新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

7月14日 その2 久しぶりにサッカーを語ろう

2024-07-14 11:17:08 | コラム
FIFAランキング7位対65位の試合:

オリンピックに出場する女子サッカー代表選手たちの意気は盛んであるし、技術的にも揃っているのである程度以上は期待出来ると見込んでいた。澤さんや宮閒がいなくなっても、世界水準から見ても平均点以上の粒の選手たち揃っているし、池田太監督の指導宜しきを得ているのも、期待させて貰える良い材料だった。相手のガーナ代表はオリンピック出場を逃した65位とあっては、我が方が何処まで58位もの差を見せてくれるのかに期待した。

その期待は前半の半ばにもなっていない時に、ガーナ代表選手が「一発レッドカード」の後ろから抱きついて倒す反則をしてしまったので、殆ど消え去ってしまった。私は、今では編成が変わってしまったが、関東大学リーグ4部という最下層の大学の頃には、「相手が人数不足か、こちらが10人しかいない」試合を何度も経験したので言える事は「相手の人数が少ないと、何とかしようと必死になってくるので、思うようにはならない」のである。

果たせるかな、前半は有利に攻めながら、必死に守ってくるガーナの足が長いディフェンスを突破できずに終わった。ガーナは攻める方では確かに65位が示すように、キチンとした形を作る術を知らなかったようだった。だが、守りの面では非常に寄せが早く、競り合いでは素早く足を出してパスを横取りするか潰してしまったし、球扱いも意外に正確だったし、当たりも強かった。でも、あのレッドカードの判定に長時間反抗したのも頂けなかった。

10人を相手にして1点も取れなかった前半から、池田監督が後半にはどれ程修正してくるかが関心と興味の対象だった。案外だったのは宮沢を引っ込めて、私は余り知識がない者を入れてきた戦法が功を奏したことと、1人少ないガーナが守り切れなくなったのか、あるいはその両方かで4点は取れた。だが、あの試合を「ゴールラッシュ」と報道するのは、羊頭狗肉と言うよりも誤報に近い。あれはラッシュの表現には値しない拙攻だった

確かに藤野や長谷川唯と交代で入ってきた者たちは持てる力を発揮していたが、格下が10人でやってきているのだから、もっと何か工夫があって然るべきではなかったか。当方が男子のA代表が取る「後方に向けて展開するパス」と「その後にバックス間で交換し続ける横パスでボール保有時間を延ばす戦術」に「ディフェンスが前で構えているとみるや否や自分でやらずに責任逃れのパス回しを始める」方式を嫌っていることは繰り返し指摘してきた。

昨日では、女子もその方式を見習い始めた様子が見えたのは遺憾だった。何を言いたいのかと言えば「58位も格下を相手にして、自分で抜き去ろうとも、相手の守りの裏を取って走って行こうとも、ポストプレーでもやって見せるかというような意欲が見えなかったこと」である。慎重に後ろに戻すとか、遙かGKにまで蹴り返すというピッチ全体を広く使う?サッカーを展開していたのは、大いに残念だったし、監督の指導方針かと疑っていた。

見方を変えれば、相手が未熟で教えられた通りにというか、充分に練習してきた形を整えて攻めようにも、ディフェンスが形になっていないので、慣れるまでは攻め難かったのではないかと言えるかと思う。組み立て役の長谷川唯は上手いのだが、未だ澤穂希さん程の強力なティームリーダーになり切れていないように見えた。そう言う理由は、「#14に何時もボールが集まってきている訳でもない感があった」からである。

オリンピック本番では予選で「死の組」と言われるところに入って、いきなりランキング1位のスペインだの上位国のブラジルだのと当たるようだ。選手たちは「優勝を目指す」とその意図は良いので、持てる力を思う存分発揮できるようにと、平常心で日頃の練習と同じような精神状態で臨めば、あそこまでの個人技を備えた者たちが揃っているのかから、必ず道は開けてくると思うし、そのように期待しても良い代表だと評価した。

「気になるニュース」を取り上げてみよう

2024-07-14 08:20:45 | コラム
マスコミの感覚が気になって:

大谷翔平が200号ホームランを打った:
このニュースなどは、円安ドル高問題や自衛隊員の不行跡や、一頃の自民党内部の裏金問題を巡っての大騒ぎ等々の暗さと陰鬱さと比べれば、少なくとも我々日本国民を気分爽快にしてくれるニュースであり、「凄いじゃないか」、「立派なものじゃないか」と歓迎したくなる。

だが、天邪鬼かも知れない当方は、ついつい気になってしまうことがある。それは、大谷君は200本目を打たなければならないと懸命になっている訳ではなく、「ティームの為」、「勝利の為」、「何としてもWorld seriesで優勝したい為」、「自分の高額年俸に見合う働きをする為」等々の確固たる目的を持って一所懸命にシーズン中でもトレーニングを欠かさずに、球場に入れば真摯にプレーしているのではないのかな。

