国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

帰国して

2015-12-14 | 結婚@NYまで
帰国翌日から出勤となりました。結婚したとはいえ、それまでの生活とは何ら変わったところはありません。(そうなると却って妙な気分になるものですね。)けれどボリビアでの結婚とLindaの日本入国を実現させるべく四苦八苦していた頃と比べたら状況は一変。ハードルが一気に低くなりました。

まずボリビアへ入国する際に特定目的ビザが要らなくなったこと。既に夫婦となっているので「妻とその親族に会いに行く」で済みます。またcivilが終わっているので結婚式がreligiónだけになったのも大きい。そちらには「入国後10日待て」というふざけたルールはありませんから。そして、婚姻の事実が戸籍に反映されたため在留許可認定証明書が申請できるようになりました。

ここで10月13日の日記ではサラッとしか述べなかった申請についてもう少し書いてみます。

長浜市役所で婚姻届を出す時にニューヨークで発行された婚姻証明書の有効性がちょっと問題になったこともあり、予め大阪入国管理局大津出張所へ電話で尋ねてみました。在留資格認定証明書交付申請書に「22 婚姻,出生又は縁組の届出先及び届出年月日」という項目があり、このうち「(1)日本国届出先と届出年月日」は記入できるものの「(2)本国等届出先と届出年月日」(申請者Lindaの本国=ボリビア)はまだ済んでいないので代わりにニューヨークでの式(civil)で良いか、それとも未記入のままにしておくべきかを確認するためです。そうしたら「最終的には大阪の本局が審査しますけど、全部の書類が揃ってなくても申請は受け付けますよ」と言ってくれたので未記入で臨むことにしました。さらに聞いてみると、「むしろ最初から全てが揃っているケースの方が珍しく、審査と平行して各種手続きを進める人の方が普通」とのこと。それを聞いて一安心。翌日大津へ行った次第です。

これで首尾良く12月30日の出発前に在留資格認定証明書が取れたら私はそれをボリビアへ持っていき、Lindaは結婚式(religión)を終えたらいつでも配偶者ビザで来日できるようになります。ただし私と同じ飛行機では来られないため、東回りでスペイン(バレンシア)にいる親戚を訪ねることを一時検討していましたが、そうなると日が問題。関空なら何とでもなりますが、成田着となれば迎えに行ける日は限られます。週末まで八王子にいるK君とAさんの所に置いてもらえないかお願いすることになるかもしれないな、と思っていたのですが、後に彼女は気が変わって1日でも早く私と一緒に住みたいと考えるようになり、サンパウロ→パリ経由で1月15日(金)の午前10時前に来日することにしたのは既に述べた通りです。(追記:既に「現在」に書きましたが、鼻の治療のため来日がさらに1ヶ月ほど遅れることとなりました。現時点では2月14日の予定ながら不確定です。)

これで「過去」の話は全て吐き出しました(ようやくにして「過去」が「現在」に追い付きました)ので、今後は基本的に「現在」の記事のみになると思います。なお今更ですが、カテゴリーで絞り込めば両方とも時系列で表示されるため読みやすいはずです。
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その後(帰国まで)

2015-12-12 | 結婚@NYまで

式の後は移動してセントラルパークを散歩しました。昼食は皆を招いてレストランで盛大に、とLindaから聞いていたのですが、周囲の計らいで私たち二人だけで過ごすことに(私にとって実質NY最後の日ですから)、そして食事は彼らだけで、ということになりました。

アパートに戻って食事の支度。ここで思い出したことがあったのでLindaに言いました。「日本では結婚披露宴の時のケーキカットを『夫婦初の共同作業』と呼ぶんだけど僕たちのは全然違うね」と。それが何だったのかがどうしても思い出せないのですが、たぶん調理に関係した何かだったと思います。忘れてしまうくらいだから大したことではなかったのでしょう。(追記:思い出しました。私たちの部屋のドアがしっかり閉まらなかったので、金具をLindaが買ってきた新しいものと取り替えることに。彼女に押さえてもらって私がドライバーで締め付けました。判ってみればやはり他愛のないものでしたが、ちょっと珍しい「夫婦初の共同作業」ではないかと思います。)

昼食後にパッキングや今後の打ち合わせなどしていたら時間はどんどん経過し、外出の時間になりました。その晩はメトロポリタン歌劇場でヴェルディのオペラ「イル・トロヴァトーレ」を観ることになっていたのです。

