国際結婚はたいへんだった(第2章)

ボリビア人女性との国際結婚に至るまでの道のりを記録するために立ち上げたブログです。最近は妻との日常生活を綴っています。

はじめに

私(Yasuhiro)とボリビア人のLinda(通称)は2015年9月29日にニューヨークで結婚しましたが、翌2016年の1月3日にも妻の実家があるコチャバンバで式を挙げました。3ヶ月以上もの日を措いて2度結婚することになった訳ですが、その「たいへんだった」経緯については「結婚@NYまで」のカテゴリーにまとめています。

経歴詐称

2019-01-28 | 日記
昨日はいつもの教室だったので例によって写真を貼っときます。
















これで中級コースを卒業です。修了証を手に満面の笑みを浮かべるLinda・・・・・というのは大嘘。

実はもう一人の生徒さん(ブラジル人)が「修了証をもらえますか?」と先生に尋ねたところ、いきなり(初級の修了書を持っていない人間が)中級を申請できるかは判らないということで回答保留となったのですが、「そういえば以前の生徒さんに発行したのがあったはず」ということで持って来られた初級の修了証を見て急遽記念撮影となった次第。なぜ先生の手元に残っていたのかは謎ですが、その氏名(日本人)を塗りつぶして上書き・・・・・・はもちろんダメです。ちなみにLinda自身はこれを飾っておくと励みになるということで取得を希望しています。
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スルメか?

2019-01-21 | 帰省(2018〜19)

あちらのスーパーで買ってきた生ハムです。"JAMON"(ハモン)はもちろんハム、そして "AHUMADO" (アウマード)は "humo"(煙)の派生語ですから、要はハムの燻製ということです。薄く(厚さ1mm未満に)スライスしてあります。

昨日は大相撲中継を見ながらこれを肴にしてビールを飲んだのですが、ずっと違和感がありました。味は決して悪くないけれども妙に食べにくい。やはり燻したことで固くなっているせいかな、と考えたのですが、どうもそれだけではなさそう。しばらくして原因に思い当たりました。

画像下の方が分かりやすいですが、肉の繊維に沿って(平行に)カットされています。薄切り肉は通常こういう切り方はしませんし、私がブロック肉でトンカツやポークソテーなどを作る際にも必ず繊維に対して直角方向に包丁を入れます。はっきり確かめた訳ではないものの、これまで食べた日本、スペイン、イタリア製の生ハムも同様だったと思います。

ということで、何でわざわざこんな切り方をしているのか謎ですが、もしかすると口内の残留時間を長くして「噛めば噛むほど・・・・」になるように、という配慮なのでしょうか?
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また行きます

2019-01-19 | 日記
ということで、昨日はLindaと在留期間更新許可の申請に行きました。11時前に大阪入国管理局大津出張所のある大津びわ湖合同庁舎に到着。(久しぶりだったので少し迷いました。)

中はNGなので外で記念撮影。

職員さんは書類の不足や不備がないか確認した後、「今日は受け付けだけです。2週間以内に通知書(ハガキ)が届きますから、その時にまた来て下さい。」と言いました。思わず「今日中に新しい在留カードがもらえるんじゃないですか?」と問い返したくなりましたが、大津のオフィスはあくまで「出張所」であり、審査は大阪の本局で行われるはずですから、考えてみれば当然ですよね。

申請受付票をもらいましたが、Lindaの名前は全て普通の大文字で書かれています。前回(在留資格認定証明書の交付を申請した時)もらった受付票では一部に小文字や少しアレンジされた大文字も使われ、それに関してコメント欄でも議論したのですが・・・・・慣例が変わった(廃れた)のでしょうか? それとも単に職員の好み?

なお「希望する在留期間」の欄に「永住」と記入したことに対して、「永住許可の申請は別になります」と言われ、その必要書類一式を渡されました。次回在留カードを受け取りに来た時にその申請をすることにします。


申請から交付までそれなりに時間がかかると予想していたので、お昼は大津で食べるつもりでしたが、早く終わってしまったため、とりあえず来た道を戻ることに。そして草津の琵琶湖博物館を訪れることにしました。私も小学校低学年の時に(たぶん修学旅行か野外授業で)一度来たきり。その記憶は全くありません。

マンモスの骨格(複製)。こんなに大きかったとは!


