1月も「あれよあれよ・・・」と云う間に過ぎて、気が付くと後二日・・・
先日、ブログ仲間の満天さんの『着物TPO』についての記事が乗っていました。
私は、普段は着物で過ごしておりますが、決して昔から着物が好きとか、憧れや趣味ではありません。
勿論、父母や祖父母が和服で生活していた姿を見て、今でも思い出す姿は着物姿です。だからと言って私が着物を着て晩年を送るなどとは考えても見ない事でした。
むしろ、洋服に憧れがありまして、何時もお下がりの着古した浴衣や寝間着などは飽き飽きして、ネグリジェーやパジャマに憧れがありましたよ・・・ハハハ
大人になって働き出してからはGパンに革ジャンとかIBスタイルが流行でしたので自然とそんな物を取り込むようになっていました・・・
電器屋だった所為もあるのでしょうが、おおよそ着物なんて縁のない生活でしたよ・・・
ところが結婚する相手が呉服屋勤務でしたので、何となく着物に携わる機会が出てきて主人が独立をすることになって大慌てでした。
暫くは電器屋と呉服屋の二束のわらじを履いていましたが、主人の仕事の方が忙しくなりましたので殆どが呉服屋の仕事です。
ですからと言って、呉服のノウ・ハウが分かっていた訳ではないので、怒られてばかりいました。
仕方ないので、母に聞いたり本を読んだりの猛勉強で何とか主人に叱られないように緊張の連続です・・・?
その当時は、店を持っていませんでしたので、販売に出掛けるのにも洋服でしたし重い呉服箱を車から下ろすのも便利だったのですが・・・
ある日、問屋主催の展示会で着物で出席しなければならない状態になり、困ってしまいました・・・
しかも泊まりです。
勿論、25歳の私は着物など自分一人では着れません。
母に何度も着付けを習って特訓しましたが自分で着ると苦しかったり、直ぐに着崩れたりでどうも上手く行かないのです。
それからと言うもの朝は5時に起きて、何回も納得の行く着付けをして一日を着物で過ごす様にしていました。
展示会では、何とか年配の方たちにお手伝いしていただいて恥じもかかずに通せましたが
益々着物は苦手になって、温泉場(展示会場)も大嫌いになりましたよ・・・ハハハ
帰ってきてからも毎日着物を着て、家事や雪かき、どぶ掃除までもするようにしました。
勿論、もんぺを履いて、凄い居て立ちでしたが生活の為でしたので仕方ありませんでしたよ
着ている物は学生時代に縫ったウールや化繊の着物などでして、到底『素敵ねぇ~』なんて物じゃありませんでしたよ・・・ハハハ
子供たちには『田舎の婆さん』見たいと云われました。
子供の父兄参観日にも仕事を抜け出して和服で行きましたら子供たちが私を見ます。
娘には『今度から着物で来ないで・・・』と言われました。
その次からは店から家に戻って頭を解いて洋服に着替えて行きました。
どんな格好で行って良いか分からないのでGパンにTシャツで出かけました。
娘からは『何も変なTシャツで来なくてもいいのに・・・』と言われましたよ・・・・
聞きますと他の子達が『着物の方が素敵だね・・・(?)』と云われたそうです。
そんな事は兎も角、日常茶飯事和服で生活していますと着物の方が夏は涼しく冬は暖かで、この年になりますと腰痛や五十肩にもならずに良いようです。
体調が悪くなりますと着物に着替えるとシャキとするのです。
こうして、着物は私の生活の一部になった次第です。
「あだこうだ」申しましたがあまり着る物(洋服)がないのです・・・ハハハ
余談では御座いますが・・・
着物はパンツを履かないと云いますが、下着を着けない訳ではありません。
昔、私が電器屋の当時、店の前を同じ時間に通る和服のお婆さんがおりました。
必ずと云っていいほどに店の前の歩道の立ち木に捕まって中腰になりジッとしているのです。(?)
何でだろうと思ってみていましたら、父がその訳を教えてくれました。
『婆さんは、家の店の前に来るとお○っこしたくなるようだ・・・』と云うのです。
「うそぅ!?疲れているから立ち木に捕まって休むんじゃないの?」と言いますと
『行って見てみなよ・・・必ず立っていた所が濡れているから・・・?』
行って見ますと本当に濡れているのですよ・・・ハハハ
そして、毎日同じ時間に同じ場所で・・・器用なポーズで・・・?
