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ふたりの永田紅 ②

2016-11-17 09:13:16 | 歌う

             ふたりの永田紅②

 ♥ あづき煮て病む身養ふことことことこと人のこころに近づく  河野裕子

 永田紅はこの歌について次のように述べている。~「病気をすると、人の心が透けて見えてくる。思いやり、心配、配慮、興味、詮索など、鋭敏になった神経は、人の心の表裏を過剰なほどにも感受してしまう。慰められることもあれば、傷ついたり、怒りを覚えることもあるだろう。

 ※ 私は病気見舞いがとても辛い。特に癌の進行している人は神経が鋭敏だ。先日は病人に優しい言葉をかけず、私の足腰や腸の不調などを話した。しかし病人は聞き流す。「アナタの病は何て軽いこと」という無言の返事、病人の沈黙がやりきれなくなる。

 掲出の歌について永田紅は「波だっていた<こころ>が、小豆をことことと煮る時間のなかでしだいに澄んでゆき、なにか本当のところへ近づいてゆく感じがする。誰に何か言っても、どんな本を読んでも救われることがない苦しみがあるとき、母は、歌を作ることで自分で自分を治すという言い方をしていた。

 ※ 河野裕子の作品にはオノマトペ―が多い。ことことことこと、小豆の煮える音が自身の心に近づいてくる。ことことことことは心音と似ているのだと私はおもう。

 「病気のときの食べ物の歌には、鎧わないこころが出やすいのかもしれない。食べ物は幸せなものでありながら、なぜか健気でかなしい。子規の病床日記では食の記述の多さに驚くが、そうやって子規も自身を元気づけていたのだろうか。母も」。

 ♥ もの食べず苦しむわれの傍らにゐてパンを食べいる夫あはれなり 河野裕子

 「母は食べられない歌を多く作っている。体が食べ物を受けつけなくなったとき、昔食べたおいしいものをつらつらと思い返していたらしい。」

 ※ 食べることが出来なくなった河野は死が迫ってきたことを実感しながら、さりげなくパンを食べる傍らの夫のこころにまで気を配る。最後まで歌人だった母・河野裕子を永田紅は終生忘れることができないであろう。生物学者として、歌人として今後どのように活躍するか。「ふたりの永田紅」にわたしは興味があり、期待している。

             11月17日  松井多絵子

 

 

 

 

 


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