日本最古の湖(約400万年~600万年前に形成)が現在の形になるまで。

「長浜はどこ?」と尋ねてみたら・・・・・これはアカンやろ!

自宅は左手で指しているあたりです。笑ってる場合じゃないでしょ!

多額の費用(3億円)をかけて建設したもののうまく作動せず、結局廃止(撤去)が決まった発電用の風車をバックに。(なおこちらには撤去はせずに残せという意見が。)例によって "No good" のサインです。

昔(昭和)の生活の展示室にて。テレビもその当時の番組のビデオを写していました。下画像の品々は「なんでも鑑定団」に出したら結構な値が付くのではないでしょうか?(後日紹介しますが、ボリビア滞在時にはそれでちょっと盛り上がりました。)






続いて水族展示室(ミニ水族館)へ。琵琶湖は淡水魚の宝庫として知られ、多種多様な固有種が生息しています。(どちらかといえばイルミネーションの方を喜んでいましたが。)

ただしこれはマラウイ湖の魚。他にタンガニーカ湖やバイカル湖などの展示もありました。


この学芸員さんは不在でハリボテが立っていました。個人的に知っている人です。(テレビでも時々見ます。)

結局、博物館には2時間近くいました。隣接する水生植物公園は臨時休園でした。まったくいまいましい風車め! そこで昨年末にテレビで見て興味を抱いた美術館へ行ったのですが・・・・・なんとそちらも休館(それも昨日まで!)でした。なんてこったい。(それで来月大津へ行った帰りに寄ることにします。そうなると月曜日はダメですね。)

琵琶湖大橋を過ぎて間もなくのところにあるショッピングモールのイタリアン・レストランでちょっと遅い昼食。ピザのランチセット(サラダバー&ドリンクバー付き)を頼みました。Lindaの誕生日に食べた宅配のピザはイマイチでしたが、やはり焼き立ては美味い!(今度こそリベンジに成功しました。)


帰宅後に改めて永住許可申請の書類を見ました。画像左の申請書は在留許可更新のものとほとんど同じ、しかも全2ページと少なく、面倒ではなさそう。(身元保証書は全く同じ。)右の陳述書も簡単な作文で良いとのことで既に文案はでき上がっています。他に本人の履歴書と親族一覧表(日本および本国)が必要ですが、後者にしてもLindaのご両親が亡くなられた日とご兄弟姉妹の誕生日さえ判れば作成可能。配偶者の住民票、戸籍謄本、および税金関係の証明書は既に提出した在留許可更新申請時のものでOKということで、もう市役所へ足を運ぶ必要はなし。あとは大学の事務局が発行してくれる在職証明書だけなので、全てを揃えるのに1週間あれば十分でしょう。
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ずっとラク

2019-01-18 | 日記
Lindaの在留期間(3年)が来月13日に満了を迎えるため、その前に更新しなくてはなりません。ということで申請手続きの準備を進めています。(必要な書類等はこちらにある通りで、申請書等はこちらからダウンロードしました。)

メインの在留期間更新許可申請書は3ページまであり、記入すべき項目も結構多いのですが、彼女の来日前に在留資格認定証明書(いわゆる配偶者ビザ)の交付申請をした時のことを思えば全然ラクですね。(わからないところは空白のままにしておいて当日窓口で尋ねるつもり。)

毎週木曜日は長浜市役所が業務延長(午後7時まで)してくれるので、昨日は帰りに戸籍謄本や課税証明書などを取りに行きました。そして今日は有休を取得しましたので、大阪入国管理局大津出張所へ赴いて申請に臨みます。希望通り永住権がもらえたら言うことなしですが・・・・・

追記
 配偶者ビザ申請に必要な書類のうち、質問書については日本語以外(10ヶ国語)の書式も用意されていますが、「外国語版で作成した場合,その訳文(日本語)も作成してください。」だったらあんまり意味がない(最初から日本語版に記入する方が簡単)じゃないか、と疑問に思いました。海外在住の配偶者に書式を送って返送してもらう場合に用いられるんでしょうけど。
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5連覇ならず(最下位&ワースト)

2019-01-13 | 日記


昨日は記念すべき第20回の県大ニューイヤーマラソンでした。16回から19回大会まで壮年の部で4連覇していた私ですが、今回はスピードが全然上がらず、箱根駅伝の青山学院大学と同じく5連覇を逃し、最下位に沈みました(2位ですが)。

