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たけこの部屋

観劇と東方神起が好きです。ワンオペ介護中。

西松遥 (JAL社長)

2008-12-29 20:12:07 | ひと

大幅な赤字から見事黒字に転換したJAL。
「痛みを分かち合う」という姿勢のもとに、自らの報酬削減、バス通勤、社員食堂でのランチ等、西松社長のとった行動は有名です。
社長たる人物、それらのことはなかなか出来ないことだと思います。
それをさらりとやってのけるのもすごいですが、私は西松社長がこだわった、あるポイントにとても共感しました。

それは、「当たり前の徹底」。
当たり前のことをきちんとやるということです。
一例として、西松社長は“定時出発”を徹底したそうです。
すると機体の点検等の時間も充分とれて、それが安全にも繋がっているとのこと。

当たり前のことをするのは当然のことでしょ?と思われるかもしれませんが、いやいやこれがなかなかできていないことが多い。
お恥ずかしい話、先日うちの部に内部監査が入って指摘された事が「締め切りを守れていない」。
・・・残念な話です。

問題は「当たり前のことができていない」ことではなく、「当たり前のことができていないことに気付いていない」ことだと思います。
世の中の頭のいい人たちは難しいことを考えるのは得意だけど、簡単なことを考えるのは苦手。
大切なことの本質は、実はとてもシンプルなものではないでしょうか。
そこに企業のトップが気付けるか気付けないかで、企業の運命も変わってくるような気がします。


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樋口さんお別れ会

2008-12-25 02:12:13 | ひと
本当なら50回目のお誕生日を迎えるはずだった12/24、『樋口宗孝 LAST MEMORIAL BIRTHDAY 2008.12.24』と題するお別れ会が東京都青山葬儀所で行われました。

30分ほど前に到着したら、すでにたくさんのファンが列を作っていました。
お別れ会は13時に始まりましたが、ファンの献花は14時からなので、私たちはそれまで中の様子をスピーカーで聞かせていただきました。

「THEME OF LOUDNESS PartⅡ」、「ARES' LAMENT」、「NEVER CHANGE YOUR MIND」が流れたあと、高崎晃氏、影山ヒロノブ氏、井上俊次氏の挨拶が。
今日は泣かないつもりだったのだけど、たっかんの挨拶からあかんかった。
みんな樋口さんとの思い出話やいろんなこと、長い時間話してくれました。

その後、関係者の献花が行われました。
バックに流れる音楽は、樋口さんのドラムソロに始まり、「LOUDNESS」、「CRAZY NIGHTS」、「HAPPY TIME」と続いて、このあたりまでは曲名を書き留めたりしていたのですが、そのあと私たちも樋口さんの遺品や写真が並べられたトレーラーの前に移動したのでもう曲はわからなくなりました。

大きなトレーラーには樋口さんのドラムや、パネル写真、衣装や私服、靴、ゴルフ用品、レイジーやラウドネスのレコードなど、思い出の品がたくさん並べられてありました。
ここは写真OKだったので、みんな場所を譲り合って樋口さんの思い出を写真に収めました。
トレーラー内にはモニターもあって、会場の中の様子と樋口さんの映像が交互に映っていました。

 

いよいよファンの献花の番になり、会場へ。
会場に向かう途中にも何箇所か樋口さんのパネルが置かれてあって胸がつまります。
会場をのぞくと、中央に大きな遺影(黒縁ではなかったのが良かった)と白いドラムセット。サイドに2箇所モニターがありました。

私が入り口に着いたときの曲が「EARTH ARK」。
私にとっての運命の曲。
ここで泣くかと思いましたが、緊張していたのか大丈夫で一安心。
入り口で白いカーネーションをいただいて、順番を待ちます。

