・・・ 猿を決め込む ・・・
♨ テレビには温泉に浸る猿がいてなにやら我の夫に似ている 松井多絵子
1月3日☀折々のことば 猿を決め込む 戯れことば
三匹の猿がそれぞれ目と耳と口を塞いでいる。見ざる、聞かざる、言わざる。これを「三猿」という。自分に都合の悪いことはあえて知らんぷりすること、これを「猿を決め込む」という。巻き添えになることを恐れて口をつぐむ人。あえてふれないことで「ないこと」にする報道。ほんとうは政治から子どもの様子まで、見ないふりをしてちゃんと見ていることが肝要なのに。 鷲田清一
今年の初めの鷲田清一☀「折々のことば」は猿年に因んで「猿を決め込む」。人間の祖先なのに「猿」に対して私たちは好意的ではない。「猿に烏帽子」 「猿の尻笑い」 「猿の人真似」 など意地の悪いことわざが目立つ。犬や猫のようにペットとして猿を飼っている人はめったにいないだろう。動物園かサーカスなどでしか猿に会えない。冬になるとテレビに温泉に浸っている猿が出てくることが多い。先日も猿の入浴シーンを見ていたら、私の知人たちの顔を見ているような気がした。猿も温泉が好きなのだ。そのなかの老いた猿が誰かに似ている。傍らでビールを飲んでいる夫によく似ていたのである。
<戯れことば> とは戯れていう言葉、つまり冗談なのだ。デジタル大辞泉ー戯れの言の用語解説もあるらしい。私たちはストレートに言いにくいことを婉曲に言うことで人間関係を穏やかにしている。冗談は必要なのだ。できるだけ明るい冗談でやんわりと自己主張するのがのぞましい。戯れ言葉は人間関係の潤滑油なのだ。
♦ 冗談と冗談が傷つけ合っている彼のタバコの煙のなかで
「冗談のなかの本音」はときには相手を不愉快にさせ、傷つける。「はっきり言えばいいのに」。たしかにストレートに自分の不満を相手に伝えたほうがいい場合もあるのではないか。「あなたが好きだけど、セッカチなのが困るわ。私がノンキすぎるのかしら」などと。言葉次第で二人の関係が変わりかねない。新年早々「今日でさよなら」ってことだってある。
♦ 「わたしたち今も自意識過剰だわ」「猿だった頃にもどりたいなあ」
時には温泉に入って猿になりましょう ♨
1月3日 松井多絵子
[数の言葉](⦅自然数⦆)は、≪…見ないふりをしてちゃんと見ている…≫ [言語]と生っている。
[回文]の[宝船]の[対称性](双対性)の[要]は、[さ]であり、[文字]を[記号]とすれば、[さ]が[構成するモノ]に[作用]を[呈示]している。
[万人に普遍]な[さ]は、≪…「猿だった頃にもどりたいなあ」…≫の[自然(じねん)]の[モノの顕れ]である。
『なかきよの とおのねふりの みなめさめ なみの
☝
りふねの おとのよきかな』
[数の言葉](⦅自然数⦆)は、[言葉](言語)の[特性]である≪…人間関係の潤滑油…≫にはなれないが、 [万人に普遍]な⦅自然数⦆の「魂」を持っている。
幼く、『(わけのわかる ちゃん)(まとめ ちゃん)(わけのわからん ちゃん)(かど ちゃん)(ぐるぐる ちゃん)(つながり ちゃん)』たちと感得してみたい。
[絵本]「もろはのつるぎ」で・・・