(同じ日にNFLのフィラデルフィア・イーグルスとニューヨーク・ジャイアンツのゲームがあることは知っていました。かなり後方の席ながらチケットが少し残っているのも。けれど見送りました。何せメットライフスタジアムはニューアーク国際空港よりも遠いですから帰ってくるのが大変です。その試合は最後の最後でジャイアンツが逆転勝ちするという大熱戦になりましたが、まあ仕方ありません。いつか観戦できる日も訪れるでしょう。Lindaが日本のパスポートを取って米国に入れるようになったら・・・・・と思ったのですが、最近はロンドンでも毎年数試合が行われているので、そっちという手もありますね。ついでながら、滞在中にはヤンキースの田中将大投手の先発予定試合もあったのですが、右太もも裏の張りによる登板回避でこちらも見送りとなりました。)

再びマンハッタンに着いたのが午後6時過ぎ。開演は7時なのでLindaが何度か行ったことがあるという日本料理店に入りました。(名前は失念してしまいました。ニューヨークはただでさえ物価が高かったのですが、この店も決して安くはなく、東京で食べる場合の5割増から2倍ぐらいの値段が付いていました。カツ丼が15ドルだったかな。)注文を任されたのでBeef Sukiyaki(サラダ&ライス付き)とMiso Soupにしました。「これからは私も慣れないといけないわね」と言ってLindaは箸で食べていましたが、箸使いは決して悪くなかったです。食後いよいよ劇場へ。


私たちが座ったのは2階席で舞台からは結構離れていたのですが、流石に超一流の歌手の声だけあってよく届きます。NHK-BSのドキュメンタリー番組で観たアンナ・ネトレプコ(ロシア生まれ、NY在住)が出演するのを知ってチケットを取ってくれるよう頼んだのですが、彼女の歌はやはり圧巻でした。あと同じくロシア生まれのディミトリー・ホロストフスキーはよく知らなかったのですが、姿を見せた途端に大拍手がわき起こり、指揮者が演奏を止めてやり直しをさせられたほどの大人気。そして同じくド迫力の歌唱を聞かせていました。この二人以外の歌手も実力派揃い。オケも超一流。前の座席に字幕用のモニターが備えられており、私は(日本語はなかったので)英語、Lindaはスペイン語に設定。ということで堪能できる条件は揃っていたのですが・・・・・

私たちはあまりにも疲れていました。この3日間歩き回っていただけでなく、本当にいろんなことがあったので。それで私は前半(第1&第2幕)の、Lindaは後半(第3&第4幕)の終わりにウトウトしてしまいました。今思うと勿体ないことですが無理もないですね。

終演後に小さな食料品店で翌日の朝食を買い、地下鉄と徒歩でアパートに着いた時には日付が変わっていました。そうなるとあとはもう眠りに就くだけ。冷蔵庫に入れておいた日本酒を出してきてワイングラスで乾杯。その後横になったら瞬きする間もなく熟睡していました。

そして目が覚めたら夕方の5時・・・・・ならばドタバタコメディ級の笑い話ですが、さすがにそういうことはなく午前5時に起床。そして8時にRicardoの車でJFK国際空港へ。Lindaは出発口まで見送りに来てくれましたが、その後も私が乗っている飛行機の離陸を見届けるため残っていたそうです。これで2度目の「しばしの別れ」となりました。


追記

本文執筆時には詳細を忘れていたレストランですが、帰国後紛失したと思っていたメニューが出てきたので店名場所も判明しました。(「テンプラハウス」というのは昔の名前でしょうか?)Katsudonの値段は珍しくも記憶通りでしたね。(画像はデリバリー用のコピー版ですが、店内で渡されたのも同じ値段だったと記憶しています。)

店の中はこんな感じです。私たちが座ったのは窓際の席ですが、丸テーブルではありませんでした。内部の写真は2010年7月撮影ということですので、その後配置が変わったということかもしれません。こちらでも旧店名で紹介されていますが、レビューについてはノーコメントとします。ちなみに各種グルメサイトに掲載されている値段と比較して私が持ち帰ったメニューのそれはかなり値上がりしています。ラーメン1杯1500円以上とかちょっと許せませんよねぇ。もちろんLindaがこっちに来たら安くて美味しい日本食をいっぱい食べてもらうつもりです。
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実にあっけなく

2015-12-10 | 結婚@NYまで
(この日の模様は既に帰国直後に投稿しています。)

