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死ぬまでに学びたい5つの物理学

2023-02-17 00:00:00 | 
 もうだいぶ前のことになるが、職場の先輩であったHさんから、1冊の本が送られてきた。書名は「死ぬまでに学びたい5つの物理学」(山口栄一著 2014年 筑摩書房発行)というちょっと大層なタイトルの本である。
 
 Hさんは現役時代、本社の営業関連の部署に所属していたが、G大学・理学部物理学科の出身と聞いていたので、この本が送られてきたことに関しては、なるほど、しかしどうしてという感じがしたのであった。

 すぐにざっと目を通したが、細部までとなるとそんなに簡単に読めるものではなく、これまで長い間何度となく本棚と机の上を行ったり来たりしている。

 この本で採りあげている5つの物理学とは何かというと、①万有引力の法則、②統計力学、③エネルギー量子仮説、④相対性理論、⑤量子力学である。

 確かにこれらの学問はいずれも現代物理学の根幹をなすもので、それぞれ偉大な一人(下表で赤字で示す。量子力学だけは複数の名前が紹介されている。それ以外の黒字は関連する人物)の物理学者が大きな貢献をして発見されたものである。

 これらの発見者の名前は、万有引力と言えばアイザック・ニュートン(1642~1727)、統計力学はルートヴィッヒ・ボルツマン(1844~1906)、エネルギー量子仮説はマックス・プランク(1858~1947)、相対性理論はアルベルト・アインシュタイン(1879~1955)、量子力学の基になる物質波の概念はドゥ・ブロイ(1892~1987)である。

 ちなみに、ノーベル物理学賞の受賞について触れておくと、5人の内ニュートンは別にして、1901年からスタートしたノーベル賞を受賞したのはマックス・プランク(1918年、エネルギー量子の発見による物理学の進展への貢献 )、アルベルト・アインシュタイン(1921年、理論物理学に対する貢献、特に光電効果の法則の発見 )、ドゥ・ブロイ(1929年、電子の波動的特性の発見 )の3人である。1906年に没したルートヴィッヒ・ボルツマンはノーベル賞を受賞していない。
 尚、下表のエルヴィン・シュレーディンガーとヴェルナー・ハイゼンベルグのノーベル物理学賞の受賞年と受賞理由は、それぞれ「1933年、原子論の新しく有効な形式の発見」と「1932年、量子力学の創始ならびにその応用、特に同素異形の水素の発見 」であった。 


5つの物理学の発見に貢献した科学者とその生没年表(☆はノーベル賞受賞年)

  著者の山口栄一京都大学教授はこの本を出版した目的を序章の中で次のように記している。

 「本書の第一の目的は、『物理学の学び直し』です。今の教育制度では高校時代に文系に進んだ若者は、生涯二度と物理学に触れようとしないでしょう。そのために多くの人がこの宝物の価値を知らずにいます。だから大人になった後でも、科学、とくに相対性理論などの現代物理学を学んでみたいと思う人たちに、物理学への入門を果たす手伝いをしたい。・・・

 本書では5つの物理学を取り上げ、それがどのような環境と着想のもとに生れたか、それぞれの物理学はどんなふうに理解できるかを述べます。・・・ 

 なぜ科学は、15世紀までの最先進国である中国や、その知識を受け継いで独自な進化を遂げた日本で生まれなかったのでしょうか。あるいは化学の原初である錬金術を生み出し高度な物質技術を開発していたアラブ世界で生まれなかったのでしょうか。
 こうした疑問に対して腑に落ちる答えを得ることが、本書の第二の目的です。・・・」

 ここで述べられている第一の目的とは、5つの物理学そのものについてである。一方、第二の目的は著者独自の理論についてである。イノベーション・ダイヤグラムと著者が名付けた図を用いて「知の創造」に至る知的営みについて述べ、これにより5つの物理学が発見されたプロセスを検証している。

 このイノベーション・ダイヤグラムに関し、「ブレークスルーを成し遂げた物理学者たちの思考プロセスは人類にとっての宝物です。これを知らずに死ぬのはもったいない。・・・人類のもっとも美しい物語を知ることができる。・・・」と書かれている部分を読むと、この思考プロセスこそ著者が一番読者に訴えたかったことであり、本のタイトルもそのことを示していると思えるのである。 

 著者が挙げたこの2つの目的の他に、著者がもう一つ力を込めているのが「ゆるぎない軸」ということである。これについてはやはり序章で次のように述べられている。

 「ぼくは物理学に出会ったおかげで、どんな困難に出会っても、軸をぶらさずに生きてこられた。物理学は、ぼくの人格を強くしてくれた。・・・」

 これより少し前の部分で、スイスの物理学者ヴォルフガング・パウリの書いた『相対性理論』を読み、その数式を理解し、その美しさに感動した時に、「こんなに美しい世界があることを知った以上、自分はもう何があっても揺らぐことはない」と思ったとも述べている。著者19歳の時のことである。

 この、著者の経験を多くの学生に伝えたい、道に迷った若者たちが自分で困難に立ち向かっていける。・・・そういう物理学を教えたい・・・との思いで大学院で教えた講義をもとにしたものがこの本であるという。

