新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

『ルポ新大久保 移民最前線都市を歩く』という本が出たそうだ

2020-11-22 10:42:18 | コラム
室橋裕和氏と辰巳出版に告げる:

件名に掲げたような題名の本を、室橋裕和氏が辰巳出版から上梓したそうだ。内容を週刊誌の紹介記事で見る限りでは「新宿区百人町/大久保界隈」の探訪記事のようである。この辺りの劣化振りを採り上げて頂けたのならば大変結構だが、不満に思うことが幾つかある。

先ずは「新大久保」と銘打ったことだ。私はこの問題をこれまでに何度採り上げたか分からない。ここには「新大久保」という地名は存在しない。紹介の記事を読んだ限りでは明らかに百人町と主に山手線の内側になる大久保のKoreatownを探訪されたようだ。イスラム横町と呼ばれている僅かの距離の所は、百人町の一角である。どうやら山手線の新大久保駅と中央線(総武線)の大久保駅と二つある事は採り上げられたようだが、何が故に「新大久保」としたかは不可解だ。テレビ局の呼称に阿ったのか。不見識だ。

紹介された内容を見ると、この街に32年も住んでその変化、即ち劣化と言うか勝手にやってきた異邦人どもに悪化させられた状況を具に見てきた私が、毎月採り上げてこのブログで論じてきたことばかりで、今更気が付いたように出版されても、何とも言いようがないのだ。私はこの街の変化を「不用意に外国人を無制限に入れて聞こえが良い国際化などを進めると、このような悲惨な状態になる。その国際化が行き着く先だろう状態を現時点で示しているのかこの界隈である」と指摘してきた。「外部から来た者に何が分かるのか」と不愉快だ。

現在のアメリカを見てみよ。嘗ては少数民族(minority)と呼ばれた合法と非合法の移民の大量の流入で、遠からぬ将来に白人が少数民族になってしまうと言われているではないか。どれほど下層階級が増えたかは専門家の解説を待つまでもなく明らかだ。トランプ大統領の支持層にはそういう連中が多いのも周知の事実だ。現に、アメリかでは少数民族をminoritiesと複数で表している。そのような多民族国家の縮図のように劣化したのがこの街だ。著者は政府の無定見を批判してあるのだろうか。

私なら出来ることで、雇われのバングラデッシュ人が店番をしている外見は八百屋で実体はハラルフードを商う店で、彼に英語で尋ねた見た。「このような物価が高い国にやって来て、自分の国とどちらが暮らしやすいか」と、世界の最貧国の一つであると承知して尋ねてみた。彼らは国策で外国に押し出されてきて、我が国を食い物にしている輩だ。答えは「ここの方が物価は高いが、治安も良く清潔で暮らしやすい」とほざいた。辰巳氏はこの街に外国送金の店舗が雨後の筍の如くに増えた理由を当たったのかと言いたい。

憤懣やるかたない思いだが、この辺りで良いだろう。外部から来て一寸見れば興味深い街かも知れない。だが、劣化と悪化と望まざる国際化に曝されている同胞の思いに少しでも触れているのだろうか。知ったかぶりをするなと言いたいのだ。何度も紹介したが、老化して動きもままならぬ私との懇談の為に、この街に何度も来て下さった某大学の教授は「もうこの街の異常さに馴れました。だが、その異常さを感じなくなった自分が怖いです」と言われた。本を出すのならば、そこまでの底の深い探訪をしてから書けと言って終わる。


11月21日 その2 我が国の英文和訳の技術は素晴らしい:

2020-11-21 17:00:59 | コラム
英語を和訳する時には洋画の題名の邦訳のような感覚で:

私が常々不思議に思っていることがある。それは我が国では官民挙って英語教育に力を注いでいるにも拘わらず、英語で思うままに自分が思うことを表現できるだけの力を備えた者が一向に増えず、一方では恥じるベきような珍妙なカタカナ語を次から次へと産み出してしまう英語力の不足というか、言葉の誤用が目立つ点である。

ところが、事英文乃至は英語の表現の和訳となると、今回採り上げるような絶妙な表現力が発揮されるのは、私は「どうしてだろう」と、その跛行現象に首を捻らざるを得ないのだ。ということで、以下に「これは上手いな」と感じた例を幾つか挙げていこうと思う。

その前に、ここに掲げた見出しの「英語を和訳する時には洋画の題名の邦訳のような感覚で」は、高校3年の時に英語の授業を担当して頂いた鈴木忠夫先生の優れた教訓であり名言だと信じている「英文和訳の基本的な心得」とでも言いたいのだ。その一例を挙げておこう。