今度こそ一番乗りするという決意のもと、翌日は6時半に出ることにしました。Martínez一家をはじめ参列予定者の多くはもう少し遅く出るとのことで、一緒に地下鉄に乗ったのはボリビア人のJuanitaだけでした。City Clerk Officeへ着いたのは8時前。それでも二番乗りでした。

8時半になって前日と同じおっちゃんにライセンスを提出したところ。「ダメダメ、まだ24時間経ってないよ」とつれない対応。(こういうところはキッチリしているんですね。)それで椅子に座って雑談していました。そうしているうちにLindaの知人たちも次々とやって来ました。

緊張の面持ちです(右)。なおこれらの写真はLindaのFacebookから拝借しました。(追記:その後Onedriveの共有フォルダに大量アップロードしてくれたので、それも使えるようになりました。)

もういいだろうと思って再びインフォメーションデスクに行き、時計を見たらまだ少し時間がありました。「あっ、あと30秒待たないといけないですね」と言ったところ、おっちゃんはニヤッと笑って「いいよ、いいよ」と受け付けてくれました。書類を持って昨日と同じ窓口へ。セレモニーの費用は25ドルです。なお証人を頼んでいたShennyがまだ来ていなかったので急遽Juanitaにお願いすることになりました。

既に予約していた組があったらしく私たちはその日の朝3番目でした。待合室のソファーに座っていましたが、先の組が入ったと思ったらすぐ出てくるので、いったい何分かかるんだろうと思った私は呼ばれて式場(十畳間ぐらいだったかな?)に入った時にストップウォッチ(腕時計)で計時を始めました。

奥には司祭役の職員さん(女性)が立っていて、まずLindaに「あなたは・・・・・誓いますか?」とお決まりの質問をして、次に私にも訊いてきました。が、私はよく聞き取れなかったのと上気していたため、"Yes, yes, I swear."(はい、はい、誓います)と勢い込んで答えたところ、「"Yes, I do." とだけ言いなさい」とたしなめられてしまいました。が、宣誓は何とか無事終了。続いて結婚指輪の交換と誓いのキス。(指輪は私が日本から持っていきましたが、内側に無料で15字まで刻印してくれる (ただし数字、アルファベット大文字および "to" のみ) ということで "LINDA to YASUHIRO" と "YASUHIRO to LINDA" にしました。ピッタリでした。可能なら "de LINDA a YASUHIRO"(&その逆)にしたかったところですが。)そして職員さんによる「ではニューヨーク市はここにあなたたち二人が夫婦であることを認めます」という宣言で式は終わり。この間ほぼ3分。これだけあっけないと感動に浸る暇もありませんでした。

これがその時に手渡された婚姻証明書です。なお現地に住んでいる場合は日本総領事館に報告しなくてはならないようですが、もちろん私たちにその必要はありません。(追記:正確には「日本人同士の結婚の場合は届出の義務がある」でした。少し前に新聞記事で知りましたが、そのため海外で結婚しても日本人カップルは夫婦別姓にはできないということになります。)



本来なら部屋から出されてしまうところですが、その時間帯は私たちがラストだったのでしばらく残って写真とビデオの撮影ができました。さらにCity Clerk Office前の広場でプロのカメラマン(おそらくヒスパニック)にも撮ってもらいました。みんな口々に商売上手と言っていましたが、彼は短時間でかなり稼いだそうです。

何はともあれ、みんなありがとう。
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ライセンスゲット

2015-12-09 | 結婚@NYまで
(ニューヨークでの結婚手続きについては既に同市で国際結婚された日本人によるブログ複数で紹介されています。こことかこことかこことか。捜せば他にもまだまだ見つかるかもしれません。ただし私みたいに結婚のためだけにNYへ行ったという人はそんなにいないでしょう。)

翌月曜日にいよいよマリッジライセンスをもらうためCity Clerk Officeへ。心勇んで、のはずだったのに痛恨のミス! 地下鉄の車内でスマートフォン(Nokia Lumia 630 Dual SIM)を落としてしまったのです。

それまで地図アプリで現在位置を確認していたのですが、ポケットに入れたのが運の尽きでした。「ゴトン」というちょっと大きな落下音を耳にしていたにもかかわらず、なぜか私はそれが遠くに聞こえたためLindaが注意してくれたにもかかわらず気に留めませんでした。なお私は普段電車やバスの中では必ずヘッドフォンで音楽を聴きます。なので端末からプラグが抜けた瞬間に音楽が聞こえなくなるのですぐ分かります。けれどその日はもちろんLindaと一緒だったので(以下略)。悪いことは重なるものです。プラットホームへ下りた時に気が付いたのでまだ拾うチャンスはあったのですが・・・・・もう止めましょう。後の祭ですから。

