まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

我が家の世代交代

2009-07-06 | 随筆
長男夫婦と赤ちゃんが会社の休みを貰って泊まりに来たので、昨日、長女の家に皆で押しかけた。長女も三歳になる子供が一人いて、一家8人が揃って上の写真を撮った。皆忙しく離れてもいるので、一家8人が揃うというのはめったにない。皆が揃って、ふっと、昔正月には家族を連れて両親のいる京都に毎年兄弟が集まったのを思い出した。兄と姉とぼくの子供が二人づつ、そして連れ添いを含めて、一家14人が集まった。おやじが還暦を迎え、お祝いをしたこともあった。「そうか、あの頃のおやじと、今の俺は同じ歳になったんだ」、そう思うと、本当に月日は早いものだと実感する。誰でもそうだろうが、自分がもうオジンの年齢になったとは信じられないのである。しかし、孫たちの顔を見ていると、これは認めざるを得ない現実である。ベランダでタバコを吸っている息子の風情を見ていると、まるで若い頃の自分を見ているようで、奇妙な気持ちになった。世代はどんどん交代していく。
と、ここまで書いて、翌朝、オチが着いてしまった。最初に起きたぼくはテレビのニュースを観ていると、カミさんが起きてきて「寝てる部屋の雨戸を長男に突然開けられて、タバコの煙が孫の部屋にくるって、たたき起こされた」と、ぼおーっと立っていた。ぼくが寝起きに吸ったタバコの煙らしい。てっきり隣の部屋には戸が締めてあるので、大丈夫だと思っていた。長男がきたので「あのなー、タバコの煙ぐらいで、かあちゃんをたたき起こすことはないだろう」とぼくが言った。ところが長男は「親として子供を守るのは当然だ」と突然激昂しだした。実のところぼくもカミさんもこの二日間、いままでの生活リズムと違って、何か気が立って、夜寝られず、睡眠不足が続いていた。昔、京都の両親のもとによく家族を連れていったが、「よく来た、よく来た」と歓待してくれるものの、しばらくすると、母親はいつもイライラしだし、いつもダウンしていた。それは母親の特殊な性格からくるものだと思っていた。ところが、この歳になってみると、実によく解る。精神的にも肉体的にも体力がなく、子供や孫が可愛いと言えども長期間の接客には疲れてしまうのである。そして生活リズムも違ってくるから夜も寝られなくなる。これだけは歳を取らないとわからないものだった。「せっかく、孫の顔を見せて喜んでもらおうと、慣れないレンタカー運転してきたのに。もう、帰る」「ああ、帰れ」。ぼくも毎年京都に行ったのは「親に孫の顔を見せて喜んでもらおう」と同じ気持ちだったので、長男の気持ちはよく解っていた。そして些細なことで突然「帰る」とおいらも京都で同じことをしたことがある。これもまったく同じである。息子は雨の中を朝食もとらず、レンタカー屋に行って、車を借りてきて、煙のように去って行った。同じ遺伝子で同じことをやって、世代交代となっていく。