内館牧子が語る定年
✿ 散らぬまま萎えゆく黄色のバラがあり貴方にはもう肩書きがない 松井多絵子
「定年って生前葬だな」という書き出しではじまる✿小説『終わった人』の著者・内館牧子が昨日の朝日新聞で読者に気軽に話しかけているが内容は重い。「よく定年のことを「卒業」というけど、潔くない言葉よね。会社的には、はっきり終わったのよ。そういう自分を明確に認識した上でやっぱり仕事をしたいとなればハローワークにいけばいい」
「数年前から急に、同窓会に行く機会が増えて気づきました。あんなに秀才だった男も,あれだけきれいだった女も、横一列。60歳を超えると、みんな終わるし、これから先も見えてくる。着地点は一緒なんです」
たしかに花が開いている時は美しさに差があるが萎えたらみな同じ。だと私はおもう。
エリートだった人の良き時代の自慢話はうるいのも同感だ。「それほどでもなかった人」のほうが以外と楽しみを見つけているからうまく着地できる。と語る内館牧子。
「プロレスラーの武藤敬司さんが「思い出と戦っても勝てねンだよ」と言っているけど、みな、自分の絶頂期と比べるでしょ。でも、いまの世の中は、自分の次の世代が動かしている。私の周囲で定年後からあれもこれも始める人がいる。時間はたっぷりあるがお金はもう稼げない。能力も枯れてゆく。だから欲張らないようにと私は注意したくなる。
私の若い頃、勉強もよくできて多趣味でカッコよかったA子もB子もC子も還暦をすぎたらだだのオバアサンになっていた。書道だけ、俳句だけが趣味だった地味な女がその道で活躍していたりする。この2人の女たちは終わることなく「続けてゆく人」だろう。
「終わった」と認め、思い出ともたたかわないと決めることがすべてのスタートと語る
内館牧子はまだ終わってない人ですね。終わらない人でいてくださいね。
始まりも終わりもないのか松井多絵子は
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