それで私はかなり意気消沈してしまいました。さらに「悪用されたらどうしよう」とそればっかりが気になりました。が、何とか持ちこたえてOfficeへ。このトラブルで予定より20分近く遅くなりました。受付が始まるのは8時30分ですが、既に順番待ちの列ができていました。(一番乗りを目指して朝7時に出たのですが。)

時間が来て中へ入りました。(こちらにレイアウトが出ています。)まずInformation Deskにいるおっさんに書類を提出。Lindaが事前にインターネットによる手続きを済ませてくれていたお陰ですぐ終わりました。

番号の書かれた紙をもらい、ディスプレイにそれが表示されたら担当の職員に書類と身分証明書(パスポート)を提出し、確認が済んだら書類にサインするだけ。手数料35ドルの支払い後、直ちにライセンスが発行されました。それに印字された時刻は8時57分でした。


その後はボリビアでの式の招待者へのプレゼント(引き出物)や私の日本へのお土産を選ぶためいろいろな所を回ったのですが、スマホ紛失のショックが大きかったためよく憶えていません。(また写真が撮れなくなったので、以後ここに貼るのは全て貰い物です。)

アパートに戻ってからネットに接続し、ログイン履歴の確認とパスワードの変更をしましたが、幸いにも誰かに使われた形跡はありませんでした。(パスワードをかけておいたのは不幸中の幸いでした。なお、それから毎日マイクロソフト社のサイトにある「電話を探す」というページを常にチェックしていましたが、日本へ帰ってからは見つかるのを諦めて消去のオプションを選びましたので、仮に誰かがパスワードを破ってWi-Fiで、あるいは別のSIMカードで接続できたとしても、その瞬間に初期化されるはずです。「Microsoft アカウントでサインインしたか、保証登録を行ったデバイス」というページにもいつしかこのLumia 630 が表示されなくなりましたから、たぶんそうなったのだろうと思います。)
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到着そして再会

2015-12-07 | 結婚@NYまで
(ニューヨークでの様子はこちらにも載せています。この時はまだ目的を明らかにはしていませんでしたが。)

いきなりですがLindaが迎えに来ていました。

その後、芸人の大久保さんとちょっと似ているエルサルバドル人(名前は失念)の運転で途中コーヒーショップに寄り、それからLindaのアパート(バス、トイレ、キッチン共同)へ。

彼女はエルサルバドル出身のMartínez一家と同居しています。一人娘のRebecaが書いた歓迎のポスターが私を待ってくれていました。

似顔絵と実物です。どちらも信じられないほどかわいい。

旦那さんのRicardoはイタリア料理店のクックで帰りが遅いということで先に食べ始めましたが、途中で彼も合流。日本酒(紙パック)と焼酎(瓶)は私のお土産、ワインの大瓶に入っているサングリアは彼の手製です。

普段酒を飲まない奥さんのCristinaは早々と酔っぱらい、呂律の回らない口調で話してきたのでチンプンカンプンでした。ただでさえ中米人のスペイン語は聴き取りにくいというのに・・・・・(ちなみに式当日に地下鉄で一緒だったボリビア人のJuanitaも笑いながら「大丈夫、あの人達の話すことは私もよく解らないから」と言ってました。)

何はともあれ、結果的にニューヨークへ行くことになったのは本当に良かったと思います。スカイプでの通話で時々ゲスト出演してくれた一家をはじめ、Lindaの仲間達と会うことができたのですから。

Lindaの提案でボリビアのご家族とも話しました。今回は涙はなしでした。

彼女の部屋も見せてもらいました。引っ越しの準備中でした。「毎週見ていた場所にとうとう来たんだ」と思うと感動が込み上げてきました。

滞在中は近くのホテルに宿泊すると聞いていましたが、彼女は自分のアパートから歩いてすぐの別のアパートの一室を一時的に借りてくれていました。前回(ミシガン出張時)以上に「目と鼻の先」でした。

翌日(日曜日)はLindaが通っている教会(コンサートホールと見間違うほど巨大)など市内をあちこち回りましたが写真だけにします。







それにしてもニューヨークって大きいんですね。Lindaの住んでいるFar Rockaway地区は "Far" と名付けられているだけのことはあって市の外れ。鉄道も終着駅なのですが、そこから中心街までは快速列車でもタップリ1時間以上かかります。私としては長浜と京都を毎日往復するような感じでした。
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天国と地獄

