新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

パリオリンピック観戦記

2024-07-28 07:40:21 | コラム
「メダルだ、メダルだ」などと騒ぎ立てるな:

昨日から団体競技を中心に時間が合う限り、我らが代表選手たちに「何とか勝ってくれ」と願って応援し、鍛え上げてきた技術を鑑賞して楽しんでいた。だが、残念ながら世界のランキングの通りにならない結果も出てしまったようだった。それとも「メダル獲得への期待」の重圧に苦しんだのか。

Volley ball(ヴァリーボールと正確に表記したいのだ):
マスコミの報道によれば、男子代表は海外組を筆頭に実力が非常に向上して、世界のランキングも第2位であることから、金メダルとやらの獲得が期待されていた。しかも初戦の相手のドイツは11位ということなので、勝利を期待していた。誰が期待したのかといえばマスコミなのだが。私がテレビ中継で困ったことだと思う事は「アナウンサーが期待を込めて我が方の選手を過剰に讃えるので、聞いている方が錯覚を起こさせられること」である。

この試合ランキングの9位にも及ぶ開きで、如何にも我が代表が勝つものだという希望的観測を込めすぎた為か、再三のそれこそ手に汗握る激しいゲームポイントとマッチポイント奪取合戦の結果で、格下だったはずのドイツにフルセットまで行って負けてしまった。この競技の技術的な事は良く解らなかったが、身長差に加えて我が方には何となく「相手は格下だ」という気の緩みのようなものを感じたのは誤りか。それとも「メダルへの重圧」か。

バスケットボール(男子):
ホーバス氏が監督に就任してから順調に成長し出場権を獲得してから、マスコミ主導で「メダル」への期待が高まっていた。特にNBAで揉まれて実力が向上した八村が参加したので、期待はいやが上にも高まってきていた。昨夜の相手はランキングが3位で、世界選手権を獲っていた実力者のドイツだった。我が代表はといえば28位で、試合では私の目にも実力差は明らかだった。

勿論、身長の差はあったが、リバウンドを獲った数では我が方が多く、フリースローも確実に決めていた。だが、問題はドイツのオフェンスでは外側にスリーポイントシューターをフリーにする組み立てが絶妙で、しかもシューターが殆ど落とさずに決めてしまうので、前半から3ポイントが決まらなかった我が方は劣勢に立たされた。しかも、私の見立てで八村へのマークがそれほど厳しいとは見えなかったが、彼のシュートが決まっていなかった。

確かにホーキンソン(懐かしきシアトル出身でワシントン州立大学卒。昨年2月に帰化)などはリバウンドで活躍し、富樫と河村というダブルポイントガード方式も機能はしていた。だが、シュートが決まらなかったというのか、決め損ないが多すぎると感じていた。ホーバス監督が重点志向されたという3ポイントの決定率が40%を下回っている間にじりじりと差が開いていって、結果としては97対77と、20点差で終わった。

実力差と言えばそれまでだが、史上最強と言えるほど良い選手を揃えても、世界の壁は高かったということか。不思議に感じたことがあった。それはアメリカのNCAAで活躍していた期待の3ポイントシューターの富永が最後まで出てこなかったこと。故障していたとは聞いていなかったので、何かあったのかと訝っていた。捲土重来に期待しよう。

サッカー(男子):
先ほど終わったばかり。U-23に世界ランキングがあるのかどうか知らないが、「アフリカのマリという相手はイヤだな」という予感はあった。我が代表にはヨーロッパ組も多く、キャプテンの藤田を中心に選手の粒が良く揃っていて、綺麗なサッカーを展開してくれていた。アフリカ人たちは我が方と比較すれば、何と言っても足が長く、身体能力が優れているという特徴がある。この試合でもその点は十分に発揮されていた。

我が国の選手たちはもうそろそろ「足の長さの差が、どれほど先方の武器になっているか」を完全に把握して躱していくサッカーが出来ても良くはないかと思って見ていた。どういうことかと言えば「前が空いて相手シュートのチャンス」とばかりに蹴ると、何処からともなく足が出てきてカットされてしまうし、上手く隙間をついて縦一発のパスを通したと思いきや、足が伸びてきたインターセプションという残念なことになってしまうのだった。

