国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

25. 完敗(その4)

2021-05-14 | 運転免許
これまでの受験と同じく、するべきことを済ませたので速やかに退室し、1階の待合室で父と待っていました。約1時間後に降りてきたLindaは何とも浮かぬ、というよりほとんど泣き出しそうな表情でした。理由を尋ねてみたら驚きの答え。「これまで一度も見たこともなく何度読んでも解らない問題が20ぐらいあった」のだとか。また危険予測問題も一つは自信なし、もう一つは質問自体がよく理解できず、手も足も出なかったとのこと。(さらに後で訊いてみたら「材木を山積みにして (うち1本には制限外積載許可を受けて道路を通行する際に義務づけられている赤い布を付けて) 前方を走るトラックが描かれていた」そうで、たしかに私の記憶にもないイラストでした。)もしかしたら「ハズレ」を引いてしまったのかも、と思いましたが、そうなると合格は非常に厳しい状況です。それでも「前回受験から1ヶ月の間にあれだけ頑張って勉強したのだから、もしかして」という微かな期待は抱いたのですが・・・・・・それは無残にも打ち砕かれました。

合格発表時に彼女の受験番号「152」は表示されず。「二度あることは三度ある」「三度目の正直」という相反することわざがありますが、残念ながら前者でした。そして父はてっきり合格したものと思い込んでいたらしく、落ちたと聞いて「何や、アカンかったんか?」と豆鉄砲を喰らった鳩のような表情で言いました。

この日も次回の書類を受け取りに窓口へ。点数は二つ隣で教えてくれるということだったので行ってみたら何とまたしても例の職員。仏頂面で「84点」と言い放ちました。(なお私はその人物の姓も名札で知っていますが、個人が特定されるのを避けるため「○氏」のようなイニシャルも明記しませんでしたし、性別やおおよその年齢はもとより、いかなる身体的特徴も書かないよう留意しました。今後も同様で、あくまで客観的事実のみ記述することを心がけます。)

これは私にとって、それ以上にLindaにとって大きな打撃でした。勉強して知識は増えているはずなのに点数は下がってしまった! この時まで(少なくとも私は)試験を甘く見過ぎていたようです。それゆえ、従来の勉強法を見直す必要があるかもしれないとも考えたのでした。

その後のことは翌日付の日記に書いた通り。祝賀会のはずが残念会となってしまい、何とも盛り上がりに欠ける温泉旅行でした。酒蔵見学と試飲で少しは気分が晴れましたけど。実はそれに先立つこの日も焼肉で合格祝いをするつもりで宿を取っていたのでした。(後日追記:「取らぬ狸の皮算用」はその2回で打ち止めとなり、こちらは幸いにも「三度目の正直」とすることができました。)
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