2015-12-06 | 結婚@NYまで
「ニューヨークでは誰でも簡単に結婚している」というLindaの言葉に嘘偽りはありません。手順はこちらに出ています。(なお "View a sample Marriage License" の方はダウンロードしたファイルに拡張子が付かないようですので、読めない場合は末尾に ".pdf" を加えて下さい。)City Clerk Office(日本語には訳しにくいですが、市役所の結婚業務取扱事務所といったところでしょうか)へ行ってマリッジライセンス(婚姻許可証)を取得したら24時間が過ぎるのを待って結婚。それだけです。(注:あくまでこれはニューヨーク州のルールであり、当然ながら他の州にはその州のルールがあります。ちなみにハワイもニューヨーク州と同じくらい緩いそうです。そういえばラスベガスはもっと簡単かもしれません。またしても「フレンズ」で恐縮ですが、レイチェルとロスが酔った勢いで結婚してしまうという爆笑エピソードもありました。ルール上は十分起こりうるんですね。我に返った二人は結局別れることにするのですが、3度目の離婚になるのが嫌なロスは「泥酔していたので結婚は無効」で押し通そうとします。あれもおかしかったな。)

そのライセンスを発行してもらうために必要な書類は以下の通り。

One of the following age-related documents:
1. Birth Certificate
2. Baptismal record
3. Naturalization record
4. Census record

and

One of the following identity-related documents:
1. Driver’s license
2. Passport
3. Employment picture ID
4. Immigration record

ここで肝心なのは年齢に関係する書類と身分に関する書類について、上の全て(4×2=8)ではなく各1種類あれば十分という点です。(少し前までボリビアでの結婚を実現させるべく四苦八苦していたことを考えたらまさに天国です。)うち後者は短期滞在の日本人ならほぼ自動的に2のパスポートでしょう。一方、前者について調べてみたら、日本で取得した戸籍謄本を在ニューヨーク日本総領事館に持って行き、英語の出生証明書を発行してもらうとありました。こちらで書式と見本がダウンロードできます。(謄本を自分で翻訳して、あるいは誰か英語の得意な人に訳してもらい、最後に「正確かつ真正な翻訳である」と署名してもいいみたいですが、手数料がかかっても領事館に頼む方が確実です。)

少し気懸かりだったのが申請してから交付されるまでの時間。もし翌日まで待たないといけないということなら、月曜に出生証明書を申請→火曜に受け取って直ちにマリッジライセンスの申請→水曜(24時間後)に結婚したら空港へ直行(11:54フライト)という分単位のスケジュールになってしまいます。(そんなことで芸能人みたいな気分は味わいたくないです。)ですが、領事館にメールで尋ねたところ「早ければ30分、混んでいても1~2時間で交付できます」との返事で一安心。さらに、ニューヨーク市内の役所数ヶ所を廻ってくれたLindaによれば、マンハッタンの事務所ではそれすら必要としない(パスポートのみでOK)とのことでした。

そうなるとあとはもう行くだけです。衣類はこの前ミシガンで交換してきたのがあるから最小限でいいとのこと。お土産は少し詰めましたが、ほとんどスーツ1着と靴1足だけの荷物でニューヨークへ飛び立ちました。
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餅は餅屋

2015-12-04 | 結婚@NYまで
旅行会社H社のサイトにて9月26日(土)日本出発、30日(水)ニューヨーク出発で検索し、とりあえず良さそうなのを見つけました。(なお日本の発着地は東京、大阪、および名古屋の全てを試しました。)ただし伊丹発がちと早いので前泊が必要。そうなると前日夕方の会議が終わったら直ちに大学を出て大阪へ向かわなければなりません。そのくらいは仕方ないですが。

改めて検索結果を見て気が付きました。行き帰りとも乗り継ぎが1回ずつあるけれども中継地は成田じゃないか、と。しかも行きは8時間近くも待たないといけない。なら直接成田へ行った方がずっと楽だし安くないか? そう思って再検索したのですが、出てきた結果にビックリ。そっちの方が5割近くも高い。なんでそうなる?