マリの戦術にはイヤらしい特徴があった。それは往年の中近東勢の手法で、大して厳しく当たられた訳でもない時や、すれ違いざまにぶつかってしまった時などにグラウンドに倒れ込んでのたうち回ってみせるという、FK獲得狙いの手なのである。この試合でも何度かやって見せた結果で、首尾良く我が代表キャプテンの藤田他1名にイエローカードを出されてしまった。しかも、女性の主審はかなり厳しく反則をとる方だった。

結果としては、私が得点能力を評価してきたJリーグの細谷が右サイドを鮮やかに突破してゴール前にパスを通して混戦になった所に、山本が飛び込んで決めた。その後のアディショナルタイム中にペナルティエリアでのハンドを取られたものの、解説の森岡隆三が言ったのだと思う「未だ決められた訳ではない」の通りになってマリのキッカーが外したので逃げ切って、一次リーグ戦突破に成功した。我が代表たちが真摯に敢闘したことを褒めて終わる。

パリオリンピック2024が始まった

2024-07-27 08:33:07 | コラム
「パリオリンピック2024には流石と思わせられた開会式の演出があった」他:

今朝は少し遅く4時を少し回ったところで目が覚めて、何気なくNHKのチャンネルを合わせてみた。

第一部→華やかな演出:
そこにはオリンピック開会式の模様が中継されていた。現地は雨模様という天気予報だったが、画面からは降っているのかどうかは解らなかった。だが、アルファベット順だったのだろう参加各国の入場は既に進行中で、見えたのは“L”で始まる名の国。我が国の選手団は既に通り過ぎた後のようだったのは矢張り残念。

この項を書き始めた現時点では入場航行は未だ続いているようだ。ここまで見た限りでは、如何にもフランスというかヨーロッパの国ならではの洒落た演出で華麗だった。何分にも我が国のマスコミには未だにヨーロッパ/アメリカ等の諸国を未だに礼賛し続ける傾向がある以上、彼等が感動し賞賛するだろう美しさがあった。私は“Olympic flame”を「聖火」と訳すような感覚を捨て切れていないのは如何なものかと感じている。

第二部→オリンピック論:
昨夜、NHKの前夜祭のような番組に登場した体操競技で総合二連覇を果たした内村航平が「開会式には出たことがないので感想を言えない」と正直にというか告白していたのが面白かった。思うに今回のようなセーヌ川を船で下って入場するような演出では「荘厳さ」や「圧倒されるような緊張感」や「表現できないような圧力を感じること」はないかもしれないが、一度でも参加を経験できれば「生涯忘れることがない無上の幸せ」とでも言うべき思い出になるだろう。

個人的な回顧談であることをお許し願っておくと、私は昭和23年(1948年)福岡市で開催された第3回国民体育大会の高校サッカーの部に神奈川県代表として参加した経験があった。大それた事に生意気な高校1年生は「入場式など何と言うことはあるまい」と高を括って、今はなくなっている平和台競技場に入った。行進が始まった。言葉にはならない緊張感・圧迫感・息苦しさに圧倒されて、何処をどう何時間も歩いたのかと感じた状態になった。

何故こんな回顧談を持ち出したかと言えば、あのパリオリンピックの水上入場航海(とでも言うのか)では従来の総合な雰囲気だっただろう入場行進で感じただろう緊張や圧力はなかっただろうし、楽しい入場行進として選手たちの記憶に長く残るだろうと思いつつ見ていた。流石に芸術的感覚に優れていると言われるフランス人で粋なことを考えたものだと、異文化の花が咲くのを鑑賞していた。

