ダムの訪問記

全国のダムと溜池の訪問記です。
主としてダムや溜池の由来や建設の経緯、目的について記述しています。

尾曾谷ダム

2020-10-08 03:18:31 | 和歌山県
2020年9月27日 尾曾谷ダム
 
尾曾谷ダムは和歌山県日高郡日高川町高津尾の日高川水系高津尾川にある関西電力の発電用アースフィルダムです。
全国屈指の多雨地帯である紀伊半島では、その豊富な水量を生かして戦前から各河川で電源開発が進められてきました。
尾曾谷ダムもそんな発電施設の一つで1918年(大正7年)に和歌山水力電気(株)により高津尾発電所の調整池として建設されました。
日高川が大きく蛇行する地形を利用し上流の上田原取水堰堤で取水された水は約2キロ超のトンネル導水路で尾曾谷ダムに貯留され、ここで水量調節を行った後直下の高津尾発電所に送られ最大5800キロワットの水路式水力発電を行っていました。
その後、高津尾発電所の所有は京阪電鉄⇒合同電気⇒東邦電力と変遷し1939年(昭和14年)に日本発送電傘下の関西配電により接収、戦後の電気事業再編成により関西電力(株)が事業継承しました。
1999年(平成11年)に高津尾発電所に隣接して新高津尾発電所が完成、最大出力が1万4500キロワットに増強される一方旧発電所は廃止、尾曾谷ダムの役割も調整池から上部貯水槽に変更となっています。
旧高津尾発電所建屋は大正時代の貴重な建築物としてAランクの近代土木遺産に選定されています。
 
尾曾谷ダム及び高津尾発電所は県道196号線沿いにあります。
日高川に架かる橋より
右が新高津尾発電所、左が廃止になった高津尾発電所
発電所の背後に尾曾谷ダムがあります。
 
1918年(大正7年)竣工の旧発電所建屋はAランクの近代土木遺産。
パラペットの上部に『和歌山水力』の社章が残っています。
 
発電所脇から尾曾谷ダムへ道が通じています。
ダム左岸から新高津尾発電所に伸びる水圧鉄管。
内径最大3.4メートル。
 
左岸から見た堤体
管理道路が斜行しています。
 
 こちらは右岸から見た堤体。
右岸にも水圧鉄管がありますが、これは余水吐導流部になります。
水圧鉄管の洪水吐導流部は珍しい。
 
天端から
直下に発電所、さらにその奥に日高川が見えます。
道路沿いに桜が植えられ花見スポットになっています。
 
上流面と取水口。
石積みがありますが、竣工当時のものだそうです。
すでに100歳以上の代物。
 
右岸の余水吐はダム穴風。
越流した水は5枚目写真の鉄管を流下し日高川に放流されます。
 
総貯水容量3万6000立米
もともとは調整池として建設されましたが、今は上部槽となっています。
右手の水路は流筏路として作られたそうです。
対岸に見える樋門は、新高津尾発電所稼働に合わせて新たに開削された導水路吐口です。
 
上流から。
発電機が回っており、流入した水が渦を巻いて取水口に流れ込んでゆきます。
ちょうどのこの写真の足元に新導水路吐口があります。
 
取水堰からの導水路吐口。
写真では分かりづらいですが樋門は石積で扁額付きです。
右手は流筏路の分水ゲート。
 
全国でも10基程度しかない発電目的のアースフィルダムです。
発電施設にも関わらず、ダム周辺は広く開放されのんびり過ごすには絶好のスポット。
大正7年竣工の旧発電所建屋が奇麗に残っているのもうれしいところです。
 
1639 尾曾谷ダム (1568)
和歌山県日高郡日高川町高津尾
日高川水系高津尾川
26.5メートル
85.5メートル
36千㎥/32千㎥
関西電力(株)
1918年


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