まさおっちの眼

生きている「今」をどう見るか。まさおっちの発言集です。

権力・体制側は常に強きを助け、弱きをくじく!

2009-07-16 | 発言
昨日岐阜地裁で、ある判決があった。70歳の老婆が98円の消しゴム一個万引きしたとして、懲役2年の実刑を下したのである。この老婆は万引きの常習犯で、この一月に刑務所を出所して、生活保護を受けてアパートで一人暮らしをしていた。石川県に長男がいて、月に数回「元気にやっている」と手紙を出していた。手紙はいつも鉛筆で下書きしていたので「消しゴムがあったらいい」と思い、近くのスーパーでポケットについつい入れてしまったところを捕まった。逮捕後、スーパーの店長や検察官、弁護士に「二度と悪いことはしない」と手紙を書いたが、結局消しゴム一個で2年の実刑判決となった。判決を下した宮本裁判官は「被害は小額だが、手慣れた犯行で実刑はまぬがれない」とした。しかしなあ、っと思う。裁判官はいくら法秩序のためといっても、ちょっとマニュアル通り過ぎやしないだろうか。欲からくる万引きなら、消しゴム一個どころか、一万円相当くらい盗むだろうし、これは欲からではなく、万引きのビョーキでしょうよ。まして我欲からではなく息子に手紙を書くための消しゴムであり、ついついビョーキが出たということでしょう。まして70歳の高齢、せめて執行猶予をつけるぐらいの大岡裁きがあってもいいのではないだろうか。裁判官はいわばエリートの人生、法秩序を錦の御旗にこの老婆の悲しい人生など解る余地もないのだろう。権力者は常に強きを助け、弱きを挫く。公的資金だって、大企業には注入して助けるが、中小企業は倒産をヨシとする。また、昨日も鶏卵生産者の大会に野党議員も来賓として呼んだら自民党の族議員が怒り出して、農水省の幹部が「自民党が怒っている。大会を中止しなければ、卵価予算(補助金)を打ち切る」と脅しをかけたという。権力者側というのは、常に体制を維持するために、脅しをかけたり、弱いものイジメをする。それにしても消しゴム一個で、老婆はまた2年間も刑務所暮らしか。権力がむき出しになると、ささくれた世の中になるものだ。


教育改革で「死語」を復活させよ!

2009-07-15 | 発言
教育というのは30年の計で人心が一新されていく。例えば北朝鮮、金正日様万歳と子供の頃から教育されれば、大人になったって民主主義には見向きもせず、金正日様万歳となる。日本でも親が新興宗教に嵌れば、その子供たちの殆どはその宗教の信奉者になる。教育というものは大変大事なものである。ところが日本の場合、戦後教育のなかで「道徳教育」というものは戦前の教育に戻ってしまうということで、日教組などが反対し、過度に「道徳教育」は排斥されてしまった。その影響で、今日の人と人との絆の断絶した社会が生まれてしまった。例えば、「おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさんを大事にしよう」。「少年よ、大志を抱け」。「勇気、根気、信念を持って生きよう」、「人の傘になれ」等など、そんな言葉は今の日本では死語になってしまい、「クサイ」という表現で吐き捨てられる。これは戦後教育の失敗である。アメリカの資本主義には精神のバックボーンとしてキリスト教がある。だから大リーガーでもホームランを1本打てば恵まれない人に一万円を寄付するといった行為が自然に行われている。そして韓国には儒教がある。ところが日本の場合は道徳を排斥し自由主義だけを取り入れたので、従来の「真・善・美」を大切にする心さえも壊れてしまった。庭に蒔いたタチアオイの草花を見ていると、日陰でも精一杯花を咲かそうとしている。人間もまた同じである。オギャアと生れたからには、人間として価値ある一生を送ることが天命である。価値ある一生とは、夢を持ち、大志を抱き、生き抜いて、そして、弱いものをいたわり助ける。それは人間としての基本である。そういう生き方が増えると、お互い信頼し合い、尊敬し合える世の中が生れる。そういう基本道徳は小学校の時代からしっかりと教えなくてはならない。過度に道徳教育を疎外してしまった結果が今日である。鳩山代表は「コンクリートより人を大事にする」友愛を掲げているが、ぜひ人間教育に力を入れて欲しいものだ。ここで、ウイリアム・クラーク博士の「少年よ、大志を抱け」の全文を読んでみよう。