私個人の感興を著しく削いだのが3年振りにテレビ画面を通して拝顔の栄に浴したIOC会長トーマス・バッハ氏の(Thomas Bach)長たらしい開会の辞だった。同時通訳が入っていた為に音声が聞こえなかったが、彼は何語で語ったのだろう。2020で語った時の質の低い英語を私は散々批判/非難したが、あの程度の人物を何時まで君臨させておく気なのかとスッカリ興醒めだった。

私は最早オリンピックは国威発揚の場ではなくなく、各国の選りすぐられた選手たちが技術と力と精神力を発揮して勝敗を争い、その結果として勝者を讃える三色のメダルとやらが与えられる場だとしか考えていない。従って、我が国のマスコミ等が「メダルだ」、「メダルだ」とか「何個取れたか」を騒ぎ立てる風潮を「何かを間違っているのではないか」と苦々しい思いで見させられてきた。

第三部→オリンピック報道の在り方:
そのような認識を誤っていることを如実に示す事件が何年か前だったかに起きていた。それは、空港で帰国した選手団からメダルを獲得した者だけを集めて壇上に並ばせる記者会見とやらを開催したこと。主催したのがJOCなのかテレビ局なのか知らないが、彼等は長年「参加することに意義がある」と言い続けてきたのではなかったか。彼等はオリンピックに出場して持てる力を最大限発揮しても惜しくも4位以下に終わった選手たちの、そこに至るまでの研鑽と努力を踏みにじったのではないか。

ここまでで何が言いたかったのかと言えば「オリンピックには色々と疑問の点があるのは間違いないことだが、それに参加しようと懸命の努力を重ねてきた者たちは尊敬されて然るべき. だが、「メダルだ」とか「メダルを何個取れるか」と騒ぎ立てる事が、果たしてオリンピック報道のあるべき姿なのだろうかと疑問に感じていると指摘したいのだ。

あの時の記者会見に呼ばれずに空港から帰らされた選手たちの心中を察した報道がなかった辺りに、彼等マスコミの浅薄さを示す事になるのではないか。「彼等の反省」と「オリンピック報道の改革」を望むのは「無い物ねだり」になるのだろうか。

「物情騒然」とでも言いたくなる情勢

2024-07-26 07:05:46 | コラム
何とも騒がしい時になった:

日本時間27日から開会されるパリオリンピックについては、マスコミ報道が段々に過熱気味となってきたところだ。そこに加えるにアメリカ合衆国ではバイデン大統領の撤退でハリス副大統領が民主党の候補者指名獲得が確実になるにつれて、一時は沈静化していたトランプ節とでも言いたい口撃が再開されたのだ。件名に掲げたように「物情騒然」とでも言いたくなる情勢だ。国内では岸田総理の再選云々もきな臭くなってきたではないか。

共和党のトランプ候補:
今朝も早くからニュースでは、トランプ氏が例によって言葉の限りを尽くしてハリス副大統領を罵倒しているのを聞かされて、何とも言えない索漠たる思いをさせられた。私が22年以上も慣れ親しんできたアメリカが変わってしまったと感じざるを得ないほど、トランプ氏の言動には品位が欠けているので。

昨日もST教授と月例の懇談会で語り合った話題の一つがトランプ氏だった。私からは、先日紹介したアメリカを代表する音言っても過言ではない企業の幹部が指摘した「仮にハリスがトランプ氏との討論会で追及したとしても、彼の岩盤の支持層が離れていくことがないだろう」との点を引用して「トランプ氏の悪口雑言は支持層に連中に向けてのことで、ハリス副大統領を罵倒すればするほど、支持者たちは歓喜するだろう」と述べて、言わば追随した。

当方はそもそもトランプ大統領時代からファンでも何でもなかったし、あの悪口雑言の限りを尽くす語り口には嫌悪感すら覚えていた。先ほども聞こえていた音声では、お定まりの“You are fired.“から始まって、カタカナ書きにすれば「ゲラウタヒア」という非常に好ましくない発音でハリス副大統領を罵倒したので、聴衆は一斉に拍手大喝采だった。