 ところで、Hさんがこの本を私に送ってくれた理由は、今も謎のままである。Hさんは理学部・物理学科の出身、私は、物理系ではあるが、物性物理学科の出身であり、バックグラウンドはやや異なっている。それでもこの本が取り上げている5つの物理学は一通り学んできた。特に、統計力学と量子力学は岩波全書の著者である中村 伝教授と小谷正雄教授から直接教わっており、テキストでもあったその本は今も手元にある。

 
岩波全書「統計力学」(中村 伝著、1967年 岩波書店発行)のカバーケース表紙


岩波全書「量子力学Ⅰ」(小谷正雄著、1965年 岩波書店発行)の表紙

 この本の著者が記した第一の目的である「物理学の学び直し」はHさんにも私にもちょっと当てはまらないのではというのが、この本を手にしたときの最初の印象であったが、本文を読み進むうちにやや考えは変わっていった。

 著者は序章で次のようにも述べている。

 「これまでの物理学の教科書はすべて『物理学を利用する』ということを暗黙の前提として書かれています。だから教師は、物理学をあくまで『道具』として学ぶように指導してきました。
 たとえば、工学部の教育課程とその教科書には、最初の基礎科目に物理学が入っているけれども、一つ一つの理論に魂が込められていません。『道具』や『機械』なのだから単に覚えればよい。使えればよい。そんなふうな書き方がしてあります。
 じつは、理学部の物理学科でさえそうなのです。教師は、学生が将来、教師や企業の科学者・技術者になることを暗黙の前提にしています。だから、やっぱり物理学はここでも『道具』なのです。・・・」

 ここに述べられた意味では、Hさんも私も「道具」としての物理学を学んできたということになる。

 学生時代に受けた授業内容は、もう霞のかなたでよく覚えていないが、これら5人の科学者がどのようにして革新的なアイデアに到達したのかという、個人の内面にまで入り込んだ思考プロセスについては、確かに授業では触れられていなかったように思う。

 ただ、19世紀後半から20世紀前半のこの時代に、物理学が飛躍的に発展し、その成果が物性物理学にもおよび、磁性体や半導体の性質が深く理解されるようになっているのを生きいきと学ぶことができたと思っている。

 5つの物理学に戻ると、量子論・量子力学については、卒業後これを駆使した研究を行った同級生は、大学に残り学者としての道を選んだ人や、企業に就職して磁性体や半導体研究開発の分野に進んだ一部の人たちではないかと思うし、相対性理論になると、物性を考える際に僅かにその影響が出ているとされていたり、通信分野で利用されているといわれるが、使いこなした人はさらに数は減るのではないかと思う。

 そうした意味では、量子力学や相対性理論は「道具」としても使いこなすという機会もないままに今日に至っていることに気づき、この本を改めて読んでみようという気にさせられたのである。
 
 もう一つの目的である思考プロセスでいえば、イノベーション・ダイヤグラムはもちろん当時知られておらず、授業以外では武谷三男氏の著作を読み、三段階論を勉強したことを懐かしく思い出すというところにとどまる。

 さて、この本では文科系の読者にもわかるようにということで、数式を極力排して、5つの物理学の神髄ともいうべき部分を解説するとともに、3つの演習を行っている。なかなか興味深い内容なので、この演習について、項目だけを紹介しておくと次のようである。

1.万有引力の法則
  天才のインスピレーションを追体験する・・・として、ケプラーの第2法則を万有引力の法則
  から証明している。
2.統計力学
  世界の乱雑ぶりを弾きだす・・・として、「同じ量の80度の水と20度の水を接触させると、し
  まいには両方とも50度になってしまうけれども、50度の水から、80度の水と20度の水をつく
  ることはできない」のはなぜかについて、エントロピーを求め、これが熱平衡で最大になるこ
  とを示している。
3.相対性理論
  中学生の数式で相対性理論を導く・・・として、座標系の「相対性原理」と「光速度不変の原
  理」から相対性理論を導き、時間の進み方の変化や物体の長さの変化が導かれることを解説す
  る。

 著者が力説している自身の説、イノベーション・ダイヤグラムについては5つの物理学についての章の後に第6章を設けて詳述しており、ここで「演繹」、「帰納」、「創発」というプロセスを経て新たな知が創造されることを示している。また更に「回遊」というプロセスに触れて、山中伸弥博士(1962~)によるノーベル賞受賞研究であるiPS細胞の発見についても言及している。

 改めて、Hさんがこの本を私にプレゼントし、伝えたかったことは何だったのか。5つの物理学の学び直し・・・、5つの物理学がどのように発見されたかの個人の内面にまで入り込んだ科学史・・・、それとも新たな知が生み出されるプロセスを一般化したイノベーション・ダイヤグラムについてだろうか・・・結局のところこのどれでもないように思えてきた。

 今もなお書棚と手元の間を行ったり来たりしているこの本を通じて、Hさんが私に伝えたかったのは、十分消化しきれなかったところはあるけれども、「物理学を学生時代に学んでよかったね」、ということかもしれないと思うようになった。Hさん、ありがとう。

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