「少年よ大志を抱け
ただし金を求める大志であってはならない
己の利己心のみを望む大志であってはならない
名声という浮わついたつかの間のものを求める大志であってはならない
人間としてあるべき全てのものを求める大志を抱きたまえ」


麻生首相、ごくろうさまでした。

2009-07-14 | 発言
先週から本ブログで予告通り、麻生首相がサミットを花道に解散を宣言した。本当は今日にでも解散したかったのだろうが、最後まで自民党内や公明党との妥協の産物として来週21日となった。雑誌屋というのは物事に疑問を持つことから出発するので、雑誌記者の長かったぼくはその癖もあって、麻生首相に対して疑問を投げかけ、ずっと批判し続けてきた。しかし今日はちょっと次元の違うところから見てみよう。まず、テレビに映る最近の麻生さんは首相になった頃より、随分と髪の毛が薄くなったなあと思う。勿論、例えば生活保護の母子加算削減とアニメの殿堂建設一つとっても、それぞれ役所の言いなりになって矛盾した政策が露呈し、国民もその能力のなさにガッカリしたわけだが、首相というのは分刻みのスケジュールをこなし、大変な激務である。その激務さから、どうしても役人に原稿を書いてもらったり、役人の意のままに動いてしまったりする。大平正芳元首相もその激務で亡くなったし、安部前首相も体調を壊して途中で投げ出してしまった。外交、内政などビッチリとスケジュールが組まれ、息つく暇などないのが実情だろう。これでは、スケジュールをこなすことだけで精一杯で、冷静な洞察力や先を見通す余裕など生まれてこない。会社経営では会長、社長と役割分担しているところが多い。日本も大統領の下に首相を置いて、大統領は主に高所から外交、首相は主に内政とすれば、随分と仕事が軽減されるだろう。まあ、それは今後の課題として、次の鳩山新首相が誕生した時である。霞ヶ関の改革をやり、天下り・特殊法人を無くすこと一つとっても役人の大変な抵抗が予想される。首相の激務が公約実行によってさらに激務となるだろう。そして各大臣、副大臣、政務次官ぐらいでは各省の役人にあしらわれ、自民党政権のように結局は各省の利益代表になってしまう。ここは小沢代行の言うように、民主党議員130人を各省に振り分け、大臣をサポートする体制が必要である。そうして首相や大臣を助けていかないと、鳩山首相も精神的・体力的にいい仕事が出来ないだろう。日本の首相というのは本当に激務である。いい悪いは別にして、麻生首相にも、ごくろうさまでしたと言いたい。


国民のマグマが噴出した都議選・民主圧勝と麻生解散!

2009-07-13 | 発言
「政治をなんとかしてほしい」「政治を変えたい」、そういう切実な国民の願いがマグマとなって噴出した今回の都議選・民主圧勝・自民の歴史的敗北だった。もはやこの流れは変えようもなく、衆議院選挙でも雪崩を打って民主圧勝となるだろう。二日前にこのブログで書いたように、麻生首相は、サミットを花道に、今週解散に打って出るだろう。「今、解散すれば集団自殺だ」と自民党の多数は、まず麻生を降ろして、枡添、小池、「正義」の鳩山などで総裁選を盛り上げ、電波ジャックで自民党支持を少しでも上げようと解散を阻止するだろうが、麻生にとっては、もう総理の座にいればいるほど泥を掛けられる、おぼっちゃまのプライドが許さず、自民がどうなろうと、自分の手で解散するだろう。これで、長く続いた自民党政権は終焉する。それにしても公明党は都議選23議席全員当選と善戦したが、創価学会の力の入れようというのはすごかった。ぼくの家にも二週間前に、京都からわざわざ小学校時代の名簿を掲げて、「公明党議員をよろしく」とやってきた。同じ小学校の同学年だったと言われても、50年も前の事、付き合いだってないし、顔も知るよしもない。「はい、わかりました」と言っておいたが、またまた昨日都議選当日にわざわざ京都から電話が入って「選挙行かれましたか?」「はい、公明党さんに一票投じましたよ」と、無難に応えておいた。馬鹿言え、政権与党にへばりついて池田大作だけを守ろうとするインチキ政党に誰が入れるか、政教一致もはなはだしい。しかし全国の創価学会人がこのように東京のエンコを求めて声を掛ける異常さには、さすが宗教だと敬服してしまう。ただ相次ぐ衆院選には、もうそのエネルギーは都議選に使いきって、公明党も縮小するだろうと見ている。さあ、いよいよ衆院選挙にも圧勝して、政権交代が実現する。初めての政権政党になって失敗もあるだろうが、粘り強く改革を断行し、国民に夢や希望を与えてもらいたいものだ。

自分に甘く、他人に厳しい日本人!

