すちゃらかな日常 松岡美樹

サッカーとネット、音楽、社会問題をすちゃらかな視点で見ます。

イマジネーションは「何もない広場」から生まれる

2007-12-22 10:09:26 | エッセイ
■他決型社会は「指示待ち人間」を作る

 土建屋行政の日本では、公園を作るとなるとやたらにたくさんの遊具を置く。遊具メーカーや土建屋さんが、公共事業の名のもとに行政と結びついている。

 で、広場を何もない空間のままにしておくことが少ない。

 そんな社会に育つ子供は、「この遊びとあの遊びをしなさい」と大人に言いつけられているのと同じだ。なにしろブランコとシーソー、滑り台が、広場を目いっぱい占拠しているのだ。とすれば子供は否応なく、大人が決めた通りにブランコとシーソー、滑り台で遊ぶしかない。

 そんな「彼」が大人になれば、指示待ち人間になる可能性が高い。子供の頃から自分で考えるクセがついてなければ当然だ。自分のことを他人が決める他決型社会の欠点である。

■自決型社会では自己決定能力や発想力が育つ

 逆に遊具をまったく置かない場合はどうか? 芝を植え、広場を単なる空間にしておく国ならどうだろう?

 子供は自分の頭を使い、何もないだだっ広い空間で「何をするのか」考える。イマジネーションを働かせて自由に遊ぶ。

 すると彼らには、自主性や発想力が養われる。また自分のことを自分で決める自己決定能力がつく。その結果として、「自分で決めたことは自分に責任があるんだ」という自己責任原則にも目覚める。

 遊び方を自分で考えるのだから、「こんな遊び方をすると周囲の子にケガさせてしまうな」なんてのも自分の頭で考えるようになる。

「公園ではスパイク・シューズ禁止!」とか「野球の硬球は使うな!」のような、お役人という名の他者が禁止事項を強制する他決型の立て札を立てるより、自分で決めてそれを自覚することのほうがよほど効果がある。

 さて、これが自決型社会の特徴だ。先にあげた他決型のそれとくらべてどうだろう? 

 もうひとつ、ここまで読み、あなたは何かを思い浮かべないだろうか? そう、自決型社会とはインターネットそのものなのだ。

 そこにつながる人間がイマジネーションを働かせ、自律的にものごとを決める。ルールやマナーを自分に課し、自己責任原則を貫く。人から言われなくても、「そこで履くと危ないスパイク・シューズ」は履かない──。すべてがインターネットに当てはまっている。

■企業がクリエイティブな組織を作るには?

 今回は子供を例に挙げたが、もちろんこれは大人の世界にも言えることだ。

 企業がクリエイティブな組織を作るときのノウハウにもなる。また国家や政治家、自治体が政策を作る場合の国民とのリレーションシップも暗示している。

 つまり人間と社会のあり方、その関係性すべてにいえることである。

 そう考えれば80年代に登場した第一期フリーターや自分探しをする人々、あるいは今のニートたちは、「何もない広場」を求めて就職を自ら放棄したのではなかったか?

 日本のような他決型社会にあって、彼らは自らの人生をもって自決型社会への扉を叩こうとしているのではないだろうか?


【関連エントリ】

『人生をスルーした人々』

『自分探しシンドロームを超えろ』

『「答え」を振りかざしたオウム。そしてほりえもんさん』

『自分探しに疲れたあなたに贈る処方箋』
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