新宿少数民族の声

国際ビジネスに長年携わった経験を活かして世相を論じる。

増上寺拝観記

2016-05-27 08:40:43 | コラム
浄土宗大本山 増上寺:

今週は多事だった。中でも白眉は23日(月)の港区芝の増上寺拝観だった。親戚の者が執事長を勤めていた関係があり、長年の取引先の方々3人と施設部の主任の方(といっても僧侶だが)に案内して頂き一般人では容易には入れないところも拝観出来たし、懇切丁寧な説明があって、思いがけない徳川時代の歴史の勉強まで出来てしまった。何度も火災と戦災に遭って往時の規模から大きく縮小された由だが、荘厳にして華麗な大殿(本堂)等々予想以上のものがあり一同大感激の約1時間半の拝観だった。

終わりには増上寺の顔として知られている「三解脱門」にも上らせて頂けて上層部に安置されていた釈迦三尊像、十六羅漢像も見る機会を与えられた。その上層部から回廊に出れば、嘗てはそこから先が海だったと聞かされたJRの高架が見えたし、道路を見下ろすことが出来たのは壮観だった。私は寡聞にして知らなかったが、日テレの加山雄三の散歩の番組では彼も上がっていたと、後刻専門商社の知人が教えて下さった。

その他にも徳川将軍家霊廟、鐘楼堂、経蔵、宝物殿等も見せて頂けた。経蔵では内部の輪蔵を「一度回すと一年、二度で二年、三度で死ぬまで生きていられる」との説明を受けて一同汗をかきながら四度回して長生きを保証して頂けたのだった。

私たちが非常な感銘を受けたのが宝物殿で、中でも以前は門外不出だった狩野一信の「五百羅漢図」が良かった。この狩野一信(1816~1863年)の全100幅の絵は3年ほど前に両国の江戸東京博物館で公開された由だったが、現在は61~70までの10幅が展示されていた。私はそもそも絵画だの美術だのには全く知識はなかったが、テレ東の「お宝鑑定団」のお陰で、先頃まで上野で公開されていた伊藤若冲等の存在を知るようになっていた。解説ではこの狩野一信の絵は若冲に勝るとも劣らない名作だとのことで、その素晴らしさには圧倒された。

何処かどう素晴らしいのかと尋ねられても納得いく説明は出来ないが、「その前に立てば動けなくなるような色彩感覚、羅漢さんたちの表情、飛んでいる鳥の描写等に凄さがあるのだ」くらいは言える。また長年、紙の業界にいた者としては150年も前の紙が未だに完全な状態である事、絵の具が色落ちがしているようには見えなかったことにもただ感心するだけだった。若冲の絵はそれこそテレビの画面でしか知らないが、狩野一信の絵にも「これほど圧倒的な色使いの描写が良く出来たものだ」と言いたい凄さがあった。実は、全く比較の対象にはならないが、この10幅を見て想起した絵があった。それはマドリッドのプラド美術館で見たベラスケスの絵だった。関係ないか?

この宝物殿と徳川家の霊廟では、それまで全く知識がなかったことの不勉強を恥じるような徳川家の家紋の変遷や犬公方と無能のように聞かされていた五代将軍綱吉の実態は決してそうではなかったとの説明を受けて、今回の拝観が単なる拝観ではなかったことを知った次第だ。余談かも知れないが、宝物殿の内装の壁画というのか、篠田桃紅さんの墨一色の迫力の素晴らしも忘れられない。

広い境内で印象的だったのは案外に外国人の姿が散見されたことで、彼らも我が国の仏教文化を楽しんでいるかと思わせられた。拝観を終えて感動した一同で語り合った事が「この広い東京には未だ未だ見るべきであり、訪れるべき名所旧跡があるのだろう」だった。増上寺や上野の寛永寺などは取引先の関係で葬儀等で訪れることは間々あったが、今回のように始めから「拝観」が目的で訪れれば得るところ誠に大だったと知り得た次第だった。言うなれば、何も京都まで行かずとも楽しめるものだと悟ったのだった。東京タワーやプリンスホテルが見えなければ、奥に入れば入るほど「ここが東京か」と思うほどの静寂さがあったのだった。

5月26日 その2 トランプかクリントンか

2016-05-26 17:20:58 | コラム
トランプ大統領を覚悟せねばなるまいか:

