せっちゃんの毎日

せっちゃんの日々の記録

仕事辞めてもいいよね。

2011-04-30 20:34:06 | 日常
色々な事がありました。
震災後、忙しくて役所や買い物などにも行けず、何とも言いようのない日々が続いています。
私が上手く回れないのか?世の中が回ってないのか?
ただただ、毎日がめまいと吐き気に襲われている日々です。
何か言うと愚痴になりますし仕事も契約時間どうりに帰って来ることが出来ず、毎日残業の日々です。
こんな事言ったら愚痴になるかな?
でも、明日、会社にきちんと話をします。
分かって貰えないなら辞めてもいいかなぁ~
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悲しい爪痕

2011-04-15 20:25:48 | 日常
今日は、余震も警報も鳴らなく、朝から売り出しのチラシが入ったのでお客様がいっぱい見えました。
沢山のお客さんに励ましのお言葉を頂いて、元気に仕事をしていましたら、店のご近所にお住まいのお客さんが元気の無い様子で私に声を掛けて来ました。
「海の近くだと聞いていたけど大丈夫だった?」と言われ、「家はダメでした」と答えたら「命だけ助かって良かった・・・」と沈んだ声で「うちは50歳の息子が亡くなって、今日お通夜です。」と言葉少なに仰って、掛ける言葉が無かったです。
海の仕事をされて高齢のお母さんより先に逝ってしまわれた方がた、どんなに無念だったでしょう。
私などまだ良い方なんだと涙をこらえながら仕事に夢中なっていました。
まだまだこれから悲しい傷跡があるかと思うとやりきない思いです。
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また、振り出しへ・・・?

2011-04-08 11:36:58 | 日常
昨夜の地震でまたもライフラインが止まってしまいました。

宮城野地区は被害が大きく、やっと再開できた店もまた崩れて「本日は休業」と張り紙がしてあるそうです…?

やっと普通にオープン出来るようになりましたのに…?
溜息しか出ません。
私の引っ越しも明日になっていますが出来るのでしょうか?

今朝、病院に行って睡眠薬や安定剤を貰って来ました。
地震以来、目まい、頭痛、吐き気等が続き常に揺れている感じがして眠れないのです。

「しっかりしなきゃ・・・」と思いますが一人で知らないアパートで夜を過ごすと思うと不安になります…?
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まずは、一歩から・・・

2011-04-06 11:12:11 | 日常
考えていても仕方ないから仕事に行きました。

やはり、仕事をしている方がいいですね…?

朝早く出て、頭の中を仕事に切り替えて…等と考えたら、やる気と元気が出てきた。
お客さんも「「おばちゃん、元気だったの…良かった!」とお声を掛けて頂いて有り難い事だと思いました。

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今だから言える話

2011-04-01 20:10:48 | 犬たちとの日々
被災に遭った三日後…
主人に食べ物や燃料、衣類が足りないから買って来て貰うようにお願いしていましたら…

主人が暫くしてから沢山の食料と一緒に灯油一缶(18ℓ)と大きなビニールに入った未使用の分厚い毛布を持って帰ってきました。

「随分沢山の物が買えたのねぇ~」と私が喜んだら…
主人が妙な顔をして、「食べ物は自宅の様子を見に行った時に小さなスーパーで、ならばずに買えたんだよ・・・」と言いました。
それより「この灯油と毛布は、福助(亡犬♂)とマサ子(亡犬♀)がくれたんだよ・・・?!」と言うのです・・・
『何で…?』と聞いた私は、主人が頭が可笑しくなったのかと思いました…?