例えば、今を去ること60数年前に評判になっていたアメリカの映画に「哀愁」というのがあった。この英語の題名は“Waterloo bridge”だったのだ。これを配給会社は「哀愁」にしたのは、映画の内容に即した素晴らしい意訳だと思う。制作者の狙いだったのだろう男女の出会いの橋を題名にしたところを見事に振り切って、悲劇的な恋愛という筋立てを尊重して「哀愁」にしてしまったのは凄いと言うしかない。

要するにこれくらいの思い切りの良さと大胆さを持たないことには、他人を唸らせるような見事な英文和訳は出来ないということだ。

その点では我が国の英文和訳の達人たちの技術には何時も感嘆させられているし、尊敬すらしている。時には何という忖度振りかと腹立たしい思いをさせられる訳語もあるが。そこで思い当たる「上手い」か「凄い」と言いたくなる、屡々報道の用語として用いられて、我が国に広く普及している和訳の例を挙げていこう。

半旗:
解説)これは亡くなった方に敬意を表し弔意を表す為に国旗を檣の半分の高さに掲げることで、英語ではhalf-mastかhalf-staffとなっているようだ。だが、私は「半旗」と聞いて長い間「半分の大きさの旗」のことだと思っていた。しかし、英語の表現を知って「これは面倒な」と思ったのだった。

即ち、「国旗を檣の半分の高さに掲げる」と訳したのでは体を為さないからだ。そこで、和訳の達人は知恵を絞って「半旗」とされたのだろう。「上手いな」と思わず敬意を表したくなる和訳だ。だが、これを見て旗竿の半分の高さのことだと、直ちに理解できる人がどれほどいるだろうかとも考えてしまう。

星条旗:
解説)言うまでもなくアメリカ合衆国の国旗であり、英語は文字通りにStars and Stripesである。ところが、アメリカで過ごす時が長くなり、屡々国歌を聞くようなると、国歌ではStar-spangled bannerと歌われていると知ったのだ。即ち、「キラキラ輝く星を散りばめられた旗」とでもなるだろうか。ここで、私が惑わせられたのがspangleだった。

日本語というかカタカナ語に「スパンコール」というのがあるので、これとspangleの関係を広辞苑で調べてみると、何とスパンコールは「スパングル」が訛ったものだと判明したのだった。和訳の話から少し外れてしまったが、スパンコールの語源がspangleかspangledだったというのは意外だっただけのことになってしまった。

一般教書演説:
解説)元の英語はThe State of the Union Addressであり、大統領が内政・外交の方針を述べる演説のこと。私にはそれならば「施政方針演説」で良かったようにも思えるのだが、如何なものだろう。「教書」は何処から出てきたのだろう。

国際連合:
解説)言うまでもない「国連」のことだが、これは英語の表記はThe United Nationsであって、何処にもinternational という言葉はない。私は故に常にUNとしか表記しない。この和訳はこれまでにUNに対する無用な尊敬の仕方を散々貶してきたので、これ以上の非難は避けておく。

安全保障理事会:
解説)これも感心するのみだ。「安保理」なる略語も作り上げた。英語はThe Security Councilなのだが、security という単語には「保障」というまでの意味はないように思える。だが、この和訳ではこの委員会の神々しさが十分に表現され、何故我が国が入りたい、常任理事国に選ばれたいという願望が表れている気がする。

常任理事国:
解説)これも凄いと思って何時も感心している。英語表記は“permanent member”であるからだ。私は上手い和訳であり意訳の極みだと思っている。誰がこのように訳したのかと感心している。「永久」を「常任」と訳したのが凄いと思う。

聖火:
解説)我が国ではオリンピックは限りなく神聖な行事だと崇め奉られているからこそ、こういう和訳が出てきたのかと信じているというか、疑っている。尤も、初期のオリンピックには神聖さがあったのだと察してはいるが。英語の表記は“Olympic flame”である。

併殺:
解説)最後に野球用語を採り上げておこう。英語は勿論double playである。これを併殺と訳した知恵は素晴らしいと思う。何処にも「殺」という単語がないにも拘わらず「併殺」とした。序でのことにtriple playは「三重殺」とされていた。

ここで不思議なのは、我が国の野球用語では「ゲッツー」(=get two)が普及していること。永年アメリカでMLBの野球を見て、その野球の中継放送を見ているが、get twoとは誰も言わないのだ。