自分で航空券を取った経験が乏しい私には事情がサッパリ分からなかったので、旅慣れている知人にメールで尋ねてみたのですが、「乗り継ぎをすると、飛行機にたくさん乗るのにもかかわらず安くなるんですよね」との返事で結局よくわかりませんでした。

「まあ時間は勿体ないけれどJRの運賃がかなり浮いて金銭的には損しないからいいか」と納得。Lindaにこれで行くことにしたとメールを送ったのですが・・・・・OKは出ませんでした。「EWR(ニューアーク・リバティー国際空港)は遠すぎて迎えに行けない。できればJFK(ジョン・F・ケネディ国際空港)、せめてLa Guardia(ラガーディア国際空港)にして。」と頼まれたのです。私はニューヨーク圏に複数ある国際空港の位置までは考慮していませんでした。(こんな感じですが、そもそも三つあることすら知りませんでした。)

そういえばドラマ「フレンズ」のシーズン10(最終シリーズ)の最終回では、パリへ旅立とうとするレイチェルを引き留めようとしたロスが間違って(飛行機はニューアーク発なのに)JFKへ行ってしまうというシーンがありました。(その後、彼は運転していたフィービーに「もう忘れよう、ニューアークまで約1時間かかるから間に合わないよ」と言います。調べてみたらJFK~ニューアーク間はタップリ50kmありました。羽田~成田間の約80kmよりは短いですけど。)

現実に話を戻すと、スカイプの通話でも数分おきにジェット機の轟音が聞こえていましたが、たしかにLindaの家からJFKまでは8マイル(車で20分ほど)と近い。それに対してニューアークまでは35マイルもありました。(だいぶ後になって知ったことには、ニューアーク市があるのはニューヨーク州ではなく (ややこしいなぁ) 隣のニュージャージー州だからそれも当然です。)

そのためニューアークを条件から外し、改めて探してみたのですが・・・・・La Guardia発着で値段もまあまあというのが見つかりました。ただし直行便ではなくデトロイトで乗り継ぎが必要となり、当然の結果として到着は遅く午後10時過ぎ。他にいくつか出てきたのも似たり寄ったりで決定打不足でした。そこで思い出したのが先の知人のメールにあった「安くするならパッケージツアーにした方が安いとは思うけど」という一文。パッケージなら航空券だけの場合と大して変わらずに宿泊も付いてくるのは知っていたので、何かいいのが見つかるかもしれないと考えてH社のそっち関係のサイトを当たってみることにしました。

案の定10万ちょっとで宿付きというツアーを発見しました。ただし空港名までは書いてない。ということで電話をかけて問い合わせたのですが、途中で勘違いに気が付きました。航空券を探す場合と異なり、ツアーで使われるのは現地出発日でなく日本到着日。つまり滞在が1日短くなってしまうことになります。余裕のないスケジュールを組むのはちょっと恐いので「やっぱり止めます」と伝えましたが、オペレーターさんが「ではご希望の日程でお調べしましょうか」と言ってくれたのでお願いしたら・・・・・数分で時間的にも金銭的にもこれ以上考えられないほど理想的な便を見つけてくれました。

成田~JFK直行便の往復です!「あらゆるサイトで探しても出てこなかったのにどうして?」と思って訊いてみたところ、「残席が少ない場合はネットに出てこないこともある」という説明でした。

(この際ついでということで、「なぜそちらの商品は国際線だけの場合より国内便が付いている方が安くなっているんですか?」と尋ねてみましたが、「国内便と国際便が一体となってあの価格設定となっているため切り離すことはできない」という不思議な回答でした。それゆえ「最初の国内便に乗らないと以後のフライトまでキャンセルされてしまう」とのこと。アホみたいな話ですが。)

さらに「国内便も手配しましょうか?」というお言葉に甘え、行きは伊丹→成田、帰りは成田→中部国際を諸経費込み6000円ちょっとで付けてもらいました。それで行き帰りの新幹線代(米原~東京)なども浮くことになりチョー得をした気分です。(行きの国内便が羽田着なので成田への移動にバス代が3000円ちょっとかかりましたが。)ということで、この件では月並みながら「餅は餅屋」(プロに聞くのが一番)という教訓を得ました。
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そうだ、ニューヨークへ行こう!

