晴走雨楽(せいそううがく) 風の又三郎

晴れている日は山やロードを走り、雨の日は音楽や楽器演奏しています。風の吹くまま、気の向くまま・・・。

東京人  フォークの季節 を読んで                 309

2011年08月12日 16時33分54秒 | 音楽・楽器

■本日(8/12<金>)は盆休み、先日購入した東京人を読みました。


■東京人  フォークの季節 を読んで
○表紙
1971年、第3回中津川フォークジャンボリーに「六文銭」として参加した小室等
※左側の人は “山本コータロー”かな?

○特集フォークの季節 あの頃の熱をもう一度
歌は世界を変えると信じていたあの頃、若者はフォークに何を求めていたのか。

○第3回中津川フォークジャンボリーの会場風景
※若者が集結、熱気の高まり

○小室  等
Q:あの時代のフォークソングとはなんだったのか。
A:ファッションだった。
目の前で自分の歌を聴いてくれる人がいる。それを僕はフォークソングによって手に入れた
わけです。
※「キングサーモンのいる島」は六文銭のベストアルバムと思います。
そういえば、以前ランナーズ誌に“及川恒平”テニス・インストラクターの記事が。

○高石 ともや
「日本のフォークソングの始祖」と言われ、かって「プロテスタント・フォーク旗手」と
して若者たちの中心にいた。高石事務所そして、URCを立ち上げる。

音楽活動を停止、アメリカでジョギングとの出会い、コツコツと自分のペースで続けて
行くことを学ぶ。ジョギングからトライアスロンに挑戦。
※補足説明すると、30歳でジョギング開始、ホノルルマラソン連続出場やアイアンマン
レースの完走。さらに、ウルトラマラソンである アメリカ大陸を2カ月間かけて横断する
トランスアメリカ・フットレース(4,700km)を93年に日本人として初めて完走しています。
ウルトラマラソンのパイオニア的存在。

自分のペースを崩さず、フォークシンガーとして歌い続ける。
「誰かと競うのでなく、自分の限界の中でやるということを、ジョギングを通じて学び
ました。自分の速さで楽しくやればいいんだと」
歌の魂を聞く人に手渡すのが僕の役目です。
※ザ・ナターシャーセブン時代に山口県と千葉県でコンサートに行きましたが、常に
笑顔で歌っていました。

○森山 良子
父は米国サンフランシスコ生まれの日系二世、日本人ジャズバンドのトランペッター
として、日本に来日し、日本人女性と結婚。
偶然だが母の姉も、ロサンゼルス生まれの二世のジャズミュージャン、ティヴ釜萢
(かまやつ)さんと結婚。釜萢家も森山家の二、三軒先にあった(渋谷区)。
Q:「フォーク」と何だったのだろう。
A:私の育った時代に生まれるべくして生まれた音楽でした。
フォークはその出発点でした。人と人との出会い、長い関係が紡がれるように、
これからの歌に寄り添っていきたいと思います。
※以前、渋谷公会堂のコンサートに行きましたが、透き通るような声がホールに響いて
いました。ギタリストは石川鷹彦さんでした(カレッジ・フォーク)。

○遠藤 賢司
当時から、そして今もずっと思ってるのは、時代やジャンルを問わず音楽や歌は個人の
ものだとということ。
「♪~我々は~」と一段上から説教するのは、実は一番簡単なんだよ。俺はイヤだったし、
そういう歌も嫌いだった。
※あの時代やムーブメントがあったと思います。

○南 こうせつ
第一次かぐや姫を解散して、第二次かぐや姫を結成、自分の意志で音楽活動をする、
アーティストでありたかった。
それまでの主流だったプロテスト・ソングと異なり、社会に背を向けてアパートに閉じ
こもる、「四畳半フォーク」。
自分たちの手で社会を変えるのだという若者たちの思いは、急速にしぼんでいった。
「舞台と客席の一体感は、ぼくたちのフォーク世代から本当のものになったと思います。」
※我が家には“かぐや姫サード(LP)”が2枚あります(山の神も持っていました)。

○空飛ぶ中央線と葛飾のバッタ
伝説的ライブハウス 高円寺 ぐゎらん堂
友部正人のライブ、サングラスの高田渡や長髪の中川五郎。

○ボブ・ディランから始まる。
「歌いたいものを持っている者が、自分で作った歌を歌う」
ボブ・ディランの影響だろう、日本でも「われらの時代」を歌う歌手が次々と登場した。
あの時代の空気を共有し、共通の音楽を持つ幸せ。

○「神田川」そして「旅の宿」語りに曲がついてくる。
詩と曲と生ギターによって構成される季節感、暮らし感、若いころの日々が昨日の
ことのように思い出されます。

○拓郎に恋をしていた。
ある世代において石原裕次郎が比類なきスターであるように、私達世代にとって
「拓郎」はゆるぎなきスーパースターなのです。
初期の代表作「イメージの詩」、十四歳の私のハートは、まさに、打ち抜かれました。
毎日毎日聞き続け、その言葉は四十年たっても私の体の芯の部分に残っていて、
今でもふとした瞬間に立ち上ってくることがあります。

○ギターを片手に、浅川マキ
全日本フォーク・ジャンボリーが切り拓いた道は、その後の野外コンサートの大きな
礎となっている。

「ジャンル:ジャズ、ブルース、職業:歌手、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー」
彼女もまた「浅川マキ」という唯一無比のジャンルを歌い続けたのだ。

○今宵は、このフォーク酒場で。
仕事帰り、ちょっとネクタイをゆるめて、青春時代に奏でた
ギターを手にとり、懐かしいあの曲を口ずさむ。
・荻窪「落葉」
・FOLK酒場 昭和
・ANOKORO
・風街ろまん
・風に吹かれて

○戦うオヤジの応援団
※「ギター好き、フォーク好きたち必見」と紹介されていました。


●さて、明日(8/13)は、富士登山、荷物の最終確認をしよう。




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