いきや、自分にはあるけど相手に足りない部分を自然に手助けしていた。

 彼女は私の好きなことをやろうとした。もちろん逆に私もそうだ。

 あるとき私が好きな盆踊りに行き、いっしょに踊った。私には経験があるが、彼女が踊るのは初めてだ。すっかり盛り上がり、私はなかなか帰る気にならない。すると彼女は汗だくになりながら、ずっと私の後ろについて踊っていた。

 ふと時計を見るともう夜中の2:30だ。なのに彼女は「疲れた」とか「帰ろう」とかひと言も言わず、何時間も楽しそうに踊っている。結局、私が根を上げ、3:00頃に私のほうからお開きにした。すると「じゃあ帰りましょう」とあっさり言う。こいつはすごいやつだなあ、と思った。私のおばあちゃんにそっくりなのだ。

 私のおじいちゃんは私と同じで、盆踊りになるとやってることがもうハチャメチャだった。なのにおばあちゃんはニコニコ笑って共闘していた。いい夫婦だった。

 ああ話がそれたぞ。異性の友だちの話だ。元に戻そう。

 てなわけで私にはなんとなく、「こいつと縁が切れるなんてことはありえないな」という妙な確信があった。女性に対してそんなことを感じたのは生まれて初めてだ。

 いまから思えば、ここで言う「縁」てのは恋人とか夫婦とかじゃなく、人間としての縁だったと後日気づくわけだが。

 万物は流転し、形あるものはいつかは崩れる。

 こんなふうにすっかり油断し切っていた私は、あるとき彼女にやるべき大切なことをやらなかった。今でもそのことはとても申し訳なく思っている。もしもう一度生まれ変わることがあったなら、私はそのことをやるだろう。

 そのせいかどうかはわからないが、男と女としての私たちは終わった。

 で、われわれは必然的に異性の友だちになった。あるときは1年くらい、電話さえしないこともあった。一ヶ月、二ヶ月なんてザラだ。

 だけど次に話したときは、何事もなかったかのように会話が成立する。ブランクの期間なんてなかったかのように。

 結果、彼女は男友だち以上に私の親友になった。というか超ダントツの友だちだ。スペシャルである。彼女の才能はすごいと思うし、尊敬している。何よりいいやつだ。私は心から応援している。……ってラブレターみたいになってるぞこれ。いやそうじゃないんだけどなあ。

 でさ、こういう話って実名ブログだとマジで書きにくいわけよ。かなりボカしてるんだけど、わかる人にはわかっちゃうし。

 てなわけで私はネットの実名化に反対です(どないやねん)。
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人生をスルーした人々

2007-08-09 07:34:00 | エッセイ
 休暇で沖縄の離島に行き、不思議な人たちと出会った。彼らは決まって20代で、本州など沖縄以外の土地から移住してきている。仕事は現地ツアーのガイドや民宿の従業員など。島での雇用はもっぱら観光産業しかないからだ。

 彼らはなぜ20代の若さでこんな南の果てへ来たのか? 興味をもち、何人かに話を聞いてみた。神戸から移住し、ホテルで働く女性は「ここなら何もないと思ったから」と言う。なんと私がこの離島へ遊びに来たのと同じ理由だった。

 だけど彼女は旅行じゃない。移住だ。「何もないから移り住んだ」というのは、ある意味ふつうじゃない。なんだか老子みたいに人生を達観したような感じなのだ。

 しばらくあれこれ話してみた。すると本人は決して触れないけれど、自分の人生でかなりヘビーな体験をしたようだった。で、突き抜けてここへ来たというのが真相らしい。

 またトレッキングツアーのガイドをやってる岐阜出身の男性に「なぜ来たのか?」と聞くと、「岐阜って海がないんすよねぇ」と笑う。

 まあ冗談なのだが、このジョークは相手を笑わせようっていうんじゃなく、明らかに言わなきゃいけなくなることを言わずにすませるために発したものだ。やはり何かがあったのだろう。