2009-07-12 | 発言
13歳の少年が父親を刺し殺したとおもえば、昨日の朝日新聞の声の欄に13歳の中学生が投稿していた。それによると、近くに無人の野菜販売所があって、100円で自由に野菜を買うことが出来る。農家の人は私たちを信用してくれているし、私たちもそれを裏切らないようにしている。そして「信頼し合うのは気持ちがいい。そんな社会がなくならないでほしい」と結んでいる。ざっとそんな内容だが、その隣の声には62歳の町内会会長が、大阪のパチンコ店放火に端を発し、危ないから町内の出入り口に防犯カメラをつけたとある。一方は「人同士が信頼し合うのは気持ちがいい」というし、一方は、守るためにすべての人に疑いをかける。今の日本人は圧倒的に後者のほうだし、「信頼し合うのは気持ちがいい」という声には新鮮ささえ感じる。人間、信頼し合えるのは本当に気持ちがいいとぼくも思う。しかし今の日本人は「自分に甘く、他人に厳しく」なっているので、肉親でさえも接すると攻撃をかけてきて、傷つくことがしばしばだ。心に余裕がないのである。余裕がないから毎日イライラした気分で、他人の言動にすぐ激情してしまう。だから「信頼し合う」という普通のコミュニケーションすら出来なくなって、肉親といえども人間関係は疑心暗鬼になってしまっている。冒頭の父親殺しはその典型的な例だろう。自分に甘い人間は、自分の人間性を磨こうとしない。磨かないから自分にも自信がなく、謙虚に自分を反省する心の余裕すらない。そしてひたすら他人を責めることによって、自分の心のバランスを図ろうとする。こういう日本人が老若男女問わず大変多くなった。「思いやり」は「思い」を「やる」、つまり、人の立場に立って、その人にになったつもりで考えてみるという、そんな心の余裕がまったく無くなっている。「信頼し合うのは気持ちがいい」のに、こんな社会風潮では人間不信はますます募り、淋しいばかりだ。


便所飯クン、「理想」が君を救ってくれる!

2009-07-11 | 発言
学食で一人で昼食を摂ると、「あいつ、友達のひとりもいないんだ、キモイ」って思われやしないかと、君は今、便所で飯を食っている。その姿こそ、惨めで、寂しくないかい?そう、そのことは自分が一番判っていることだよね。しかし、どうしても他人の眼が気になって、ついつい便所で食べてしまう。もう、そういう生活から抜け出そうよ。簡単さ、自分の「理想」を持てば、すぐそんな生活から抜けられるよ。君に足らないのは、「理想」さ、理想がないから他人の眼が気になってしまうんだ。君には、これからの未来が一杯ある。ところが漠然とした五里霧中なかに立っている今、どうしていいか、孤独のなかで彷徨っているけど、「理想」を持って一歩踏み出せば、自然と道は開けてくるよ。そしてさらに理想に向かえば、他人の眼など気にならなくなるし、孤独に打ち勝てる強さも出てくる。人生、必ずや幸せになれるぞ。じゃあ、今、君に無い「理想」をどうしてつくるか。こいつだけは人それぞれの「理想」でいいんだから、便所で飯を食いながら一生懸命自分にとっての理想とは何か、考えたまえ。百人百様でいいんだから。自分の理想が固まったら、もう、その理想を達成したと同じさ。それだけでも、群れてしゃべくっているだけの内容のない仲間たちとは随分違う生き方ができるよ。そして、その理想に向かって歩いていくと、必ずや同じ志を持つ親友と出会うことができるよ。この親友は、百人のメルトモには比較にならない一生の友になるよ。五里霧中の今を守ろう、守ろうとしたって、だんだん縮こまって、頑なになって、結局は守るどころか、壊してしまうものさ。それよりも「理想」を目指して、どんどん生まれ変わっていくことさ。そうすれば、きっと、幸せな人生が送れるよ。

麻生首相はサミット帰国後、即時衆院解散に打って出る!

