<続き>
右折が、どうも誤りとわかり引き返すことに。なぜ発掘のプロがという思いが湧いてくる。どーも20年前に発掘し、思いだしながらとのことらしい。メープリック学校の先を右折して、谷あいの田圃を横切るものと思いきや3kmほどであろううか民家が途切れるまで直進した。その端の民家で聞くとまだまだ先らしい。そのうちプロが一人のタイ人を連れてきた。やはり先ではなく戻るとのこと。
今度は大丈夫かと心配になったが、連れて来たタイ人が、その窯址の地主のところに案内してくれた。これで一安心である。地主はタノンさんと云う。そのタノンさんのバイクの先導で目的地につくことができた。谷筋の田圃を横断して向かいの山というよりなだらかな丘に入る手前に寺院がある。その寺院を右手にみて進むと、先のグーグルアースに示した地点に到達した。そこの手前は谷筋で小川がながれ、田圃となっている。そこを越えると登り坂となり、その右手がバナナ畑で、其の中に窯址があったが痕跡を残すのみで、窯の原形を留めていなかった。写真は窯址に立つ地主のタノンさん。次回掲載する窯址の紹介とともに、表採陶片の持ち帰りに同意頂いた、おおいに感謝したい。
<続く>