献花台までの道のりは遠く、そうこうしているうちに「EARTH ARK」が終わって、曲が「Mr.YES MAN」になったとたんに私の涙のダムが決壊!!
うえー、涙が止まらん。間欠泉かっちゅうくらい出る。
しかもそのときサイドのモニターで、メンバーと樋口さんが楽しそうにダーツをしている映像が映っていて、樋口さんがふざけてダーツの矢をつまようじみたいにしてはしゃいでるのを見てしまったものだからさらにえらいことに。
油断してました・・イエスマンでこんな事態になろうとは。
でも献花するときには涙もおさまり、樋口さんにちゃんと御礼を言うことができました。
私が献花台に花を置くと、ちょうどイエスマンも終わりました。

献花を終えると、ラウドネス&レイジーのメンバーが並んでくれていました。
左から、ニイちゃん、マーくん、たっかん、影山さん、俊次さん。
みんなファンに丁寧にお辞儀をしてくださっていました。
影山さんはファン一人一人と目を合わせて頭を下げてくださっていたと思います。
そして出口でトップ写真の「会葬御礼」のカードをいただきました。
この写真、トレーラー内のパネルの中でいちばん好きだなぁと思っていた写真だったのですごく嬉しかった。
写真の横に「あとは頼んだで、よろしく」の文字。
本当に樋口さんが言っているように思えました。

会場を出るとものすごいファンの列でびっくり。最後尾が見えない。
全員の献花が終わると、トレーラー内のモニターで樋口さんのヒストリーを映像と音楽で紹介するVが流れ、これがめちゃくちゃかっこよかった!!

その後、メンバーが取材を受けている様子をモニターから見ることができました。(声は聞こえない)
15:50頃、樋口さんの遺骨をお見送り。
ご両親が遺骨とお位牌を持って出てこられました。
たくさんのファンが、樋口さんの遺骨に向かって「ありがとう!」と叫んでいました。
私も心の中で御礼を言いました。

ご両親が車に乗られてドアを閉めた瞬間、バックに流れていた樋口さんのドラムソロのラストのドラがジャーン!と鳴り響きました。
車が出た後ももう一度。

樋口さん、いろんなこと本当にたくさんありがとう。
そしてあなたの死は、ある大切なことを私に気付かせてくれました。
最後に、LAST MEMORIAL BIRTHDAY実行委員会の皆様へ。
お別れ会を開いてくださって本当にありがとうございました。
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アルバムとか

2008-12-04 00:28:47 | ひと
樋口さんの話はそろそろ終わりにしようと思いつつ(というより、あれからあまり寝てないので少しは寝なければと思いつつ)、なかなか終わらせることができません。

今日は実家に樋口さんがらみの数々のアルバム(レコード!)を取りにいきました。うちにはレコードプレイヤーがないのですが、実家にはあるのでレコードは全部実家に置いてあるんです。
樋口さんに関するものだけ抜き出して、床に並べました。

 案の定写真に収まりきれませんでしたが・・。

1枚1枚語ると長くなるので、特別に愛着があるのをいくつか。

 「宇宙船地球号」(LAZY)
私の人生の転機になったアルバム。
このときの彼らに出会ってなかったら今の私はない。
すべてはここから始まりました。


 「破壊凱旋録」(樋口宗孝)
ひぐっつぁんの初めてのソロアルバム。
これは裏ジャケなんだけど、この写真好きでした。若い・・・!


 「DISILLUSION」(ラウドネス)
もともと日本盤が発表されてたんだけど、3度目の海外ツアーのあとにこのEnglishバージョンが誕生したんだよね。
ラウドネスのアルバムジャケットってメンバーの写真が載ってるの少なくて、しかもいい写真が少なかったのですが、この写真はお気に入り。
FCの会報とかにも使われてたなぁ、この写真。


 「THE LAW OF DEVIL'S LAND」(ラウドネス)
どうして2枚あるんだろう???
謎だー。


 「This is the LAZY」(LAZY)
アイドル時代のひぐっつぁん。(いちばん右)
解散ライブで隣の席だった人と、再結成ライブでも隣でびっくりした。
樋口宗孝の原点。