勿論、MLBにおける日本人選手としての最高記録も目指しているだろうし、ナショナルリーグでのMVPに選ばれることも視野に入っているだろうから、200号は単なる通過点という程度の認識ではないのかなと思っている。案外「200本目と讃えていただくのは有り難いが、自分はそこよりも遙かに高いところを目指しているので」と、有り難迷惑のように受け止めているかも知れない。

率直な感想を言えば「もう日本の、と言うかNPBの選手たちがMLBに転進して立派な成績を挙げるのが希有な出来事だった時期は終わって、MLBの有力な投手なり打者なりとして、アメリカ全土に熱烈なファンがいるのが、ごく普通の出来事のようになりつつあるのではないだろうか。大谷翔平のように。

私は長い間アメリカでMLBの野球を見る機会があったが、ドミニカやベネズエラで「わが国を代表する選手がMLBで大活躍した」と歓喜したというニュースを聞いたことはなかった。大谷翔平君の大活躍を賞賛し、一層の大活躍を期待する報道をするのは良きことだと思うが、「過ぎたるは何とか」というではないか。

日本の優れたプレーヤーがMLBで外国の選手たちに劣らない活躍をしていることを讃える時期は過ぎて、ごく普通のことになっている気がするのは誤りだろうか。WBCではMLBの有力な選手たちを揃えて来たアメリカにも勝ったではないか。大谷以前にも、野茂茂雄、鈴木イチロー、上原浩治、石井一久、松坂大輔、黒田博樹、長谷川滋利、岩隈久志等々枚挙に暇がないほどいたし、現在でも何名が一本目を張っているか考えて見て欲しい。

「日本人1位」という報道は?:
「最早戦後ではない」という言い方をするようになったのは、今から何十年前のことだっただろうか。古めかしい言い方をお許し願えば、これなどは「戦争による荒廃」から立ち直って、世界第3位の経済大国にまで伸し上がる前までには通用した表現ではなかったか。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」や「日本に見習え」と言われるようになっていたのではなかったか。

記憶では戦後5年も経っていなかった頃に、藤沢市の我が家の近所に個人企業で貿易を懸命に手がけている方がおられた。その社長さんが我々近所に住む者に向かって「喜んで下さい。我が社も遂にアメリカ向けの輸出が成約しました」と本当に嬉しそうに、誇らしげに語られたのを未だに覚えている。進駐軍に押さえつけられてきたアメリカを相手に輸出が出来たことは、何事にも勝る「大成果」だったのだ。海外留学などは夢のまた夢の時期だった。

それにも拘わらず、マスコミ報道を見ていると「海外に進出すること」自体を戦後間もない頃の「アメリカ向けに輸出成約」の感覚の儘のような気がするのは誤解か誤認識なのかと、考え込まされてしまう。

「日本人1位」というような表現は屡々マラソンのような「国際試合における個人種目の結果を報道する時に使われている」ようなのだ。現在の世界で主流になりつつある傾向は、アフリカ系の選手たちの身体能力の高さと優れた体力/体幹を存分に活かした圧倒的な強さを発揮している現象ではないか。その中に入ってわが国を代表するような選手たちでもオリンピックで言うメダル獲得圏内に入ることは困難になってきた。

マスコミもそういう時代の流れというか傾向を熟知しているのだろうから、「日本人1位」というよう、何となく聞こえが良いような報じ方をするのではなく、例えば「世界のランキングの上位を占めている優れた選手たちの中に入っても堂々たる全体の5位というメダル圏内に迫る健闘を見せました」と言うように世界全体の流れの中で、わが国の選手たちがこのような大健闘だった事を、解りやすく伝えて欲しいような気がしてならない。

要するに、戦後70年以上も過ぎれば、スポーツの世界でも流れは大きく変わってきて、わが国を代表するような選手たちが「海外に進出してヨーロッパやアメリカの選手たちの中で立派な成績を上げるのを評価し賞賛する時代は終わって、新興国の抜群の選手たちが身体能力と体力等を活かした上に近代的トレーニングの手法まで取り入れて世界を圧倒している。彼等に対抗する方法を確立せねばならない時機が到来しているのではないだろうか。

そのような時代が到来している時期にあって、何時まで経っても「日本人1位」などと言う選手たちを傷つけないような気遣いをした報道の仕方で良いのかなと思うのは誤りだろうか。北口榛花さんなどは「日本人1位」ではなくて「世界第1位」を堅持していても「オリンピックまで維持する為には」と謙虚に言っていたのが印象的だった。