しかもタイムは(これまで参加した8大会中)自己ワースト。ペルーとボリビアの高地に順応していたはずですが、病み上がり(下痢と嘔吐)に加えて走り込み不足だったので、この結果も仕方ないと思っています。また壮年1位の方(元職員で私より年長)は20分ジャストという化け物みたいなタイムだったので、どっちにしても勝ち目はありませんでした。


ということで気分を切り替え、懇親会では思いっ切り食べました。


来年も参加するつもりですが、もうちょっと体を絞り込まないとなぁ。
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とりあえず報告

2019-01-08 | 帰省(2018〜19)
昨晩遅くに帰宅し、今日から出勤しています。(本当は昨日の午前中に帰宅し、午後から出勤のはずでした。)往路も十分「茨の道」でしたが、帰路の過酷さはそれをはるかに上回り、まさに「地獄からの帰還」とでも形容したくなるようなものでした。(本気で「詰んだ」と思った時もありました。)今はとてもそんな気になれませんが、気が向いた時にボチボチ文字に起こしてみようと思っています。

なお滞在記はその出来事があった時の日付でアップロードします。(現地発信を1回しかしなかったため、1年前のように時系列の整合性には気を使わなくて済みそうです。)

追記
 帰宅翌日がLindaの定期診察(甲状腺の薬を処方してもらうため)だったので、その前に車のタイヤを冬用に替えようとしたのですが、とにかくしんどくて仕方がありませんでした。タイヤ1本を運んだだけで息が上がる始末。それで病院での待ち時間に血圧を測ってみたところ・・・・・・

最高が二桁だったのはちょっとビックリ。だいたい110〜120の間ですから。(太ると130を超えることもありますが、そうなったら朝のランニングの強度を上げて減らすようにしています。)これと体のだるさとの間に因果関係があるのかは判りませんが、低血圧で朝起きられないという人の気持ちがちょっとだけ分かったような気がします。
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完結編

2019-01-07 | 帰省(2018〜19)
チェックイン不要のため10時(フライトの90分前)に出ても十分間に合うとは思いましたが、せっかくここまで来てまた何かのトラブル(交通事故など)に巻き込まれたらシャレにならないということで(疑心暗鬼状態継続中)、9時前にチェックアウトすることになりました。空港までのタクシーのクーポンは持っていますが、車を呼ぶための通話料は自腹。しかも現地通貨(メキシコペソ)は持ってない。それでちょっと困りましたが、無料のリムジンバスが10分おきに出ている(さすがは一流ホテル)ということで一件落着。もちろんクーポンはボツにしました。

以後、何事もなく搭乗完了。機内で「(午後)4時には着けるかも」という話し声が聞こえました。たしかに飛行時間と時差(マイナス15時間)をもとに計算すると、成田には16時台、あるいはもっと早く到着できても不思議はない。それで期待したのですが・・・・滑走路が渋滞していたため飛び立つまでに1時間以上かかりました。

Lindaはフライト中ほとんど眠っていました。それも爆睡でした。

房総半島が見えました。帰って来たんだなぁ・・・・

着陸後もなぜかターミナルを1周以上したため時間をロス。結局空港に降り立ったのは17時半頃でした。しかしながら、その後の再入国審査→預け荷物受け取り(私たちのスーツケースが出てくるまで不安でしたが)→税関通過はスムーズそのもの。


それで18時20分発の京成本線、20時過ぎに東京発新大阪行きの新幹線(ひかり)と順調に乗ることができました。


父との旅行ではホームの売店で缶ビールとつまみを買って乗り込み、無事帰国を祝して乾杯していましたが、この日はアイスクリームで ¡Salud! 向こうでたまたまこの記事を見て無性に食べたくなったからです。売り子のお姉さんに「10分ぐらい待つんですよね?」と訊いたところ、「この気温ですから20分」という返事でした。

米原到着はホテルでの路線検索で「このくらいの時間になるだろう」と予想していた22時36分でした。(その次だと23:59でした。それが普通に考える終電ですが、のぞみ21:23東京発で京都まで行き、琵琶湖線快速で戻るという裏技を使えば米原に1時6分に着けます。遠回りの分だけ高くつきますが。)迎えに来てくれた父の車で自宅に着いたのは23時の少し前。この壮絶な長旅もようやくにして幕を閉じました。