本城未沙子さんのメッセージ。
「雷が鳴ったらワンバスかどうかチェックしますね」という1行に泣けます。

音楽葬、行われるみたいですね。
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かわいい後輩たち

2008-12-03 01:31:54 | ひと
樋口さんを昔から知る仲間たちが次々とコメントを書かれています。

ニイちゃんやたっかんや影山さんに至っては、仲間というより家族同様のコメントですが、ロジャー(元X-RAY)の日記やジミー(元44マグナム)のブログなどを読むと、樋口さんはやっぱり偉大な先輩だったんだなと思うと同時に、ロジャーたちの可愛い後輩っぷりに思わず笑みを浮かべてしまいます。

影山さんのブログで、ファン葬の準備をしてるからもう少し待っててねというメッセージが。
・・・ありがとう。
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樋口さんの音

2008-12-03 00:34:23 | ひと
樋口さんの音と言えば、こだわり続けたワンバスの音、研ぎ澄まされたスネアの音、ドラマーとしての魂の音、そしてライブでのドラの音・・・個人的にはこんな音が思い浮かびます。

LOUDNESS、SLY、LAZY、ソロアルバムetc.・・・。
樋口さんはこの世にたくさんのアルバムを遺してくれました。
個人的にいちばん思い入れがあるのはやっぱりラウドのデビューアルバム。
これはもうどれだけ聴いたかわからないです。
初期のラウドのアルバムは自分の人生の一部がすっぽり入っちゃってますから。
私にとってはなんかもう懐かしいとかそういう次元ではないのです。

そんな数々のアルバムの中で、ちょっと他のとは色の違うお気に入りのものがあります。
それは、樋口さんがプロデュースしてご自身も参加されている 『SUPER ROCK☆SUMMIT』。
コージー・パウエルのトリビュートアルバム(ライブ盤)ですが、「Kill The King」で始まって、「All Night Long」で終わる、そんなたまらない1枚です。
もちろん樋口さんのドラムソロも収録されてます。8分30秒!

コージーが亡くなったのが確か’98年。
そのちょうど10年後に樋口さん自身がこの世を去ることになるなんて。

樋口さん、今頃コージーに会えているでしょうか。
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樋口さんとの思い出

2008-12-02 00:54:44 | ひと
数々のライブがやはり一番の思い出です。
だけど、ライブ以外でひとつだけ忘れられない思い出が。

まだ10代の頃の話ですが、今はなき「夢屋」というライブハウスがあって、そこにゼファーvs44マグナムのライブを見にいったら、樋口さんが来てました。
私はちょうどスタジオ帰りでベースを持っていて、樋口さんにベースのケースにサインしていただきました。
たぶんラウドネスがデビューしたかしないかくらいの時期だったと思います。
今思い返すと当時こんなド派手なケースを持っていたことが恥ずかしいですが、大切な宝物です。

   
                        DOMO!! がいかにも樋口さんらしい
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ドラマー 樋口宗孝

2008-12-02 00:45:56 | ひと
樋口さんの動画をいくつも見ました。
凝ったドラムソロもいいけど、私はシンプルなリズムをひたすら精確に打ち続ける樋口さんのドラムが好きです。
「The End Of Earth」のいい動画を見つけました。
ドラムをたたいている樋口さんを見ているときは、涙が止まります。

MUNETAKA HIGUCHI / 樋口宗孝 ~ SPECIAL / Vol.8
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ありがとう、ひぐっつぁん

2008-12-01 16:54:35 | ひと
肝細胞癌と闘っていたLOUDNESSのドラマー樋口宗孝さんが、2008年11月30日(日)午前10時44分、逝去されました。

病気のことが発表されたのが今年の4月。
でも樋口さんは普通の人じゃないから大丈夫、とどこかで思ってた。
こんなに早いお別れになるなんて。

28年分の感謝を樋口さんへ伝えたいです。
たくさんの感動とパワーをありがとう。
ご冥福をお祈りいたします。
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S原S子

