食の嗜好というものは幼少の頃どんなものを食べたのかで決まるのだろうか。少なくとも、ぼくはグルメではない。むしろ、おかずのシナは一品のほうがいい。二品以上あるとなんかムナブクレしてしまうのだ。食に関して言えば、美味しいと感激もしなければ、まずいとも言わない。つまるところ食にあまり関心がないのだ。そんなことは育ちに影響しているのかも知れない。ぼくの母親は大正時代、お女中を何人も抱えた大きな風呂屋のお嬢様だった。ところが思春期の頃継母に苛められ、性格がねじれてしまった。京都の疎水のほとりで毎夜泣いているのを近所の人が見て、自殺するのではないかと心配したほどだ。それでぼくの祖父は18歳で大きな織物問屋の若旦那のもとに嫁がせた。ところが性格がねじれていたので、若旦那は手もつけず半年で離縁した。ところが世間体もあって出戻りで実家に帰ることも出来ず、嫁入り道具一式と母親を取りあえず九条の間借りに住まわせた。当時、父の兄が風呂屋の釜焚きをしていて「うちの弟と一緒にさせよう」と祖父に持ちかけて、京都伏見に嫁入り道具をそっくり持ってきて、機械工で当時20歳の父と一緒にさせた。そういう経緯の母親だったから、母親は料理など作ったことはないのだろう。料理はからっきしダメであった。ぼくのおふくろの味という記憶をあえて言うなら「洋食ランチ」である。皿にキャベツを切って添え、近所で買ってきた出来合いのコロッケか魚のフライ、それにトマトがやはり切って添えてある。毎日そういうものばかり食べていたし、作るのに時間のかかるような煮物を食べた記憶が全くないのである。その後、ぼくはカミさんと結婚して、まず、関東と関西の違いで食のカルチャーショックを受けた。関西ではラッキョウと納豆は食べたことがないのである。カミさんの実家に行くと義父が「全部残さず食べなさい」とラッキョウを勧める。「は、はい」、ご機嫌を損ねてはマズイと、ぼくは実家に行くといつも出されるラッキョウを無理してほおばっていた。初めはかなり無理していたが、そのうち慣れてきて、さらに好きになって、今ではスーパーで自ら買うようにもなった。納豆も同じである。こんな腐ったものと当初は初めて口にして吐いたものだ。ところがカミさんは関東人、食卓に並べて子供たちに食べさせるので、次第にぼくも食べれるようになり、これも今ではスーパーで自ら買うようになった。煮物もカミさんは得意でいつも食卓に並べるが、これも子供時代に食べたことがないので当初は苦手だった。しかし長い年月を経て、今ではようやく好きになっている。幼少の頃食べなかったものが食べられるようになるのには随分時間がかかるものだ。ところが機械工のおやじが給料日にはいつも沢山の最中を買ってきてくれ、おいらは夢中でお腹一杯食べたものだ。だから今でもあずき関係の和菓子には目がなく、スーパーの買い物のついでに、そっとカゴに入れてしまう。育ちと食の嗜好というのは深い関係があるようだ。
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