ここで帰路の時間を計算してみることにします。コチャバンバの家を出たのが金曜日の(この際、端数は切り捨てるとして)4時、長浜の自宅到着は月曜日の23時(先に同じ)ですから、「(23 - 4)+ 24 × 3 = 91」というのが見かけの所要時間です。ただし日本とボリビアとの間に13時間の時差がありますので、それを引いて正味78時間(丸3日と6時間)となります。過去の記憶を辿るまでもなく、これはダントツで(2位以下を大きく引き離して)人生最長です。願わくば、この記録を更新する日が永久に来ませんように・・・・・・・・

追記
 1月4日の日記(おまけ)にはブラジルで計24時間超のバス旅を経験した女性タレントについて書きましたが、3年前にタリハでお会いした岡野真幸さんご自身のブログでそれに言及されています。その投稿によると、件の番組の岡野さんが出演された回では俳優の村田雄浩が日本出発からタリハで対面を果たすまでに88時間(番組最長?)を要したそうです。(日本国内の移動を入れたら90時間を超えるでしょう。)つまり「上には上があった」ということです。またJICAボランティアでも超僻地在住の隊員は任地から首都まで3日かかるという話を聞くことがありますので、私たちの78時間という移動時間もそんなに大したことではないのかもしれません。
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まともな1日

2019-01-07 | 帰省(2018〜19)
結局7時に目が覚めてしまいました。(普段早起きしている人間が急に寝坊をしたいと思っても無理です。)睡眠時間は4時間ほどですが、ぐっすり寝られました。

1階に下りてレストランで朝食。既に他のテーブルでは複数の日本人グループが食事中でしたが、ツアー旅行の団体さんと思われます。そのうちの何人かとちょっとだけ仲良しになりました。

訊いてみたら私も名前だけは聞いたことがあるU社の企画で、ニカラグア・コスタリカ・パナマの中米3ヶ国を巡って帰るところなのだとか。世界のメジャーな観光地はあらかた行き尽くしたので、こういうちょっとマニアックなツアーに参加する気になったのかもしれません。(ナミビアでも同国のみに10日以上滞在するというツアーの日本人団体と遭遇しましたが、それと同種の人達でしょうね。)先ほど調べてみましたが、たぶんこれですね。既に終了したツアーゆえ価格は不明ですが、成田行きの機内では男女1名ずつの添乗員がその人達に話しかけていたのを見ており、たかだか十数名に二人が付くということから考えるに、これは結構値も張るはず。普段なら私とはまず接点のないセレブの方々だったのでしょう。

その団体さんは私たちより1時間ほど早くホテルに来たそうですが(注)、やはりフロントでの大渋滞に閉口したとのこと。(注:さすがに添乗員はこういう遅延トラブルにも慣れており、速やかにホテルの手配等の行動を取ったと思われます。)ところで、朝食はビュッフェではなく個別オーダーでした。カットフルーツまたはジュース、スクランブルエッグまたはその他、コーヒーまたは紅茶というように。ところがウエイターには英語がほとんど通じず、難儀されていたのを見て私が通訳を買って出ました。前夜空港でLindaが米国人に助け船を出したのを見習ってのことです。

一仕事を終えて席に着いた私に彼女は「言葉が話せるだけで人の役に立てるというのは素晴らしいことね」としみじみ言いましたが全く同感です。そして、それは外国語を学ぶ大きな動機にもなります(つづく)。
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人生最長の日9(怪我の功名?)

2019-01-06 | 帰省(2018〜19)
サービスカウンターの職員さんは手際よく対応し、ホテルの宿泊、夕食および朝食、そしてホテルまでの往復タクシーのクーポンを発行してくれました。(糞Peruvianとは月とスッポンです。)

思うに私たちが荷物をちゃんと預け直していたらここには来ていなかった訳で、あるいは搭乗口付近で空しく夜を過ごしていた可能性はありました。(実際、翌朝には椅子に寝っ転がっている人達を少なからず見ました。)

その後、Lindaは手荷物検査員と話し合い、裏口から通してもらいました。その際、スペイン語が全くできないアフリカ系米国人男性が同様の問題で困っていたらしく、(たぶん英語が解らない)係員から「あんたがたは英語が話せるか?」と訊いてきました。それでLindaが急遽通訳を買って出ることになりました。

