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川端康成別荘解体

2021-09-24 00:00:00 | 軽井沢
 以前当ブログで紹介したことがある(2019.12.20 公開)川端康成の軽井沢別荘が、ご家族から不動産業者に売却され、建物の解体が予定されているという情報が届いたのは7月末のことであった。

多くの木に囲まれ、敷地の最奥部に建てられている川端別荘(2019.9.17 撮影)

 このニュースは8月2日発行の信濃毎日新聞でも取り上げられ、別荘のそばにたたずむ在りし日の川端康成の写真(1959年8月撮影)、現在の別荘の写真、別荘の所在場所を示す地図などと共に、次のように伝えた。

 「川端康成創作の場解体危機
 『貴重な文化遺産失う』危惧の声
  軽井沢旧別荘 保全の動き無ければ『来月着手』
 北佐久郡軽井沢町にある、ノーベル文学賞作家の川端康成(1899~1972年)が所有した別荘が、取り壊しの危機にあることが1日、分かった。現在、別荘を所有する神奈川県内の不動産会社の関係者が7月下旬、別荘周辺の住民に9月からの解体作業着手を伝えた。町内の文化団体や文学愛好家からは『解体されれば、町の貴重な文化遺産が失われる』と危惧する声が上がっている。」

 川端康成別荘は、以前紹介したように、万平ホテルの裏手桜の沢、通称「幸福の谷」(ハッピーバレイ)にあり、1000平方メートルを超える敷地に立つ。道路からは急斜面を上ったところにあり、傾斜地を利用していて、玄関正面からは2階建てに見えるが、裏側に回ると3階建てになっている。信濃毎日新聞の記事によると、「木造2階建てで、延べ床面積約140平方メートルの建物。」とされる。

 また、「夏場を中心に滞在し、軽井沢も舞台として登場する小説『みづうみ』や、随筆『落花流水』などを執筆。上皇ご夫妻は皇太子夫妻時代に訪れた。
 川端の死後、別荘には養女の夫の香男里さんらが訪れていたが、香男里さんは今年2月に死去。6月下旬、別荘は神奈川県内の不動産会社に売却された。」という。

 不動産会社は今後の対応については、「『きちっと決まっているわけではない』とし、建物を保全する形での購入を希望する人が現れた場合は『解体するかどうかも含めて協議したい』と述べた。」と報じている。

 こうした状況に対して、8月上旬、地元軽井沢の諸団体と別荘地のある旧軽井沢区自治体から町議会議長に保存を求める請願書がに提出された。請願書提出団体は次のようであった。

 ・軽井沢文化遺産保存会 
 ・軽井沢ナショナルトラスト
 ・軽井沢別荘団体連合会
 ・軽井沢女性会
 ・軽井沢近代史研究会
 ・旧軽井沢区

 この内、別荘文化の保全に取り組む「軽井沢文化遺産保存会」の会長増淵宗一・日本女子大名誉教授の談話も2日の信濃毎日新聞に掲載されており、次のようである。
 「『川端康成は軽井沢と縁が深い人物で、残すべき価値のある別荘。残すべき建築物を定めるなど、官民一体で取り組んでいく時期に来ている』と訴えている。」

 このほか、8月下旬には軽井沢観光協会、軽井沢観光ガイドの会からも町長に対して保存を求める要望書が提出され、その様子が地元の情報誌「軽井沢新聞」に写真入りで報じられていて、町長の談話として「川端別荘は行政が残さねばならない建物の代表格」として保存への前向きな姿勢を打ち出していたと報じた。

 前出の信濃毎日新聞には軽井沢町藤巻町長の「特定の作家の別荘などで、町が(購入や仲介に)動いたことはなく、今回は同様の対応としたい」とする説明と共に、「貴重な文化資源との思いはある。町内の団体などの仲介で、建物保全へ向けた流れができることを期待する」とする談話が報じられていることから、各種団体はこうした町の方針に望みを託したものと思われる。

 町側はどう動いたか。次回定例会議は9月16日とされていた。請願書の審議はここで行われる。これでは請願書を提出したとしても9月初旬にも始まる予定の解体を止めることはできないことは明らかであった。