 基本的に彼は笑顔が多いのだが、ふとした瞬間にとても厳しい顔つきになる。そのときの目は、平々凡々と生きてる人の目じゃなかった。船に乗るクルージングツアーでガイドをしている移住者の女性も、そういえば同じ目をしていた。

 ほかにも何人かに話を聞いたが、似たような人はかなりいるらしい。まだ20代なのにご隠居さんみたいに人生を降りてる感じ。スルーしているのだ。島そのものが尼寺というか。大量の若い人たちがこんなふうに降りているのは、かなりショッキングだった。

 いわゆる上昇志向がなく、何かを目指したりもしない。たぶん彼らは旧来の価値観でいえば、負け組とか下流とかにカテゴライズされる人たちだろう。

 だけど果たして彼らは「負けた」のだろうか? いや、これは人生のリターンマッチだ。

 いったんは何かをなくし、あるいはなくす以前にまだ何者でもない自分を抱え、人生という名のジグソーパズルでどうしても見つからなかった最後のワンピースが「カチッ」と音を立ててハマった人たち。

 新自由主義的な政策がこのまま続けば、今後ますますアメリカみたいにリッチな層とプア層との二極化が進むはずだ。だけどいわゆる「負け組」に占める「負けたと思ってない人たち」の比率もまた高くなるんだろうな、きっと。

【関連エントリ】

『自分探しシンドロームを超えろ』

『自分探しに疲れたあなたに贈る処方箋』

『「答え」を振りかざしたオウム。そしてほりえもんさん』

(追記)クロスワードパズルをジグソーパズルにかえた(2007-8/9)

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自分探しシンドロームを超えろ

2007-08-03 13:45:54 | エッセイ
 今の派遣とか非正規雇用とかの状況を見ていると、結局、勝ち続けるのは個人じゃなく企業なんだなぁと思い知らされる。

 1980年代初頭にフリーターなる言葉が出てきたとき、思ったものだ。「これからは目標も持たずになんとなく就職するんじゃなく、自分のやりたいことを目指す社会になるんだな」と。

 ライフスタイルとしての個人主義って言葉は当時すでにあったけど、ワーキング・スタイル的にも集団(企業)ではなく個人の時代が来たんだな、と感じた。

 それまでの企業中心主義社会では、企業の終身雇用制が社会的なセーフティネットの役割を果たしていた。仕事は保証する。死んだら会社が墓も作ってやる。そのかわりカイシャに隷属せよ、と。

 そんなカイシャは否応なくプライベートに侵入してくる。冠婚葬祭では上司の部長が音頭を取り、退社後の花見では場所取りをやらされる。暑くても上着を着ろネクタイをしろ革靴を履け。カイシャ中心のライフスタイルを生き、カイシャ中心主義的な価値観を持てと要求された。それが安全な生き方だよ、と。

 だからこそ学生たちはモラトリアムな大学4年間を楽しんだ。人生最後の晩餐である。で、その後は安定してはいるけど、魂をカイシャに預ける人生の軟禁生活を耐え抜いた。

 なぜ彼らは耐えられたのか? それは妻子のためだったり、親のめんどうを見るためだったりした。ひっくるめて言えば、広い意味で社会のためである。もちろん自分が食うためでもあるのだが、他者のための物語がまだ有効に機能していた時代だった。こうして社会はうまく回っていた。

 一方のカイシャは終身雇用制を敷くことで、技能や才覚など能力のある人材を組織の内部に蓄積できた。それがエネルギー源になり、1970年代までの高度経済成長を成し遂げた。

 ところが1980年代初頭にフリーターが登場し、カイシャと社員の蜜月時代が壊れていく。

「オレは自分のやりたいことをやるんだ」

 自分の意思で就職せず、アルバイトをしながら自己実現しようとする生き方が出てきた。相対的に他者のための物語は崩壊し、結婚しない人が増えたり、婚期がドーンと後退した。核家族化が決定的に進んだのも、この前後だ。