荷物受取所のカウンターで事情を説明したところ、職員は荷物タグの控えのバーコードを読み取ってからトランシーバでどこかに連絡してくれました。時間はかなりかかりましたが、荷物の受け出しに成功。続いて乗り継ぎ用の荷物預けカウンターへ足を運びました。ここでも最初は「他の乗客の荷物のチェックインからだいぶ時間が経ってるし」などと渋られましたが、新しく成田までのタグを付け直すことで受け入れてもらいました。

ただし、この手続きは本当に必要だったのでしょうか? というのも、空港内で日本人数名が雑談しているのを見つけたので、この件について尋ねてみたところ、口々に「自分は何もしていない」と答えて平然としていましたから。ということで真相は謎です。

何にしてもこれでようやく空港から出られます。タクシーに乗り5分ほどでホテルに到着。

中庭から撮りましたが、ここは正真正銘の高級ホテルでした。

ただしフロントが明らかに人数不足でこの行列。チェックインまで20分近く待たされました。



遅い遅い夕食(ビュッフェ形式)です。時刻は午前2時20分頃。翌朝会った日本人グループ客は「肉がどれもこれも硬くて参った」とぼやいていましたが、私はそうは思いませんでした。けれども、胃腸の具合がまた悪くなったら困るので肉料理は自粛。ほとんどパエリアばっかし食べていました。部屋に入ったのは3時10分前。

こうなるのは当然です。すぐにでも眠りに就きたいところですが、私はWi-Fiに接続して職場へ送るメール文書を作成しなければなりません。月曜の朝6時過ぎに成田到着という当初の予定では午前中に米原へ着けるため、いったん帰宅して昼食を摂ってからでも出勤して4限目(14:50〜)の講義に間に合うという算段でしたが、それが不可能となったので、月曜日の有給休暇取得と授業の休講を伝えました。

11時半のフライトまで8時間ちょっとですが、既にチェックイン済みで搭乗券も確保しているため、空港入りは少し遅くなっても大丈夫。つまり、ちょっとぐらいなら寝坊もできます。

こうして本当に本当に長い1日が終わりました。クスコのホテルでの起床は午前4時、ここでの就寝は午前3時ですが、ペルーとメキシコの時差1時間を足すとピッタリ24時間でした。これは物理的にも心理的にも文句なしに人生最長の1日であったと断言できます。

おまけ(箸休め)

帰国後にメールソフトのログイン履歴をチェックしてみましたが、なぜかメキシコはありませんでした。この日はメールソフトを使わずブラウザ経由で送信したからでしょうかね?
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人生最長の日8(記録更新)

2019-01-05 | 帰省(2018〜19)
それで人が来ない理由(ピックアップと預け直しに時間を食われていたため)が判りました。何にしてもこれは拙い! 空港や航空会社のミスで荷物が積み忘れられた、あるいは違う空港へ運ばれた場合には日数がかかっても自宅まで届けてもらえます。ところが、こちらに落ち度がある場合には・・・・・届けてもらうにしても安くはない配送料がかかるかもしれません。

それで近くのサービスカウンターに行って事情を説明することにしました。ところが私たちの直前で相談中の御婦人は深刻なトラブルだったらしく、一向に終わる気配がありません。そこでLindaから「ここでは私が説明するから、あなたは手荷物検査場へ行って戻れるか訊いてきて」と言われました。で、そちらの係員に搭乗券を見せて説明しましたが・・・・・

「あんたは乗り遅れたのか?」と訊かれて「そうじゃない」とは答えたものの、「でも他の荷物は全部積み込みが終わってるはずだからたぶん無理だよ」と言われました。それ以上粘って交渉する気力も語学力もなし。それでスゴスゴと引き返しました。

カウンターに戻ってみると、ちょうどLindaの番が来たところ。そして彼女の説明を聞いた女性職員が言うには・・・・

「ああ、あなたたちのフライトは11時半になったから戻って取りに行く時間は十分あるわね。」

え? じゅ、じゅういちじはん?!

どうやら何らかのトラブルが発生したお陰で助かる見込みが出てきたようですが、それにしても11時間超(00:05→11:30で正確には11時間25分)の遅延というのはいったい?(後で聞いたところでは機体整備のためとのことでした。そんなに時間かかるか?)

私の最後(たぶん9回目)のナミビア出張(2016年11〜12月)でも往路の国内線が11時間弱の遅れでしたから、ここでもその記録を更新して人生最長となりました。
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