勿論予断は許さない情勢だが、大方の懸念を裏切らず、ドナルド・トランプがアメリカの大統領になってしまうかも知れない事態が段々に近づいてきたかも知れないと思わせられる今日この頃だ。一昨日だったか畏友佐藤一氏からアメリカのABCテレビとワシントンポスト紙の共同世論調査の結果を知らされていたので、昨25日の産経の一面に出た「トランプ氏支持率逆転」の記事には驚きはなかった。それにアメリカの友人・知己からの意見でも最早その危険性は否定されてはいなかったのだから。

本日はテレ朝の「トランプ大統領の出現場合の我が国の軍備はどれほど膨らむか」を見た後で、毎度お馴染みの商社マンとの定例の情報交換会と称する昼食会に出かけた。彼にABCとWPの調査の結果を見せたところ少しも慌てず「矢張りトランプの当選が現実のものになるかも知れない」と反応した。ごく当たり前の見方だろう。実は愚息も同様。かく申す私は泡沫候補だった頃の1%程度の確率が着々と膨れ上がって46%に上がってきただけと受け止めている。

昨25日の午後は恐らく平均年齢は80歳を超すだろう学識経験豊かな長老が揃っている研究会で、上記のABCとWPの調査結果を基にトランプの当選の可能性ありと手短に語ってみた。意外だったのは、あれほど洋の東西を問わず歴史に精通しておられる長老の方々(女性を含む)の中には、トランプがラップタイムとはいえクリントンを逆転するまで行っていたかと驚かれた現象があったことだった。私のアメリカの友人たちは「現地ではヒラリー・クリントンに対する嫌悪感が厳しい」と教えてくれたが、このような消息は我が国では報じられていない模様だ。

何れにせよ、現時点でトランプとクリントンの何れが勝つかの予測は不可能だが、今や我が国としては両建てでその時に備えておかねばならぬ事態に直面してきたと思わせてくれているトランプの強さである。既に指摘したが、トランプの支持層が決して所謂インテリそうではなく、本来は労組等を主体とした民主党支持者であった”minorities”がトランプも良いじゃないかと転向して来つつあるところが怖いのだと、私は考えている。外務省さん、如何にしておられますか。具体策はおありか。

余談だが、会員の中の論客の一人が常にオバマ大統領を酷評してきた私に「流石に怖いな」と思わせることを言われた。即ち、「オバマ大統領を貶す人は知識階級というか、トランプを支持するような階層からは出てこない。だから貴方は・・・」と褒められたような皮肉られたようなことをズバリと言われたのだった。これも余談かも知れないが、安倍総理がオバマ大統領の広島訪問を実現させたことは大いに自民党にとってプラスだろうというコメントも多かった。


不愉快の極み、東と南の双璧

2016-05-26 07:48:45 | コラム
東の舛添、南の翁長の両知事:

今や私にとっては西の翁長と東の舛添の存在は、我が国を代表する東と南で双璧を為す二大不愉快人物である。両方に退陣を求めたい気がするのだ。

東の舛添都知事は予想通りに自ら選んだと称する弁護士(弁護士とは依頼人を弁護するのが仕事であり、調査するものではないのでは)の氏名の公開も拒んだ。彼はその費用も自己負担だと言うが、まさかそれも政治資金にする気ではないだろうな。そう疑われても仕方がないこれまでの言動だった。兎に角不愉快なことを続ける悪あがきは極めて不愉快だ。都議会の舛添追求の及び腰も情けない極みだ。

実は、昨夜開催されたそうそうたるお歴々が集まった研究会の雑談の間には、舛添都知事の件も採り上げられた。会員のほとんどの方が都民で「彼しか選択肢がなかったとは言え、あいつに一票を投じたとは」との後悔の念を表明された方が多かった。何を隠そう、私もその一人だったかなー。

一方の南の翁長沖縄県知事も相変わらずだ。安倍総理がオバマ大統領との昨25日の会談で地位協定の改定を採り上げなかったことと、自分のオバマ大統領との面談の希望が伝わらなかったと不満の意を表明して見せた。安倍総理が翁長氏の歓談でこの件をどのように語り合われたかなどは知る由もないが、一国の総理が自分の思うままに動かなかったことを批判するのは、私は身の程知らずも極まっていると思う。