 で、バイトをしながらバンドをやったり、演劇やったりマンガ描いたり小説書いたり。もちろん明確にそんな目標を持ったやつばかりじゃなく、自分のやりたいことがわからないから就職しないてな人もたくさんいた。というか、むしろそっちのほうが多かった。つまり自分探しである。

 だけどそういう人たちも、「いつかは自分のやりたいことを見つけて自己実現するんだ」と考えていた。キーワードは自己実現と自分探しだ。これが80年代から90年代にかけて起こった社会的な価値観の転換である。

 オフタイムだけでなくライフスタイル全般に、組織に属さず個人主義を生きる。この大きなパラダイムシフトを迎え、企業のほうも変わらざるをえなかった。

 それまでの買い手市場が崩壊し、新人が入社してくれない。入社したとしても言うことを聞かない。

 昔なら上司は、「釘を持って来いと言ったら、金槌もいっしょに持ってくるんだよ! 馬鹿野郎」と一喝すればよかった。けど、「なぜ金槌も持ってこなきゃいけないのか?」を社員に丁寧に説明しなきゃならなくなった。

 でないと一喝した時点で、その社員はカンタンに辞めてしまうからだ。こうして雇われる側主導の形で、企業は変わって行った。

 ところがさすがはカイシャである。転んでもタダじゃ起きない。80年代に起こったこのパラダイムシフトを逆手に取り、反転攻勢に出たのである。

 新卒が入ってこないなら、もう外注しちまえ。大幅なアウトソーシングで人件費を削り、コストダウンしようじゃないか

 で、派遣業界はご覧の通りである。

 80年代のフリーターは自分の意思で就職しない人だった。だけどそんなわけで今のフリーターは、就職したいのにできない人たちである。

 さて、そんな若い人たちに何かサジェスチョンできるとすれば、自分探しシンドロームにハマらないことだ。

 特に1980年代以降、マスコミを中心に、「目標のある生き方をしなきゃいけない」、「人生に目的を持つことでこそ、あなたは自己実現できる」、「だからナンバーワンになるんじゃなく、あなただけのオンリーワンを探そう」てな壮大な洗脳が行われてきた。

 自分だけの人生を生きろ。あなたには必ず何か魅力がある。好きなことに向かって努力すれば絶対にやり遂げられる──。

 とっても口当たりのいいコピーばかりだった。だから人々はあっさり洗脳された。

 だけど勝ち組がいれば負け組が必ずいるのと同じで、人間なんてみんながみんなオンリーワンをもってるやつばかりじゃない

 機械的に9時に出勤して5時に帰ることそのもので、対価を得る人もいる。他人にお茶をいれ、快適を売ることで収入をもらう人だっている。人間が100人いれば、それぞれの社会的な役割が決まってる。それがあなたの役割なんだ。

 100人のうち、上から5人くらいはホントの天才だ。あなたがその5人と同じ生き方をしようとし、いくら自分探ししたって意味はない。だって彼らはあなたとちがって天才なんだから。

 100人のうち、まあ30人くらいはオンリーワンなるものがあり、自分だけのとっておきな生き方ができる人なんだろう。

 さて、もしあなたが残り70人に当たるなら要注意だ。分不相応な自分探しは時間のムダである。早めに自分の人生に折り合いをつけるのが賢い。

 勉強しろとたきつける学校は勝とうとすることは教えても、上手な負け方なんて教えてくれないんだから。

 イヤな仕事をガマンして趣味に生きるもよし。家族とのコミュニケーションを生きがいにするもよし。何かとんでもなくスペシャルな生き方をしなくたって、人生はいくらでも楽しくなる。それを見つけるのもまた一興、である。

 これは決して敗戦処理じゃない。

 あなたが真の負け組にならずにすむかどうかは、いつ自分探しシンドロームから抜け出せるか? にかかっているのだ。

【関連エントリ】

『人生をスルーした人々』

『自分探しに疲れたあなたに贈る処方箋』

『「答え」を振りかざしたオウム。そしてほりえもんさん』


※追記/釘と金槌を入れ替えた(2007-11/1)
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