軽井沢からの通信ときどき3D

移住して10年目に入りました、ここでの生活と自然を写真と動画で発信しています

山野で見た蝶(2) イチモンジセセリ

2018-07-13 00:00:00 | 
 今回はイチモンジセセリ。前翅長15~21mmの小型の蝶。翅表は茶褐色、裏面は黄褐色で、表裏ともに白い斑点がある。後翅の表・裏にある4つの白斑が、直線上に並ぶのが本種の特徴で、他種との区別はこれにより行える。

 よく似た種には、オオチャバネセセリ、ミヤマチャバネセセリ、チャバネセセリなどがいるが、オオチャバネセセリでは後翅の表・裏の白班は4~5つがジグザグに並ぶことで、ミヤマチャバネセセリでは4つの白斑のほかに、後翅裏中央に大きく明瞭な白斑があるところで、チャバネセセリの場合は4つの白斑は小さく弧状にならぶ特徴があることからそれぞれ区別される。
 
 食草は、イネ、イヌムギ、チガヤ、エノコログサ、メヒシバ、ススキなどの各種のイネ科植物であり、このことからイネの害虫とされるが、一方でいつもの古い図鑑「原色日本蝶類図鑑」(1964年 保育社発行)には次のような記述もあり、興味深い。

 「・・・本州・四国・九州にはきわめて饒産し、俗に『はまきむし』『がじむし』『つとむし』『はまぐりむし』として知られ、稲を害するにもかかわらず、この大発生が豊年と一致する場合が多く『豊年虫』の名もあって、多照高温が本種の発生にも適応する関係と思われる。・・・」 

 軽井沢では前出の4種のなかでイチモンジセセリの数が一番多く、夏の終わりから秋にかけて爆発的に増える。本州の暖地では、5~6月に第一回目が少数羽化、7月に第二回目、8~9月に移動個体を生じる3回目が現れるとされるが、軽井沢で見られる個体は、これら南方からの移動個体やその増殖世代と考えられている。

 越冬は3~4齢の中齢とされるが、長野県での越冬に関する記録は無く、越冬の可能性については疑問視されている。
 
 「庭にきた蝶」のシリーズで紹介すべきであったが、なぜかこのイチモンジセセリのことを書き忘れていた。庭のブッドレアにも吸蜜に来ていたし、軽井沢のあちらこちらで普通に見かける種である。

 このセセリチョウの仲間は何とも地味で、下手をすると蛾に間違えられる種である。肉眼で見ていたのではなかなか判らないが、改めて写真をみると、大きな黒い目と毛むくじゃらの体はぬいぐるみのようで、なかなか愛嬌がある。


庭のブッドレアで吸蜜するイチモンジセセリ (20170818 撮影)


ミソハギで吸蜜するイチモンジセセリ (20150912 撮影)


ニラの花にとまるイチモンジセセリ (20170909 撮影)


庭のブッドレアで吸蜜するイチモンジセセリ (20170818 撮影)


ミソハギの花に吸蜜に訪れたイチモンジセセリ (20150902 撮影)


クジャクソウで吸蜜するイチモンジセセリ (20150902 撮影)


庭のブッドレアで吸蜜するイチモンジセセリ (20170818 撮影)


ミソハギで吸蜜するイチモンジセセリ (20150902 撮影)


マツムシソウで吸蜜するイチモンジセセリ (20150902 撮影)


庭のモミの木の葉上で休憩するイチモンジセセリ (20170930 撮影)


庭のブッドレアで吸蜜するイチモンジセセリ (20170818 撮影)


庭のハナトラノオで吸蜜するイチモンジセセリ (20150902 撮影)


ミソハギで吸蜜するイチモンジセセリ (20150902 撮影)


庭の日本ハッカで吸蜜するイチモンジセセリ (20170818 撮影)

 上で、夏の終わりから秋になると、イチモンジセセリの数が爆発的に増えると書いたが、その様子は次のようなものである。2枚目の写真中には、判りづらいが数えられるものだけで14頭は確認できる(赤丸で囲んでいる)。