2015-12-02 | 結婚@NYまで
が、しばらくして私は思い出しました。少し前Lindaが悲しい表情で「どうして私たちだけこんな目に遭わなくちゃいけないの? こちらでは誰でも簡単に結婚しているというのに!」と言っていたのを。そういえばK君も以前メールに「米国の日本大使館に婚姻届を出したら・・・」などと書いていたっけ。そこで彼女に言いました。

「Linda、俺ニューヨークへ行くわ。そっちで結婚しよう。」

何のことはない。実は彼女も私にそのことを切り出そうと思っていたのでした。(また、NY行きを決意したことを伝えるため後にK君へメールを送ったのですが、その返事によると彼も袋小路に入り込んでいた私たちにそれを提案するつもりだったそうです。)

そうと決まれば話は早い。あとは行動するのみです。さっそく飛行機を捜すことにしました。(後で判ったことには、あの「恐怖の10日ルール」こそが実は逆転ホームランのお膳立てとなった出塁だったのです。)下画像はその日のやり取りです。


渡航日程として今年たまたま生じた9月のシルバーウィーク5連休を真っ先に考えたのは当然ですが、本来なら自分に関係ないはずだった某業務を急遽抱えることになってしまっていました。(詳しくは書きませんが、ちょっと腹が立ちました。)よって、その業務の締め括りとなる金曜日の会議の翌日に出発することに決定。Lindaによるとニューヨークではマリッジライセンス(婚姻許可証)を取得して24時間後に結婚できるということだったので、最低2日間(翌週の月火)滞在すれば十分ということになりますが、何かトラブルに見舞われたら困るので1日の余裕を見ました。その結果、帰国当日の10月1日(木)に担当するはずだった授業(初回)ができなくなりましたが、幸いにも分担科目だったのでもう一人の先生に代わってもらうことにしました。

(なお、次回の航空券購入については直接関係のない話なので斜め読み、もしくは読み飛ばしていただいても構いません。)
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苦境6(KO寸前)

2015-11-30 | 結婚@NYまで
9月8日の正午前、Lindaがメッセージを送ってきました。

Hola Cariño, por favor me llamas cuando llegues a casa. A las 7 pm

「家に着いたら呼んで。午後7時に」ということですが、彼女の方からそう言ってくるのは珍しいので何かあったのかと思って昼食後に呼び出してみました。

上はその通話の直前に彼女が送って来た画像ファイルです。(なお、これと同じ文言がどこかの役所のサイトにも出ているはずと思い検索したのですが、どうしても見つかりません。なぜでしょう?)

どうやら婚姻(civil)の要件一覧のようですが、ボリビア人が三つだけなのに対して外国人は七つ。最初は「何でこんなに多いんだ?」と思っただけですが、Lindaの説明を聞いて真っ青になりました。問題は最後の7です。

7. Presentarse 10 días antes del matrimonio para firmar legajo matrimonial
(結婚に関する書類一式にサインするため式の10日前までに出頭すること)


つまりサインしてから10日経たないと結婚できないということです。こんな恐ろしいルールがあったとは!!!(この書類を見せられるまでLindaも知らなかったようです。)そうなると1月2日に式を行うには12月23日までに現地入り(22日に日本を出発)するしかありません。いくら何でもこれは無理というものです。Lindaに「前か後に滞在を延ばすことはできないの?」と訊かれましたが、成人の日の帰国が私としてはギリギリの線。翌日からゼミやら会議やらが入っていますし、出張のため既に1度休講にした講義にさらに穴を開けてしまうともう補講の時間が取れない。さらに週末には絶対抜けられない業務も。

出発を数日早めて&式を数日少し後にずらして10日間を確保するのも理論的には可能とはいえ、はたして年末のピーク時期に航空券が取れるかどうか、取れたとしてもメチャ高なのは目に見えているしキャンセル料も・・・・と考えたら気が重く、「ちょっと難しいね」と答えるしかありませんでした。その次といっても3月はナミビア出張が3週間入るためダメとなれば8~9月の夏季休業期間しかありませんが、それも定期的な調査があると厳しい。(その時「自分は婚約してるけど当分は結婚できないのかもしれないな」と思ったことは既に書きました。)

こうなると相撲で適当な喩えを見い出すことはもはや不可能。山中慎介(滋賀県出身)の必殺パンチ「神の左」をまともに喰らってダウン、としておきましょうか。

ちなみに(以下余談)ボリビア人同士が結婚する場合はこんな面倒なことはありません。ここなどWeb上のあちこちに要件が明記されています。結婚可能年齢が男性16歳、女性14歳であることに少し驚きましたが、例外規定があって裁判所の認可を受ければそれ未満でもOKとのこと。シンジラレナーイ!
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苦境5(横綱登場)