 8月26日の軽井沢町議会9月会議、本会議終了後の全員協議会で、ノーベル文学賞作家川端康成(1899-1972年)の旧別荘について、議員から町の考えを尋ねる質問が相次いだ。
 考えを尋ねられた町長は「行政が残さないといけない建物があるとすればほんのわずか。・・・川端康成の一つの足跡が、町として残せるなら残したい考えはある」と、所有者の理解を得た上で保存を検討する意志を示した。また、現地での保存は難しいとし、「見やすい場所へ移築することも考えられる」と見解を述べたという。(ニュース軽井沢)

 議会への請願書を提出していた6団体は、こうした町長の意向を受け請願を取り下げた。議会決議を待つと、日程的に解体の可能性が高まることも取り下げの理由だった(軽井沢新聞)。

 9月6日には、町議会社会常任委員会は請願書を提出した団体からのヒアリングを予定していたが、これも中止された。
 
 そして9月2日、藤巻町長は自ら川端別荘を所有している不動産会社に電話連絡をして、対応に出た本部長に、町として移築保存する意向があることを伝え、行政手続き等にかかる時間の猶予を求めたが、交渉は決裂し、解体が進められることになったことが判明した。

 6日の町議会社会常任委員会の場で、町長から、この間の経緯の説明が行われるとの情報が伝えられ、この日傍聴席には、請願書を提出した団体関係者と報道陣が詰めかけた。

 
軽井沢町議会社会常任委員会の様子(2021.9.6 許可を得て撮影)

 主要事項審議の後、「その他」として、同席した町長から川端別荘解体に関する報告が行われたが、次のようであった。

 「16日の町議会を待たず、2日の午後、所有者の本部長に電話で、川端別荘保存の申し入れを行い、歴史的・文化的に重要なものであり、町として保存をしたいことを伝え、所有者の意向を聞いた。
 町側は、OKになった場合、予算化・議会議決を行う予定であることを伝えたが、先方本部長からは、金融機関からの借り入れがあり、解体予定が延長になればその間の金利発生があることや、数カ月間の工事延長要望は、両者のスピード感が異なり、要望には応じられないとの回答があった。
 川端別荘を第三者に売却するとの噂があるということに関しては、答えられないという回答があり、これ以上どうにもならないと判断し、写真撮影・間取り図作成の調査を申し入れ、今後数日かけて調査を行うこととした。
 不動産業者からは、敷地への立ち入りは不法侵入にあたるので、気を付けてほしいとの発言があった。現地確認では、内部の荷物の搬出、窓枠の取り外しが行われていた。
 別荘保存に関しては、①所有者の理解、②(解体・復元のための)資金が必要であり、行政としての難しさがある。」と締めくくった。

 この報告に対して、議員との間でいくつか質疑が行われたが、次のようであった。

Q:写真撮影・間取り調査は不法侵入に当たらないか。
A:町の活動は許可を得ている。
Q:1日の荷物・窓枠の搬出の際、中にカビの生えた書籍があったと聞くが。
A:廃棄されたのではと思う。
Q:価値は不明だが、入手して調査しないのか。
A:調査し、役立てることができ、寄贈していただければ考える。
・・・
 この町議会の様子は翌7日の各社新聞でも報じられ、読売新聞の長野地域面では次のように伝えた。
 
 「軽井沢町 川端康成別荘解体へ
 所有者了解得られず 移築保存断念
 小説『伊豆の踊子』などで知られ、ノーベル文学賞を受賞した川端康成(1899~1972年)の創作活動の場にもなった軽井沢町の別荘が今月中にも解体されることがわかった。住民有志が保存運動を展開し、町は移築して保存する道を模索していたが、所有者側の了解を得られず、6日の町議会で藤巻進町長が『保存断念』を表明した」

