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日本と泰国の環濠集落・#4

2017-02-05 08:14:20 | 古代と中世
<続き>

泰国の環濠集落で、日本の弥生に相当するものとして、コラート高原のファーデート・ソンヤーン環濠集落を前回紹介した。その規模は弥生の吉野ヶ里や妻木晩田を遥かに凌ぐ大規模なものである。コラート高原の先史時代の住民の民族がはっきりしないが、モン・クメール系の民族と思われる。
では、弥生に相当する北タイはどうであったろうか。ウィアンとかビェンと呼ばれる地名は、城砦とか城郭の意味合いをもつ、つまり環濠都市ということになるが、ここではウィアン・カロンとパヤオのウィアン・ブアを紹介する。比較しやすくするため先ず高度約4000mの衛星写真である。紀元前6-前5世紀の北タイは人口希薄であったと考えられるが、環濠の規模は小さい。
高度4010mの写真では、あまりにも小さいため下に高度1510mの写真を掲げておく。
幅5-6mと思われる環濠が巡るが現在は空濠で、丘の頂に位置することから建設当時に水で満たされていたかどうかは?である。
この環濠集落内にワット・ウィアンカロンが建立され、陶磁資料館が併設されている。それを見学した際に写したのが上写真の環濠である。このような環濠が巡っている。下のジオラマはウィアン・カロンの全体像をみることができるが、尺度が正確かどうかは?。
次はウィアン・ブアで所在はパヤオ県ムアン郡ブア村である。この環濠も規模は小さい。

規模は小さいものの北タイには各地に、このような環濠集落が存在する。ルワ族やモン・クメール系の先住民が居住していた証である。
そのルワ族は佤(ワ)族の一派であるが、雲南省プーアル市西盟県ワ族自治県の大馬散村の佤族村がブログに紹介されている。それによると、”村の周囲を竹・木・棘のある植物等で覆って障壁とし、その外には塹壕を掘って外敵からの襲撃を防御していた”・・・とある。塹壕というからには、それなりの規模の溝であろう。佤族はモン・クメール語族のひとつである。北タイ同様に雲南の先住民も環濠を巡らしていたことになる。


                                    <続く>