「ゲラウタヒア」とは、お分かりの方は多いと思うが“Get out of here!”で、普通ならば「出ていけ」なのだが、トランプ氏式のアクセントと発音では「出て行きやがれ」か「失せやがれ」という意味になる非常に強く激しい罵倒なのである。私が勤務していたような会社内では、こういう言い方をする者に出会ったことがなかった。

私はトランプ氏が受けを狙って“Get the hell out of here.”という典型的な汚い言葉の“hell”を使わなかったのは不思議だとすら受け止めている。

要するに私が強調したいことは「苟もアメリカ合衆国の次期大統領を目指す方が、このような非知識階級からの支持を確実にする為に、品位に欠けた言葉遣いをすることは何たることか」なのである。トランプ氏がアメリカの全人口の10%にも満たないだろう高等教育を受けた知識階級を狙っていない作戦は解るのだが、その為にあの言葉遣いなのかと幻滅を感じている。

私がこれまでに何度か指摘してきたことで、英語を勉強しようとする若い人たちが「トランプ氏が使ったから」と受け止めて、こういう言葉遣いを真似たりして欲しくないのだ。ここまでを締めれば「トランプ氏批判」であると同時に「元大統領のnative speakerが使ったからと言って真似て欲しくない『英語の勉強法』なのである」という事になる。

パリオリンピックの報道に思う:
我が国の代表選手たちの活躍を祈る気持ちは変わらないが、当方の持論は「オリンピックとはメダルとやらの獲得競争ではないはずだ」なのである。故に、マスコミが何かと言えば「メダルだ」だの「何色のメダルを目指すのか」などと騒ぎ立てる傾向を苦々しい思いで見ている。選手たちはオリンピックでの優勝を目指して長い間懸命の努力してきたのだから、「メダルがどうの」と騒ぎ立てるのは、要らざる圧力をかけているのと同じで宜しくない。

間違っていたらご免なさいと逃げを打ってはおくが、私はマスコミが未だに戦後間もなくの「オリンピックで活躍してメダルを沢山取って国威を発揚しよう的な前時代的な感覚から離れられていないのでは」としか思えないのだ。あのような大会で諸外国の強力な選手たちと争って頑張るのは大いに賞賛すべきだが、そこでは勝ち負けにばかり拘らずに「世界最高水準の技術」の争いにも詳細に触れて貰いたいのである。

彼等は大谷翔平の大活躍を連日のように詳細に報じている。それはそれで良いのだが、大谷がアメリカに行ってからあれほどの体格に仕上げ、素晴らしい技術を身につけたMLBを代表する選手になる為にどのような合理的、科学的なアメリカ式なトレーニングをしたのか、MLBの技術を習得したかには殆ど触れていない。これでは片手落ちだと思う。尤も、大谷は「機密事項である」と封印しているかも知れないが、それならそうと言えと言いたい。

要するに、私の主張は「スポーツの報道は勝敗だけに重きを置くのではなく、然るべく技術や練習法にも触れて深みを出して欲しい」という点にある。聴衆の中には単なる日本選手の応援団の一員ではなくて、世界最高水準の技術の鑑賞を楽しむ者もいるのを忘れて欲しくない」という事にある。

7月25日 その2 NPBのオールスター戦に思う

2024-07-25 11:20:13 | コラム
予想した以上に大がかりな見る者を楽しませる興業だった:

当方には真面目にやっているのか、不真面目なのか不明だったが、パシフィックリーグの方が28本もヒットを打ったのは、いやセントラルリーグの投手たちが打たせたのは正常な感覚で試合をやっていたのかと感じていた。

と言うよりも、以前にも「『直球だけ投げろ』か『投げること』で事前に了解が付いていた」という話が流布されていたので、そういう趣旨のお祭りだろうと認識していた。それ故に2日間とも出だしだけ一寸見た後は、各局がBSのニュース解説的な番組で取り上げていた、バイデン大統領の再選断念の件とハリス副大統領についての専門家と有識者のご意見を承ることが貴重だとばかりで、切り替えていた。