ミソハギの花に集まるイチモンジセセリ (20150902 撮影)


クジャクソウに群がるイチモンジセセリ (20150902 撮影)

 イチモンジセセリはアサギマダラと同様、渡りをする蝶としても有名である。いつもの「原色日本蝶類図鑑」(1964年 保育社発行)のイチモンジセセリの項の冒頭は次のように始まる。

 「都市の上空を幾万ともしれず群飛し、ある時は海峡を渡って移動する記録は近年幾度か繰り返され話題をにぎわしている蝶である。」

 そして、「海をわたる蝶」(日浦 勇 著、1973年蒼樹書房発行)には大阪自然史博物館に勤務していた著者が経験した、奈良県御所(ごせ)市にある葛城山でのイチモンジセセリの移動の様子が紹介されている。

 「(1969年8月27日)午前11時頃、高校生の牛島君が、『イチモンジセセリが移動していますよ』という。なるほど、小さな目立たぬ色合いの蝶が、一匹また一匹と麓から飛んできては、葛城山の山頂の方向に飛んでゆく。よし、勘定してみよう・・・
 翌朝8時頃飯を食っていると、また牛島君が飛び込んできた。『先生、イチモンジセセリが、今度はすごい数ですよ』。なるほど昨日とは桁違いの移動である。9時頃にはピークになり、1分間に可視範囲を横切る蝶の数は500匹を優に越えている。どう表現したらいいであろうか、あるものは低く、露にぬれた草すれすれに、あるものは高く3mほどの所を、波打つようにリズミカルに、西へ西へと飛んでゆく。・・・山頂草原一帯がイチモンジセセリの群れでおおわれているのである。・・・いったい、どれだけの蝶が葛城山を越えて奈良側から大阪側へ移動したであろうか。・・・
 第一日目は(計算すると)21,600匹という値になる。第二日は、実に36万匹という莫大な数である。1969年8月27日、28日のことであった。」

 このころはまだ、日本での蝶の渡りの実態調査は行われておらず、目の前を移動してゆく蝶がどこまで飛んでゆくものか分かっていなかったので、この本の中で、著者は「(イチモンジセセリの移動は)中国大陸までわたるのか、それとも黄海の波に呑まれてしまうのか今のところまったく分からない。」としている。

 その後、日浦 勇氏をリーダーとして中筋房夫、石井 実氏らがイチモンジセセリの渡りの研究に本格的に取り組み、その結果をまとめ、「蝶、海へ還る」(中筋房夫、石井 実 共著、1988年 冬樹社発行)として出版した。ここには、それまでのイチモンジセセリの移動に関する目撃情報が次のようにまとめられている。

 「観察記録の第一号は、明治23年(1890年)8月23日に、”昆虫翁”と自称していた日本昆虫学黎明期の学者名和靖が見た岐阜県下での移動報告である。」

 「昭和5年(1930年)8月21日午前11時頃、大阪市の東方より西方に向かって、イチモンジセセリの大群が急に来襲し、大阪府庁を初め付近の官庁会社の窓より室内に侵入して、事務を妨げ、街上には走車行人と衝突して落下したる屍累々たり。一時は大騒ぎであったが、大勢は暫時北西方の空に向けて飛び去った。・・・(中略)・・・又同日午前九時頃、滋賀県石山駅の上空をこの蝶の大群が湖を横切って北より南へ飛ぶのを見たと云う通知があった。どれも同じ日、同じ蝶であったと云う事が、双方連絡しあったものではなかろうかと疑われる。何れにしても、面白い現象だった。因みに同日は曇天にして、時々気温低下して所によっては雷雨もありたる様なり。その後、8月25日にも、大阪府岸和田市地方にても、イチモンジセセリの群集移動ありたる由・・・(戸沢信義により当時の『ゼフィルス』という雑誌に掲載された記述)」