 また、2日発行の信濃毎日新聞以後の新たな情報として、ここでは次のような内容も見られる。

 「川端の死去以降、養女が長らく所有していたが、神奈川県下の不動産会社に6月、所有権が移転した。『ノーベル文学賞受賞の文豪が生前利用していた別荘地』などとして売りに出され、同社ホームページでは『成約御礼』と記載。・・・
 現地ではすでに『解体工事中』の看板が立てられ、窓枠を取り外されるなど一部の解体工事が始っている。・・・
 保存活動を行ってきた軽井沢文化遺産保存会の増淵宗一会長は『町が持てない利息分をこちらでみることで保存できないか、不動産会社と交渉を続けたい』と話した。
 町内では2019年にも、町に現存する最古の洋和館別荘とされる『三井三郎助別荘』が、住民の保存運動にもかかわらず解体された。」

 この新聞記事にもあるが、行政としてはできることに限界があるものの、民間団体でできることはないかと模索する「軽井沢文化遺産保存会」は、改めて不動産業者に電話連絡をしたが、これが不動産業者に受け入れられることはなかった。

 9月6日、7日と町による調査が行われ、その後川端別荘の解体は進んでいった。

 次の写真は現地で解体作業を行っている業者の了解を得て撮影したものである。


アプローチ道から見た川端別荘(2021.9.11 撮影)

川端別荘玄関脇から(2021.9.11 撮影)

窓枠などの取り外された川端別荘(2021.9.11 撮影)

取り外されたドア・窓枠にはブルーシートがかけられていた(2021.9.11 撮影)

1階リビングルームには石造りの暖炉がある(2021.9.11 撮影)

リビングの天井(2021.9.11 撮影)

1階リビングから2階への階段(2021.9.11 撮影)

1階から地階への階段(2021.9.11 撮影)

 9月13日、現地ではさらに解体が進んでいた。

解体が進む川端別荘 1/3(2021.9.13 撮影)

解体が進む川端別荘 2/3(2021.9.13 撮影)

解体が進む川端別荘 3/3(2021.9.13 撮影)

 7月末の事態発覚から1ヶ月余、川端別荘の保存・移築を求めて活動を行ってきた人々にとって、あっけない幕切れとなった。町側は保存に向けて動こうとしたものの、余りに遅すぎた。

 一説には、今年3月には川端別荘売却の情報が町会議員でもある不動産関係者の耳には届いていたという。しかしこの段階での町としての動きはなかった。

 軽井沢町にはブループラークという制度がある。町のホームページには次のようにその趣旨が説明されていて、2021年3月30日 現在99件の建物が登録されている。
 
 「ブループラークとは、150年ほど前に英国で始まった制度で、歴史的な出来事があった建物や著名人に関わりのある建造物、あるいは著名建築家によって設計された建物等に銘板を設置し、それらの歴史を継承していく事を目的とした事業です。
 その制度を参考にして、軽井沢町では町内の歴史的な価値を持つ建造物などを認定し、歴史遺産として継承し今後も保存していただきたいと言う思いを込め、軽井沢ブループラーク制度を平成28年度より開始しました。
 認定された建物の所有者には、認定証と軽井沢ブループラークの銘板を町より授与しています。」
 
 しかし、川端別荘の場合は、軽井沢町ブループラークの認定候補にあがった際、交渉に当たった担当者によれば、「ご遺族は、このままの形で残すことはできないと認定を固辞された」ということで、ここには載っていなかった。

 このような、所有者側と町側の考え方・価値観のすれ違いをどう克服して、今後の保存活動に結び付けていけばいいのか、今回請願書を提出した諸団体での模索が続けられることになる。

 ちなみに、上記99件のブループラーク制度認定の建物の内、民間所有の別荘には次のようなものがあり、これらは現時点では保存に向けての方向性が明確になっていないと思われる。

 阿部知二別荘、板垣鷹穂別荘、浮田別荘、旧アーガル別荘、旧彌永家別荘、旧加藤家別荘、旧ノートヘルファー別荘、旧林了別荘、旧ポール・ジャクレー邸、旧ライシャワー家別荘、佐藤不二男別荘、柴田別荘、辻邦生別荘、中里邸別邸、西村伊作別荘、本間徳次郎別荘、旧石井家山荘、旧片山廣子別荘、旧カニングハム別荘、旧ジョルゲンセン邸、旧菅原通済別荘、旧西川家住宅、旧増田家住宅、旧ロミッシー別荘、河本重次郎別荘、村田別荘、山家信次別荘。

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