実は、私は戦前に昔の後楽園球場で職業野球(professional baseball)を見ていたが、その当時でも既に「ゲッツー」が使われていたのだった。とすると、ダブルプレーと聞いてそれを「二人をアウトにする」という風に「ゲット・トウ―」と言い換えたのかなと考えている。なお、戦後には職業野球は「プロ野球」になってしまったが、これはprofessionalの頭だけを採ったらしい。



カリフォルニア州在住のSM氏からの便り

2020-11-21 08:34:58 | コラム
SM氏が現地で見る大統領選挙のその後は:

「うーん、選挙後の混乱については、予想されたとは言え、もうウンザリで特にフォローもしていません.したがって各国にどういう動きがあるのかもよくわかりません.ロスアンジェルスのダウンタウン(筆者注:繁華街のこと、念の為)でもトランプ再選後の左翼の暴動に備えての各店舗の板張りも徐々に取り払われています.

明日土曜日より、当地にコロナによる一か月間外出禁止が発令されて夜10時以降の外出禁止です。感謝祭とクリスマスのホリデーシーズンにこれですから、やばいですね.

トランプも他の欧州諸国なども、中国に対する、コロナの損害賠償を唱えていましたが、どういうわけか今はあまり聞きませんが.もちろん、中国は応じないでしょうが、なぜトーンダウンしたのかわかりません.」

その後の状況をSM氏がどのように見ているかを問い合わせでみたところ、上記のように連絡があった。余計なことかも知れないが、カリフォルニア州では民主党のバイデン氏が勝利していた。


11月20日 その2 本20日は東京で522人

2020-11-20 16:38:43 | コラム
何処かに泉のようにウイルスが湧いてくる所があるのかも:

昼頃に何となく見てたテレビで、日本医科大学の北村教授が新型コロナウイルスの感染者の急増の現象について、勿論冗談だろうが掲題のように形容して嘆かれた。上手いことを言われるものだと感心している場合ではないと思う。北村教授は「職場」と「家族間」の感染が多いという分析を批判して「これでは感染源を特定できていない。誰かが何処かで感染してウイルスを持ち込んだのであるから」と言われた。なるほど尤もだなと思って聞いていた。

ところが、3時前にあらためて「ゴゴスマ」だったかを見れば、本日の東京の感染者は前日よりも僅かに減少した522名と報じいた。年代層別の分析では相変わらず20と30歳台が主力だが、郭年齢層に満遍なく感染者が出ていたのは、陳腐な表現を用いれば「大いに心胆を寒からしめられた」とでもなるだろう。続いてフジの「イット」だったかでは尾崎東京医師会長が「このままの比率で感染者が増加すれば、何日か後には1,000人を超えて、医療は対応できなくなる」と深刻な表情で警告された。

都民ファーストの会だったかは「無届け外出をすると5万円の科料云々」との条例だか法案を用意したとの報道もあった。これに妥当性があるか否かは知らないが、東京都だけではなく、国全体とするか都道府県別とするかは私には解らないが、かなり強烈な具体的な対策を講じないと、尾崎会長の警告は単なる警告では終わらないほど深刻な事態に至りそうな気がしてならない。簡単に言えば「『Go to 何とか』などを景気回復を謳い文句に実行している時か」となるのではないか。何処かに五つの「小」などとしたり顔で言っていらした知事もおられたが。そんなことで済むのか。



なお、これが本当の「その2」であり、先ほど掲載したものは言わば「その1」でした。そそっかしくて申し訳ない。真一文字赤面

11月20日 その2 カタカナ語排斥論者の嘆き怒り

2020-11-20 14:27:46 | コラム
好ましくないカタカナ語:

何時まで経っても同じ事を言うが、この世にはあってはならないというか好ましくないカタカナ表記が蔓延っているのだ。そこで、今回は元の英語というか外国語の本当の発音とは異なる余りにも無様な表記になっているものから槍玉に挙げていこうと思う。そこには商品名、商標、社名、更には映画の題名もあるという具合だ。

私の持論は如何なる表記をしようと勝手だし、そのカタカナ語は最早日本語の一部と化してしまっているので、日常的に使われることまで阻止する気など毛頭ない。だが、それらが原語と非常にかけ離れているので、そのまま「英会話」などで間違っても使わないことだけはご忠告申し上げておく。

先ずは最新のものではアメリカの待望のワクチン製造会社のModerna Inc.から行こう。この会社名を失礼なことに我が親愛なるマスコミは「モデルナ社」と表記するのだ。しかも、テレビに登場される某有名私立大学の英文学科ご出身と聞いた大学教授までがシレッとして「モデルナ社」と言われたのには呆れたし、情けなかった。これはどう読んでも「マダーナ」か「モダーナ」でしかあり得ない。