2015-11-28 | 結婚@NYまで
Lindaが日本に入国するために必要な(日本人の配偶者としての)ビザは日本に住むための許可が下りてからないと申請できない。規則を文字通りに解釈すればそういうことになります。けれども、その在留許可を申請するための書類には入国の予定年月日や上陸予定地などの項目がある。ビザも下りてないのにこんなの書けるはずがなーい! さらに、既に何度も述べてきた通り「結婚見込み」ではビザの申請すら受け付けてくれない。(注)。

(注:正確には戸籍に婚姻事項が記載されていなければ申請できないということになります。サンタクルス事務所からの返事には、私が帰国したら現地で発行された婚姻証明書を携えて本籍地の役場に婚姻届を提出し、戸籍謄本に婚姻事項が記載された上で新しい謄本を配偶者がビザ申請に必要な身元保証人としての書類と併せて送付するように、とありました。もしサンタクルスで届書を出した場合には、同事務所→ラパスの日本大使館→外務省→本籍地役場ということになり、戸籍に反映されるまでに通常2~3ヶ月かかるとのこと。そんな回り道をわざわざ選ぶ人はおそらくいないでしょうが、これまた恐ろしい話です。)

これは「卵が先か鶏が先か」的な問題ではないのか? もしかしたら自己矛盾を抱えているんじゃなかろうか? 実際にはそうでなかったのですが、その時はあまりにも混乱していました。とにかくこれは横綱級の難敵です。

以下はリーマンショック以来付き合いがあるブラジル人牧師の教会にて彼の日本国籍取得のサポートをされている司法書士さんから教えてもらったことですが、日本人と国際結婚することになった外国人が在留資格を取得する場合には、永住を前提に一度短期ビザで来日してもらって必要な手続きを済ませ、晴れて在留許可証明書を得てから再入国するのが最も確実かつ現実的という話でした。けれども米国を出たら最後のLindaにはその手が使えません。

このように単独でさえ厄介な問題が他へも悪影響を及ぼすことによってさらに複雑化し、解決を非常に困難なものにしていました。それはまさに絡まり合った糸のようであり、一つ一つほどいていくのは気の遠くなるような作業のように思われました。

(あまりのややこしさのため、正直なところ今に至っても問題点が十分に整理できているようには思えません。まだ何か重要なことを書き漏らしているような気もするし・・・・そのせいで読みづらくなっているかもしれませんがお許し下さい。私には力不足です。)

が、落ち着いて考えてみると、「ボリビアでの結婚を済ませて帰国したら自分は在留許可証明書の発給を入管へ申請→1~3ヶ月後に取得できたら、オリジナルの書類(コピー不可)をボリビアのLindaへ送る→彼女はそれらを携えて日本大使館に入国ビザを申請する」のように(輪ではなく)ちゃんと1本の線になっていました。ゴールまでえらく時間がかかりそうではありますが・・・・以下は9月3日にK君へ送ったメールの一部です。(苛立ちが文面から滲み出ていますね。)

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が、後で思いだしたところでは、あちらでは配偶者ビザが申請後5日で発給されるそうなので(彼女の姉妹のどなたかが調べてきたそうです)、私が帰国してから書類を航空便で送り、その後来日の準備を始めても1ヶ月以内(うまくいけば1月中)に来られるのではないか、と少し希望が見えてきました。まだまだ紆余曲折はあるでしょうが・・・・・ところで、こんなことを書くと怒られるでしょうが、「もしこれでポシャるようならそれも運命」と私はずっと思っています。そうでなければやってられません。ちなみに私には「自力で得ようとすれば得られない」というジンクスというか法則がありますが、今回はどうなるでしょうか。それではごめんください。
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これを書いた時点で既にLindaと一緒に帰国することを諦めていることがわかります。(なお、式を終えて週明け早々にラパスへ飛び日本大使館にビザを申請したとしても金曜日に取得するのはもともと厳しかったのですが、二人で泣きついて何とかしてもらうつもりでした。)ただし、もし在留許可の審査に2ヶ月以上かかることにでもなれば、3月に来てもらっても私はナミビア出張のため不在。それは拙いので4月に先送りするしかない?

このように来日がどんどん遅れてしまうと考えていたら頭痛がしました。それでも私に会える日が来るのを20年以上も待っていたというLindaのことですから、健気にも「そのぐらいは平気」と答えてくれたかもしれません。

ところがところが、それまでのプランを全て無に帰するような、驚天動地ともいえるほどの事実が数日後に判明したのです。
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