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北タイ陶磁の源流考・#25

2017-02-20 09:34:20 | 北タイ陶磁
<続き>

前回#24ではタイを中心とした中世までの文化的背景を環濠集落と仏教遺跡の分布で見てきた。如何にもそれらの環濠や遺跡と窯址が重なりあっている。この背景というか土壌と窯の間には何がしかの因果関係があると考えざるを得ない。
先ず前回の宿題である、チェンライ県チェンセーン郡に、ワット・パサックなるシュリービジャヤ様式の仏塔が建っている。シュリービジャヤと云えば、スマトラやマレー半島先端のマレー系民族の美術様式である。
(写真出典:Google earth投稿Panoramioより転載)
写真はタイ国スラタニー県チャイヤーのシュリービジャヤ様式の仏塔である。チャイヤーの地はスマトラやマレー半島を根拠にしたシュリービジャヤ王国の版図にあった。
このシュリービジャヤ様式の仏塔がチェンセーンのワット・パサックで下の写真がそれである。
(写真出典:Google earth投稿Panoramioより転載)
先ずお断りしておく、当該ブロガーは仏塔の何がしかを語る知識は持ち合わせていない、従って誤解を多々含有するであろうと危惧するが、ど素人の論調を続けたい。
成るほど基壇と低い層に仏龕を有し、仏塔は方形で頭に円錐形の身捨を載せるのは同じように見える。
では何故北タイのチェンセーンにシュリービジャヤ様式の仏塔であろうか?・・・これに関し正面から回答する何がしかの知識を持たない。
しかし、繋がる話は存在する。シュリービジャヤ王国の版図であったタイ領から、タイのビーナスと呼ばれる菩薩像が出土したが、これはインド・グプタ朝のサールナート派の影響、つまり大乗仏教の影響を受けていると云う。
(写真出典:バンコク国立博物館にて撮影)
同時期の9世紀モン族が製作する仏陀像は、左右の眉毛がつながり目、鼻、口等がモン人の特徴を表すようになる。これはいままで見て来たように混住するモン族がシュリービジャヤ様式の影響を受けたと識者は考えている。
(出典:バンコク国立博物館・・7-10世紀 如来立像:ブリラム県出土)
同時期であるドヴァラバティー王国の時代、コラート高原でのモン族による仏像やヒンズー像は同時代のインドの製作様式を継承しながら、顔や体形は上述のように特徴的である。
(写真出典:バンコク国博にて撮影・・ブラフマー神・クメール様式・10-11世紀)
上のブラフマー神は、ほぼ同時代のクメール様式の像である。左右の眉が繋がっているのが即目につくと思われる。
以下、チェンセーン様式なる仏像である。シュリービジャヤ人であろうかモン族であろうか?多くの識者はモン族としているが・・・。チェンセーン様式なる青銅仏が存在する。
(写真出典:チェンマイ国博ガイドブック チェンセーン様式仏陀座像)
チェンセーンでは多くの仏像が鋳造された。その工人集団はモン族であったと、チェンマイ国博ガイドブックは記している。
噺がくどかったが、シュリービジャヤとチェンセーンが何とか繋がった。やはりモン族の仕業と思われる。

以下、余談である。
サンカンペーンにワット・チェンセーンなる無住職の寺院が存在する。誰が云いだしたのか? そこの仏塔がミャンマーのピュー様式だと云う。それは以下の仏塔である。
(写真出典:現地にて撮影)
当初ピュー様式とばかり信じていた。ピュー人の末裔が建立したであろうとも推測した。ピューと云えば中国文献にも登場し緑の瓦や煉瓦が存在したと記されている。その何がしかがサンカンペーンの操業に絡んだと、思ったりもしたが何かがおかしい。そこでGoogle Earthで調べると全く異なる。
(写真出典:Google earth投稿Panoramioより転載・・ピュー様式仏塔)
ワット・チェンセーンの仏塔をピュー様式とは呼べないであろう。ところがワット・チェンセーンには碑文が存在する。過去当該ブログでも取り上げたが再掲する。
碑文には”ムーンダープルアンという名の大臣が、「プーラオの人々」と共にワット・チェーンセーンを建立した”と記されている。
これをもってKriensak Chaidarung氏は「プーラオの人々」は、パヤオのウィアン・ブア窯群から移ってきたパヤオの人々の集団である・・・としている。氏は「プーラオ」を「パヤオ」とした。その根拠はチェンマイの歴史書にい「プーヤーオ」または「プーヤオ」とパヤオを呼んでいたと記載されていると云う。これは氏の推測以外のなにものでもないと考えるが、パヤオ窯とサンカンペーン窯との関連を伺わせる噺ではある。
以上、後の噺は置いておくとして、文化的何がしかの背景をみてきた。モン族の関りを感じずには居られない。北タイ諸窯の開窯時期は、多くがタイ族の南下・西南下後のことであるが、それ以前から幾つかの窯は煙を上げていたであろうと思われる。

いよいよ謎解きと云うか、北タイ陶磁の源流についての考察であるが、先人が既に『Ceramic Kiln Lineages in Mainland Southeast Asia』と題し、レポートを発行している。彼の著名なDr.Don Heinのレポートである。はっきり云って冗長すぎるが、彼の長年の調査探求の集大成と思われる。そのレポートの概要を当該シリーズの一時中断後紹介する。




                                 <一時中断>