2008-07-10 22:14:59 | ひと
友人の中でユニークな人物の5本指に入るであろう女性、彼女の名はS原S子。

彼女はビール好きが高じて、ついに自宅でビールを作った女性です!!(笑)
作り方を一生懸命説明してくれたのだけど、こっちはそれを作っている彼女の姿を想像して可笑しくて、全然聞いていませんでした。ごめんなさい。

で、大掛かりな作業で作ったわりに、お味はまずかったそうです
彼女は私の中で、「夏の風物詩」です。
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さかなクン (東京海洋大学客員准教授)

2008-01-29 10:13:12 | ひと
先週土曜日の 『課外授業ようこそ先輩』 の先生は、“さかなクン”でした。

私はさかなクンがどんな人なのか実はよく知らなくて、失礼ながらお顔が魚にちょっと似てるから“さかなクン”って言ってるのかな、くらいにしか思っていなかったんです。(ホント世間知らずですみません・・・)
だからあまり興味なかったのですが、用事をしながらそのままTVをつけていると、いつのまにかTVに釘付けになり、目を皿にして正座して見ている自分がいました!

さかなクンのピュアな心に感動!!
さかなクンって、本当にお魚が好きで好きでたまらないんですね。
あんまりお魚が好きだから、独学でお魚博士になっちゃった!
それって、めっちゃ素敵なことじゃないですか~!?
さかなクンが魚のことを話すときの表情は生き生きしてて、愛情が溢れていて、なんて素敵な人なんだろうと思いました。

子供の頃から、ずっと魚が好きだったさかなクン。
さかなクンのお母様は、勉強しなさいなどと言わず、さかなクンが興味のあることに夢中になることを応援してくれたそうです。素敵なお母様ですね。
たとえ学校で「何でそんなもの好きなの?」と変わった子扱いされても、自分の好きなものは好きでよくって、人にどう思われるだろうかとか、恥ずかしいとか、一切思う必要ないんですよね。

さかなクンの頭にのっているのは「ハコフグ」。
水槽の中で大きな魚に飛ばされながら、不器用ながらも一生懸命泳いでいるハコフグの姿に、さかなクンは感動したそうです。
そして、「僕も一生懸命生きていきたいからハコフグを頭にのっけよう!」と思ったんですって。

純粋で熱くて優しくて強いさかなクン。
大好きになりました
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川口宰護(福岡地裁 裁判長)

2008-01-09 09:28:47 | ひと
カテゴリー「ひと」、第一弾が賛同できない人物でスタートするのは本意ではありませんが・・・。

福岡の3児死亡飲酒運転追突事故の判決に、危険運転致死傷罪は適用されませんでした。
この判決でわかったことは、この国では法律が変わっても、それを運用・判断する人たちの頭の中が変わらない限り、法改正は何の意味も持たないということ。
実に残念です。

私の言葉でいわせていただければ、この判決はこう言っているように聞こえます。
「スナックでろれつが回らず、バランスを崩して倒れそうになったという証言もあるほどの飲酒をした上で運転し、制限速度の倍のスピード違反をし、そして事故後逃走し、友人に持って来させた水を飲んで証拠隠滅を計って呼気検査を受けた被告は、悪質とは言えないし、これぐらいでは危険運転とは言えない」と。

争点は、「アルコールの影響により正常な運転が困難な状態だったかどうか」。
これが “正常な運転ができていた” と判断された理由にびっくり。

理由のひとつは、「スナックから事故現場まで蛇行運転せず、衝突事故も起こさなかったから」
・・・・え? だからこの事故が衝突事故でしょう???
しかし、これはあくまでも単なる脇見による過失という判断らしい。
被告が脇見していた時間は約12秒。制限速度の倍のスピード(100キロ)を出しながら12秒も脇見できるのは酔っていたからできたことではないですか?正常な状態なら怖くてできないでしょう。

もうひとつ、友人に隠蔽工作を依頼したことを “意識がはっきりしている” “冷静に物事を判断できる” と判断し、それを “正常な運転ができる” につなげちゃったものだから救いようがありません。

そもそも「正常な運転」って「法令を遵守する運転」のことではないのでしょうか???