すると、話はこうなのです…

二日目にやっと私と会えた主人が一晩、寒さと恐ろしさの中で子供達と震えながら身を寄せて一夜を明かした事を聞いて、自宅(被災)を見に迎えに来たのです…

まだ、瓦礫で入って行けず私は遠くから瓦礫に埋もれた自宅の屋根を見上げて震えていました。
主人は「俺が見て来るからここを動くんじゃないぞ…」と言い置いて、一人で瓦礫の山を乗り越えて家の前まで行って見たそうです・・・
その時は、勿論、何一つ取り出せそうな物も無く、自分一人で乗り越えて来るのがやっとだったそうです…

次の日、食べ物などが無くて並ばないと買えない話を聞いて、職場まで出かけて行った主人は自宅(被災)の方に行って見たそうです。
そうしたら、前日まで無かったと思う赤いポリタンクが一つ、割れたベランダ(マサ子が居た所)の窓から部屋の中に横たわって入っていたそうです・・・?
            
空だと思って、蹴って見ると入っているではないですか?
「水か…?」と思い、きつく締められた蓋を開けて匂いを嗅いで見ますと灯油だったそうです。(昨日は確かに無かった…?)と思いながらそれを持って、ふと、横を見ますと福助の居た所は何も無くなり小屋もお隣に流れて横たわっていたので、小屋を元に戻そうと思い見てみますと、小屋ほどの大きさのピンク色の真新しい毛布がビニールに入って濡れもせずに置いてあったそうです・・・?
            

それらを持って、不思議な気分で帰って来ますと途中の小さなスーパーで野菜やお餅、こんにやく等、色々な食糧が普通に売っていましたので買って来たそうです…?

私に『お母さんが寒がって居たからきっとマサ子と福助が灯油と毛布をプレゼントしてくれたんだよ…?」と主人事態、狐に抓まれたような顔で言っていました。

確かに私には昔から霊感と言うべきかは分かりませんが不思議な事が何度かありましたが何時も「きっと、偶然だよ…?」と思っていました。
でも、この度は、心折れそうな私たち夫婦を天国の犬たちが励ましてくれて居るのだと思わずにはいられませんでした…

マサ子、福助、本当にありがとう。天国に行ってもまだ、私たちを見守って居てくれてるのですね・・・
あなた達から貰った命、頑張って生き抜きますね。


『マサ子』
北海道から横浜に来て、「マサ子」にめぐり逢った時、彼女は未だ3か月のネズミ位の大きさの仔でした。
ブリーダーさんが「小さすぎて育たないかも…?」と言っていましたが、耳が長く走ると踏んで、でんぐり返しを繰り返して寄って来る愛くるしさに「マサ子」と名付けたのです。
彼女との日々は、色々な楽しい事や居なくなって捜索願いをしたエピソードがあり、このブログもそんな事を書き留ようと立ち上げたのでした…

『福助』
彼との出会いは、「マサ子」が13歳の時に宇都宮のご近所さんの柴犬がお父さんと思われ…?気が付(?)かないうちに嵐の日に生まれた犬です。
足に4足共靴下を履いた様になって居たので「足袋」と名付けたのですが、足袋なら「福助」だと云う事になり「福助」(フック)と云う名前になったのです。
彼は、気性の良い仔で、私たち夫婦を親だと思い、小さい時から一度教えたら二度と悪いことはしない犬でした。
母のマサ子からはお乳を貰う時にだけ行くだけで、殆ど私たちの懐の中で育った犬です。
特に主人は、近くの河原に釣りに行くのにもスクーターの前に立たせて連れて行ったものでした。
子どもが大好きで、宇都宮時代は子供たちの人気者で学校の行き帰りには沢山の子供たちが声を掛けて行くのでした。

仙台に来て、マサ子が病気で家の中に入ったらフックは心配そうに何度も鳴いていました。
マサ子が20歳で死んでからは、元気が無くなり半年程で逝ってしまいました。

あれから2年が過ぎて、この大災害に遭って、もし、どちらかが居たら私は、きっと迎えに家に戻って行った事でしょう・・・
そんな事も予感していたかの様に私たちの無事を願っていてくれた「マサ子」と「フック」に感謝の言葉で一杯です。
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