<続き>
窯址は原形を留めず、バナナ畑として開削されていたが、窪地となっていたことから推測はできた。なかには窯床と思われる部分が釉薬のガラス質で覆われている処もあり、その範囲は約1平方メートル程度であった。それが下の写真である。
周囲には数基の窯が存在していたようで、その向きは一定ではなく、90°程度の向きの差で接するように配置されていたと(軸線が斜面に沿うものと、水平に近い軸線で窯壁が接していた)・・・タノンさんの説明であった。
写真は、軸線が斜面に沿っている事例で、写真上部が斜面上方にあたる。多くはないが周辺には煉瓦も確認され、半地下式か地上式かはっきりしないが煉瓦構築窯であったと考えられる。
上の写真3点は、チェンマイ国博前庭移設のワンヌア窯であるが、これは地下式窯と紹介されている。先の地主・タノンさんの窯もこのような形状であったろうと思われる。
<続き>