川口裁判長、あなた、ダメダメです!
判決が感情に流されてはいけないのはわかります。
でも、この判決では “飲酒運転で事故を起こしたら逃げて翌日出頭した方が罪が軽い” と言われていたこれまでの判決と、何も変わっていません。
何が目的の法改正だったのかもう一度考えてみてください。
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よっこさん、安らかに

2007-05-05 01:12:55 | ひと
服部良子さんが4月30日にお亡くなりになられたそうです。
劇団四季公式HP より。)

公式HPのお写真を拝見すると涙があふれてきます。

服部さんのジェニエニドッツが大好きでした。
あの細い体からどうしてあんなパワーが出るのかといつも思いました。

キャッツ大阪公演では前日予約するとよっこさんのジェニさんと握手できました。握手の時はいつも優しく顔を覗き込んでくださり、両手でふんわり手を包み込んでくださいました。
静岡公演では、握手の時に妊婦さんのお腹を優しく撫でていらっしゃるそんな光景もお見かけしました。
そんなよっこさんのお人柄が大好きでした。

私はよっこさんのジェニエニドッツをいったい何回拝見したのだろうと、さっきキャスト表を数えてみたら、65回でした。
最後に観たのは、2004年5月5日のキャッツ仙台公演の千秋楽。
ちょうど3年前の今日です・・・。

よっこさんのご冥福をお祈りいたします。
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田中宏幸さん、安らかに・・・

2006-09-11 11:19:06 | ひと
アメリカ在住の友人から届いた『FUNNY』というタイトルのメール。
“ファニー”とは LAZYのベーシスト田中宏幸さんのこと。
彼のライブのお知らせかな、と思いメールを開くと、それは【訃報】でした。

9月1日、急性心不全のため逝去されたそうです。

悲しすぎます・・・。
LAZYは、私が音楽をやるきっかけとなったバンド。
といってもアイドルバンド時代のことはほとんど知らなくて、解散の時に発表されたアルバム 『宇宙船地球号』 に衝撃を受け、ファンになりました。
私はベースを弾いていたので、田中さんのベースの音を何度も何度も繰り返し聴いて勉強したのを覚えています。

メンバーが皆個性的な中、田中さんの穏やかなお人柄は癒しの存在でした。
再結成した'98年にライブに行きましたが、その時が私が田中さんを見た最後となってしまいました・・。

追悼に、ライブCD 『HAPPY TIME TOUR '98』 を聴きました。
高崎晃さんのランダムスターにからむ田中さんのベース、影山ヒロノブさんの歌のバックでコーラスをする田中さんの声を聴くと、うまく気持ちが整理できなくなってしまいました・・・。


心より、ご冥福をお祈り申し上げます。

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木村大を語る

2005-05-26 12:31:10 | ひと
私はここ数年、人の生き方に感銘したり、影響を受けたりすると、その人物の名前をノートに書き記しています。

そのノートには、高樹沙耶、サンディー、中原ひろし(NYの創作寿司職人さん)、趙宇、中田英寿、阪哲朗、ピンクレディー 等の名前があるのですが、その一番最初にある名前が木村大なのです。

つまり、このノートを作るきっかけとなった人物ということ。

彼のことをTVで知った時、若いのにすごい経歴の持ち主であることや、その飄々とした風貌からは予測できないほどの演奏技術にも驚きましたが、
彼の強い意志やものすごい努力、将来をしっかりイメージして生きるその姿に感動しました。
おそらく今までTVを観て他人にこれほど感銘を受けたことがなかったので、思わず名前を書き残したのでしょう。その時は、こんなノートができるとは思いもしていなかったです。

先週末、その念願の彼の演奏をライブイマージュでやっと聴くことができました。
ソロはたった2曲だったので、あっという間に終わってしまいましたが、しかしそこにはちゃんと「木村大の世界」があって感激。

今度は小さめのホールで聴いてみたいかも。
これからの活躍がますます楽しみです。
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