後になって結果を見て「なるほど。そうなったか」と知ったのだが、そうだからと言って、あの2試合のお祭り騒ぎを不謹慎だの何のと言えば、野暮だし無粋だろうと思う次第。選ばれし選手たちが楽しそうにやっていて、解説者たちが懸命になって提灯を持っているのを聞いてやれば良いのだろうが、当方はそこまでの善意の持ち合わせはない。

それにつけても思う事は「日本ハムファイターズのフロントオフィスと新庄監督は、近藤健介を手放したことを後悔しているのか」辺りだった。

2024年6月の新宿区の人口

2024-07-25 07:25:11 | コラム
2024年6月の東京都新宿区の人口は163人の減少で351,546人となっていた:

今回は暫くぶりにアメリカの大統領選挙の話題を論じる事から一息入れて、それとは異なった国内、それも我が新宿の話題を取り上げてみることになしようと思う。

新宿の人口は去る5月には116人の減少だったが、6月もその流れは止まっていなかったようで△163人で351,546人となっていた。その内訳は日本人が△160人で305,763人、外国人も△3人と僅かながら減少して45,763人になっていた。外国人が区の人口に占める比率は4月と5月とほぼ同じの13.0%だった。

だが、ここ百人町/大久保界隈を歩いてみれば、外国人の率が僅か13%と言う区が発表する統計は「何かのお間違いでは」と言いたくなる程中国、バングラデシュ、ネパール、パキスタン等々の異邦人が、我々日本人よりも圧倒的に多いと感じてしまう。思うに、そう感じさせられるのは、10軒にも満たないとは言え、大繁盛するハラルフードを販売する店を訪れるイスラム教徒が余りにも多いからだろう。

故に、JR山手線・新大久保駅前からKorean townで賑わう大久保通りを埋め尽くしている大勢の老若女と、何をしに来ているのかと何時も訝っている多くの異邦人たちを見せつけられると、イスラム教徒だけを相手にする店や、中国人だけが読める漢字しか掲示されていない店等が繁盛している事態が正常だとは到底思えないのだ。

新大久保駅構内に設置されたエレベーターを上がって線路をまたぐ歩道橋(?)からさらにエレベーターで降りる設備は、私は階段の昇降に苦しむ高齢者用であるとばかり認識していた。だが、今やこのエレベーターを利用する設備は完全に大きなトローリーケースを引きずる大勢のインバウンド様たち専用と化してしまい終日大混雑。我々も何とか利用できるという本末転倒の状況。

敢えて指摘したいことは「インバウンド様が落として下さる外貨?は最早9兆円に達する勢いであるとかで、困難に直面している我が国の財政にとっては貴重な財源になると報じられているようだ。それはそれで結構だろうが、到底9兆円の一部にもなりそうもないインバウンド様たちに蹂躙されているここ新宿区の片隅の街の異常さを、為政者はどうお考えなのか」と僻んでみたくなる点だ。政治の至らざる点を表しているのではないのか。
毎回のように同じ事を言うのも気が引けるのだが、我が国の政府は我が国の外国人に対する無意味な好意的な扱いに付け込んで、我が国が食い物に出来ると見込んでやってきた連中を野放図に入国させて良いものかと疑問に感じている。太陽光発電のケーブルを盗んだ連中が逮捕されたと報じられていたが、東南アジアの某国人だった。テレビが報じた高級車の窃盗犯も同様。岸田内閣はこの事態を真剣に再検討願いたいのである。国民に負担を強いるようなインバウンド尊重政策を見直して貰いたい。

岸田政権にはかかる財源に依存しようとせずに、沈滞気味の我が国の製造業に「嘗ての勢いを取り戻せ」と大号令をかけて発憤させて欲しいのだ。製造業に依存する時代が終わったというのならば、我が国独自のGAFAM級の最新鋭の産業を振興させて欲しいのだ。観光収入に頼ろうなどというのでは、嘗ての発展する前の東南アジアの諸国の状態と変わらないのではないのか。奮起して欲しいのは政治ではなく産業界になってしまったのではないか。

参考資料:新宿区広報24年7月25日号