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古墳時代の七不思議・其の壱:謎の前方後円墳形状

2023-03-15 08:43:53 | 古代日本

今回から毎週水曜日に『古墳時代の七不思議』として、7回に渡ってシリーズ展開する。初回は『謎の前方後円墳形状』として、その謎にせまりたい。

最古級の前方後円墳 3世紀後半 倭迹迹日百襲姫命やまとととひももそひめ)陵

この形状については、百家争鳴である。先ず森浩一氏①は、古代中国で冬至、夏至の祭祀をした円丘・方丘であろうと記されている。古代中国の故事を援用した説明で他に、『天円地方』説がある。亡くなった皇帝は、円い天に葬られることによって神になり、それを祀る後継の皇帝は、四角の地の上に立って、この地の支配者の地位を確かなものにするとの説もある。古墳築墳にあたり、皇帝権継承事例を援用したかどうか、やや疑問にも感ずる。

弥生時代の丸形の周溝墓の濠がとぎれ、陸の橋に相当する部分が発達して鍵穴形になったとの説も存在する。この橋に相当する処から多種多様な壺が出土した。そこは亡き首長の葬送儀礼の場であった。やがてその部分が発達して前方後円の形になったとの説である。

似たような説がある。後円部が主体で、ここに埋葬施設があり、前方部はもともと独立した、もっと小さな後円部に付属する祭祀場だった。その前方部は後円部と架け橋で繋がっていたが、その架け橋が巨大化、それに応じて前方部も巨大化し後円部と一体になったとの説である。

更に、〇と△による統合で、出雲勢力と九州勢力がヤマトで統合した象徴との訳の分からない俗説もある。

以下、辰巳和弘氏②の説を紹介する。これが前方後円墳の形状の謎にせまった説として、もっとも相応しく思える説である。

上掲のGoogleの写真をご覧願いたい。上空からみれば頸の長い壺に見える。話しが飛ぶが、徐福は不死の仙薬を求め、秦始皇帝に願い出て、東方海山の三神山に船出した。三神山とは蓬莱・方丈・瀛州(えいしゅう)という仙人が棲むと云われている。この三神山は三壺山とも呼ばれていた。それは壺のような形であったことによる。不死の理想世界は東海に浮かぶ壺形の山と考えられていたらしい。

葛洪(かっこう)の撰とされる『神仙伝』によると、壺の中に神仙界があるという、いわゆる『壺中の天』である。壺の狭い口と頸部の向こうに開ける別天地、それは陶淵明の『桃花源記』に語られる桃源郷である。壺形をした前方後円墳は神仙界、すなわち他界を常世とするモニュメントであろう。

前方後円墳が登場してほどなく、周囲に濠が巡らされる。その濠に満たされた水には、東海の蓬莱山と同じ光景になる。古墳時代の倭人が神仙界を意識していたことは、銅鏡の鏡背に鋳出された文様のモチーフであきらかである。

中央が弥生時代後期の長頸壺である。なるほど箸墓古墳の形状に似ている

以上が辰巳和弘氏の説で、なるほどと納得した次第である。前方後円墳の形状の謎は、弥生時代以降の長頸壺がモデルであった。

①森浩一 日本古代史 筑摩書房

②辰巳和弘 他界へ翔る船 新泉社

<次週水曜日に続く>

 



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