2009-07-10 | 発言
12日の都議選は民主党の圧勝で終わるだろう。そして直後から自民党は二派に分かれる。一派は麻生を降ろし、総裁選の前倒しをやって、舛添要一、小池百合子など国民に人気のある議員を担ぎ上げ、再びお祭り騒ぎの総裁選をやって電波ジャックをし、自民党の支持率を上げようとするヤカラ。もう一派は衆議院の任期一杯まで麻生の解散を阻止し、それまでに鳩山の個人献金問題など敵失でなんとか支持率上昇を狙おうとするヤカラだ。いずれにしても今解散されたら自民党惨敗は眼に見えていて、自分たちの首が危ういと、解散を阻止する動きが主流になる。しかし、どちらにも麻生は乗らないでサミット帰国後、解散に打って出るのではないだろうか。麻生という人間はもともと国民のことも、自民党のことすらも考えてない男だ。総理の椅子で遊びたいだけの人間である。このお遊びもサミットという晴れ舞台が絶頂期であとはなにもない。むしろ、帰国後は、自民党のために自分がコケにされるだけだ。麻生としては総選挙に自民党が負けようが知ったことではない。国会議員になって、もう総理という頂点で遊べたのだから、自民党の前述した二派が大反対しようとも、サミットを花道に自らの手で解散に打って出るだろう。しかし、13日に野党は参院で麻生総理の問責決議案、衆院で不信任案を一斉に提出し解散を迫ると、「この野郎」っとまた喧嘩太郎の虫が怒り、自らの手の解散のタイミングを外してしまい、結局は決断できずに恥辱にまみれていくかも知れない。

JR西山崎社長起訴でますます検察の劣化が露呈!

2009-07-09 | 発言
4年前、107人が死亡した福知山線脱線事故で、検察は業務過失致死傷罪で当時鉄道本部長で現JR西日本社長の山崎正夫を在宅起訴し、それを受けて山崎社長は昨日付けで社長を辞任した。「現場カーブにATSを設置するなど安全対策を怠った」という起訴理由だが、こんな起訴理由になぜ4年もかかったのか、さっぱりわからない。死者107人も出した大事故であり、過密ダイヤなどJR西日本の構造的な問題も事故に繋がった要因も考えられるのに、検察は当時トップ三人を不起訴にしてしまった。、世間が「検察、なにやってんだ」との批判をかわすためにやむなく山崎を起訴したのか、仕事をちゃんとやっていますよと、検察の体面を保持するために起訴したとしか思えない。こんな起訴理由の証拠固めに4年もかかったというのが、まったく解せない。このような理由なら、せいぜい事故から半年以内だろう。逆に言うと、4年もかかったということは、確たる証拠固めもできなかったが、世間の風当たりが強いのでやむにやまれず起訴に持ち込んだ線が強く、逆に無罪になる可能性が高い起訴ともいえる。民主党の小沢秘書起訴と同じで、たとえ無罪になっても、まずは起訴して検察の体面だけを繕ったというほかはない。まさに、検察の劣化がまたしても露呈した起訴である。


もはや民意の流れはかわらない!

2009-07-08 | 発言
静岡知事選では、民主系が分裂立候補したにも関わらず、民主党が勝利を収めた。二人の票を合わせると圧倒的勝利である。「民主党に政権交代を」という民意はもう変えようがない。鳩山代表の個人献金疑惑だと自民党は盛り上げて小沢氏降ろしの柳の下の二匹目のドジョウを狙っているようだが、もう国民には通じないようだ。第一、鳩山の資金を秘書がをさぼったため個人献金に見せかけて計上したと説明しているのに、自民党側は「説明責任が足らない」と唯一の摘失を攻めようとする醜悪ぶりだ。自民党は国民に何のビジョンも提示できず、敵失ばかりを問題にする情けない政党に堕落してしまった。勿論マスコミはそれに乗って相変わらず閣僚の「鳩山氏の個人献金疑惑が問題だ」と報道を垂れ流しているが、もう国民も覚めた目で見ているようだ。政府・検察・マスコミによる「小沢収賄でっち上げ」が、とにかく代表を降ろす効果があったので、再び鳩山降ろしを狙っているが、まったく情けない党に成り下がったものだ。献金疑惑というならば、西松建設からの二階経産相、談合ゼネコン6社からの佐藤総務相、商品取引会社からの与謝野財務相の献金疑惑の解明のほうがよほど重大だし、政教分離問題で元公明党委員長矢野洵也氏の証言や創価学会池田大作名誉会長の証人喚問だってある。それらは検察・マスコミは一切不問にしている。今の検察は非体制派だけを検挙するし、マスコミは体制側の情報だけを戦中下のごとく「大本営発表」するか、東国原のようなタレントのバカ騒ぎのほうが視聴率が取れるので、芸能紙面扱いをして、国民の民意をゆがめようとしている。しかし、国民は小泉劇場で空白の10年を費やしたが、ようやく目覚めたようだ。もはや、民主党は都議改選でも圧勝し、政権交代の民意を示すだろう。


パチンコ店放火犯人にみる日本社会の孤独!

2009-07-07 | 発言
4人を殺害、多数の負傷者を出した大阪パチンコ店放火の犯人が山口県で自首して逮捕された。犯人は多額の借金を背負い、仕事もなく、やけっぱちになって「誰でもよかった」とパチンコ店にガソリンをまいて火をつけたという。秋葉原、土浦に次ぐ、またもや無差別殺人である。別に無差別殺人者を擁護するつもりは毛頭ない。しかし、「窮鼠猫を噛む」的なこの種の犯罪が多発する背景には、人とのつながりが希薄になった弾力性のない日本社会の孤独感が横たわっている。世界でも異常な年間3万人を超える自殺者と無差別殺人の根は同じ孤独にある。ぼくら団塊の世代くらいの年代になると、時代を過去と比較してみることが出来る。1970年代は皆貧しくとも「夢」や「希望」を抱いて生きることが出来たし、自殺者や無差別殺人などうんと少なかった。あの第二次世界大戦の悲惨な状況下でもチャップリンは「人生に必要なものは、希望、勇気、そして生きるための少しのお金」と言っている。生きる希望さえあれば、人間は自殺や無差別殺人のように自暴自棄にならずに済むのである。しかし、今の日本社会は「希望」が持ち辛くなっている。そして、人々はつながりが希薄になって連帯することなく、老若男女問わず、孤独の淵を彷徨っている。大学では「便所飯」というのが流行っているそうだ。友達のいない学生は、一人で食事することを皆に見られるのが恐くって、トイレで昼食を摂るそうだ。まさに異常である。ぼくらの若い頃は、群れるより、一人で孤独に耐え、孤高を目指すほうがカッコよかったものである。今の日本人にはそういう強さがまったく欠けている。なぜかというと「理想」がないからである。理想があれば、孤独にも耐え前進することができる。今の日本人は、理想も希望も持ち得なくなり、よって、孤独に耐えられなくなって、自暴自棄に走ってしまう。今の日本では、思いやりの社会、ふれあいのある社会というのは、すでに死語になってしまっている。いつまでも自殺や無差別殺人はこれからも増え続けるだろう。

我が家の世代交代

2009-07-06 | 随筆
長男夫婦と赤ちゃんが会社の休みを貰って泊まりに来たので、昨日、長女の家に皆で押しかけた。長女も三歳になる子供が一人いて、一家8人が揃って上の写真を撮った。皆忙しく離れてもいるので、一家8人が揃うというのはめったにない。皆が揃って、ふっと、昔正月には家族を連れて両親のいる京都に毎年兄弟が集まったのを思い出した。兄と姉とぼくの子供が二人づつ、そして連れ添いを含めて、一家14人が集まった。おやじが還暦を迎え、お祝いをしたこともあった。「そうか、あの頃のおやじと、今の俺は同じ歳になったんだ」、そう思うと、本当に月日は早いものだと実感する。誰でもそうだろうが、自分がもうオジンの年齢になったとは信じられないのである。しかし、孫たちの顔を見ていると、これは認めざるを得ない現実である。ベランダでタバコを吸っている息子の風情を見ていると、まるで若い頃の自分を見ているようで、奇妙な気持ちになった。世代はどんどん交代していく。
と、ここまで書いて、翌朝、オチが着いてしまった。最初に起きたぼくはテレビのニュースを観ていると、カミさんが起きてきて「寝てる部屋の雨戸を長男に突然開けられて、タバコの煙が孫の部屋にくるって、たたき起こされた」と、ぼおーっと立っていた。ぼくが寝起きに吸ったタバコの煙らしい。てっきり隣の部屋には戸が締めてあるので、大丈夫だと思っていた。長男がきたので「あのなー、タバコの煙ぐらいで、かあちゃんをたたき起こすことはないだろう」とぼくが言った。ところが長男は「親として子供を守るのは当然だ」と突然激昂しだした。実のところぼくもカミさんもこの二日間、いままでの生活リズムと違って、何か気が立って、夜寝られず、睡眠不足が続いていた。昔、京都の両親のもとによく家族を連れていったが、「よく来た、よく来た」と歓待してくれるものの、しばらくすると、母親はいつもイライラしだし、いつもダウンしていた。それは母親の特殊な性格からくるものだと思っていた。ところが、この歳になってみると、実によく解る。精神的にも肉体的にも体力がなく、子供や孫が可愛いと言えども長期間の接客には疲れてしまうのである。そして生活リズムも違ってくるから夜も寝られなくなる。これだけは歳を取らないとわからないものだった。「せっかく、孫の顔を見せて喜んでもらおうと、慣れないレンタカー運転してきたのに。もう、帰る」「ああ、帰れ」。ぼくも毎年京都に行ったのは「親に孫の顔を見せて喜んでもらおう」と同じ気持ちだったので、長男の気持ちはよく解っていた。そして些細なことで突然「帰る」とおいらも京都で同じことをしたことがある。これもまったく同じである。息子は雨の中を朝食もとらず、レンタカー屋に行って、車を借りてきて、煙のように去って行った。同じ遺伝子で同じことをやって、世代交代となっていく。

人知れずやまゆりの花

2009-07-05 | 発言
草花のなかではユリが最も好きだ。昨秋も黄色のカサブランカ・コンカドールの球根を四つ買って、庭に植えてある。球根が大きかったので、一本に10個の蕾を持ち、もう一両日で咲こうという時期になっている。毎年、釣り場・津久井湖畔に、ひっそりとやまゆりが咲く場所があって、今年の梅雨時も物色していたら、1本だけ蕾を持っていた。堀りあげると来年咲かないので、毎年、蕾が大きく膨らむ6月末ごろ採りに行き、切花として持って帰る。上の写真が今年のやまゆりだ。花瓶に挿してあるのだが、庭に置いて自然の中で咲いているようにシャッターを切った。やまゆりは定植が難しく、ほとんど球根は園芸店でも市販されていない。野性味があって、気品があって、あでやかな、最も好きな花だ。ぴんと胸を張るようにやまゆりは咲く。今年も咲いてくれてありがとう、思わず感謝の言葉が出てくる。

東国原淫行男を推す宮崎県民の見識!

2009-07-04 | 発言
「総理大臣になりたい」と世間を騒がせ、それがだめなら「総務大臣の椅子を用意しろ」と、一体何様のつもりか、東国原知事は言いたい放題である。これも宮崎県人の80%以上が支持していることからくる傲慢さである。なんでこんな男を宮崎県人が支持するのか、さっぱり解らない。たけしと一緒にフライデーに乗り込んだり、芸能人の後輩をぶん殴ったり、今まで暴力沙汰に事欠かない。また女ぐせも悪く、20歳の女性を弄び、訴訟を起こされて慰謝料を支払っている。それにイメクラ店で16歳の少女と淫行に及び、とうとう芸能界から追放され、奥さんからも見放されて離婚。そんな男が食うに困り、「宮崎をどげかせんといかん」と看板だけ掲げて知事に立候補して、あっさり食にありついた。ところが彼のマニュフェストを今の段階で検証してみると、財政赤字は増え続け、達成できたのは、テレビに出て宮崎を全国にPRしただけだ。品位も改革の実力もなく、ひたすら我欲まるだしのこんな男を、なぜ、宮崎県民は支持するのだろうか。仮に彼が総理大臣になったとして、海外特派員から「首相、あなたは16歳の少女と淫行されましたね?」と問われ、「いゃあ、宮崎県人はフトコロの深い人たちばかりで、私を支持し、禊は済みました」と応え、海外の新聞は一斉に「淫行男が日本の首相に」とトップ扱いになるだろう。宮崎県人さん、これはどう見ても日本の恥でしようよ。選挙カーの中で女性の太ももを触るハレンチ行為に及んだ横山ノックを知事に当選させた大阪府民もそうだけど、日本人はタレントに弱い。テレビにさえ出れば立派な人だと思ってしまう。こんな軽薄な一票の投じ方だけは絶対やめてもらいたいものだ。

ホームレス狩りを楽しむ少年の心

2009-07-03 | 発言
また14歳の中学生がホームレスを鉄パイプで殴り重症を負わせ、逮捕された。少年はホームレスに何度もコンクリート片を投げ、「追いかけてくるのが面白かった。ホームレスは生きている価値がないと思った」と語り、常習のようだった。ほんとうにこうした虚しい事件が後を絶たない。ぼくがまだ現役だった頃、田町のNEC本社から商談の帰りの路上で、脚が悪そうで発泡スチロールの箱に乗って蹲っている老婆を見かけたことがある。暑い最中、破れた傘を日よけにしていた。「これ、飲むかい?」、ぼくは可哀想になって近くの自販機で冷たい缶コーヒーを買って、彼女に手渡した。「にいさん、ありがと」「脚、どうしたの?」「夜討ちにあったとですよ、横浜の公園で。ガラスが刺さっとります」「何か、欲しいものはないかい?」「にいさん、タバコを一本、タバコでガラスが溶けると聞きよりましたで」。ぼくは彼女にタバコを渡して、火をつけた。「ありがと、すまんこってす。にいさんだけです、やさしくしてもろうて。この脚さえ動けばねー、もうこの箱擦り切れてしもうて、あの魚屋でもくれんとですよ」。ぼくは魚屋に行って交渉し、ばあ様が座れそうな新しい発砲スチロールの箱を貰いうけ、彼女に渡した。炎天下に路上で蹲る老婆に見かねて、ぼくは田町警察署に「なんとかならんか」と交渉した。「あの婆さんねー、横浜から流れてきたらしいんだけど、こっちも困ってんだわ。施設に入れようと救急車を回したら、殺されるーって大声あげるしねえ、ちょっとアタマおかしいんだわ」。このぼくの出合った老婆のように、ホームレスになる人たちにはいろんな事情の人たちがいる。それを鉄パイプで殴りつけた少年がいうように彼ら彼女には「生きている価値がない」かも知れない。それは他人様に言われるより本人が一番身に染みて知っていることだ。日本には自殺者が三万人、すべて「生きている価値がない」と思うから自殺する。ぼくのように死ねないから、生きている価値がないけど生きている人たちというのはそれこそ数え切れないだろう。社会に弾力性があった時代には、不遇な人たちや弱者に温かい手を差し延べる人たちも多かった。しかし今の世の中は殺伐としていて、他人を思いやる気持ちなどさらさら無くなった。ホールレス狩りを楽しむ少年の心はその象徴だろう。時代は、ますます殺伐としたものになっていく。

安楽死ができたらいい!

2009-07-02 | 発言
働きアリをよく観ると、約2割がサボって働かないそうだ。実験で今度は働いているアリだけを集めると、やはり、またそのうちの2割がサボりだすそうだ。集団生活というのはそういうものかも知れない。一生懸命働くヤツもいれば、働かないヤツも必ず出てくる。人間社会も一緒で、生きたいと思うヤツもいれば、死にたいと思うヤツも出てくる。おいらはもう、ふっと、死ねたらいいなあと思う。この歳までまあやることはある程度やってきたし、もうほぼこの世に未練はない。老後生活で生きていてそう楽しいこともないし、ただ死ぬ時の痛みや苦しさが恐くって自殺しないだけで、だらだら生きている。その潔しとしないだらしなさに嫌悪さえ覚える。ところで30年も前に観たアメリカのSF映画で題名は忘れたがこういうのがあった。人類が食糧危機になって、政府は安楽死を認め、安楽死の施設を造った。オーロラビジョンに美しい世界が広がり、美しい音楽を聴きながら、安楽椅子に座って、老人たちは何の苦痛もなく死ねる施設だ。ところがその遺体はグリーンというチップになってベルトコンベアから出てきて、生きている人間の食料となっているのだ。日本の自殺者は年間3万人を越えているけれど、この映画のように苦痛もなく死ねるなら、応募は殺到し、年間30万人以上は死ぬだろう。それで臓器移植しても生きたいヤツに臓器をくれてやればいい。それで、生きる自由、死ぬ自由が双方スッキリできる。ありゃりゃ、こんなことを夢想するおいらは、初老性うつ病かもねー(笑い)。