立ち木が枯れて来ましたので父が抜きましたらお婆さん通る道を変えたようでした。
長々と書きましたが「TPO」についてはまた機会がありましたら・・・
先日、ブログ仲間の満天さんの『着物TPO』についての記事が乗っていました。
私は、普段は着物で過ごしておりますが、決して昔から着物が好きとか、憧れや趣味ではありません。
勿論、父母や祖父母が和服で生活していた姿を見て、今でも思い出す姿は着物姿です。だからと言って私が着物を着て晩年を送るなどとは考えても見ない事でした。
むしろ、洋服に憧れがありまして、何時もお下がりの着古した浴衣や寝間着などは飽き飽きして、ネグリジェーやパジャマに憧れがありましたよ・・・ハハハ
大人になって働き出してからはGパンに革ジャンとかIBスタイルが流行でしたので自然とそんな物を取り込むようになっていました・・・
電器屋だった所為もあるのでしょうが、おおよそ着物なんて縁のない生活でしたよ・・・
ところが結婚する相手が呉服屋勤務でしたので、何となく着物に携わる機会が出てきて主人が独立をすることになって大慌てでした。
暫くは電器屋と呉服屋の二束のわらじを履いていましたが、主人の仕事の方が忙しくなりましたので殆どが呉服屋の仕事です。
ですからと言って、呉服のノウ・ハウが分かっていた訳ではないので、怒られてばかりいました。
仕方ないので、母に聞いたり本を読んだりの猛勉強で何とか主人に叱られないように緊張の連続です・・・?
その当時は、店を持っていませんでしたので、販売に出掛けるのにも洋服でしたし重い呉服箱を車から下ろすのも便利だったのですが・・・
ある日、問屋主催の展示会で着物で出席しなければならない状態になり、困ってしまいました・・・
しかも泊まりです。
勿論、25歳の私は着物など自分一人では着れません。
母に何度も着付けを習って特訓しましたが自分で着ると苦しかったり、直ぐに着崩れたりでどうも上手く行かないのです。
それからと言うもの朝は5時に起きて、何回も納得の行く着付けをして一日を着物で過ごす様にしていました。
展示会では、何とか年配の方たちにお手伝いしていただいて恥じもかかずに通せましたが
益々着物は苦手になって、温泉場(展示会場)も大嫌いになりましたよ・・・ハハハ
帰ってきてからも毎日着物を着て、家事や雪かき、どぶ掃除までもするようにしました。
勿論、もんぺを履いて、凄い居て立ちでしたが生活の為でしたので仕方ありませんでしたよ
着ている物は学生時代に縫ったウールや化繊の着物などでして、到底『素敵ねぇ~』なんて物じゃありませんでしたよ・・・ハハハ
子供たちには『田舎の婆さん』見たいと云われました。
子供の父兄参観日にも仕事を抜け出して和服で行きましたら子供たちが私を見ます。
娘には『今度から着物で来ないで・・・』と言われました。
その次からは店から家に戻って頭を解いて洋服に着替えて行きました。
どんな格好で行って良いか分からないのでGパンにTシャツで出かけました。
娘からは『何も変なTシャツで来なくてもいいのに・・・』と言われましたよ・・・・
聞きますと他の子達が『着物の方が素敵だね・・・(?)』と云われたそうです。
そんな事は兎も角、日常茶飯事和服で生活していますと着物の方が夏は涼しく冬は暖かで、この年になりますと腰痛や五十肩にもならずに良いようです。
体調が悪くなりますと着物に着替えるとシャキとするのです。
こうして、着物は私の生活の一部になった次第です。
「あだこうだ」申しましたがあまり着る物(洋服)がないのです・・・ハハハ
余談では御座いますが・・・
着物はパンツを履かないと云いますが、下着を着けない訳ではありません。
昔、私が電器屋の当時、店の前を同じ時間に通る和服のお婆さんがおりました。
必ずと云っていいほどに店の前の歩道の立ち木に捕まって中腰になりジッとしているのです。(?)
何でだろうと思ってみていましたら、父がその訳を教えてくれました。
『婆さんは、家の店の前に来るとお○っこしたくなるようだ・・・』と云うのです。
「うそぅ!?疲れているから立ち木に捕まって休むんじゃないの?」と言いますと
『行って見てみなよ・・・必ず立っていた所が濡れているから・・・?』
行って見ますと本当に濡れているのですよ・・・ハハハ
そして、毎日同じ時間に同じ場所で・・・器用なポーズで・・・?
立ち木が枯れて来ましたので父が抜きましたらお婆さん通る道を変えたようでした。
長々と書きましたが「TPO」についてはまた機会がありましたら・・・