尤も、総理が地位協定の改定に踏み込まれなかったことに対しては、何も翁長知事だけではなくとも不満を漏らす向きはあるだろう。だが、この案件は総理がいきなりオバマ大統領に持ち出すものではなく、担当官庁である外務省が然るべき地ならしをしてあった上でトップ会談で話題に挙げることだろうと、私は考えている。一国の指導者が会談する場合に事前に”Agenda”が整っていないことなど考えられない。何れにせよ、私は翁長知事の態度は「不遜」、「身の程知らず」として非難したいし、広く非難と批判されて然るべきだ。

5月25日 その2 呆れ返った

2016-05-25 12:33:59 | コラム
近頃の若い者は!!

今朝ほど我が家から高田馬場駅に向かって歩いている途中で下り坂に差し掛かったところ、私を追い抜いて行く子供を後ろに乗せた電動自転車があった。と思った瞬間に坂を上ってきた人品骨柄卑しからぬ中年の男性に接触したのだった。当たられた男性は「痛い!」と叫んで右肩を押さえたが、それ以上は何も言わずに立ち去っていった。私は一言くらいその無礼をとがめても良いかと思ったほどの乱暴な自転車の走行だった。

するとどうだろう、その若者は自転車を止めて後ろを振り返り去りゆく被害者(と言って良いだろうと判定する)に向かって「歩いている方が気を付けてよけろ」と怒鳴ったのだった。とんでもない暴言である。その工事中の道路の幅は広いが歩道と車道の区別も無いところで、常々自転車が下り坂でスピードを制御しきれない例を数多く見てきたので危険だとは思っていた。それにしても、自転車側が歩行者に「気を付けろ」とは言いも言ったりである。当に「近頃の若い者は」の悪い例であろう。

私は一向に歩道を去らずに自転車で我が物顔で走ってくる老若男女を敵視してきたが、これほど悪質な者に出会ったのは初めてだった。この経験談を聞いて貰ったジムの昔からの仲間の一人は「そういう場合には直ちに警察を呼べば良いのだろうが、間に合うまい。近頃の若い者はそれだから困る。我々高齢者が当たられれば直ぐに骨折でもしかねないから十分に注意が必要だ」との感想を述べてくれた。

これから先は歩道には「自転車乗り入れ禁止」の標識でも出して、道交法を守らない自転車乗りたちを遠慮無く取り締まるように警察に望みたいところだ。

第三者委員会

2016-05-25 07:04:23 | コラム
舛添都知事のまやかしの手段では:

舛添都知事は矢張りと言うか何と言うべきか、繰り返して第三者の厳しい目で見て貰うと言い出した。即ち、甘利元大臣、東芝、国立競技場問題等々に見られた近頃流行の第三者の目乃至はその委員会に委ねると言ったのだった。第三者と言うからには当事者とは無縁なのかと思えば、それを選ぶのは舛添本人であり、25日には決めると報じられている。それが果たして第三者と言えるのかという疑問が残るが、彼は平然としてそう言っている。純粋の第三者が選んでこその「第三者」だと思うのだが。

如何にも詭弁師・舛添都知事ならではの知恵だろう。今回の一連の公私混同と見える資金の使い方には、法律違反とは断じきれない点があると多くの所謂専門家が指摘してきた。それくらいは法学部出身である舛添都知事が知らないはずはないだろう。と言うことは、第三者は彼の意向を反映することなく「白」の判定を下すこともあり得るのだろう。しかし、法的にそのような結論が導き出されても、彼には「良識」が欠如しているという多くの都民の認識までを覆すことは出来ないだろう。

回りくどい言い方になってしまったが、どのみち彼には自ら潔く辞任する以外の道しか残されていないのだと考えている。恐らく、あれほど小細工をする明晰な頭脳があるくらいだから「我に利なし」くらいは既にお解りだろうと思う。それならば、何故詭弁を弄し、姑息な手段を使ってまでと知事の地位に縋り付こうとするのだろうか。思うに彼のことだから、色々な理屈をつけて正当化しようとするだろう。だが、もしかすると石原元都知事が指摘した「離婚を重ねてお金が無くなったのだろう」辺りが正解かも知れない。我々都民は彼の生活手段の為に住民税を納めているのでは無いのだが、それも承知で誤魔化しているのではないのか。