似たような例に「マドンナ」というのがある。元のイタリア語というか、英語の綴りはMadonnaであり、英語での発音は「マダーナ」か「マダナ」だ。記憶が正しければ、夏目漱石の「坊っちゃん」にマドンナというのが登場する。漱石は英語学者と聞いたのだが、イタリア語読みしておられたのだろうか。

次に有名な時計のブランドRolexにしよう。これはマスコミが躊躇わずに「ロレックス」としている。頼むから一度くらい辞書を引けよ。ジーニアス英和の発音記号は「ロウレックス」となっているし、常識的には「ローレックス」だ。「このような珍妙なローマ字読みは止めろ」と言ってやりたい。

外国語(イタリア語?)というか、英語にも当て嵌まる原則は「終わりから2番目の母音にアクセントが来る」のが常識だ。以前にも批判したがPOLUSとローマ字表記している会社がある。これはこの原則に従えば「ポーラス」になってしまうのだが、テレビCMで「ポラス」になっている。何処の宣伝広告会社が作ったの知らないが、もう少し勉強しろよ。

トム・クルーズが熱演する映画にMission Impossibleというのがある。これのカタカナ表記は我が国の英語教育を根本から乱そうとしているのかと言ってやりたいほど酷い。ミッションはまだしも「インポッシブル」はローマ字読みまで採り入れた出鱈目なものである。辞書を見ても、日常的に聞いていた英語でもimpossibleは「インパサブル」が最も近いと思う。何が故に出鱈目で嘘のカタカナ表記をするのだ。製造業者には見識がないと断じたい。

映画の題名をもう一つ。矢張り人気が高いものにHarry Potterというのがある。この日本語の題名は「ハリーポッター」だ。「ハリー」は兎も角「ポッター」も悲しくなるほど情けないローマ字読みだ。辞書を引けよ。「パター」か「パーター」が原語に近いのだ。如何なる理由があって原語の発音を避けて奇妙なローマ字読み的な表記をするのか。ここでは常識を疑っておこう。「君等は政府が躍起になっている英語教育を妨げようとする気か」とも言ってやりたい。

今度は普通の英単語だ。スポーツ用語以外の場面でも頻繁に使われるようになった「メンタル」と「フィジカル」に」行こう。ここから先は理屈が半分以上を占めるとお断りしておくが、何処の誰がこのようなおかしな英語の言葉をカタカナ語にしてしまったのかと憤慨しているのだ。

先ずは「メンタル」でmentalが英単語である。これはOxfordによれば、いきなり「通常は名詞の前で使われる」とあるが、これは当然のことで、これは形容詞であるから。だが、カタカナ語では名詞として「精神力」を表すかのように使われている。敢えてここでも言うが、「どのように使おうと勝手だ」であり、「形容詞を恰も名刺のように使うな」と戒めておく。
Oxfordに先ず出てくる意味は“connected with or happening in the mind; involving the process or thinking”となっていて、その後に“strength“を付けても「精神力」を表す為に使うのは無理があると思わせる。ジーニアス英和には[限定]として「精神の、心的な」が先ず出てきて、使用例にmetal illnessなどというのが出てくる。どうも「精神力」の意味でカタカナ語化したのには無理があるとしか思えない

次は「フィジカル」だが、これは勿論physicalのことだろう。言うまでもなく、これも形容詞である。ジーニアス英和の使用例にはphysical strengthがあり{stamina}となっているので、これはこれとして通じるが、形容詞を如何にも名詞のように「身体能力」のような意味で使っているのは、文法的に敢えて言えば誤りである。もう一度言うが「カタカナ語をどのように使おうとご勝手に」なのだ。だが、文法を無視していることだけは忘れないで欲しい。万が一にも、英語圏の国に行って知識階級の人たちと会話などをして、文法的な誤りを犯せば「下層階級め」と口には出さないだけで、相手にされなくなると請け合った置く。

大袈裟なことを言えば、毎度同じ事を言うのだが「このような好い加減なカタカナ語を恣意的に作らせただけではなく、今日ここまで広めておく輩がいるにも拘わらず、放置している文部科学省を糾弾したい。こんな事を許しておきながら「英語教育を充実させて、小学校から教え、国際人を養成しよう」などと戯言を言っているのは天下の奇観である」と断じて終わる。