 「1947年。島根大学教授近木英哉は、大阪淀屋橋で遭遇したこの蝶の群を、『顔にぶつかって目も口も開けられないほどであった』と表現している」

 「これまでに観察されたうちで、もっとも大きな群は、1952年9月2日に神奈川県松田上空を通過したものである。群の大きさは長さ12キロメートル、幅5キロメートル、厚さ9.5メートルで、推定約18億匹のイチモンジセセリが南方向へと移動していったとされる。」

 1967年8月24日付け毎日新聞大阪版夕刊記事として、「二十四日朝、小さなチョウ(イチモンジセセリ)の大群が大阪の空を東から西に向けて飛び、人々をびっくりさせた。/同日朝七時頃、大阪の東の空から現れ、地上数メートルから二十メートルほどの高さを時速六十キロメートルぐらいで移動、同九時頃まで飛び続けて大阪湾方面に姿を消した。/通り道に当たった守口市から新淀川下流にかけては迷いチョウがビルの窓から飛び込んだり電車の窓に当たったり時ならぬ虫騒ぎ・・・」

 もっとも古い記録として、『吾妻鏡』の第39に記載の次の文も紹介されている。
 「宝治2年9月小(1248年)7日、辛亥、黄蝶飛行す。由比の浦より鶴岡宮寺ならびに右大将家の法花堂に至るまで群れ亘ると云々・・・19日、発亥、未甲両時の間、黄蝶群れ飛び、三浦三崎の方より名越辺に出で来る。その群集の幅三許段(約300m)と云々・・」

 イチモンジセセリの移動に関しては、随分古くから人々に目撃されていたことがわかる。 さて、イチモンジセセリの渡りの実態調査であるが、移動の実態を正確に把握する一番の方法はマーキングである。後年になって、アサギマダラなどで成功している方法であるが、イチモンジセセリの場合はサイズが小さく、アサギマダラの場合のように詳細な情報を書き込むスペースも無い。また再捕獲の確率を考えると、膨大な数のサンプルが必要になる。

 マーキングによる追跡調査も実施されているが、この研究当時は協力者の数も限られ、十分なサンプルを確保するまでには至らなかったようである。しかし、僅かながら再捕獲もされた。

 その結果、イチモンジセセリの渡りは、成虫になったその日一日だけ2-3時間継続する程度に過ぎないとされ、オオカバマダラやアサギマダラの壮大な渡りとは比べものにならない短い距離で、中途半端な旅とされた。距離にして約100kmぐらいしか飛んでいない。詳細は本に譲るとして、この本の「あとがき」には次のような記述があって、調査がいかに困難であったかを物語っている。

 「・・・独断と偏見をもかえりみず中筋が渡りの謎解きを試みた。いかにも謎が解けたような楽観的な書き方がされているが、それは中筋の一人よがりにすぎず実のところはまだ何も分かっていないのである。・・・」

 この研究チームのリーダー役とされた大阪市立自然史博物館の日浦勇氏は調査開始後間もなく「突然冥土へ旅立った」ことが、この本に記されているが、同博物館ではその後も継続的にイチモンジセセリの渡り研究を継続しているもようで、現在の(2017年7月現在)状況を展示内容からもうかがい知る事が出来る。

 以前、大阪市立自然史博物館の紹介(2017.8.11 公開)で、このイチモンジセセリの移動調査に触れたが、再度その写真を掲載して本稿を終える。


第3展示室のイチモンジセセリなどの渡りの説明展示・「秋に南へ移動する蝶」(2017.7.19 撮影)


第3展示室のイチモンジセセリなどの渡りの説明展示・「伊良湖岬とイチモンジセセリ」(2017.7.19 撮影)


第3展示室のイチモンジセセリなどの渡りの説明展示・「イチモンジセセリの生活」(2017.7.19 撮影)


第3展示室のイチモンジセセリなどの渡りの説明展示・「イチモンジセセリとチャバネセセリの地理的分布」(2017.7.19 撮影)


大和葛城山でのイチモンジセセリの捕獲とマーキングの様子を紹介するビデオ(2017.7.19 撮影)


後翅の白い文様を油性ペンで塗りつぶしてマーキングをしたイチモンジセセリのビデオ(2017.7.19 撮影)




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする