せっちゃんの毎日

せっちゃんの日々の記録

『五月病』で思うこと…Ⅱ

2014-04-29 07:04:30 | 思う事
GWも前半になり、飛び飛びの休みのですので

孫達も遊びに来られないようです。

さて 前回の続きの亡義父のお話ですが…



元々私と義父は『気が合う』と云うのか仲が良かったものですので

娘の結婚式に来るとは云ってもとても楽しみだった様です

来る時は次女が北海道まで迎に行って、一緒に来たものですから

義父も上機嫌で、嬉しそうでした

3ヶ月もいるので、病院にも掛からなければなりませんので

私の行っていた総合病院の『泌尿器科』で薬をもらう事にしました。

一緒について行って半日検査や処方をして貰うのに付きっ切りでした

病院に行くのは何でも無い事でしたが、行く前が大変でした

行く寸前に『お風呂に入る』(毎日、入っています)と言い出すは、

「髭を剃りたい」と云います(予約の時間が…)

髪の毛も伸びているようなので、私が床屋をしてやります

とても嬉しかったようで病院に行く日を楽しみにしていたようです

亡義母のように構って欲しかったのでしょう

当時 埼玉に主人の妹が居まして『1週間くらい遊びに行く』と

行きましたが、4日で帰ってきました

何でもマンションの5階ですので、散歩にも行けず義妹が仕事を休んで付いていたようです。

それでも、帰る日にちが近づきますと、様子が変でした。

次女が迎に行ったから長女が送って行く事になっていました。

帰る話をすると聞かない振りをします…

挙句には『帰らない』と言い出します

主人が『亡母や兄弟の法事があるからダメだよ』と云ってもうなずきません

話をしても上の空のようでした

それでもビールを飲みながら昔話を聞きますと

色々な話をして聞かせるのです…

最初 ビールを勧めると『家で呑んでないから要らない』と云ってましたが

私が「一緒に飲もう」と云うと喜んで話も弾むようでした。

私が仕事から帰って来るのを毎日待っているのも思い出されます

正直 このまま家に引き取ろうかとも思いましたが

そうも行かずに帰る日になりました。

義父にしてみれば『行きはよいよい、帰りは…』だったのでしょう

そのとばっちりを受けたのが送っていった長女でした。

電車『北斗星』で帰ったのですが、云う事を聞かず大変だったそうです




それから1年半後位だったでしょうか?

入院中の義父が亡くなったと云って来たのは…

今考えて、私達夫婦も随分と老いました。



今後 どちらかが残り、介護を受けなければならなくなった時、

何も分からなくなる前に、公共の機関に委ねて欲しいものだと

漠然と思うこの頃です。


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2 コメント

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長文ですみません。 (すず)
2014-04-30 09:13:37
 おはようございます。

大事な体験をお聞かせ下さって、ありがとうございました。四年前に亡くなった義母をあつかったのは(入退院を繰り返しましたが)だいたい二年ほどでした。ほんと自分の人間性を試された毎日でした。嫁いびりというよりも、誰に対しても強烈な毒ガスをまき散らす人だったので、20年ちょっと同居して積もったモノを抱えての介護でしたので、しんどかったです。毎日世話している者以外には、普段言わない事を言ったりしたりするものですよねぇ。もちろん、自由にならない不満があるから、外の人へ向く事はわかるんですが、がっかりした事もありました。どうにもしようのない人の気持ちと判っていても、自分の気持ちの行き場が無くて。

こちらでは震災のせいもあって、苦しい生活を過ごしている方たちへの支援が、やはり優先されているので、我が家の状態(実子が同居・常に面倒をみれる者が居る)では、心情的にはばかられます。どうにもならなくなるまで、やるしかないんですが、私も義母の時よりは、鈍感である事もありだなと思う嫌なおばさんになっているので、息を抜いてやっていこうと思っています。
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余り、無理をなさらないで… (せっちゃん)
2014-04-30 12:12:36
すずさんへ

やはり、大変な時期をお過ごしだったのですね
私の亡両親や亡舅姑は、長患いは無かったのでそれ程分かりませんが
ここに書いただけでも同居していらしたすずさんとは比べ者になりませんね。

正に、私達がその年齢になりますので、不安を抱えておりますよ…
何事も無く、人生の終盤を迎えれたらと思っています。

すずさんも余り無理をなさらず、息抜きをして下さいね。
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